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現在、旅の写真とブログ小説「戦国カルテット」を交互に掲載中。カルテットは、光秀、信長、秀吉、家康の4人。

小説「戦国カルテット」

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  額に「萬揮堂」とあります。ここも大黒堂も御朱印が貰えます。では「戦国カルテット」の第223回です。
 

    「ある男の初陣」

 

      その一

 

 この姉川の戦いが初陣となった武将がいた。

その当時は武将ではなく、単なる浅井方の端武者であった。

歳は十五歳である。身体は並みの大人より随分と大きかった。名は与右衛門である。近江国犬上郡在士村の出身であった。

父の旧姓は三井氏で、養子に出されて姓が変わった。母は多賀大社の代官、多賀好氏の娘である。兄の源七朗は、浅井勢に混じって織田勢の伊勢大河内城攻めに陣借りし、その地で討ち死にしている。この時が、この男の伊勢との関わり合いの最初である。

この男は、後に自身の運命を変える二人の武将と、姉川の合戦で敵として相見える事になった。

一人目は木下秀長である。

この男が山口茂左衛門の手勢として、阿閇貞秀に率いられて織田勢の木下隊に突撃した時だ。先陣の磯野員昌隊が、織田勢の坂井隊、池田隊を切り崩したがこの木下隊に前進を阻まれた。その磯野隊に替わる新手として、木下隊に挑みかかった時である。

木下隊の鉄砲による攻撃は凄まじかった。前を駆ける先手の将兵が次々となぎ倒されていく。この男の周囲でも、突然、人形の様に弾き飛ばされる兵が増え始めた。所詮はこの合戦限りの傭兵だ。阿閇貞秀の直属部隊の弾避けにしか過ぎない。

それでも命知らずの集団は前進を止めずに、ついに木下陣に踏み込んだ。長柄の足軽衆が押しに押している。長柄衆の左右では徒歩武者同士の、手槍や太刀を使っての個人戦闘が始まった。その後ろで、何人もの騎馬武者が声を枯らして督戦している。

その男は山口茂左衛門の背中を追いかけ突き進んだ。とにかく、前に進むだけだ。行く手を阻む者が出た時だけ、その連中を追い払う。手槍を突き出した織田兵が、前を走る浅井兵の腹を突き刺した。

その男は長めの太刀を奮って、槍を握ったままの織田兵の腕を、上から叩き斬った。男の進路を織田兵の血飛沫が閉ざした。獣のような悲鳴が起き、それと同時にその男目がけて槍が繰り出された。

男は危ういところで槍をかわすと、その槍を繰り出した織田兵の首を横に払った。思ったよりも遠くへ、その首は声も出さずに飛んで行った。

男の太刀筋の凄さに、辺りの織田兵は逃げ去った。その向こうの騎馬武者と目が会った。その男は知らなかったが、その騎馬武者こそ、木下秀長だった。

その男は、無謀にもその騎馬武者、木下秀長に突進していった。兜は被らず、額に鉢金しか巻いていない。その男の無防備な頭を、秀長はしたたか手槍の石鎚で撃ち付け、そのまま後へと退いて行った。

男はその場で昏倒し、草叢の中に倒れ込んだ。

 

男が意識を取り戻した時、戦場の様相は一変していた。浅井勢が織田勢に押しまくられ、敗走していた。このまま倒れていたら、織田勢の戦場処理部隊に生死を確認され、そのまま串刺しになってしまう。

「逃げなければ殺される…。」

 男の頭に、これまで経験した事の無い、恐怖の感情が押し寄せた。

男は慌てて飛び起きると、太刀を拾い上げ、息の続く限り走った。姉川の中も、手で水をかき分けながら、泳ぐように川底を蹴って走った。

姉川の北岸は、深田が続く。畦道は逃げる浅井兵で混雑している。なるべく浅そうな泥田を選び、足を取られながら前に進んだ。辺りを敵の矢弾が飛び越していく。泥田につんのめって倒れ込んだ味方の背中を踏んで、先へ先へと逃げた。

「合戦とは…こんなに恐ろしいものか。」

 男は訳も無く大声で叫びたかった。

声を出す事で恐怖を追い払いたかったが、思うように声が出ない。したたか撃たれた頭頂の痛みも忘れ、男は走り続けた。

前方に野村の集落が見えた。夜明け前、そこには浅井勢の本陣があった。その内の一軒のあばら家に、男は飛び込んだ。藁束の中に潜り込むと、全身を隠した。その中で息を整えた。

