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恫喝外交の終焉

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 御来訪感謝申し上げます。
 以前から朝鮮半島の北と南で国境線を争っている延坪島で起きた砲撃事件について、敬天愛人はどう分析しているのか?という質問をブログ外でも訊かれることが多くなったので、僭越ながら、不肖敬天愛人の意見を書かせていただきます。

 確か、砲撃事件(11月23日)のあった日の前日だったと思いますが、北朝鮮が濃縮ウラニウム施設の存在を米国の専門家に明かした事を受けて、オバマ大統領は「核カードへの見返りは無い」とキッパリと言明しました。
 オバマのこのひと言が引き金になったのではないかと思うのです。
 北は今まで、瀬戸際外交だの挑発外交などと言われる、自分本位の恐喝ともいえる外交姿勢で譲歩を引き出すやり方を行って来ました。
 これは簡単に言えば、不良息子が親に「小遣いをくれないと非行に走るぞ」と脅しをかけるのと全く同じ性質のものであります。これまでは「戦略的忍耐」という詭弁を弄した事なかれ主義で甘やかして「分かった、小遣いをあげるから大人しくしてくれ」となだめすかしていましたが、一向に行いが改まらないので、さすがに堪忍袋の緒が切れた親が「お前にはもう一切小遣いをあげない」と見放したに等しいものです。
 親からの援助という唯一の兵糧の道を絶たれた不良息子がやけくそになって、一か八か親を本当に困らせてやれ、そうすれば親も考え直してくれるだろうという浅はかな単純思考で悪さをしてみた、というのが実際のところではないでしょうか。
 マスコミや半島事情に詳しいと称する連中は、後継者が決まって新たな体制に移る際の軍内部の権力闘争だ、後継者の実績作りだ、とか訳知り顔で語っていますが、そんな分析は屁の役にも立ちません。「だから、何なの?」で終わってしまう話です。
 シナの反日デモを中共への人民の不満の代償行為と指摘するのと同じで、だから理解してやってくれと言わんばかりのあちらサイドの話で、何ら建設的な論評でも何でもありません。
 そんな分析はどうでもいいことなのです。
 分析とは事の本質を見極め、どう対処すべきかを判断し解決策を見出すために行うものであります。
 相手の事情を読み取り、相手に理解を示すだけなら分析でも何でもありません。ただの無責任な一般論を言っているに過ぎません。
 
 つまり、オバマのひと言は金王朝にとっては唯一のカードを全否定されただけのことです。唯一のカードが通用しないとなれば、あとは自暴自棄になるしかありません。
 かといって、アメリカを直接攻撃するのは後が怖すぎる、日本を攻撃すれば日米同盟が自動的に機能し米軍と全面紛争になる、それじゃ、適当な言い訳で切り抜けられる延坪島を攻撃してみようか、と考えたのではないでしょうか。
 北朝鮮としてはアメリカとの2国間交渉に国家存亡の活路を見出しているのですから、永久的にアメリカに見捨てられれば、国の存立が成り立たないとの危機感を抱いていると思います。
 28日から黄海上で米韓軍事合同演習が始まりますが、おそらく北朝鮮はどうしたら良いものかと喧々諤々の状況と想像します。
 中共自体もアメリカを取るか北朝鮮を取るかという選択を迫られれば、答えは自ずと決まって来ます。
 
 日本が恐いのは、北朝鮮が追い詰められた結果、見境なく暴発することです。
 その場合に対応する体制が我が国では何一つ構築されていないことです。


 窮鼠猫を噛むという諺を思い出すのです!!
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       菅と蓮  

