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マレーシア旅行なんて、いきなり思いついたものの、実は、マラッカへ行ってみたいと、漠然と思っていました。
14世紀にマラッカ王国として成立した国家が、その後イスラムを受け入れ、、16世紀には、ポルトガル領となりました。そして、オランダの攻略を受け、オランダ領となり、イギリス領となり、太平洋戦争時下では、日本領となったという・・・数々の運命を受け入れてきた国であります。
また、フランシスコ・ザビエルのアジア布教活動を始めた地であり、病気で亡くなったあと、その地に身を置いたというドラマティックな場所でもあるのです。
さて、短い日程で訪問していますので、より効果的に移動しなければなりません。
マラッカまでの交通機関は、バスとか鉄道もありましたが、母と一緒であること、移動時間や現地での移動を考えて、少し高くなりますが、タクシーを使いました。
タクシーで送り、マラッカ市内は、徒歩とトライショーっていう乗り物に乗るのも1つの方法です。しかし、帰りを現地のタクシーで、クアラルンプール市内まで乗せてもらうのは、マラッカのタクシー運転手さんが不案内のような気がして、結局、往復タクシー利用ということで決定。
クアラルンプール市内から車で約1時間30分。
やっと着いたマラッカは、カラフルな街の印象。世界遺産の街として、観光地化されているのも否めませんが。
最初に着いたところが、ここ、オランダ広場。
TOPはマラッカ。キリスト教会。オランダ統治下で建てられた最初のプロテスタント教会です。オレンジの建物と、周囲に咲くマリーゴールドの黄色が映えて美しい。
このオランダ広場周辺には、こんな可愛いトライショーって乗り物(つまり日本でいう人力車・・・お兄さんが自転車で引いてくれます)がいっぱい。すぐにお兄さんに声をかけられます。観光ポイントを廻ってくれるので、これで廻るのも楽しそう。
オランダ広場の近くにあるセント・フランシス・ザビエル教会。
ザビエルに捧げるため1849年にフランス人宣教師らによって建てられたゴシック様式の教会です。
教会の敷地内にある像は、ザビエル様の像ともう一方は、日本人「ヤジロウ」。
ザビエルに日本行きを決意させた方なんだそう。
セントポール教会に行こうとしているのに、マラッカ川まで行ってしまいました。
マラッカ川のクルーズがあり、川べりには、ちょっとしたレストランやお店が並んでいます。このマレーシアの国旗がすごい!
ザビエルの像がある丘の上へ。
ここまでは車でも上がれないので、この石段を登って行かねばなりません。
丘の上にあるセント・ポール教会。1521年、ポルトガルによって創建されました。
丘の上のフランシスコ・ザビエル像です。
ザビエルは、マラッカを起点にし、アジアへの布教を行いましたが、病に倒れ、死後9か月、ここに安置されたといいます。しかし、その遺体は、まったく腐敗しなかったとか・・・
また、このザビエルには右手がありません。
ザビエルは、こちらに安置されたあと、インドで埋葬されたそうですが、その右手は、亡くなった証として、右手を切り落とし、ローマ法王に届けられたそうです。
そして、時を同じくして、マラッカに落雷があり、ザビエル像の右手が、粉々に飛び散ったとのことです。なんともザビエル様は、やはり偉大な方であったのです。
教会内は、修復もされないためか、こんな廃墟となっています。
そもそもキリスト教のうち、カトリックは、このアジアへ布教を始めたのですが、この教会跡にある墓石(上図)は、プロテスタントのものなんだそうです。
プロテスタント、つまりオランダ教会あたりにあった墓石を、ここに移動させたとか・・
カトリック教徒が、同じキリスト教徒として受け入れたという美しいお話です。
そしてこの丘からは、マラッカ海峡とマラッカタワーを臨むことができます。
セントポール教会から降りて、少し歩くと、サンチャゴ砦があります。
ポルトガルが、マラッカを攻撃したときに築いたもの。
この砦と背後の丘を囲むように造られ、その砦の中には学校や病院などが造られたそうでうす。しかし、19世紀はじめには、イギリスによって破壊され、この門だけが残ったとのことです。数奇な運命に弄ばれたマラッカ・・・長くなるので次に続きます。
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世界各国の空港ラウンジを使える身分になりたいなぁ



マラッカまでは、どうやって行くの??
2014/11/4(火) 午前 9:32
トライショーとてもかわいいですね。
お花が素敵。
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2014/11/4(火) 午後 4:24
FABORITEさま、有難うございます。
マラッカまでは、クアラルンプール市内からタクシーで行ったのです。1時間半から2時間。バスで行ってもそのくらいかかります。しかし、その時間のわりに、タクシー代は安いのですよ。
2014/11/5(水) 午後 11:19
ケセラセラさん、有難うございます。
トライショー、飾り付けが豪華ですよね!
キティちゃんのものが多かったです。どうやら、この国ではキティちゃんが流行っているのですね。
2014/11/5(水) 午後 11:22
トライショー、初めて知りました。
タクシーはどんな車種だったのでしょう? 乗り心地はいかがでした?
2014/11/6(木) 午後 11:26
> tin*c*bi*2007さん
日本でいう人力車の自転車版。飾り付けの豪華版です。
タクシーは、ホテルで頼んだのです。ホテルのタクシーだったので、若干高くなりましたが、安全性も考え、その方が良いと判断しました。遠距離なので、普段は青いタクシー(少し高めの方)らしいのですが、大きめのタイプの車で楽でしたよ。運転手さんも親切で、楽しく観光できました〜
2014/11/18(火) 午後 9:26
1396年
マラッカ王国成立 スマトラ島(現インドネシア)パレンバンの王族「パラメスワラ王子」がトマセック(現シンガポール)経由で渡来し「マラッカ王国」の建国を宣言。当時は人口も少なく、のどかな漁村だったと伝えられている。
1414年
イスラム教を国境に定め、パラメスワラ国王はイスラム名:イスカンダルシャー国王と改名した。以降、マラッカ王国はアラブ圏とアジア、極東アジア各地のスパイス・絹・麻・陶器などの交易を担う海のシルクロード中継港として繁栄する。
[ 日本負けるなガンバレ ]
2018/2/17(土) 午後 0:32
1396年
マラッカ王国成立
スマトラ島(現インドネシア)パレンバンの王族「パラメスワラ王子」により「マラッカ王国」が宣言された。
1414年
国王がイスラム教を受け入れる
パメスワラ国王は、イスラム教を享受し「ラジャ・イスカンダル・シャー国王」と改名する
1511年
「マラッカ王国」陥落。ポルトガルの植民地となる
時は大航海時代。マラッカは東西交易に欠かせない重要な海洋拠点であった。従来のアラブ商人経由の香辛料取引を直接交易による利益を独占しようとしたポルトガル。国王の命を受けた「Alfonso D' Albuquerque;アルフォン・デ・アルバカーキ副王」が16隻の大艦隊を率いてマラッカ王国を10日間包囲し攻撃、占領。現在も残るサンチャゴ砦(ファモサ)と5階建ての塔を建設した
[ マレーシアにまた行きたいな ]
2018/3/17(土) 午前 9:35