ようやく、頭の痛みが感じられるようになった。頭をさすると、大きなたんこぶができていた。ほんの一瞬であったが、騎馬武者の顔を見た。今でもはっきりと覚えている。悪鬼のような形相と思いきや、仏のような穏やかな表情であった。微笑みさえ浮かべていたように思えた。 

「あんな凄い騎馬武者のいる木下隊とは…。」

 あの騎馬武者の事を思い出してから、何故か恐怖が吹き飛んだ。

「あの騎馬武者に仕えてみたい…。」

 男の唐突な想いは、その何年後かに叶う事になる。

が、今は姉川の戦場、野村のあばら家の中だ。間もなく敵兵がこのあばら家も取り囲むはずだ。急いで逃げた方がよいはずなのに、この男は藁束の下に潜り込んだままだ。

西の方から別の敵の一団がやってきた。その一団は、野村の各農家の井戸水で喉を潤すと、すぐに浅井、朝倉勢を追って駆け出して行った。農家に身を潜める敗残兵など、見向きもしない様だ。

男は藁束の中から這い出し、物陰に隠れて外を見た。次から次へと敵勢が、北に進路を変えて味方の敗兵を追って行く。野村の外れのあばら家など、見向きもしない。男は呆然と敵勢を見送っていた。

しばらくすると、周囲を騎馬や徒歩の武者と鉄砲足軽に守られた、大将らしい武将が通りかかった。武者達の旗指し物は三つ葉葵だった。

「と言うことは、あの大将が徳川家康か。厭離穢土欣求浄土の幟旗、間違いない。徳川家康様じゃ。何と堂々とした御姿…。今や三河と遠江の二ヶ国の太守か。仕官するなら、徳川家も良いかも…。」

 恐怖を忘れ、この男は己の将来を夢見ていた。

 




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  延暦寺東塔の境内にあった大黒堂です。御朱印を貰いました。では、「戦国カルテット」の第222回です。
 

      その九

 

虎御前山の首実験場で、家康は信長に会った。

徳川勢の奪った朝倉勢の武将達の首級も、信長の面前に差し出された。前波新八郎、前波新太郎、魚住景固、黒坂備中守、真柄直隆、真柄直基、小林瑞周軒などなど…。

信長は終始、上機嫌だった。家康の手を握ると、

「今度の合戦は、徳川勢が朝倉勢を敗走させ、我等織田勢を救援したことで、勝利を得る事が出来た。心底、忝いと思うておりますぞ。武田との合戦の折は、真っ先に我等織田軍が駆けつけますぞ。その節は、何なりとお申し付け下され。」

と、愛想良く話しかけた。

家康も信長に合わせ、親しげに口をきこうとしたが、……出来なかった。

「それでは、武田が我が領地を侵した時には、遠慮なく援兵を乞いまする。その節は、宜しくお願い致します。」

 親しき仲にも礼儀ありで、家康はへりくだって答えると、深々と一礼した。

信長の前では、どうしても下手に出てしまう。現在の両者の力関係からすれば、致し方無いことではある。

家康と共に信長と会った酒井忠次には、その家康の態度が歯がゆくて仕方が無かった。

信長は家康に最大限の労いの言葉を並べた後、別れの挨拶を告げた。家康が馬から何度振り返ってみても、信長は家康の方に手を掲げて敬意を表している様に見えた。

「信長様にしては珍しいのう。えらく丁寧な挨拶じゃった。」

 忠次が苦々しい顔で家康に応えた。

「殿は人が良過ぎますぞ。もっと恩着せがましく振る舞われても、良かったはずですぞ。今度の合戦は、我等徳川勢がおらなければ、織田勢は敗けておりましたぞ。我等が朝倉勢を突き崩し、浅井勢をも左側背から襲ったからこそ、織田勢は息を吹き返したのです。我等徳川勢は、勝利の代償として三百近い戦死者と、それに倍する手負いの者を出しました。もっと、信長様の前ででんと構え、ふんぞり返っておっても良かったはず…。」

