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うまく三段落ちになるか分かりませんが、
2日から4日にかけてのニュースを紹介します。
2日から、ゆるキャラのグランプリが始まりました。
LECでは、創業者が群馬出身、ということもあり、
ぐんまちゃん推し、となっています。
ぐんまちゃんは、馬がモチーフになったキャラで、
昨年は3位だったそうです。
本社や渋谷駅前本校では、ぐんまちゃんの人形が置かれ、
その他の本校でも、ポスターが貼られています。
インターネット投票で、1IDで1日1回投票できます。
(オフィシャルサイトはこちら)
フリーのメルアドでは登録できない場合もあるようですが、
県の職員などが1人で複数IDを持って
毎日投票しているのでは、と思われる位、
かなりの票数になります。
来年は統一地方選挙がありますが、
自治体の選挙でも、これぐらい盛り上がればよいのに、
と思ってしまいます。
さて、ゆるキャラは、商標で保護されていますが、
商標や特許などの知的財産、
さらに、事業再生・破産などの企業法務に関連した
訴訟を専門で扱う「ビジネス裁判所」の新庁舎として
延べ床面積約1万5千平方メートルの大規模庁舎を
2021年までに、中目黒に建てる計画があるようです。
3日の日経新聞で報じられていましたが、
この新庁舎には、知財高裁に加え、東京地裁から
知的財産権部、商事部(株主代表訴訟や会社更生手続きなどを扱う)、
破産部などを移転させる計画だそうです。
さて、Court内で戦う点で裁判とテニスは共通します。
現地時間では3日ですが、日本時間の4日朝に
錦織圭選手が、テニスの全米オープンで
全豪オープンの優勝者・ワウリンカ選手を破り、
ベスト4に進出しました。
テニスの四大大会シングルスで日本人選手が
ベスト4まで進出するのは、
1918年以来、96年ぶり、とのことで
大きな話題となっています。
テニスは個人戦で、また、サーブを打つ際には
相手に邪魔されないので、個人の能力が勝負に
そのまま影響します。
ただ、サッカーやバスケのように試合時間が
制限されるスポーツとは違い、
3セットを先に取るまで戦い続ける、時間無制限
であるために、持久力勝負にすると
勝機が見えてくるようです。
陸上で短距離走ではなかなか勝てないが
マラソンであれば、日本人が優勝できる、
という状況に近いものを感じます。
今回も、錦織選手は、2日連続で
4時間を超える試合をプレイしました。
自分の能力を高めることはもちろん、
相手の弱点(試合経過によって変わっていく)を
攻める、という戦略性も要求される点は
裁判に近いです。
ただ、裁判と根本的に違うのは、
テニスの場合、コート内がすべてであるのに対し、
裁判では、コートの外の事件、人間関係、ビジネスの一部を
法廷に持ち込んでいるだけで、
ゼロサムゲームではなく、裁判(特に和解)を通じて
相手とWin-Winの関係(当然、Win度合は相手より
劣ってしまう場合もあるが)を築くこともあり得ます。
特に、ビジネスでは、競合を徹底的に痛めつけることが
必ずしも自社の利益にならず、
競合との健全な競争によって業界が盛り上がったり、
提携によって自社サービスの質を高めたり、
といった非ゼロサムの世界です。
ビジネス裁判所では、
相手を負かすことを目的とするのではなく、
自分の(長期的)利益を最大化又は安定的にするため
相手とどのような関係を作っていくべきか
という「調停・仲裁」的な発想が必要になるでしょう。
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法律全般
