BABY☆SAXPHONIA -LIVES!-

ライブ予定随時更新♪毎回新しいサウンドでお待ちしてます。

つれづれ。

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全27ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

引き寄せる。

凄まじい。

波瀾は続いていた。


最近、パラダイムシフトしたことにより、その波瀾すら幸福に向かうものだと思うようになった。
すべては自分自身の思考が引き寄せていた結果だった、ということ。


「私はそんなこと望んでいない」・・・と云っても、どこかで意識しているが故に、嫌なことやつらい結果も巻き込んでしまっていたようだ。
決定打はあった。が、ここでは触れない。
ただ、幾つかのあまりにもクリティカルな衝撃がまとめてやってきて、物凄い勢いで成長を加速してくれていると実感させられた。その出逢いや出来事は、夜半になって時折切なすぎる様相を醸し出しながら寂しさを呼び込むこともあるけれど。あらゆるものを、一変させるための呼び水になっている。
だから、結局のところ、これほどまでに有難い出逢いは無かったとも言える。


今はとにかく、好転させられる。
それしかない。

解き放つうちに、やっと、自分自身のことを愛せるようになった。
否定する意識も、いつしか消えていた。


何故にこれほどまでの波瀾だったんだろうか。
・・・と考えていたが、ある方はこう、あたしに告げた。
「あなたにとって、学びの時期だったのよ」
・・・・・・どうやらそれはあまりにも当たっていて、本来ならばもっと早く学ぶべき内容も気づかないでいたのかもしれない。若しくは、まだ時期尚早だったのかもしれない。
それが、ついに、時至りて、ネガティブゾーンからの脱却を図れた、ということか。

で、それは意識をクリアにしてくれて、また新しい道を行く勇気をくれたということ。


妥協ができない、それも善し悪しあるけれど。
もし、始めることに遅きは無く、可能性は拡がるのであるとしたら、そこに賭けることだってできるのだ。
幸せに満たされた先をそろそろ見たい。もっと拡がるのだと思う。


うだうだと泣いて疑問を抱えて留まるよりも、そのほうが良い。
思いが明確になるたびに、様々なことに気づいて、いかに自分自身が恵まれているかを識るのだ。

震災後、チャリティーライブを幾つかやっている。
少しでも力になればいい。

が、妙な義務感もある。
チャリティーにします、と言われると断りづらい。

じゃあ、やらないと悪いのか。
音楽にお金を払うのは良くないのか。
…それは否だ。


底辺の芸術に関わる人間はさほど裕福ではない。
しかし底辺が不要だとは思わない。
表現をすることで生活の糧にしているという事も無視しないで欲しいのだ。

他人を助ける前に、自分の生活を切り崩すなんて本末転倒。他者の負担や依存度が増しては逆効果だ。
なのでまず、自分の生活はきちんと出来ているか認識しないと。
その上で、初めて他に貢献する余裕が出来るんじゃないか。


あくまでも、個々の良心。
それを猫も杓子も、でもないのだ。


妙なジレンマを感じていた。

そんな中。
昨夜、ミュージカル俳優の沢木順さんのディナーショーにて。

アンコールで『見上げてごらん夜の星を』をお客様も含め全員で歌った。優しく強い気持ちの共有。その気持ちがそれぞれに宿っていることを識り、そこから誰かのために何かを…と繋がればいい。

沢木さんは、
『芸術家の役割ってのはね。社会の矛盾や思いを魂を込めて全身で表現するところにあるんだ。それを為政者や社会を作る人々が汲み取って実行するものなんだよ。』と話してくださった。

そう。今、日本人の習性が出て、皆が右向け右。でも、真実は見えないし、それぞれの役割はごっちゃになってるし。真実の表現すら限界が見えるのではないかと感じてた。


芸の道はとことん長い。
他の仕事もそうだが。
成功を要求されすぎるのも危険な話。何かにつけて早い結果を求め過ぎてはぐくむ余裕も無くなっている。
失敗を認められないことも然り。隠して隠し通せるものか。無知にされてコントロールされてたまるものか。あたしたちにはそれぞれの役割がある。


『同じことをする』んじゃない。
『同じマインドでそれぞれにやるべきことをやる』ものではないか。
最近、これも混同してる気がしてる。

だから、賛同しながらも、チャリティーが独り歩きする流れに疑問があったのだ。

ふと、雑感。

そういや、幼い頃から音楽って、

なにかしら心動く部分があって。

共感できるというか、自分の振動数と異様に共鳴してしまうところがあって。

どうしようもなく笑ったり泣いたり、いろんなことを思い出したりして。


最近のヒット曲も「歌詞が共感できて」どうこう・・・あるんだけどさ。
それがメロディと世界観が一体になってるものって、どれだけあるんだろう。メロディーと共に言葉が突き刺さるような、そんな曲が。


単なる懐古主義に走りたくはないけれど。
なかなか次のオリジナル、かつ後々までエヴァーグリーンな魅力を放つ楽曲が出ない。それはあたしが気づかないだけか?創造を失ってしまっているのか?時折切なくなるが、それを打破する力量を、自らが体得しきれず、これまたもどかしい。それでも、自分はそんな音を求めるのだろう。


