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中野の古層

昨日、LEC中野本校にて
中野まちめぐり博の一環として
「地名と地形から知る、中野の古層」
という講座を実施しました。
数名しか来ないかな、と危惧していましたが、
10数名もの参加者があり、中には
古代史ファン的な人もいて、それなりに盛り上がりました。

中野区には、縄文前期から縄文晩期に至る遺跡が
数多くあることで有名ですが、
縄文時代、今よりも気温が平均で8度ほど高く、
海が今の関東平野の奥まで入り込んで
小さなリアス式海岸のようになっていた時代、
中野は岬となっていて、多くの人が生活していたようです。

中野区の西武線沿線の地名には
アイヌ起源とされるものがある(異説もあるが)
という話は初耳でした。
例えば、江古田は、川端にエゴノキを植えたので、
エコダと呼ぶようになった、という説の他に
アイヌ語で「集落」「淵」を意味する言葉でもあります。
また、石神井はなぜイシガミではなくシャクジイなのか、
定説はないところ、
かつて蝦夷が中心としていた埼玉北部〜群馬では
この音韻を感じさせる地名が多くあり
(釈氏、釈糸、社宮寺、社口)、
田無も、アイヌ語では「少し高くなったところ」の意で
タナシ、という言葉があるそうです。

中野から西の地域に住んでいた蝦夷が、
大和朝廷の勢力拡大に伴って
東北から北海道へ渡っていき、そこでアイヌ文化を
発展させた、と考えることができます。

また、『アースダイバー』に紹介されている
中野長者伝説(中野区本町の成願寺に
本拠地を置いた)についても、
中沢新一氏はその富の源泉を東北の「金」にある
と書いていましたが、昨日の講義内では、
中央線で西へ進む、「原」青梅街道沿いに
甲斐の黒川金山まで繋がることを指摘し、
川越・青梅を境界とする広大な扇状地の
水を活用(まいまいず井戸の用途は製鉄のため、
という仮説)した古代の製鉄、
さらに甲斐での金の採掘などを富の源泉とする説
が紹介されていて、新鮮でした。

昨日は、JCの方でもわんぱく相撲体験会を
練馬石泉相撲クラブの力士さんの協力を得て
四季の森公園内で開催し、
寒い曇りの天気であったにも関わらず、
70名近くの幼児・小学生に体験いただきました。

また、同じ公園内ではチャランケ祭りも行われていました。
このお祭りは、アイヌと沖縄の歌と踊りを同時に見せるもので、
アイヌと沖縄人が中野で出会ったことがきっかけとなり、
1994年から毎年、中野駅周辺で開催されてきました。
HPによると、チャランケとはアイヌ語で
「とことん話し合う」という意味で、他方、
沖縄の言葉では「消えんなよー」という意味で
「ちゃーらんけ」という言葉があったので、
偶々似ていた、その言葉を使ったお祭りが始まったそうです。

アイヌとの繋がりを感じた1日でした。

ロスジェネ世代とSEALDs

「承認問題を蒸し返す」というテーマで
昔のLifeっぽい内容であったので、
久しぶりにこのブログで文化系トークラジオLifeを
取り上げてみます。
2時間半すべてを聞くのは大変だと思うので、
Part5だけでも聞いてもらってから
以下の感想を読んで欲しいです。
⇒音声DL、文字起こし等、こちらから

私自身、ロスジェネ世代に属していますが、
鈴木謙介氏(同い年)が述べていた
ロスジェネ世代とSEALDsの違いが特に印象に残りました。

違いは2つあって、
1つ目は、社会の底が抜けて、誰も支えてくれない、
サバイバル感覚になっていた時に、ロスジェネ世代だと、
その上の世代は感覚を共有してくれなくて、
「もっと頑張れ」と言われてしまい、世代間のギャップがあった。
これに対し、今は、3.11の東日本大震災、原発事故もあり、
社会の底が抜けた感覚がほぼ全ての世代で共有された。