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まんだらけ、と言えば
中野区のサブカル文化を支え、
かつ、中野に本社を置く企業として
特別な扱いをされています。
漫画の初版本やフィギュアはもちろん、
骨董品的なおもちゃも扱っています。
本屋は1つずつの書籍の粗利が低いので、
本が万引きされることが深刻な問題ですが、
まんだらけでは、かなり高価な商品(粗利は高い)もあるので、
万引き、というよりも、
宝石店に強盗が押し入るのと同程度の危険性があったりします。
今月4日、25万円の価格をつけた「鉄人28号」のブリキ玩具が
盗まれたところ、その窃盗犯の写真(モザイク処理後)を
ネットで公開し、1週間以内に返却(12日まで)しなければ、
モザイクを外して、顔写真をネット上に公開する、
という告知を行い、それがネット上でかなり話題になりました。
当然、警察への被害届は出していましたが、
これだけ高価で貴重なものだと、
窃盗犯が捕まることよりも、
その玩具が無事に戻ってくることが
何より重要であり、その「本音」から
公開されたくなければ、返しに来い、という
警告の形になったことはやむを得ないかな、
と個人的には思います。
法律的には、犯罪者に対して、
「その犯罪がばらされたくなければ、こうしろ」
とかなり強い態様で言った場合、
脅迫罪が成立する可能性があります。
何より、本件で、まんだらけ側が「犯人である」としている
画像が本当に本人であるのか、は不明であり、
仮に、別人の画像であったり、
実際には店員が盗んでいた、といった冤罪であった場合、
犯人としていったんネット上に公開された男の名誉は
一生、回復されないまま、という危険性まであります。
賛否両論あったようですが、
この公開を是とするのであれば、
窃盗犯にやられたお店は、
その窃盗犯が有罪であることが裁判上確定すれば、
一種の「見せしめ」として、その窃盗犯の写真を
店のHP等で公開しておくこともよい
といった考え方が出てきてしまいます。
私的復讐を是認することにつながるので危険、
という観点から、反対しておきます。
(結局、まんだらけ側は公開しませんでした)
さて、今日紹介する本は、
海老原嗣生著『日本で働くのは
本当に損なのか』(PHPビジネス新書)です。
素朴な質問から、日本型と欧米型を比較していく、
というコンセプトになっており、例えば、
Q2 日々努力をして能力を磨いたら、
給与って当然、上がりますよね?
という質問は、日本の「能力主義」を典型的に
現している(正当化する)質問ですし、
対立概念は、欧米の「職務主義」です。
(この点で、年功序列ではなく、欧米型の
「能力主義」を貫くべき、という言説は間違っています)
15日の講座で扱う、「雇用管理(人事異動や教育訓練)」
に関する質問としては、
Q4 日本では、先輩が飲みに誘う(反町注:かつ、奢る)のが
当たり前です。欧米ではそれが少ないと聞きますが、
それは国民性ですか?
Q8 欧米では、30歳そこそこで課長になるなど、
スピード昇進が可能なのに、なぜ日本では昇進が
遅いのでしょうか?
の2つが面白いですし、
「採用と退職・解雇」について言えば
Q12 新卒の未経験者を大量に採用する日本型には、
一種の賭けの様な危うさを感じます。経験に応じて
中途採用を行なう欧米型の方が合理的ではないですか?
Q22 高卒就職が崩壊した現在(反町注:1990年比で、
製造業・建設業、農林業、自営業という高卒就職の
受け皿が崩壊)では、今の若者には働き場所がなく、
一生、正社員になれないのでしょうか?