「そうは言うがの、次は我等が織田家の加勢を頼まねばならぬ。」

「武田信玄との戦でござるか…。」

「そうじゃ。信玄は、必ずや京を目指すはず。その通り道に、徳川はある…。」

「それは、信長公とて同じこと。我等と織田家とは一蓮托生。加勢ではなく、織田家も己の生き残りを賭けた戦でござるぞ。」

家康は忠次との会話が無意味に感じられて、答えるのを止めた。

遠からず武田との合戦は起こるはず。避けられない合戦である事は百も承知だ。

宿老の一部には、織田家を見限って武田に味方すべきだと主張する者もいる。その反織田勢力が増大すれば、徳川家を二つに割る程の争いになりかねない。

昨今の現状を考慮すれば、武田家に味方した方が、徳川家が生き残れる確率は高そうである。味方しないまでも、黙って武田勢に領国を通過させ、中立を決め込む事も可能だ。

 

十年前の家康は、今の武田勢に相当する今川勢に、味方せざるを得なかった。今川義元の上洛の先兵となり、織田領に侵入し、敵前での大高城への兵糧補給を成功させている。その後の田楽狭間の合戦での織田勢の勝利は、信長の一大転機となると同時に、家康にとっても人生初の瑞兆であった。

今川義元の属将として、織田勢を屈服させて京畿の地に入っても、今川家の前途はそれほど明るいものには思えなかった。

日本の各地には有力大名達が割拠しており、今川家程度の領国を支配する大名は幾人もいた。今川義元が将軍に代わって天下に号令したところで、ほとんどの戦国大名は無視するだろう。この戦国の世は何も変わらず、義元は領国が周りの諸大名から侵略されそうだとの報せを受け、慌てて京を逃げるようにして出て行くことになる…。

そんな筋書きしか、家康には見えて来なかった。

「今川や武田より、織田の天下取りの方が理に適っておる…。」

そう、家康は確信を持って己に言い聞かせていた。傍らの忠次には、家康の心中は読めないであろう。

「それで良いのじゃ、忠次。おぬし達は黙ってわしに付いてきてくれればよい。たった一度のわしの人生じゃ。わしは、何があっても、どんな屈辱を受けたとしても、このわし自身が選んだ道を、全ての重荷を背負って歩んで行くだけよ…。」

 家康の独り言がぶつぶつと続いた。

隣の忠次が、仏頂面を崩して苦笑した。己の主君がこうなると、もう誰の言葉も耳に入らないことを、嫌というほど心得ているからだ。

「もう、我等では殿の心の内には入れなくなってしもうた。少し寂しくもあるが、殿にはもっともっと大きくなって貰わねば…。」

 忠次も主君の癖が移ったのか、ぶつぶつと独り言を始めた。

似た者主従と言うべきか、家康には掛け替えのない家臣であった。

家康の将来への勝算の裏付けは、信長より長くなるはずの寿命だけでは無かった。この気心の知れた、人質時代の苦難を共に生き抜いてきた忠節無比の家臣団であった。

この地の豪族集団の二大巨頭であった酒井と松平の両家と縁続きになった家康の先祖以来、徳川家臣団は紆余曲折の後、三河の地にしっかりと根を張った。

内紛を繰り返した織田氏と違い、松平氏はあくまでも一枚岩であった。

この強固な家臣団こそ、家康の勝算の根拠であり、それは後に徳川幕府二百六十余年の礎となる。

 








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  延暦寺東塔です。回廊と御門とで囲まれた建物自体、すべてを「根本中堂」というようです。その石碑がありました。では、「戦国カルテット」の第221回です。
 

      その八

 

康政はその足軽を馬蹄に掛けて絶命させると、取って返して、背後から迫った敵兵の胸を貫いた。が、すぐには手槍が抜けない。その隙に、敵の徒歩武者が太刀を振るって襲い掛かった。脛の辺りに、またもや激痛が走った。その徒歩武者は、駆け付けた伊奈源左衛門が手槍で突き伏せて仕留めた。

今度は、その源左衛門に、野太刀を振りかざして敵の騎馬武者が襲いかかった。間一髪のところで、小左衛門がその武者に飛び付き、そのまま二人は地上に落下した。二人はごろごろと転がりながら、上になったり下になったりして組み討ちしている。

ようやく、小左衛門が上になり首を掻こうとしたが、敵の武者も下から小左衛門の股の辺りを、脇差しで二度ほど突いた。それでも、小左衛門は激痛を堪えて相手の首を掻き取った。

