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その九 虎御前山の首実験場で、家康は信長に会った。 徳川勢の奪った朝倉勢の武将達の首級も、信長の面前に差し出された。前波新八郎、前波新太郎、魚住景固、黒坂備中守、真柄直隆、真柄直基、小林瑞周軒などなど…。 信長は終始、上機嫌だった。家康の手を握ると、 「今度の合戦は、徳川勢が朝倉勢を敗走させ、我等織田勢を救援したことで、勝利を得る事が出来た。心底、忝いと思うておりますぞ。武田との合戦の折は、真っ先に我等織田軍が駆けつけますぞ。その節は、何なりとお申し付け下され。」 と、愛想良く話しかけた。 家康も信長に合わせ、親しげに口をきこうとしたが、……出来なかった。 「それでは、武田が我が領地を侵した時には、遠慮なく援兵を乞いまする。その節は、宜しくお願い致します。」 親しき仲にも礼儀ありで、家康はへりくだって答えると、深々と一礼した。 信長の前では、どうしても下手に出てしまう。現在の両者の力関係からすれば、致し方無いことではある。 家康と共に信長と会った酒井忠次には、その家康の態度が歯がゆくて仕方が無かった。 信長は家康に最大限の労いの言葉を並べた後、別れの挨拶を告げた。家康が馬から何度振り返ってみても、信長は家康の方に手を掲げて敬意を表している様に見えた。 「信長様にしては珍しいのう。えらく丁寧な挨拶じゃった。」 忠次が苦々しい顔で家康に応えた。 「殿は人が良過ぎますぞ。もっと恩着せがましく振る舞われても、良かったはずですぞ。今度の合戦は、我等徳川勢がおらなければ、織田勢は敗けておりましたぞ。我等が朝倉勢を突き崩し、浅井勢をも左側背から襲ったからこそ、織田勢は息を吹き返したのです。我等徳川勢は、勝利の代償として三百近い戦死者と、それに倍する手負いの者を出しました。もっと、信長様の前ででんと構え、ふんぞり返っておっても良かったはず…。」 「そうは言うがの、次は我等が織田家の加勢を頼まねばならぬ。」 「武田信玄との戦でござるか…。」 「そうじゃ。信玄は、必ずや京を目指すはず。その通り道に、徳川はある…。」 「それは、信長公とて同じこと。我等と織田家とは一蓮托生。加勢ではなく、織田家も己の生き残りを賭けた戦でござるぞ。」 家康は忠次との会話が無意味に感じられて、答えるのを止めた。 遠からず武田との合戦は起こるはず。避けられない合戦である事は百も承知だ。 宿老の一部には、織田家を見限って武田に味方すべきだと主張する者もいる。その反織田勢力が増大すれば、徳川家を二つに割る程の争いになりかねない。 昨今の現状を考慮すれば、武田家に味方した方が、徳川家が生き残れる確率は高そうである。味方しないまでも、黙って武田勢に領国を通過させ、中立を決め込む事も可能だ。 十年前の家康は、今の武田勢に相当する今川勢に、味方せざるを得なかった。今川義元の上洛の先兵となり、織田領に侵入し、敵前での大高城への兵糧補給を成功させている。その後の田楽狭間の合戦での織田勢の勝利は、信長の一大転機となると同時に、家康にとっても人生初の瑞兆であった。 今川義元の属将として、織田勢を屈服させて京畿の地に入っても、今川家の前途はそれほど明るいものには思えなかった。 日本の各地には有力大名達が割拠しており、今川家程度の領国を支配する大名は幾人もいた。今川義元が将軍に代わって天下に号令したところで、ほとんどの戦国大名は無視するだろう。この戦国の世は何も変わらず、義元は領国が周りの諸大名から侵略されそうだとの報せを受け、慌てて京を逃げるようにして出て行くことになる…。 そんな筋書きしか、家康には見えて来なかった。 「今川や武田より、織田の天下取りの方が理に適っておる…。」 そう、家康は確信を持って己に言い聞かせていた。傍らの忠次には、家康の心中は読めないであろう。 「それで良いのじゃ、忠次。おぬし達は黙ってわしに付いてきてくれればよい。たった一度のわしの人生じゃ。わしは、何があっても、どんな屈辱を受けたとしても、このわし自身が選んだ道を、全ての重荷を背負って歩んで行くだけよ…。」 家康の独り言がぶつぶつと続いた。 隣の忠次が、仏頂面を崩して苦笑した。己の主君がこうなると、もう誰の言葉も耳に入らないことを、嫌というほど心得ているからだ。 「もう、我等では殿の心の内には入れなくなってしもうた。少し寂しくもあるが、殿にはもっともっと大きくなって貰わねば…。」 忠次も主君の癖が移ったのか、ぶつぶつと独り言を始めた。 似た者主従と言うべきか、家康には掛け替えのない家臣であった。 家康の将来への勝算の裏付けは、信長より長くなるはずの寿命だけでは無かった。この気心の知れた、人質時代の苦難を共に生き抜いてきた忠節無比の家臣団であった。 この地の豪族集団の二大巨頭であった酒井と松平の両家と縁続きになった家康の先祖以来、徳川家臣団は紆余曲折の後、三河の地にしっかりと根を張った。 内紛を繰り返した織田氏と違い、松平氏はあくまでも一枚岩であった。 この強固な家臣団こそ、家康の勝算の根拠であり、それは後に徳川幕府二百六十余年の礎となる。 |
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