という質問の回答を考えていくことは、
無益な世代間対立論(※)を避ける上で大事です。
※中高年が大した働きもしないのに、
高い給与をもらって、しかも、
厳格な解雇規制で守られているから、
若年層の雇用の場が少ない、という話。
少子化対策として、結婚・出産・育児をする女性も
働き続けることのできる社会を目指す、
というのが政策目標となっていますが、
この「共働きで子育て」モデルが、欧州では成功するのに、
日本では上手くいかない理由も明確に書かれています。
根本原因は、日本のキャリアパスが、
「誰もが階段を上り続ける」
=誰しもが社長、役員になれる可能性があり、
また、7割の人が、50歳になるまでには役職者
(少なくとも課長)になって、20代の年収の2倍、3倍の
収入を得ることができる
という、誰もがエリートを夢見る社会になっている点にあります。
欧米では、出世コースに進む人は
同世代の0.5〜1%くらいのエリートで、
その他大勢は、最初から最後までヒラ
(職種を決めて、そこで熟練していく。
賃金カーブはなだらかで、それほど増えない)が普通です。
その代わり、労働時間は限られているので、
夫婦共働きであれば、それなりの収入も得られ、
1家庭で2人の子供を育てることが十分に可能です。
これに対し、日本型では、
女性が出産・育児をすると、産前産後の休職、
その後、4、5年の時短勤務となるために、
全員が上っている出世階段から
「自発的」に降りざるを得なくなり、
さらに、独身のバリキャリ女性や既婚でもDINKS女性が
同じ職場にいると、人事バランス上、
子育て女性が退職に追い込まれることもあります。
いずれにせよ、子育て期間に出世コースを
「一時休憩」した女性の収入はかなり低くなります。
他方、出世コースに夫が残ったとしても、
欧米のエリートほどの高給ではないので、
ある程度の長時間労働をしないと、
2人以上の子供を育てていくほどの収入を確保できず、
結局、女性は家事・育児に専念し、
男性は仕事人間となって、家のことには関わらない、
という専業主婦モデルが生き残り、
その中で、男性がある程度の高収入を確保した場合にだけ、
2人以上の子供を持つ前提条件が充たされることになります。
(あくまで「前提」条件であり、十分条件ではないので、
こういう家庭でも、様々な事情で子供を持たない・
持てないことも多いでしょうから、人口が維持できるだけの
子供の数は到底、望めないことになります)
この問題は、15日の講座では扱いませんが、
かなり深刻で、解決困難な状況です。
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7月1日、安倍首相は、
集団的自衛権の行使等容認する閣議決定
を行いました。
PKOにおける自衛隊の活動拡大(駆けつけ警護)や
いわゆるグレーゾーン事態への対応など、
集団的自衛権に限られず、広く
「安全保障の法的基盤の再構築」
(日本国及び国民の安全を守るにあたっての
「空白」がないか点検し、法整備する)が含まれますが、
とりあえず、この記事では、集団的自衛権についてのみ
コメントします。
各方面で、この解釈変更は違憲である
という意見が出ています。
ネットで読めるものとしては、
日弁連会長が1日に
「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に
抗議し撤回を求める会長声明」を出しました。
⇒リンク先はこちら
この声明の中では、
「集団的自衛権の行使は、憲法第9条の許容するところではなく、
そのことはこれまでの政府の憲法解釈においても
長年にわたって繰り返し確認されてきたことである。
このような憲法の基本原理に関わる重大な変更、
すなわち憲法第9条の実質的な改変を、
国民の中で十分に議論することすらなく、
憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行う
ということは背理であり、立憲主義に根本から違反している。」
「日本が集団的自衛権を行使すると、
日本が他国間の戦争において
中立国から交戦国になるとともに、
国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、
軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。」
といった見解が書かれています。
また、2日の日経新聞では、木村草太氏(憲法学者)
のコメントとして
「集団的自衛権は自国領域への武力攻撃がないのに
他国のために武力行使する権利、つまり軍事権だ。
憲法は体系的に軍事権を排除しており、
行使は明白に違憲だ。」
と語っています。
いくつかのポイントに分けて反論していきます。
まず、前提として、この議論は
政局(公明党が政権離脱するか否か)や
アメリカの軍事的プレゼンスの低下と
東アジアにおける中国の台頭、というパワーシフト、
国際政治などの政治論はひとまず措いて、
純粋な法律論として考えるべきです。
その意味では、ネットで読めるものとして、
昭和34年(1959年)に最高裁で下された
「日本国とアメリカ合衆国との間の
安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う
刑事特別法違反事件」、いわゆる砂川事件の判決文が
参考となります。
⇒判決文のPDFはこちら
砂川事件の判決については、
安保条約に対する司法審査について述べた部分