その小左衛門も力尽きてぐったりしているところに、何人もの敵兵が群がって襲いかかって来た。伊藤弥惣が馬で乗り付け、素早く飛び降りると、長槍をぐるぐると振り回して敵兵を追い散らした。

その僅かの隙に、伊藤は小左衛門を己の馬に乗せ、自分も一緒に飛び乗った。康政と左右に伊奈と伊藤、主従三騎、四人はようやく難を逃れた。

康政の周りに、散り散りになっていた馬廻り衆が駆け寄って来た。総勢で二十騎ばかり、かなり撃ち減らされている。康政は周りの顔ぶれを見回し、いつも寄り添うように付き従っていた、中島右衛門作の姿が無いのに気付いた。

「右衛門作はどうした。誰か、知らぬか…。」

 康政の悲痛な叫びに、源左衛門が記憶を辿る様に切れ切れに答えた。

「確か…先程までは一緒。おそらく、…あの場所では…。」

 源左衛門が言い終わらぬうちに、康政が駆けだしていた。

源左衛門ら馬廻り衆も後に続いた。さっき、康政が愛馬を捨てた場所である。その愛馬が悲しそうな眼をして横たわる横で、もう一頭の痩せた馬が一人の武者の死体に顔を近付けている。おそらく、その馬の主人であろう。うつ伏せになっているが、その兜と鎧からして中島右衛門作に違いない。

康政が馬から降り、右衛門作の身体を抱き起した。息は既に無い。そこへ、右衛門作の従士と思しき二人の足軽が、敵の首を持って戻って来た。その足軽二人は、康政がいるのも構わず、その首を右衛門作の前に据えた。二人共合掌すると、低い涙声で呟き始めた。

「若さん、仇は討ちました。孫六は死にましたが、おらと平蔵とで、若さんの仇を討ちました。これが、若さんを殺した敵の首です。どうか、成仏して下され。」

 康政が、慰めの言葉を掛けようとすると、もう一人の若い方の足軽が康政に噛みついた。

「これで三人目じゃ。おらが、先代の殿さんに仕えたのが、五年前ずら。その間に、三人の殿さんが死んじまった。先代の殿さん、次は若さんの兄やん、そして若さん。わしは、三人の殿さんを守れんかった。今度は、絶対に死なせずに国に帰ろうと、そこの太郎佐さんと約束しておった。だのに、わいらが生き残って、若さんが死んだずら。若さんは来月には祝言を挙げるはずじゃった。御領主様も知っておったろうが。何で、そんな若さんが死ななあ、ならぬのじゃ。おかしいずら。のう、御領主様よう。」

 そう言うと、康政が抱いた右衛門作の上に泣き崩れた。

 

周りの将兵達も、その足軽の無礼な態度を咎めなかった。が、どの将兵も恐い顔をしている。康政を責めているわけではない。この戦国時代に生を受けた、己達の運命を呪っていたのだ。

康政も、その足軽の頭の上に泣き崩れた。傍らでもう一人の足軽、太郎佐が放心したように座っている。右衛門作の愛馬が首を上げ、天に向ってひひーんと嘶いた。己の主の死を知って、追悼しているかのように…。

 辺りに朝倉勢の姿は無くなった。

朝倉勢は東の野村へと敗走していった。その後を、味方の徳川勢が追い縋って行く。深田に嵌って助けを求める朝倉兵達を、味方の長柄衆が次々と串刺しにしているのが見える。何か、事務的、機械的な動作の連続に、周囲の戦場風景とは馴染まないものがある。

「康政。大儀であった。お主の働きが無ければ、危ういところであった。」

 声を掛けたのは家康だった。

その声に反応した康政が顔を上げたが、その顔は涙でぐしょぐしょになっていた。

「殿。中島右衛門作の亡骸です。弔ってやって下され。」

 康政の返事に、右衛門作に泣き縋っていた足軽の平蔵も、その場から飛び退いて地面に這いつくばった。相手が家康と分かったのだろう。領主の康政が、殿と言う人は、家康一人しかいないからだ。太郎佐も地面に頭を擦り付けた。馬だけが頭を振って、あまり家康を歓迎していない素振りだ。