2つ目は、ロスジェネ世代では、社会の方を変革していこう、
という動きではなく、ジモトで友達とだけ繋がっていればよい
(木更津キャッツアイ的世界観)、という
仲間内での承認し合いを求めていたのに対して、
SEALDsでは、自分よりも大きな問題に立ち向かっている。
ロスジェネ世代の場合、経済問題を政治へ訴える
まとまった運動が出てこなかったのに、
SEALDsでは、安保法案反対、という1点に絞って団結することで、
政治運動となっている。
他の多くの社会問題1つ1つを突き詰めるとSEALDs内でも
多様な意見が出てしまって、団結できなくなるので、
あえて、そこには踏み込まない、という態度が
ロスジェネ世代(相手との違いを細かく気にして、
本当に繋がれる人とだけ小規模でコミュニティを作る)
とは大きく違っている。

自分の承認とか、幸せを考えるのではなく、
友達との日常生活の延長で、
安保法案への反対デモが行われていく、
というアクション・ファーストの姿勢は
福島第一原発観光地化計画を提唱し、
具体的に行動を起こした東浩紀氏とも通じるものがあるな、
と感じたので、最後に、2014年の動画を紹介して
この記事を締めます。
<10年後の日本、感情の劣化がとまらない・宮台真司>
耳で聞いて、この内容を理解できる聴衆が
日本国民の中で何割いるんだろう、と感じてしまう位に
高度、かつ複数の話題が登場し、
最後に集約されていく、という講義で
文字化されていても、議論の筋を追うのが大変です。

ざっと要約すると、
最近の民主制が、大衆を感情のフックで釣って
大量動員する政治になっている
←『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(ジョナサン・ハイト)
 ケア・公正・忠誠・権威・神聖という5つの感情のボタンがある
 と分析し、オバマ大統領の演説を感情的動員の観点から分析
  ↓
国民国家、という概念はウェストファリア体制以降の
たかだか200年程度の歴史しかないので、
<見ず知らずからなる我々>という共同体意識は
人為的に維持しないと続かない
  ↓
真の保守として<社会保守>を紹介し、
これは「その社会のその社会らしさ」を破壊しないように
手立てを動員する立場であるとして、
コミュニタリアン(サンデル教授)の考え方や、
トロッコ問題(感情の越えられない壁が登場する典型)、
ドイツ哲学的人間学(制度が人間の負担を軽減し、自由にする)
を説明
  ↓
デュルケームが唱えた「社会学の使命」は
「本当はどうとでもあり得るのに、もはや選べないもの」
の前提条件を考察すること、
難しく言うと、「選べない恣意性」の条件の考察である、
という言説の解説
  ↓
ここ20年間の人文・社会系の最先端が議論してきた論点として、
・人間に豊かな感情表現があるのはなぜか
・文化に依存しない感情の共通焦点(押しボタン)は何か
・文化依存的な感情の押しボタンは何か
・文化普遍的/依存的な感情プログラムをどのように組み込むか
・仮に、この組み込みが今後は持続不可能だとすると
 社会はどうなってしまうのか
といった問題であったとして、様々な現代思想家が登場します。
この部分は私の能力をはるかに超えてしまうので、
要約不能です。