 御来訪感謝申し上げます。
 今月28日から展開される黄海上での米韓合同軍事演習を受けて、北鮮は2次3次攻撃も辞さないと米国に通知を送って息巻いているようです。そこまで仰るなら口先だけでなく本当におやりになればいいのに・・・、と不謹慎と言われるのを覚悟で熱望しています。
 簡単にいえば「ヤレルものなら、ヤッテみろ!!」というだけのことであります。
 実際問題としても朝鮮動乱はまだケリがついていないのですから、ここらでケリをつける良いチャンスなのかもしれません。
 そうすれば、さすがの平和ボケ日本国民も、自分たちの置かれている現実を自覚することになり“脳内革命”を起さざるを得なくなるのではないかと思っています。
 それだけ我が国の周辺は物騒な状況が常態化しているのです。
 南鮮の女性グループらが捏造された下馬評をよそに紅白歌合戦に落選したのも、案外NHKは、「半島に有事が勃発するのではないか、そのような事態において韓国のグループを紅白に出場させるなどあまりにリスクが大きすぎる」、とビビったのではないかと勘繰っています。そうでないと、あれだけNHK自らKーPOPのアピールに加担していたことと辻褄が合わなくなります。

 そんな不肖敬天愛人の戯言はほどほどにして、延坪島の砲撃戦に隠れてしまいがちになってしまった、我が国にとっての重大な危機である尖閣問題について、尊敬する東大名誉教授の小堀桂一郎先生の歴史的見地から洞察した格調高い論説文が産経【正論】に掲載されていたので全文を転載いたします。

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 【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 尖閣映像とハル・ノートの教訓
2010.11.24 03:04 産経MSNニュース
 沖縄の尖閣諸島沖で発生し、日本側の完敗を以(もっ)て終つた中国漁船衝突事件について、論評・提言の類は殆(ほとん)ど出尽くし、今は敗北といふ結末の事後処理の段階に入つてゐる様(よう)に見える。処理の焦点の一つは、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきた現場のビデオ映像が11月上旬、巷間に流出した出来事の意味と、その責任問題である。
 この新事態のために、事件の最大の論点である、中国の国家意志を体して行動した疑ひの濃い漁船(むしろ工作船か)による我が国の主権侵害といふ大問題が、作為的に影を薄められ、乃至(ないし)は問題の掏(す)り替へが生じてゐる。これは甚(はなは)だ危ふい事である。
 この事件の処理をめぐつて、筆者は当初から、あのビデオは政府の方こそが進んで国民に向けて公開すべきだつたとの強い意見を抱いてゐたので、以下、その根拠について書く。
 ≪ビデオ非公開で69年前を想起≫
 9月8日に石垣海上保安部が逮捕した中国人船長を、那覇地検が24日になつて外交的配慮(といふ越権行為)を以て釈放し、仙谷由人官房長官がこの処置を政府として了承すると言明した時点で、そのビデオは船長の裁判に提出さるべき証拠資料としての意味を失ひ、従つて機密性も失つたと見倣(みな)される。
 さうである以上、政府は国益の見地を第一に重視し、ビデオに映つた全場面の公開を決断して事件の真相を国民に知らしめるべきだつた。その上で更(さら)に、自然の経過として同じ映像が国際社会の広く知る所となり、事件の責任の所在については国際社会がその判断を下す、といふ方向に事態を持つてゆくべきであつた。この方策は今からでも遅くはない。やればできる事である。
 この方式による外交的解決を我々(われわれ)に示唆してゐるのは、我々が残念ながら生かすことなくして終つた或る歴史の教訓である。
 今から69年前の同じ11月、我が政府は野村吉三郎、来栖三郎といふ2人の大使を米国に派遣し、泥沼に陥つてゐる日支事変解決のための日米交渉に当たらせてゐた。交渉は4月半ばに始まり、7箇月を経過しながら妥結の曙光(しょこう)は見えて来なかつた。戦争回避を至上命令としての日本側の度重ねての譲歩的妥協案に対し、米国側は日本国の苦しい内情を完全に読み抜いての上で、時間稼ぎの冷たいあしらひを続けてゐた。そして11月26日、その傲岸(ごうがん)酷薄によつて史上に悪名高いハル・ノートを突きつけてきた。
 ≪実質、宣戦布告の外交文書≫
 これは、国務長官ハルの名を帯びてはゐるが、実は米国務省に喰ひ込んでゐたソ連の情報工作員が起草したといふ事実が後年、暴露されたことで、二重に有名になつた外交文書である。この文書の怪奇な性格についての穿鑿(せんさく)は今は措(お)くが、その文面を見れば、これは明らかに交渉打ち切りの最後通牒(つうちょう)であり、事実上の宣戦布告だつた。戦争を以ての脅迫を含んでゐない、外交交渉上の要求といふ外見を有してゐるだけに、一層、狡猾(こうかつ)悪質な挑戦状だつた。
 この文書を受け取つた、時の外務大臣、東郷茂徳は、回想記『時代の一面』の中で、その時受けた衝撃を〈自分は目も暗むばかりの失望に撃たれた〉と、以下綿々と断腸の思ひを綴(つづ)つてをり、これは読む者をして深甚の同情を覚えさせる悲痛な感慨の吐露である。
 筆者も亦(また)、外相としての東郷の開戦前夜及び終戦工作での尽瘁(じんすい)と苦衷に対する敬意、そして戦後の悲運への深い同情を持ち続けてゐる者であるが、それでも猶(なお)、彼のこの時の政治判断に一抹(いちまつ)の不審と遺憾の念を禁じ得ない。
 ≪公表せず米開戦意志を隠蔽≫
 東郷は、ハル・ノートが既に戦争を意味する事を明白に認識したにも拘(かかわ)らず、〈交渉は御前会議で正式に決定する迄(まで)は外務省側で打ち切ることはできないので、出先に対しても交渉決裂の印象を与へぬやうにとの注意を与へた〉と書いて、その章を締め括(くく)つてゐる。是によつてみれば、東郷はハル・ノートの内容を国民に向けて公表するといつた発想を全く有してゐなかつた。その内的動機は敢へて臆測しないが、これで結果として、米国の断乎たる開戦意志の恐ろしさを国民の眼から隠蔽(いんへい)することになつてしまつた。
 もしこの時、外務省がハル・ノートのせめて摘要(てきよう)でも国民に公表してゐたら、国民の激昂(げきこう)は収拾・鎮静の限度を超えてゐたかもしれないが、然(しか)し、当時の日本は輿論(よろん)のみで開戦の時期を早める様な政治形態にあつたわけではない。
 より重要な事として、国民が知り得た日米交渉決裂の真相は外国の通信網経由で海外に溢(あふ)れ出、広く国際社会の知る所となり、日米戦争は実は、真珠湾の奇襲を以て始まつたのではない、ハル・ノートの挑発こそが日米開戦の号砲だつたのだ、との認識を世界に広め得たであらう。その結果として、大東亜戦争の原因は全(すべ)て日本の侵略的意図にあるといつた世界の誤認を予防する効果は十分にあつたはずである。(こぼり けいいちろう)

