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現在、旅の写真とブログ小説「戦国カルテット」を交互に掲載中。カルテットは、光秀、信長、秀吉、家康の4人。

日本史いろいろ(戦国史以外)

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京都・建仁寺・特別拝観第2弾、白砂の石庭です。時間があれば、ずっと眺めていたかったです。では、
ゆっくりとご覧ください。ただし、コメントはせずに、写真のみ流していきます。悪しからず。第3弾、4弾も予定。
 
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  同じような写真ばかりで申し訳ないですが、微妙な違いをお楽しみください。では、では。
 

越前永平寺の続き!!

  北陸旅行の最初、越前永平寺の紹介の続きです。前回最後の写真になったところから始めます。写真のコメントは一切ありません。悪しからず。ではでは。
 
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 今度は、雨晴海岸になります。お楽しみに。ではでは。
 
 

北陸越前永平寺

  10月26〜28日の北陸旅行第二弾です。越前永平寺は、以前に2度ほど行ったことがありました。堂内、写真撮影可能でしたので、ばんばん撮ってきました。そのほんの一部を紹介します。
 
  詳細は知りませんので、写真ごとのコメントはありません。ではでは。
 
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  途中なのですが、容量の関係で、永平寺の続きは、次回に致します。ご勘弁のほど…。
  先日、京都の東山七条界隈を周遊してきました。某寺の駐車場に車を停め(無料)、某寺、豊国神社、方広寺、最後に三十三間堂に立ち寄りました。
 
  三十三間堂は、通し矢しか思い付かず、中に入ってから、後白河法皇が建てたと言う事を思い出しました。
 
  名前の通り長大な御堂で、日曜日もあって見学者は長蛇の列でした。
 
  七条通りを隔てた向かいの京都博物館も、栂ノ尾高山寺所蔵の国宝「鳥獣戯画」の本物、この間当寺を訪れた時は写本が展示されていましたが、本物が見られるとのことで、えらい混雑のようでした。1週間ほど前に嫁さんが見に行った時には、平日にも関わらず、1時間待って見るのは1分だけだったそうです。私は、当然、博物館の方は行っていません。
 
  三十三間堂に戻ります。堂の中に入って驚愕しました。「十一面千手観世音菩薩立像」がずらりと整然と並べられているではありませんか。その数、何と千一体。何体かは、東京や奈良の博物館に貸し出し中とかで、九千九百九十数体しかありませんでしたが、それでもその数と荘厳さには圧倒されてしまいました。中央に「十一面千手観世音菩薩座像」が鎮座ましまして、その両側にずらりと並んだ立像群、その前には、何の言葉も表現も出てきません。ただただ驚くばかり。
 
  当時の人々はこの堂内を見た時、後白河法皇の圧倒的な政治力だけではなく、その特異な感性と堂内の雰囲気とに、度肝を抜かれたことでしょう。黄金色に輝く菩薩像が千一体、しかも一体一体の御顔の表情はすべて異なるのです。
 
  現世でも、私のほかにその日その場に居合わせた人達は、同じ思いに駆られたはずです。あちこちから「ほおー」とため息が漏れていました。世間をあっと驚かせるほどの後白河法皇の芸術的感性は、この現世にも脈々と受け継がれていました。凄いです。圧巻でした。「何でもっと早くここに来なかったのか」と悔やみました。
 
  前振りが長くなってしまいました。それだけ、私が圧倒されたと言う事です。貰った御朱印も、何やら有難味が数倍強力で、後光が射しているようでした。
 
  堂内は当然、撮影厳禁ですので、堂の周りの風景を紹介します。何もコメントしませんので、写真だけで想像してみてください。
 
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以上です。如何でしたか。では、またの機会に。

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 竜馬伝、始まりましたね。

 岩崎弥太郎がこんな形で登場するとは意外でした。竜馬と弥太郎との接触は、

 もっと後年のことになるはずですが??



「子役スターで柳の下の泥鰌を狙う」のは止めたようですね。



 うちのかみさんと娘は、小山ゆう氏の漫画の影響か、

 「もっと長くやって欲しかった。漫画では竜馬が悪戯して、母親が謝りに行くシーンの連続で、

 漫画の半分は少年時代だったのに。」 とか、

 「いきなり中年の福山に変わってがっかり。」とか、

 「だいたい竜馬が死んだ年より老けているのは問題よね。」とか、

 「目尻の皺は隠せないね。」とか、

 「天パーらしき竜馬の子役ちゃんのほうがイイ。」とか姦しい。



 平尾かおの少女役として、「バラのない花屋」のしずく役の女の子が出ていました。



 司馬さんの「竜馬が行く」では、家老の娘が竜馬の初恋の女性で、京都での竜馬ら土佐藩士の

 活動を裏で支援する役回りを務めていたが、この平尾かおがそのモデルだとか。



 私は、竜馬の嫁さんとしては、「おりょうさん」より、貫地谷しおりが扮する予定の千葉さな

 のほうを推したい。

 夫婦としての生活は無かったが、江戸滞在中の竜馬を支えたのは彼女だろう。

 彼女自身も、明治の御代に、女学校の教え子達の前で「私は土佐藩士坂本竜馬の妻でした」と

 語っている。



 第1回のサブタイトルが「上士と下士」というのなら、下士の竜馬、武市、平尾、岡田、岩崎を

 登場させると同時に、乾退助(後に、東征部隊の隊長として江戸に下る途中、先祖の地を通過する

 ときに、先祖の板垣姓に戻した。武田信玄初期の知略の将、板垣信方一族の末裔らしい。)や

 後藤象二郎らの子役も、何らかの形で登場させ、絡ませて欲しかった。少し欲張りかな??



何はともあれ、「竜馬伝」、始まりました。

 戦国期も好きですが、その次に幕末・明治維新期も好きです。

 幕末・明治維新期は、戦国末期の関ヶ原の戦いの怨念が渦巻き、さらには、薩長藩閥の負の遺産が

 太平洋戦争起因に深く影響し、その後の日本の復興・繁栄とその揺り戻しの現状へと絡んでくる。

 まさに、日本の歴史と現実社会とを繋ぐ中継点が幕末・維新期である。

 その幕末・維新期の一つの象徴が「坂本竜馬」であろう。

 その竜馬が、維新以後、歴史から抹殺されていた時期がある。不可解だ!?

土佐藩勢力があれほど明治社会に深くかかわっていたのに、竜馬は抹殺された!!

そこに、竜馬暗殺のからくりのヒントが隠されていると、私は思う!!



土佐藩の上士と下士との間の軋轢は、他藩の状況とは比較できないほど複雑である。

 その辺の原因の詳細は、数年前の大河ドラマ「功名が辻」の最後で語られている。

 土佐入部前にかき集められその文武の能力が薄められた掛川武士団と、

 長宗我部遺臣の一両具足達との怨念の軋轢が起因している。

 薩摩の城下士と郷士との軋轢も歴史が長いが、それでも土佐とは比べようがないほどのものだ。



 いきなりの「上士と下士」のサブタイトル。この対立・軋轢をどの程度このドラマで体現して

 くれるのか??

 楽しみではあるが、この問題に拘泥しすぎると、ドラマは陰惨になり、視るのも酷くなる。

 NHKさんが、どの程度この問題に突っ込んでいくのか、期待と不安が半々である。

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