家康がすぐに馬から降りると、康政に近付いた。鳥居元忠以下の、家康馬廻りの武将達も次々と馬から降りた。

康政は右衛門作の亡骸を地面に横たえると、その兜を外し、胸の上に置いた。腹に槍で突かれた跡と、背中を袈裟掛けに割られた跡が残っていた。既に血潮が固まり始め、赤黒く傷の痕を被っていた。そんなに深手では無いように思えた。致命傷は喉にあった。至近距離からの銃弾が首を貫いていた。おそらく、気管の損傷による窒息死であろう。

家康はひざまずいて、合掌すると頭を下げた。その他の武将は、立ったまま合掌し頭を垂れた。夏草の繁茂する戦場に、一時の静寂が訪れた。ただ、その夏草を揺らす風は生暖かく死臭を漂わせている。

 家康が立ち去った後、康政は足軽の太郎佐と平蔵に命じた。

「右衛門作の亡骸を馬に乗せ、姉川南岸の後陣に運んでおけ。遺髪を母者の元に届けてやってくれ。帰国後、わしも弔問に参ると伝えてくれ。」

 康政は、忠義の家臣の死と言う現実を頭から振り払う様に、馬に飛び乗ると家康の向かった先に駆けさせた。

残された二人の足軽は、右衛門作の亡骸を馬に乗せると、とぼとぼと姉川の方に向って歩き出した。その歩みは鈍かった。

康政は、家康を追い越すと、そのまま朝倉勢を追って駆けに駆けた。逃げる敵兵を見つけると、その手槍を自在に操って次々と串刺しにしていった。中には泣きながら許しを乞う敵兵もいたが、問答無用であった。

あまりの酷さに、伊奈源左衛門が大声で康政を諌めた。

我に返った康政が、源左衛門に詫びた。このあたりの主従関係は、江戸の泰平の世には見られない開け透けさがある。家来の方から、三行半を突き付けることもできる。

 




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  延暦寺東塔、根本中堂です。当日の雪の量が分かっていただけると思います。
昨年2月のことです。では、「戦国カルテット」の第220回です。
 

       その七

 

朝倉方では、近侍の武者が後方の騒ぎを聞き付け、

「何事か、様子を見て参ります。」

と、不承不承に後ろへ下がって様子を見に行った。が、その武者はそのまま二度と帰っては来なかった。代わりに、徳川方服部隊の矢弾が後ろから飛来した。

「誰かの裏切りか…。」

 朝倉景健の発した言葉と同じ事を、周りの将兵も考えていた。

後ろから敵が来るわけがない。朝倉勢の誰しもの思いだった。この疑惑と不安は、朝倉勢にあっと言う間に伝播していった。朝倉勢の本陣が浮足立った。次の突撃に備えて待機していた部隊にも、動揺が広まった。

突撃を中止し、後ろの様子を気にし始めた。そこへ、榊原隊の馬廻り衆が突進してきた。見た事も無い旗差物に、朝倉勢はようやく敵の不意討ちである事を確信した。全部で三十騎ほどの騎馬武者に、その三倍ほどの従者で全てだった。

朝倉勢が数に物を言わせて包み込もうとした。が、榊原勢は強かった。一丸となって朝倉勢の本隊を切り崩し、各個撃破の形で次々と敵勢を蹴散らしていく。先頭に立つのは榊原康政だ。その脇には、しっかりと中島右衛門作も付き従っている。獅子奮迅の働きとはこの事だ。

朝倉勢本隊の一部が敗走にかかった。先頭を行くのは朝倉景健その人である。総大将が逃げに転じたら、あとの将兵も右へ倣うしかない。進軍するはずの部隊も、後退を余儀なくされた。

姉川南岸で戦っていた朝倉勢は、後ろを振り返って茫然自失となった。後詰に来援するはずの朝倉景健の本隊が後退していくではないか…。南岸の最前線で個人戦闘の乱戦の中にいたのは、第二陣の前波新八郎隊であった。

姉川北岸辺りで休養し、前波隊と交替して最前線に出ようとしていた朝倉景紀隊も、何やら前と後を見比べて手を拱いている。進むべきか、それとも退くべきか、景紀隊の将兵が悩んでいるようだ。