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 歴史に学ばない者は、必ず同じ失敗を繰り返すといいます。
 日本の悲劇は、為政者たち、国政に携わる者たちが全く歴史を学んでもいないし、史実を理解していないことであります。
 戦国武将や江戸時代の大名・小名から末端の武士たちは、常に古代シナの故事を著した史書や大鏡、増鏡などの国内の歴史書を通して、歴史を学んでいたそうです。
 特に一国一城の主となれば、自らの国家運営にあたって大きな決断を迫られる場面も多く、また運営法なども過去の様々な先例に照らし合わせて、判断の拠するところとしたのは当然の事であります。
 それが人の上に立つ者の基本的な姿勢であり、必須条件でもあるのですが、残念ながら現代の政府・官僚のおエライさんたちは、そういう基本中の基本を歯牙にもかけず、朝鮮民族と同じくケンチャンナヨー精神で脳天気に場当たり的な対応に終始している現状です。これでは政治が混迷するのも自然の成り行きで、一国の宰相ですら隣国延坪島の砲撃戦を報道で知ったという、実質無政府状態に陥るのもむべなるかなであります。
 政治が結果を出すのが使命であるならば、政治に関わる者は結果に導く正当な決断を求められるわけですが、その根拠とするものは歴史に学ぶしかないのです。
 裁判官が判決の範となる判例がなくては、一切判決を下すことができないのと同じで、政治家も歴史の先例に範を見出せなくては、それこそ、どこへ行くのか分からないダッチロール状態を繰り広げるだけであることは言うまでもないことです。
 例えば、近代の日本が戦争へと引きずりこまれて行く直接のきっかけは、朝鮮半島の不安定な情勢であり、シナ大陸で頻発した不穏な動きでした。
 今も当時も全く同じではないかと気づけば、我が国に降りかかって来る火の粉をどう防げば良いのか、国としてどう対処すべきなのかは、当時の歴史を真摯に振り返れば自ずと答えは出て来るはずであります。