きっと、そんな体力や余裕や大人の事情による何かの面で許さないのかもしれないが。「昔はよかった」とか、「生まれて来る時代が遅すぎた」とか、そういう問題でもないんだよ。浅いのはもうごめんだ。だからといって、妙に重くなるのもこれまた。


なんだか今は、優しい響きを求めている。


意気がろうが、結局はひとりの女性だと思い知る瞬間もあるんだよ。
かといって、よくある「女性らしい感性」てのは、括りが大きすぎてわからない(笑)。
ただ、柔らかに。穏やかな笑みを浮かべながら、のんびりしたい時もあるもので。ただ、望めどもそれが定着しない、てことは、まだ何かやるべきことがあるからかもしれないし。諦めるべき何かがあるからかもしれないし。
でも、今は信じるものしかない。

そう云いながら、今日はスタンリー・タレンタインの吹くWhy Was I Bornに涙しちゃったりね。


ときどき哲学な気分になって、ついつい考えすぎてしまうところもあるけれど、それでも頑張れるのだから。諦めが悪かろうが、とにかくやるしかない、それだけ。

ちょうぜつ。

昨日のこと。
軽く凹んだ出来事もあったけれど、これは音楽やるための導きと悟る。

数日だけ関わったauイベントの給料を頂き、その足でショッピングに行く事にした。秋物が並ぶアーケードに何度引きずりこまれたことか。
靴でも新調しようか、それともお洋服を買おうか・・・いかんいかん、これ以上部屋に物を増やすわけには、と自制(笑)。

無性にソニプラ行きたくなって、無くなりかけたファンデ(必需品)をじっくり選んで購入。他にも何処か行くとしたら・・・。
パルコかな、とひたすら矢場町まで歩く。2駅分なら、ま、いーか。
本を見るも心惹かれるものがなく。落書きでもしようかと画材屋を覗くも気が乗らず。

結局、楽器屋に入り浸る。
SAX&BRASS MAGAZINEを立ち読みしていたら、無性に楽器のお手入れを念入りにやりたくなった(お手入れ&リペア特集だったのだ)。ので、まずは切れていたお手入れグッズをまとめ買い。そして、教則本コーナーで、以前から気になっていたものを幾つか片っ端から読む。

「超絶テナーサックス」はやっぱり買おうという気に至り。
帰宅後はひたすら楽器の手入れをした後に、吹きまくっておりました。
譜面上は何とかなるし、ある程度はこなせると思うんですが・・・このニュアンス、表現、思うようにいかない。いつも好きなように吹いていると、好きなようにしか動かないんだなと実感する瞬間。
あらためてじっくり復習しなおします、そんな気分。

でも、吹けば吹くほど気持ちいいんだよね。
暫くはこの本も一緒に、平行練習していくとしませう。

だって・・・超絶チェックで半分以上該当したんですもの。
「俺のテナーサックスのベルから波動砲が発射される」とか「祇園精舎の鐘の声、テナーサックスの響きあり」もうっかりチェックしようとしましたよ、ええ。「夜霧よ今夜もありがとうのイントロを毎日聴いている」には及びませんでしたが。
なんだかこちらもツボだったから買ってしまったというのも、また事実だったりして。

もっぱら原点回帰です。
体調、口の状態などの微妙な変化と、音そのものを磨きたい欲求とが重なったことが基となっております。


タイトルにあることを練習するには…
オーバートーン。つまり倍音ですな。

アンブシュアを変えずに、低音からその倍音列を順に発声。ちなみに、普段は基音はいちばん下のシのフラットからレのシャープまで使って順に鳴らします。これで、通常フィンガリングの音をほとんどカバー出来るので、次の段階でテクスチャー確認とフォーカスに使うのです。

この倍音が上手く出るには、ターゲットとしている音に対して、ブレスのスピードとフォーカスする場所が正しくないと出ないのです。そして、テクスチャーについては喉や個々の歯並びや口の形、マウスピースを加える位置でも変わるのです。

余分な力を口に加えて、無理矢理出すのは却って良くないので、焦らずじっくり。
速いブレスは高音、遅くして低音にフォーカスを絞ります。

が、楽にコントロールするまでにはなかなか遠い道程。
更に、速いブレスは鍛えないと出来ないのです。これが壁。ついつい始めは口を締めてしまいがち。
久しぶりに普段の倍以上使ってやりましたが、日頃のクセや弱点も顕に…。
(∩∇`)


オーバートーンで出した音と実際のフィンガリングでの音も、やはりテクスチャーが違うんですな。なので、より豊かなオーバートーンの音に合わせ、ロングトーンで調整。



……そうこうしているうちに、また楽器に対する考え方も変わってきました。
やはり鳴るだけではダメ。ブレス同様、出す音の方向性と拡がりの指向について、より深く考える必要があると。それも曲ごとにイメージがあると良いのですが、バリエーションは思う以上に存在。いつまでも練習目標は出てきますな。

音を出したいだけではないのは分かっていても、それだけでは足りない。


ブレスコントロールは最後まで付き合わなければならない課題なんだなと、つくづく思い知らされます。
そして、根性論も楽器には嫌われる気もしてます。リラックスして楽器に吹き込んだとき、ありのままの自分自身を音として引き出してくれるのではないかと。


暫くはオーバートーンを長めにしながら、さながら瞑想の如く、響きを追求しないといけないと感じる今日この頃なのです。

全27ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事