前波隊は朝からの連戦で、疲れ切っていた。

「何を躊躇する。すぐに進軍じゃ。我等の後詰に参れ。」

 最前線で、新八郎が大声で怒鳴った。と同時に、徳川勢の攻勢が強まって来た。

周りの将兵が浮き足立ち、後退し出した。こうなると逃げ足は速くなる。前線の将兵までが完全に浮足立ち、我先にと逃げ始めた。徳川勢が一斉攻撃をかけてきた。

「退くな。進め。もうすぐ、徳川勢は崩れる。進め…。」

 新八郎の声が虚しく響いた。

朝倉勢の第二陣は総崩れとなって敗走し始めた。その背中を追って、徳川勢が面白いように敵将兵を突き崩し、追い散らしていく。その乱戦の中で、朝倉勢の剛将、真柄直隆は、徳川勢の向坂式部と戦い、その槍を打ち落として追い払った。

直後、その弟の向坂五郎二郎と渡り合っていると、向坂吉政とその朗党の山田宗六も加勢に来て、三人で直隆に向って来た。直隆は三人をあしらいながら後退していく。

焦った五郎二郎が、真柄目がけて手槍を繰り出したところを、逆に槍を払われ、その直後に直隆の槍で胴を刺し貫かれた。それを見て飛び掛かった宗六も、槍を捨てて素早く抜いた直隆の太刀で、胴を割られて絶命した。

太刀を宗六の胴から外す一瞬の隙を衝いて、吉政が十文字の槍を繰り出した。その狙いは過たずに、直隆の脇腹を貫き、さらにその槍をしごいた。さしもの真柄直隆も悶絶し、息絶え絶えにその場に転がった。向坂吉政が、一度は式部に「首を取れ」と勧めたが、式部が辞退したので自ら直隆の首を掻き取った。

 

 朝倉勢敗走時の殿軍となってしまったのは、前波新八郎隊だった。逃げる朝倉勢に、追う側の徳川勢が混じり、同じ方向に一方は逃げ、一方は追う格好となった。当然の事ながら、追う側の徳川勢が断然有利である。

この乱軍の中で、第二陣の大将、前波新八郎とその弟、前波新太郎が討ち取られている。第二陣の属将魚住景固や黒坂備中守ら名ある武将達も、徳川勢の名もなき雑兵達に取り囲まれ憤死している。その他、谷熊之助、鹿之助兄弟、小林瑞周軒なども乱戦の中で討ち死にしてしまった。

ただ、それでも、朝倉勢の逃げ足は速く、戦死者の数では浅井勢の千百人に対し、七百人とまだ少ない。三田村から野村の北方にかけて広がる湿田を避けるため、朝倉勢が東の野村に出て、そこから街道沿いに北へ逃げようとした。

その結果、野村の前方に陣取っていた浅井勢の方に逃げてしまった。朝倉勢敗走の余波を食らって、浅井勢が徳川勢と織田勢の両方から攻められる形となった。そのために、浅井勢の損害が余計に大きくなった訳だ。

祖国防衛に必死の浅井勢と、他国への援軍としか考えていなかった朝倉勢との違いであろう。

もっとも、朝倉勢はその領国の越前に攻め込まれた時に、組織的な祖国防衛戦争が一切出来ていない。あっという間に一乗谷を席巻され、一族や譜代の武将にも裏切られた朝倉義景は、信長の前にその首を差し出す事になる。

義景に戦国の世を渡り切る器量が無かったと言えばそれまでだが、弱将の元には弱兵しか寄り集まらなかったのだろうか…。あまりに情けない朝倉勢の戦い振りである。朝倉氏の滅亡は、この姉川の合戦の戦い振りに端を発していた。

 少し時間を巻き戻す。朝倉勢の後陣と本陣を大混乱に巻き込んだ榊原隊は、実はその混乱の中にあって大苦戦をしていた。なにしろ、五千の兵の中に四百で突っ込んだわけだ。

勿論、朝倉勢の各隊に各個に挑んでいくので、いきなり五千対四百の大差になるわけではない。それでも、いくら撃っても倒しても敵は新手が湧いて出てくる。連戦連勝であっても、次第に疲労が重なってくる。いつの間にか、味方は散り散りばらばらになり、小勢ずつに分散していた。

康政の馬廻り衆もそうである。康政の他に、馬上の武者は中島、伊奈、伊藤、土井の四名だけになっていた。しかも、康政の馬が脚を怪我し、一歩も動けなくなった。そこへ、朝倉勢の一団が襲ってきた。