 政治家のセンセイたちは、小堀先生のような憂国の識者の意見にこそ素直に耳を傾けるべきなのです。


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 御来訪感謝申し上げます。
 昨日は祝日だというのに、世界の盲腸と呼ばれている朝鮮半島では物騒な事件が起きました。
 相変わらず日本のマスコミは他に事件が無いかのように、ほぼこのニュースばかりです。
 不肖敬天愛人は、マスコミはじめ政界・財界・暴力団・芸能界と日本社会に影響のある世界は、ほとんど朝鮮半島勢力に乗っ取られていると勝手に思い込んでいますので、半島でちょっとした事件があっても大騒ぎになるのは、その勢力が過剰に反応しているだけだと考えるようにしています。
 延坪島で砲撃を受けて亡くなられた民間人には気の毒ですが、北と南で国境線を争っているこの島に住むこと自体が危険であることはいうまでもないことですから、想定出来る範囲内のことではなかったのではないでしょうか。
 南の実効支配を強化するために政府が補助金を払って民間人を住まわせているのですから、彼らは民間人と言っても純粋な民間人というより、予備役という位置付けであるといっても過言ではないと思います。
 日本のマスコミがふざけているのは、朝鮮半島は朝鮮動乱が未だ終戦を迎えておらず、あくまでも「休戦状態」である現実を無視して、国民の間に無理やり韓流ブームをでっち上げては韓国旅行を促進するような“韓国交通公社”の宣伝マンを担当していながら、こういう事件が起こると必要以上に大騒ぎすることであります。
 それなら、普段から歴史を知らない日本国民に「韓国は準戦時下にあり危険な所なので、渡航の際は充分注意をして下さい」と注意を喚起するのが筋ではないか!!と思うのです。
 これでは、何も知らない客を甘言でだまして店に連れ込む、ぼったくりバーの客引きと一緒です。 マスコミは暴力バーの悪質な客引きなのです。
 

 さらに、このような事件が勃発するたびに日本のマスコミは「韓国は同盟国だから政府は韓国と連携をとって協力して対処すべき」ということを言い出すコメンテーテーターを引っ張り出してきます。政府もいち早く南を擁護する声明を出しました。
 韓国の新聞を覗いても「韓国は米・日などの同盟国と緊密な連携を組んで対処すべきである」との論調が目立っています。
 「あれっ、いつの間にか日本は韓国の同盟国になっていたの??」と思わずのけぞってしまいました。韓国にすればアメリカとは「米韓安全保障条約」を締結していますから、同盟国であることは間違いありませんが、日本は同盟国でも何でもないし、むしろ、竹島の領有権争いを有する「仮想敵国」であるはずです。
 日本の同盟国はアメリカだけでありますし、同盟国に準じる「2国間安全保障協力に関する宣言(安保宣言)」をしているインドと豪州が、強いて言えば同盟関係にある国といえます。
 都合のいい時だけ同盟国呼ばわりは甚だ迷惑な話であります。
 そもそも領土問題を抱えている国同士が同盟関係にあるわけないのです。友好国でさえありません。それが外交関係の常識というものです。
 筋の通らない話とはこういうことをいうのです。
 マスコミも政府もそのことを認知していながら、国民をだまそうとしているのです。
 経済関係とは、あくまでもビジネスとして「商売上のお付合い」ですが、それ以上の関係でもそれ以下の関係でもありません。
 冷戦時代は韓国を「反共の防波堤」と位置づけていましたが、今ではその意味も成していません。
 朝鮮半島の問題は当事者だけで対処して欲しいものです。

