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レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋 〜最後の晩餐へご招待
ヤフーブログでコメントできるのは8月31日迄。 年内にamebaに引っ越します! Hasta la vista ♪

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しかし、教会の刷新がすぐ間近に迫っているという燃えるような確信は、サヴォナローラのすべての幻視と預言に、また彼以前および彼の死後に流布した千年期の預言に共通する要素であった。
『神秘の降誕』の中心人物が聖母=教会であるとすれば、それが表しているのがこの種の預言であることは明らかである。その預言とは、さらに2つの神秘的な「時」を経た後、すなわち1503年のオリーヴの日曜日(棕櫚の主日)の頃、教会は新しくなるというものである。
ボッティチェリは教会の刷新をキリストの降誕として表し、悪魔が地獄に落ちる一方で、天使たちが再び心正しいすべての人々と地上の平和を謳歌する光景を示している。
羊飼いたちも再び生まれたばかりの幼児キリストを礼拝しにくる。
天使と心正しき人々は教会の刷新を喜んで抱擁をかわし、その他の心正しき人々は幼児を礼拝する。
                       西村書店『ボッティチェリ』 抜粋
一般的な解釈として、下部分の3組の天使と人間は、【教会の刷新】または【幼児キリストの誕生】に対して、人間と天使が抱擁をかわし喜びを表現しているものと解釈されています。

しかし、自分の見方は少し異なります。

以下、みのるワールド(みのるの聖書&絵画解釈)!

でも、抱擁にしては天使と人間の体に不自然な距離感があります。
自分は、この3組の天使と人間の姿を、このように解釈しました。

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勝利した人間を祝福する天使 ← 天使を離さない人間 ← ‥兄箸帆衙个鬚箸訖祐

天使と人間の服装は 銑A箸箸皸曚覆蠅泙垢里如△修譴亙僂任蓮と思うかもしれません。
しかし・・・
この絵が、一般的に誰でも読めるラテン語で【ルカ福音書のイエスの降誕の様子】であることを示しながら、難しいギリシア語で【黙示録の絵で有ること】を銘文として示したように、
彼らもまた、主の降誕を祝う、普通の3組ペアの天使と人間に見せたかったからだと思います。

何故、人間と天使の相撲の絵?

実は、旧約聖書の創世記32章に、天使と人間が相撲をとったという箇所があります。

アブラハムの孫であるヤコブが、兄エサウに会いに行く旅の途中のヤボク川で、
天使と夜明けまで相撲をとるのです。

天使は、ヤコブには勝てないと見て、ヤコブのもものつがいをはずしてしまいます。
それでも、ヤコブは天使を離さなかったのでしょう。

天使は「夜が明けるからわたしを去らせてください。」とヤコブに言いましたが
ヤコブは「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません。」 と離しません。

それで天使は「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです。」
といって、ヤコブを祝福したのでした。

イスラエルとは、神の勝者(「イシャラー:勝つ者」「エル:神」)という意味です。
イエスの母、マリヤの婚約者のヨセフは、このイエスラエル(ヤコブ)の子孫になります。
ヤコブは、天使と相撲をとって勝利したことから、祝福を受け、新しい名を与えられたという話です。


で、その創世記の話がなんで、黙示録を描いた『神秘の降誕』の絵に関係あるのかというと、実は、黙示録の中には【勝利を得る者】【勝利を得る】という言葉が数カ所出てくるからです。


ヨハネの黙示録 2章7節
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。  
        2章11節 
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。  
           2章17節 
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。
この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。  
        2章26節 
勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。  
        3章5節 
勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。
わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。
また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。  
        3章12節 
勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。
彼は決して二度と外へ出ることはない。
そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。  
        3章21節 
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。
それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。  
        5章5節 
すると、長老のひとりがわたしに言った、
「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。  
        6章2節 
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。
そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。  
       17章14節 
彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。
また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。  
       21章7節 
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。
わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。  


ボッティチェルリは、腐敗したカトリック教会(岩の上に立てた教会)の中から、新しい【聖母=教会】が誕生することを願ったのではないか・・・というのは先回書きました。

さらに加えて、【勝利を得る者】を描くことによって、
カトリック教会に対して、もっと辛辣な意味をこめることになるのです。

ボッティチェルリにとって、新しい【聖母=教会】は【勝利を得る者】です。
逆を言えば、【勝利を得ない者】とは、当時のカトリック教会を示すことになります。


もう一度、上記の黙示録を読み直してみましょう。
ボッティチェルリの教会に対する強烈な批判です。

黙示録 『勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』
ボ 「勝利を得ない者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることはゆるさない」
                            

ボ 「耳のある者は聞くがよい。・・・」                                          
          
                                   完  

  • 私も最初、天使と人間が手前で組んでるのは、3者3様に描かれて
    いたので、何かあるのかな〜って思っていたんです☆
    みのるさんの解釈なるほど〜〜です☆
    芸術家は、口では言えないことを宗教画に沢山こめていますね。
    面白いです☆

    poni*poni*

    2008/8/7(木) 午後 5:22

    返信する
  • 当時の教会を否定し、教会の刷新(弊害を除き去って、全く新しいものにすること)を口にすることは、危険な思想とされ、異端審問行きです。それでも、信念を持った画家は、絵に暗号(コード)を残したのでしょうね。

    ダ・ヴィンチの小部屋(みのる)

    2008/8/9(土) 午前 4:04

    返信する
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    勝利を得る???

    簡単な事ではないか。

    火と硫黄の燃える永遠の地獄に勝利すれば良いだけの話だろうが。

    騒ぐ価値もない。

    [ 万軍の主ヤハウェ ]

    2009/7/28(火) 午前 6:34

    返信する
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    万軍の主ヤハウェ様、コメントありがとうございます!

    何とお言葉を返して良いものか・・・。

    霊界に通じてらっしゃるのでしょうか?

    ダ・ヴィンチの小部屋(みのる)

    2009/7/29(水) 午後 6:20

    返信する

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