|
明彦が生きていたら26回目の結婚記念日です。 いつもなら娘とささやかなお祝いしますが 今日は娘が旅行中でいません。 久しぶりに明彦と二人だけで祝杯かな・・・・ もう永いこと辛くて見られなかった結婚式のビデオなんて見ちゃおうかな・・・ 余計寂しくなっちゃうかな。 一人のお家は広すぎて・・・・・・ |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
こんにちは、ゲストさん
[ リスト | 詳細 ]
|
明彦が生きていたら26回目の結婚記念日です。 いつもなら娘とささやかなお祝いしますが 今日は娘が旅行中でいません。 久しぶりに明彦と二人だけで祝杯かな・・・・ もう永いこと辛くて見られなかった結婚式のビデオなんて見ちゃおうかな・・・ 余計寂しくなっちゃうかな。 一人のお家は広すぎて・・・・・・ |
|
明彦が逝ってから 20年がたちました。 あの日と同じ時間に目覚めました。 4時50分。 あの日 左手の薬指にはめていた 明彦と私の二つの結婚指輪が 妙にきつく指を締め付けて 痛くて目が覚めました・ 明彦が急変してから2週間 ほとんど眠らずにいた私でした。 2週間で初めて夢を見ました。 お友達に子供が生まれる夢でした。 子供が生まれる夢を見ると身近な人が亡くなる・・・ そんなことをぼんやりと考えていました。 明彦は静かに眠っていました。 明彦が入院してから生活保護を受けていたので 午後 福祉課から連絡がありました。 今日来てくれないと保護を打ち切ることになると。 今は主人の傍を離れられないことを話しましたが 例外は認められないと言われました。 仕方なしに区役所へと娘の手をひいて病院をあとにしました。 病院と私の住まいとは2時間ほど電車を乗り継いでいかなければなりません。 その間私の母と連絡を取り合ってと思っていました。 乗り継ぎの電車が来たために一度連絡を取り損ねました。 携帯電話のない時代です。 そのたった一度の連絡が出来なかったために 私は明彦が逝く時に傍にいてあげられませんでした。 母に連絡した時に 母の「明彦さんが急変したって」という言葉に こころが凍る想いでした。 愛美の手をひっぱり走りました。 これ以上は無理と言うほど走り続けました。 病室にたどり着いたとき 明彦にたくさん繋がれていた たくさんの管や器具は 綺麗に取り外され ただ静かに眠っている明彦がそこにいました。 愛美の手を離し荷物も入口に落とし 明彦のそばに駆け寄りました。 明彦はまだ生きているかのように 暖かいままでした。 おいていかないで 私を置いていかないで ごめんね ごめんね そばにいてあげられなくて 泣き叫ぶ私を愛美は何が起きたのか分からず そっと私の傍に立っていました。 1時間以上もたった頃でしょうか 看護婦さんがやってきて 明彦をきれいにしてくださいました。 気がついたとき 私は主治医の先生に明彦のお母様と呼ばれて 静かな一室にいました。 大学病院だったために 解剖をさせてほしいとの申し出でした。 今後の医療のため ちゃんとした死亡要因の確定のためにと。 誰かのために役に立つこと わかってはいました。 けれど 苦しんだ明彦をこれ以上切り刻むことは どうしても出来ませんでした。 どう 何を説明されても 「はい」とは返事が出来ませんでした。 明彦が逝ってからまだ2時間もたっていないときでした。 ようやくわかっていただいて 明彦と同じ車に乗って家に戻ることになりました。 空は真っ暗で大粒の滝のような雨が降っていました。 その中を車は 静かに眠る明彦と 明彦に寄り添う私と 私の手をしっかりと握った愛美を乗せて走っていました。 家に着いたとき 雨はあがっていました。 家の中は綺麗に片づけられ 明彦が眠る場所がぽっかりとあいていました。 ただ人がたくさんいました。 せまい2DKの我が家はこれでもかと言うくらいに 人がいたのを覚えています。 葬儀屋さんだったり家族だったり・・・・・・ 気づいた時はみんなが眠っていて 明彦と二人きりの時間でした。 ただただ 静かに眠っている明彦と二人でした。 あとはもう 何も覚えていません。 20年もの時間がたったことが 信じられない想いです。 今日という日 明彦 空の上から 見えていますか? 明彦の大好きだったパスタ 今日も作るから 一緒に食べてね・・・・・・・ 今も愛しているよ 明彦・・・・・・・・・・ |