 日本は我が身に火の粉が降りかかってくれば、それを払いのければ良いだけの話です。
 そのためには、「諸国の公正と信義に信頼して・・・」などという寝ぼけた世迷言の憲法を即刻廃棄して、不良集団に囲まれた中に存在する独立国家としての体制を即時に整えるのが専決問題なのです。
 
 朝鮮動乱のきっかけは、ソ連と中共の傀儡勢力がその後押しで仕掛けて来たものです。
 朝鮮民族が単独で戦などできる民族であれば、万年属国の地位に安住していることは無かったでしょう。
 今回も北の金王朝が単独で火遊びをして来ただけのことですから、大事に至らない事くらいは、ほとんどの日本国民は自覚しています。

 死に体の菅政権が朝鮮半島の有事をテコに政権の浮上を狙っても、良識ある国民はすでにその魂胆をお見通しであると信じています。


 朝鮮民族はそろそろ自立しろ!!
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神は我が身の内に宿る

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 御来訪感謝申し上げます。
 昨日の記事「日本の精神の原点は“道”」を上梓させていただきましたが、引用に使用しました松木天村先生の卓話には転載した本論の根底を為す前段がありました。本来はその前段部から始めて本論に行かなければならないのですが、文字数制限の関係上、省略いたしましたが、前段部分も非常に分かり易く「日本人の本質」について語っておられますので、“週末霊性特集”(!?)のしめとして紹介させていただきます。

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      ----天之御中主神(あまのみなかぬし)とは----
 万物の霊長という、霊肉一如という、こういうふうに“霊”ということを言っておりますけれども、そんなものは言うだけで、あってもなくてもいいように思っております。そうじゃないのであります。霊が元なのであります。魂が元なんであります。魂があって生まれてきて、今日の肉体を形成したのであります。脳細胞も何もかも肉体的なものは胡散霧消致しましても、本当の自分である魂は天に帰るのであります。
 ところがその魂が、生前において磨かれてない、そのまま放ったらかしておいた。つまり因縁を積んで、所謂スモッグの中にうずくまっていた霊は、天に帰れません。途中でうろうろしている。それだから供養して霊を慰めるのであります。本当はそれではいけないのでありまして、我々が生きている時にこの魂の存在を承認しなければならない。承認して、それを磨くということが必要なんであります。
 魂の本質は神そのものであります。古事記では高天原に成りました神の御名は天之御中主神、次の成りました神は高御産巣日神(たかみむすび)、次に神御産巣日神(かみむすび)、その次に成りました神は宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじ)、次に天之常立神(あめのとこたち)。この五柱の神は別天(ことあま)つ神。
 次に十柱の神になりますね。それから伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の神が生まれて、天照大御神(あまてらすおおみ)とこういう順序になっております。伊邪那岐・伊邪那美の命(みこと)から後は人間の問題であります。夫婦のありかたを教えたものであります。
 そこで高天原に成りました天之御中主神というのは神道では天津神の最高神として崇高致しておる神であります。人間は天津神、国津神、諸々の神を拝んでおりますが、そういう神々は今世紀まで、人間の為に能(はたら)いて下さったんであります。
 それはどういうわけかと申しますと、神と人間、天と人間との関係は丁度人間社会と同じであります。我々が生まれて間もない時に母の乳房にすがっておりますね。また幼稚園になったら幼稚園の先生に教わる、中学に行けば中学の先生に、大学に行けば大学の先生というように教え導かれております。
 それと同じように、人間の知性のまだ蒙昧な時代は幼稚園であります。それは国津神という低い神様によって導かれるのであります。高等学校、大学になりますと知性が相当出来てきますから、八百万の神、天津神が指導に当たります。
 しかし、今日我々は知性におきましては、大学の教授以上になりました。教えられた天津神の先生より、もっとえらくなった。大学院に入らなくてはなりません。そういう時代が来ました。そういたしますと、天津神、国津神の信仰、それを拝んでおったのでは間に合いませんのです。今日以後は我々は天に直結しなければいかんという非常に進化した時代が参ったのであります。
 しかしながら、神仏を拝まなくてもいいと言うのじゃございません、人類の未発達の時代、過去において我々人類が幼稚園の時代、中学校、高等学校、大学の時代にいろいろお世話になった神仏でありますが故に、そういう神仏には“有り難うございます”というお礼を申し上げることは当然なんでありますが、いつまでも既成宗教、あるいは新興宗教の神を拝んでおっては、どうにもこうにもならない、という時代が来ました。もっと高い時代に行かなきゃならんのであります。
 ところで、最高神の天之御中主神とは何かということであります。古事記もやっぱり漢字で書いてございます。これも日本人の本当の言葉を残したものでありますが故に、漢字に引っ掛かっては古事記の理解は出来ません。「天之」ということは形容であります。「神」ということも形容でありますよ。そうすると「中」だけ採ったらいいんです。天之御中主神の「天之」をとりまして、「神」をとりますと、まさに「御中主」となります。
 御中主とは何か。“高天原に成ります”という、そういう「原」ではございません。「高天」という敬語をつけ、なお「原」を書いてあるから分かりません。それを腹部の「腹」と書いたら分かるんであります。
 我の腹に宿ったものは、高天原のいわゆる天津神の最高神であるところの天之御中主神なんであります。