朝倉勢の中には、逃げる者だけでは無く、敵の大将となるとこのように突きかかってくる兵達もいた。敵の首を取るのが彼らの仕事であり、乱戦や敗戦の中にあっても、その本能は研ぎ澄まされている。朝倉の敗残兵にとって、格好の獲物に見えたであろう。行き掛けの駄賃とばかりに、数十人の敵兵が迫って来た。早く逃げないと取り囲まれてしまう。

土井小左衛門がひらりと馬から降りると、己の乗馬を康政に譲り、

「この馬に乗り替え、ご存分にお働き下され。拙者はご馬前で殿をお守り致す。」

と言うと、徒歩立ちで馳せ付けて来る敵兵に長槍を合わせた。

その心意気に感じた康政も、小左衛門を死なせては己の恥とばかりに、馬を輪乗りしながら敵の兵達を蹴散らし、手槍で薙ぎ払った。敵兵達も必死で食い下がる。至る所から、敵兵の長柄が繰り出されてくる。康政が、うっと、呻いた。尻の辺りに痛みが走った。それでも康政は怯まない。康政を刺した相手の足軽の脳天を、したたかに槍で撃ちすえた。その足軽が口から泡を吹いて悶絶している。

 



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  延暦寺東塔、根本中堂です。では「戦国カルテット」の第219回です。
 

       その六

 

小笠原隊と石川隊の投入で形勢が逆転したようだ。姉川南岸での徳川勢と朝倉勢との戦場が、じりじりと姉川の方へと位置を変えている。

逆に東の織田勢と浅井勢との戦場は、じりじりと南に移動している。使い番の報告では、織田勢は坂井隊、池田隊に続いて、木下隊とその後ろの柴田隊までが大混乱となっているようだ。最前線で木下秀吉の瓢箪の馬標が揺れているとの報せが入った。

その報告を聞いた家康が、

「秀吉殿も勝家殿も、弱過ぎる…。敵を誘き寄せるどころか、あれでは押し込まれ過ぎじゃ。その背後の森隊までも崩れたら、誘いこみの作戦など通じぬ。信長様は、如何なされるつもりじゃ…。」

と、誰に言うともなく激しく詰った。家康にしては、珍しい憤り振りだ。

これを目にした右衛門作は、先程までの家康への信頼が薄れてしまった。

「戦は水もの…。これは、どうなるか分からぬぞ。」

 そう心で呟くと、手槍をぎゅっと握り締めた。榊原隊も、すぐに命の遣り取りの場に追いやられそうである。

東と西の戦場が南北にずれてしまった。織田勢が東西に散らされているので、浅井勢が東の側面から徳川勢に迫るという恐れは無い。浅井勢にしても、圧倒的に数で勝る正面の織田勢に手いっぱいで、徳川勢を横目で睨む暇も無いはずだ。

だが、織田勢が敗走に移れば様相は一転する。徳川勢の背後から浅井勢が挟み撃ちに来るかもしれない。そうなる前に手を打たねばならない。手を打つならこの時しかない…。

西の戦場でも、朝倉勢の第二陣の前波隊の三千が押し寄せ、姉川の中まで追い落とされた朝倉景紀隊と入れ替わって猛進してきた。これに、まず小笠原隊が崩れ出し、石川隊も前進を阻まれた。

東西どちらの戦場でも、北の浅井、朝倉勢が有利に戦を進めている。このままの状況で戦が進行すれば、織田、徳川連合軍が確実に負ける…。織田勢は最後の砦の、森隊と佐久間隊が並んで防御陣を構え、必死で守り抜いている。

一旦は蹴散らされた坂井、池田、木下、柴田の各隊も防御陣に加わり、何とか数に物を言わせて防ごうとしている。

この時しか、反撃に移れる好機は無い…。そう家康は決めた。

「よし、我等も撃って出るぞ。忠勝、露払い致せ。」

 家康の叫びに、家康旗本の右側に陣取っていた本多忠勝隊が、前を行く大久保忠世隊、本多広孝隊を追い越して疾駆していった。大久保隊と本多隊もそれを追い掛けた。

榊原隊も前進しようとしたその刹那、家康が康政を大声で呼ばわった。気勢を削がれた形の康政が、不満そうな態度を露わにして家康に迫った。家康は康政を手招きして傍らに呼び寄せると、何やら激しい口振りで康政に耳打ちしている。傍の元忠ら近習達には、絶対に聞こえているはずだ。