|
なんだか とうとつにお話が終わっていると思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。 この明彦との想い出を書き始めた時 本当にその当時にこころが戻ってウキウキとして幸せでした。 それがあの日のことに近づくにつれて どんどん苦しくなって言葉は失われていきました。 書こうとしても何も出てこないのです。 こころが想い出すことを拒否しているようでした。 書き終えたとき いっぱい一杯泣きました。 涙がとめどもなく溢れて このままこの世が終わってしまうのではないかと思えるほどに。 本当に明彦はもういないのだと確認した時だったのかもしれません。 それが2年前です。 明彦が逝ってしまってからもう20年。 本当に永い永い時間がすぎました。 明彦への想いは消えることなく ますます強いものになっていっている気がします。 今の私の年齢の明彦に逢ってみたい。 ずっとずっと一緒にいられるものだと思っていました。 娘 愛美が巣立ったあとも 明彦と二人幸せな毎日が待っているものだと信じていました。 でもそれは叶わなかった。 きっと心残りだったはずの明彦。 もっともっと幸せな時間をあげたかった。 もっともっと幸せになりたかった。 もっともっと話がしたかった。 ねぇ。 明彦。 明彦もそう想ってるよね。 |
|
雨の想い出 18 最終章 愛美が産まれて4ヶ月たったころ涼介は肝臓を病んで 初めての入院をした。 どんなに私が心細くて辛くても、なんとしても 涼介を治してあげると強く祈って毎日を過ごし、 約1ヶ月で家へと涼介は帰ってきた。 が、その後涼介は2回も入院する事になる。 何かが近づいてきていた。 3回目の入院の朝、涼介は 「今までありがとう」と言って私にKISSした。 そんな言い方やめてと私は明るく言ったが、何かが 近づいている事を感じていた。 それからは毎日が生きた心地がしなかった。 入院して1週間もしないうちに涼介は意識のない状態になり 毎日お医者様から「今日一日もつかどうかわかりません」と告げられて いたから。 1988年8月31日 集中治療室の涼介が意識を取り戻した。 すぐにそばにいった私に涼介がいつものように微笑んだ。 私は「今日何の日かわかる?」と聞いてみた。 涼介は少しかすれた声で「みくの誕生日」と言い 涼介の手を握る私の左手にKISSをくれた。 それが涼介とかわした最後の言葉になった。 1988年9月6日午後2時5分 時間がとまった。 外は嵐のような大雨だった。 |
|
雨の想い出 17 私達の結婚がスタートして1年が過ぎようとした頃ようやく 待ちにまったもう一人の家族が私の中にやってきた。 それからの毎日のなんて幸せだったことか言い表せない程だった。 あの日までは。 涼介と二人、女の子と決めつけ名前も決めていた。 「沙弥」 そんな幸せな日は突然おわりを告げた。 5ヶ月目の検診日。 お医者様の口からでた言葉に私は、気を失ってしまった。 「出血してますね。心臓も機能していません。 残念ですが早急に手術が必要です」 手術の日はすぐにやってきた。 私の覚えているのは手術がおわり病室に戻ったとき、 全身麻酔が覚めるはずもないのに涼介がそばにいて、 私の手をしっかり握っていてくれた事。 そんな涼介に申し訳なくて「沙弥」にすまなくて たくさんの涙が私の心から流れ続けていた事。 退院した私に涼介は大きなウサギのぬいぐるみを プレゼントしてくれた。 そのうさぎが「沙弥」であるかのように。 それから数ヵ月後、私の中には二人目の家族となる 新しい命がやってきた。 この子は「沙弥」と二人分の命をもって私達のところへ きたのだから大切に大切に育てようと、涼介と二人 よく話したのを覚えている。 1984年8月4日 二人の愛しい家族 愛美が誕生する。 涼介から「ありがとう」の言葉をもらった。 それからの毎日涼介は愛美を私が嫉妬するくらいに愛した。 愛美も涼介を愛した。 お父さん子と誰にもわかる位で、涼介と過ごした たった4年間を今も愛美はよく覚えている。 私以上かもしれない程。 私の知らない涼介との時間の事も聞かせてくれる。 4歳の子供の記憶のすごさにまいってしまう。 涼介の愛は私と愛美が忘れない。 ずっと忘れない。 |
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
[PR]お得情報