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 「我の腹に宿ったもの」とは「ヘソ」に宿ったものを指しています。我々人間はヘソを通じて天とつながっているということです。
 これが松木先生のいう「ヘソ学序論」の核心であります。我々人間は胎内に居る時は「ヘソ」から親の栄養素をもらってすくすくと育ちますが、栄養素だけでなく、親・先祖からの様々な遺伝子や情報、性質すべてを受け継いでいます。
 つまり、ヘソは先祖との結びつきの総合窓口であり、ヘソを通じて代々遡って行けば、天に通じるということであります。
 武士が切腹をするということは、自分の身の不祥事を代々の因縁と捉え、自分の代でその忌々しい因縁の連鎖を断ち切るために、腹(ヘソ)を掻っ捌いたという意味があるのだということを教えられたことがあります。
 腹を割って話そう、腹の底から言っているのか、アイツの腹は見えない、腹黒いヤツだ、等々、「腹」にまつわる話はたくさんありますが、それらも極めて日本的な言い回しであることを思えば、日本人は、頭=人間の知恵ではなく、腹(ヘソ)=天からの知恵、を至高の基準として我が身を御して来たのではないでしょうか。
 靖国神社の「みたままつり」が魂の慰めなのです。英霊のおなかに宿っていた「御霊=みたま=魂」を鎮魂する行事を行うゆえんがそこにあるのです。
 「お天道様が見ているぞ」という戒めの言葉がありますが、「お天道様」が我が身(ヘソ)に存在しているのですから、常に身のうちにあるお天道様から見られている自分を意識しつつ、日本人は身を律し、天の意志に報いるべく、それぞれの立場で精進して来たことが今日の、世界からも圧倒的な支持と信頼を受ける国を築いて来られたのではないかと感じるのです。
 以前、ある先輩に「お伊勢様の御神体が何か分かるか?」と訊かれたことがあります。
 当然、無知蒙昧かつ信仰心も持たない不肖敬天愛人は知る由もありません。「伊勢神宮の御神体は鏡だ。つまり、神様のお姿は?と訊ねると『それは鏡に写ったお前自身の姿だ!』ということだ、と教えられました。
 その意味の深層をなかなか理解できず悩んだ時期がありましたが、神は自らに宿っているという日本人の絶対真理を教えられた時、ようやく合点が行きました。と同時に日本人に生まれたことの至上の徳と、だからこその(世界に比類の無い日本人しか持ち得ない)道徳心の真髄を得心した思いに駆られました。
 これがまさに「日本人のアイデンティティーであり、つまり『根っ子』である」と確信します。
 