「安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に
重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、
違憲であるか否の法的判断は、
純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に
原則としてなじまない性質のものであり、
それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。 」
だけが注目されることが多いですが、
憲法9条についても多くの解釈を示しています。
曰く、
・憲法9条の趣旨は、侵略戦争を引き起こすことのないようにするため
・自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛措置は国家固有の権能の行使であって
憲法は何らこれを禁止していない
・憲法は、右自衛のための措置を、
安全保障理事会(国連の機関)等の執る軍事措置等に限定していない
のであつて、平和と安全の維持にふさわしい方式または手段である限り、
国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、
他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。
・わが国が主体となって指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は たとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない
といったものです。
そして、この判決文は、補足意見が豊富で、
すべてを読むのは非常に大変ですが、
ぜひ、判決文の6〜11ページで書かれている、
田中耕太郎氏(当時、最高裁長官)の補足意見を読んで欲しいです。
以下、この田中裁判長の補足意見も引用しつつ、
先の声明・コメントへ反論していきます。
1点目。
「集団的自衛権の行使は、憲法第9条の許容するところではない」
という点は、憲法9条の趣旨・精神をどう見るか
によりますが、少なくとも、憲法9条の中で
自衛権に関して触れている文言はなく、
個別的自衛権であれば9条が許容しているが、
集団的自衛権となると許容していない、というのは
「解釈」であって、条文に真っ向から反しているわけではありません。
2点目。
「閣議決定で、憲法第9条の実質的な改変を行うことは
立憲主義に根本から違反している」という点も、
戦後、その時々の国が置かれた状況によって
政府の解釈は変わってきた、という歴史的事実を
無視しています。
例えば、1946年、吉田茂主要は議会において、
自衛権の発動としての戦争も放棄した、
という9条解釈を答弁しました。
これは、アメリカによる占領下であったので
主権そのものが制限されていたので当然ですが、
その後、鳩山一郎首相が、1954年、自衛権は保有している、
と答弁し、72年、田中角栄首相は、
「憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、
我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に
限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を
阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は
憲法上許されない」という解釈を示しました。
これ以降、自衛隊の活動について、
それが個別的自衛権の範囲内かどうか、という議論になって、
集団安全保障(国連の決議に基づく活動)への参加は
難しくなってしまいました。
日本は国連憲章の当事国であるので、
51条に基づき、集団的自衛権を保有しており、
この国際法上の権利保有と、先ほどの答弁との関係が
問題となった、鈴木善幸首相の答弁(1981年)では、
「自衛権の行使は、我が国を防衛するため
必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、
集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、
憲法上許されないと考えている」
という、「必要最小限度」論、そして
「保有はするが、行使できない」という奇妙な解釈が示されました。
個別的にせよ、集団的にせよ、
自衛は必要最小限度でなければならないのであって、
集団的自衛権になると、直ちに必要最小限度を超える、
という解釈は論理的におかしいです。
以上のように、政府の憲法解釈は変わってきた、
と見るのが普通であって、
閣議決定で憲法解釈を変更したことだけをもって
立憲主義に反する、とは言えません。
3点目。
「日本が他国間の戦争において
中立国から交戦国になる」という点は、 アメリカと中国との「最終戦争」、
覇権をめぐる第三次世界大戦的なものを
イメージしているのだと思いますが、
安倍首相や法制懇談会が示した事例とは
かけ離れており、恣意的だと感じます。
田中耕太郎裁判長の補足意見にもあるように、
自衛のための実力(戦力)を持たずに
無防備にいれば、周辺国からの攻撃・侵略を誘発する
危険性があり、最低限度の防衛力は
平和維持のために必要です。
この点で、安保条約や駐留米軍の存在は、