ということで、結局、菊池成孔さんが危惧していた
全国民がSNSジャンキー化している、という話と共通する部分だけを
最後に紹介して、この項のまとめ、とします。
曰く、
ネットが「誰にでも開かれている」がゆえに
政治もコミュニティも<感情の劣化>に見舞われることが判明。
そこで、顔が見える小さい共同体を作り、
その共同体の営みはネットからは見えなくする動きが
1980年代以降現れる(スローフード運動や
脱原発に象徴されるエネルギーの共同体自治)。
この<見えないコミュニティ化>が進行すると、
見える部分(=ネット上)はより劣化が進むため、
<見えないコミュニティ>に所属していない人から見ると、
社会の劣化が実際よりも進んでいるように見えてしまい、
ネット上の<劣化空間>はますます何でもあり、
となって劣化が加速し、ますますゲーテッドを高くした
<見えないコミュニティ>が拡がっていく、という
再帰的な循環が発生する。
しかし、<見えないコミュニティ>を増やしていくだけでは、
その<見えない壁>の外に弾かれた人が
壁の内側への怨念を持ってしまい、
その社会的分断は社会の存続を危うくする(テロが起きる)。
そこで、宮台氏は、<見えないコミュニティ化>に関わりつつも、
社会の一体性を持続する<我々>に含まれる人を増やす、
という一見すると矛盾する2つの活動を両立させなければならない、
と主張しています。
正直、この最後の部分は抽象的で
漠然とした理解になってしまいますが、
ゲーテッドコミュニティの中に住む人が
ゲートの外側を全く無視して暮らすことはできない以上、
ゲートを作りつつも、外側の<感情の劣化>を食い止める策も
同時に考えていかなければならない、
といった程度に理解しています。

<戦後日本のナショナリズムと東京オリンピック・大澤真幸>
宮台氏のパートがだいぶ長くなったので、
あとは簡潔に。大澤氏は生活満足度調査で、
「現在の生活に満足していますか?」という質問への回答で
満足度の高さを回答した人の年代別に見ていくと、
1970年代・80年代には、歳をとればとるほど幸せになっていた
(←人生が最終局面に入っているので、これから良いことが
 起こるとは思えない。そこで、今が幸せ、つまり自分の人生全体が
 それほど悪くはなかった、と感じる。逆に、若い世代は
 これからが人生本番なので、幸せは後からやってくる。
 つまい、今現在はそれほど満足ではない。不満)
のに対し、2000年代以降は、20代前半の若い世代の
生活満足度が高齢者と同じように上がっていって、
若いときは満足度が高いが、30代〜50代は低い、というグラフになる。
この傾向を、大澤氏は「不可能性の時代」と表現します。
曰く、
若い人がかつての年寄りのように自分の人生を捉えているのは、
この先、まだ何十年も生きるけれども、
今以上にいいことは将来起きそうもない、と思っている。
だから、現段階で満足しているのだ、と。

ここからの講義は、日本社会の将来に対して
かなり悲観的な見方が展開されてしまうので、
この記事では紹介しません。ぜひ本書の203ページ以降、
特に、「2020年―不可能性の時代の特徴」
「タイタニック号と幽霊船」の項を読んでみてください。

最後に、2009年の政権交代と、民主党の失敗
そして自民党の政権復帰、安倍政権を
<不可能><可能>という二軸で整理しています。
曰く、
自民党政治を変えた民衆の意識は
「今まで不可能だと思っていたことが、実は可能ではないか」
という期待に基づくもので、
民主党の失敗によって「不可能なことはやっぱり不可能だ」
と証明してしまったこと。
そして、安倍内閣は真逆で「可能なことだけは可能」
という安全運転であった(アベノミクス第一弾まで)。
ただ、<不可能><可能>の組み合わせがあと一個
残っていて、これから来るのは
「可能だと思ったものも実は不可能なのではないか」
という話で、経済政策(GDP600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロ)
に始まり、外交・社会保障など全ての施策目標が
実は達成不可能だ、と国民が感じてしまったら、
そして、その閉塞感から抜け出すために、
もうこの道しかない、という何か危険な選択肢
(戦争を示唆)に走るのではないか、という危惧が述べられています。