遠目からでも、康政の表情が明るくなり、その身体中から覇気が漲っているのが見て取れた。康政は己の隊に戻ると、一声怒鳴った。

「わしに続け。我等がこの合戦を勝利に導くのじゃ。我が軍の勝ちを見届けるまで、絶対に死ぬな…。」

 榊原隊四百の将兵が一斉に鬨の声を上げ、そのまま一団となって西の彼方に駆け去った。

 

 家康の傍らから、元忠が笑いながら話し掛けた。

「康政殿をぎりぎりまで焦らしておられたのは、この為でござるか。」

「あの男の、若さと勇気が欲しかった。康政は必ずやってくれる。朝倉の陣形は南北に伸び過ぎている。その本陣を側面から衝けば、必ず勝機は得られる。その時まで、我等が持ち堪えねばならぬぞ。それに、康政の負担を少しでも減らしてやるには、もう少し反撃しておかぬとな。朝倉の本隊を少しでも減らさねば…。」

 そう答えると、高く右手を上げ、そのまま前に突き出した。家康を取り囲むようにして散開した旗本勢が、そろりそろりと前進を始めた。

 西から遠く迂回した康政隊は、千草村の西から姉川を渡河し、その北岸に達した。何の抵抗も無かった。敵の物見や張り番の兵も、見当たらなかった。逆の織田勢よりの側面には、朝倉勢も見張りの兵を置いていたが、徳川勢の兵力を侮り、西からの側面攻撃は無いものと決め付けていた。

家康は、合戦前の物見の報告で、この方面に朝倉勢は一切進出していない事を知った。その時に、この迂回作戦の成功を確信していた。この作戦を決めたのは、信長との会談の後だった。信長に朝倉勢との兵力の差を指摘された時、

「信長様さえ考えられていないと言う事は、朝倉勢の誰が気付くであろうか。」

と、瞬いたのであった。

榊原隊が抜けた穴は、織田勢から借りた稲葉隊で充分補強できた。現に、稲葉隊は家康旗本の後ろで、余裕の表情で控えている。

 康政は姉川を渡河すると一気に北上し、湿田が広がる中、畦道に沿って三田村の南に出た。ここで行き先を直角に曲げ、進路を東に取った。畦道伝いに全軍が音を立てずに、身を低くして進んだ。

朝倉の本陣の様子が手に取る様に見えてきた。本陣の背後に回り過ぎたのか、荷駄隊にぶつかったようだ。遠くに馬繋ぎ場も見える。その前辺りの幟旗が立ち並ぶ幡幕の中が朝倉景健の本陣らしい。

ようやく、朝倉勢が気付いた。荷駄隊の雑兵どもが口々に何か喚いている。近くに鉄砲衆も弓衆もいないようだ。飛び道具の攻撃が皆無である。これには、康政もほっと胸を撫で下ろした。

長柄の衆が二十人ばかり繰り出してきたが、味方の鉄砲衆に撃ちまくられて逃げ散った。ただ、この鉄砲の一斉射撃は拙かった。敵に榊原隊の不意討ちを報せてしまった。続々と、徒歩立ちの武者に率いられた足軽達が寄せて来る。

「鉄砲隊、前へ。」

 康政の甲高い叫びに応じ、各隊の鉄砲衆が前に出た。

筒先を揃えた三十丁ほどの鉄砲が一斉に火を噴いた。先頭を走っていた敵の徒歩武者達が、ばらばらと転がって崩れ折れた。その後ろから迫っていた長柄の足軽達が、悲鳴を上げて後に下がって行く。

その後を、味方の槍衆五十人ほどが穂先を連ねて突き進んでいく。その両翼と背後から、騎馬武者とその従者達が太刀や手槍を翻して押し出していった。

榊原隊が朝倉勢の本陣に斬り込んだ。康政とその馬廻りの衆も後に続いた。中島右衛門作も従者三人と共に、康政の脇を固めていた。

 朝倉景健の本陣が、異変に気付いたのは、康政が朝倉勢の後陣を突き崩してしばらく経ってからだ。

 





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