日本の安全を守る方向で寄与しており、
周辺国の暴走を防いでいます。
若干、長くなりますが、最後に、補足意見からの一節を
紹介して、この記事を締めます。
一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。
今や諸国民の間の相互連帯の関係は、一国民の危急存亡が
必然的に他の諸国民のそれに直接に影響を及ぼす程度に拡大深化されている。
従つて一国の自衛も個別的にすなわちその国のみの立場から考察すべきでない。
一国が侵略に対して自国を守ることは、同時に他国を守ることになり、
他国の防衛に協力することは自国を守る所以でもある。換言すれば、
今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、
他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。 従つて自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、
各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。
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贈収賄事件の捜査においては、
贈賄側と収賄側が口裏を合わせることがないよう
両方を一気に逮捕して、自白を引き出す
という手法が一般的です。
しかし、実際には金銭授受が無かった場合を
想定すると、収賄した、と疑われている人が
身の潔白を示すことは非常に困難になります。
「贈賄した」とされる方が
権力(検察)の言うままに、
「お金を渡した」「そのお金は、○○という市長の
職務について便宜を図ってもらうため、であった」
と供述してしまうと、
収賄の被告人側で、「そういう事実はなかった」
という不存在の証明責任が事実上、負わされてしまい、
さらに、逮捕されれば、市長としての職を離れることになり、
今のマスコミの報じ方からは、国民・市民の多くは
「ああ、あの市長もお金をもらっていたのだな」
と思ってしまう(=有罪の推定になってしまう)のが普通です。
そんな中、郷原信郎氏が
美濃加茂市長(藤井浩人氏)の弁護人を
引き受けた、というのはすごいな、と思います。
潔白は「晴らす」ものではなく、「示す」もの。
晴らすべきなのは、濡れ衣や冤罪、ではありますが、
刑事訴訟法の原則・例外が
実際には逆になっている、という現状を表す言葉としては
適切なのかな、と思ったりします。
日本は、儒教の影響からか、
お金儲け・商売を低く見る傾向があり、特に、
政治家についてクリーンさを強く求めます。
そのことで、汚職が劇的に少ない、というメリットはあるものの、
警察・検察、そしてメディアを動かせば、
ある政治家の政治生命を終わらせることが比較的容易に
できてしまう、という怖さも同時にある点に注意しましょう。
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23日に公表された、
「政治家に必要な能力と、
その育成を巡っての論点整理」
(2013年度 政治改革委員会 報告書)
を紹介します。
⇒リンク先はこちら
①政治家人材のリクルート(採用)
②国会議員の能力とキャリアパス(育成)
③リーダー人材のあり方(序列化)
の3部構成で作られています。
( )内は私が勝手に題名をつけましたが。
まず、リクルートに関して
選挙直前になって、公募して、その人の
(政治とは関連の薄い)経歴だけで選抜される手法
への疑問が提起されています。
特に、
<綱領とマニフェストの策定・明示>
<党員活動歴(選挙ボランティアなど)が1年以上であること>
<予め候補者リストをプールしておき、
そこから選挙区党員による予備選挙で公認候補を決定>
といった提案は、「政党法」制定とも絡んで、
具体的で、実現性のあるもの、と思いました。
次に、「政治家に求められる能力」として
・政策能力(細かいことを知っている必要はなく
「この問題に関するPros&Cons(メリット・デメリット)を
知るには、この10人に話を聞けばよい」という識者リストが
頭に入っている、という自分の専門分野を
最低1つは持つこと。その後、そうした分野が2つ、3つと増え、
やがて巨視的・長期的ビジョン構想へ至ること)
・コミュニケーション/プレゼン能力
・「行政官」としての能力
(国会議員全員が具備する必要はないが、大臣、
副大臣、政務官などに就いた場合、巨大な官僚組織を
コントロールする「管理者」能力が必要となる)
の3つが挙げられています。
これらの能力育成のための提案として
・法案審議における「逐条審議」導入&法案修正の活性化
・議員立法の活性化
・国会内で、米国型公聴会や特別委員会、
議員で執筆分担する報告書作成活動など、「議員教育の場」を創設
といった、国会改革が提案されており、
さらに、国会議員の誰しもが当選回数を増やして
大臣、最終的には総理を狙う、という単線的キャリアパスではなく、
それぞれが、自己の適性を踏まえて、
自分にふさわしいポストを目指す「分業体制」を確立すべき、
としています。
経済・社会が「組織(チーム、と言ってもよいでしょう」
の時代になっているのに、
政治だけが「組織化」が非常に遅れている、という指摘も
尤もです。
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