<2015年の介護:おひとりさま時代の老い方・死に方・上野千鶴子>
介護保険制度の見直しによって
施設や病院での介護や最期ではなく、在宅介護が基本となった。
しかし、家族は従来の考え方から抜け出せず、
また、在宅介護の負担を逃れるために、
高齢者をすぐに施設に入れようとする。
こう考えると、家族がいることはかえってマイナスになる場合もある。
おひとりさまが安静に自宅で最期を迎えることができるよう
地域包括ケアなど、システムを見直すべき、という提言です。
最後に、かなり毒を吐いていて、
今の団塊世代は持ち家もあるし、それなりの金融資産(現金)
もあるので、制度を作り直すことで、
他の世代に迷惑をかけずに、老後生活を送ることは
ギリギリ可能であるものの
団塊ジュニア世代が同じようにお一人で
安静に最期を迎えられる制度設計は全く分からず、
「2025年問題」は乗り切れるが、「2050年問題」の解決は
本当に知りませんよ、という警告で締められています。
朝日新聞社と集英社の共催で行われた
「本と新聞の大学」の連続講演を収録した新書です。

朝日新聞、ということで、
リベラル・反体制的な内容が多いですが、
魅力的な講師を集めているので、
それぞれ印象に残った部分を書いておきます。

<反知性主義との戦い・佐藤優>
経済の右肩下がりよりも深刻な問題として
「教育の右肩下がり」を指摘。

アメリカの大学の学費が上昇しているように、
日本でも学費が上がっていって、
年間の学費が300万円位になるかも。
(以下、佐藤氏は述べていないが、私の推測として
文科省が進めている人文系の縮小が
国公立だけでなく私立でも進むと、
コストが低い文系であがっている利益での穴埋めができなくなり、
理工系の学費を上げていく方向になるはず。
そして、文系であっても、佐藤氏が述べているように
「グローバル人材の養成」として、一定期間の外国留学や
交換留学を全学生に課すとなると、それだけで
数十万円がかかることになる)
  ↓
親がそれなりの高学歴で1000万円の年収があっても、
手取りは月43万円くらい。
都心に住んでいると、住宅ローン・家賃、生活費が高いので、
子供1人なら何とかなるが、
子供が2人いた場合に、両方とも塾に通わせて、
親と同等の大学に行かせることは無理
=子供世代に、自分が受けた教育よりも低いレベルの
 教育しか受けさせることができない、という右肩下がりに
 明治維新以降、初めて直面する

<高齢化社会と日本の医療・上昌広>
地方ごとの医学部数や医師人数を比較する表を示した上で
医師の偏在の遠因として
明治初期の維新政府の「どこに医学部がある大学を作るか」
の判断が影響している、と指摘。
  ↓
愛知県では、医師が名古屋市に偏在。
これは名古屋がお金を持っているから、という話ではなく。
戊辰戦争時に、尾張藩は真っ先に官軍に寝返ったのに対し、
三河藩は最後まで抵抗したために、
尾張地域には医学部が4つあるのに、三河はゼロ、となった。
他にも、兵庫県では、姫路を本拠地とする酒井家が
最後まで幕府側で戦ったために、播磨地区(中心地が姫路)には
医学部や工学部を持つ総合大学が置かれなかった。

さらに、その後、田中角栄首相が
「一県一医大構想」を掲げて70年代に医学部増設をした際に、
四国にはそれぞれの県で国立の医学部が作られたのに対し、
千葉県は単体で四国全体と同じ人口があったにも
関わらず、すでに千葉大学があったために増設されず、
その後の人口は千葉県が急増、四国は微減、という状況も加味されて、
千葉県VS四国、という対比で見ると、
620万人の県民に医学部1校VS四国388万人で4校の医学部
という極端な不均衡となりました。
もちろん、千葉に住む人は東京の医学部に通うことはできますが、
廃藩置県の際に、西日本では相対的に人口が少ない地域でも
1つの県として独立したことが、
150年以上後にも影響を与え続けている、という話。

地方創生をはじめ、現在でも
県単位で施策が採られることが多いですが、
明治維新に遡って、どの固まりが1つの県となったか、
さらに、県内のどの地域が中心地とされたか
を検証すると、新たな発見が得られるな、と感じました。

<沈みゆく大国アメリカと、日本の未来・堤未果>
オバマケアの問題点を簡潔に説明している点は
参考になりましたが、
彼女の本を何冊か読んでいたので、
特に新たな気付きはなかったです。

Q&Aの中で、大統領選挙においては
テレビCMにかかるお金が莫大で、
企業からの献金が勝負を決めてしまうこと、
また、以前はNGOが主催していた大統領候補の
討論会が今では大企業に買われてしまい、
議題がスポンサーの意向で決められるようになった
(大企業の利益を損ねるテーマはそもそも
討論のテーブルに出てこない)、という話は、
都知事選挙の討論会が、
公示日前に会場型で行ってきたJCの伝統的スタイルから、
公示日後に、マスコミだけを呼んで、ネット配信で
ドワンゴ(@ニコファーレ)で行う形に移行しつつあること
を連想してしまいました。

だいぶ長くなったので、続きは明日の記事にします。
ちなみに、この後の3つは
<10年後の日本、感情の劣化がとまらない・宮台真司>
<戦後日本のナショナリズムと東京オリンピック・大澤正幸>
<2015年の介護:おひとりさま時代の老い方・死に方・上野千鶴子>
という、前半以上に重いテーマとなります。

最低賃金アップ

地域によって発効日に差がありますが、
東京や大阪、名古屋などの大都市がある
都道府県では10月1日から最低賃金が引き上げられました。

東京都では従来の888円から19円アップの907円、
大阪府では20円アップの858円、
愛知県でも、同じく20円アップの820円です。
⇒都道府県別の詳しい最低賃金額はこちら

最低賃金を上げることは、予算を必要とせずに
広く一般国民(特に、バイトで働く低収入の人)からの
支持が得られるため、
政権の支持率アップとして使われることもあります。

今回は、デフレ経済からの脱却のために
政府が大企業に対してベースアップなどの賃上げを
求めていたことの延長、と言えます。

ただ、最低賃金を恣意的に動かすことは
労働市場を歪める恐れがある、として経済学者からは
批判がよくされます。

例えば、サービス産業の生産性分析で著名な
森川正之氏は「賃金構造の官民比較」というペーパーで
都道府県ごとに、民間企業と官公庁とで
どの程度の賃金格差があるか、を分析・発表しています。
こちらからグラフを見ることができます

一都三県では官公庁と民間企業との間には
あまり差がないのに対し、
民間企業の賃金水準が低い地方では格差が大きく、
官公庁(県庁・市役所や、官庁の出先機関)の賃金が
相対的に高く、地方で公務員人気が高いことの要因にもなっています。

この話と最低賃金がどう繋がるか、というと
最低賃金の地域間格差は、ちょうど
官公庁の賃金の地域間格差に近い形になっていて、
東京などの大都市圏では、最低賃金は低すぎる
(最低賃金を大きく超える時給1200円くらいでないと
人が採用できない業種が多い)のに対して、
地方に行くと、実際には最低賃金よりも低い時給でも
応募はたくさん来るのに、
政府が安易に最低賃金を上げてしまっているので、
(民間から見ると相対的に)高い時給で人を採用せざるを得なくなり、
企業収益が低くなり、結果的に全体の民間求人が減ってしまうるか、
もしくは、個々の企業において
従業員の勤務時間を減らしたり、
より酷い場合には、サービス残業化して賃金不払いが生じる、
といった問題が生じていきます。

官民の地域間格差を考えると、
東京圏の最低賃金をもっと極端に上げる(時給1100円とか)か、
逆に、地方の最低賃金を極端に下げる(時給500円)か、
のいずれかの対応が合理的なことになりますが、
後者は、企業よりの政策であるとして国民から批判されて
支持率が低下しそうですし、
前者の場合、労働集約的な産業は東京圏から脱出せざるを得なくなり、
都市に集積するメリットが損なわれてしまう、
という問題もあります。

最低賃金はいったん決めてしまうと、
今回のように、ほぼ一律で20〜30円上げていく、
といった微調整しか出来ず、根本的な解決は難しいという点で
漸進的な改革しかできない、という規制改革の難しさを象徴しています。

.
反町 雄彦
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