 こんなふうに、人類の真理を自然発生的に身につけている日本人こそ、世界最高の徳をいただいているのではないでしょうか。
 
 惜しむらくは我々の日本社会は、上に行けば行くほど、和魂を失い洋才(シナ・朝鮮も含む、神を冒涜する)に冒されていることであります。


 日本人は、神は我が身に宿っているのです!!
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 御来訪感謝申し上げます。
 最近、『日本人の精神の根っ子とは何ぞや?』を主題に、日本人必読の素晴らしいブログを展開していらっしゃる、ブログ友である「さざんか」様のブログ“日本の感性をよみがえらせよう”の記事を拝読するたびに、彼女に触発された訳ではありませんが、御来訪の皆様にぜひ御拝読いただきたいと思い出すものがあります。
 すでに故人となられた宗教家の松木天村氏が昭和46年に武道館で「新しい人間の形成」と題して講演した“卓話”でありますが、その中から一部抜粋して紹介させていただきます。

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 ― 日本精神の原点は“道” ―
 そこで私は、今日まであらゆる世界の宗教、日本の宗教は今日まで人類の文化のために大いに役立ったけれども、今日以後は、そういう程度の信仰では救いがない、とはっきり申します。ことに日本には、宗教というものは本当に無いんであります。無いのが本当であります。宗教という文字も言葉も無かったんであります。
 明治維新の頃にキリスト教が公の布教を許されました時に、初めて宗教という文字と言葉が出来たのであります。宗教と文字が無かったその以前には、日本には宗教が無かったんであります。それでは何と言ったかと申しますと、と申しました。これが素晴らしいんでありますね。だから聖徳太子が仏教を日本に受け入れた当時は仏道と言いました。仏教とは申しませんでした。華道、茶道、武道と同じことです。この会場は武道館です。聖徳太子はこの時、「日本は根の国である。仏道は枝葉であるが故に枝葉にかまけて根を忘れちゃいかん。」と申されました。
 根とは魂のことなんであります。そういう仏教は知性であります。知恵のことであります。また菅原道真公もはっきり申しておりますね、“和魂洋才”と言っております。外国の文化は取り入れていいけれども、日本民族の魂を忘れちゃいかん、と警告しておるのであります。これを根と申します。根とは魂のことであります。根があるから、とうとうたる大木も育つんであります。根のないものは根無し草であります。
 しかも、道でありますが故に、歩まなくてはなりません。歩むとは、日々我々が日常生活をすることが道なんでありますね。殊更に神様を拝むとか、或いは水をかぶるとか、座禅を組むというのは道ではございません。平凡な我々の日常の中で、生活を続けるということが道なんであります。
 しかも、その道の中に宗教、科学が織りなされておった、ということが日本人の素晴らしさであります。一輪の花を活けるその生活の中に、一服の茶を喫する生活の中に、宗教科学が織りなされておったということが、日本民族の本当の道なんであります。
 しかるに今日はその道を宗教と科学の二つに分裂させてしまっているのであります。これではどうにもなりませんですね。今日の社会情勢はそうなんであります。公害もそうなんであります。
 自然というものは、宗教でも科学でもございません。人間と同じように霊肉一如の存在でありまして、宗教でも科学でもありません。霊は宗教的分野に属し、肉は科学的分野に属します。しかしそれが、二つに分裂してはどうにもなりませんですね。分裂したらばこれを元に戻すということを考えなければなりません。
 そういうことを私は先年、学士論文を出しました。なぜ出したかと申しますと、私が先年学士会館であたらしい道の講演をいたしました時に、ふっと、精神は物質に等しいんだ、と申しました。そうしますと、「精神と物質が等しいとは何事かと言って学者に論難されましたが故に、よんどころなく、「ヘソ学序論」というものを書きました。
 変な名前ですが、「ヘソ学序論」のサブタイトルは、“宗教、科学を統一に導く最高次元の場”という論文を書きまして、“それが魂である”ということを言ったんであります。それが学会に於いて審議の結果、こりゃ新しい学問だ、ということで、哲学部門で初めてアカデミア賞を頂戴したんであります。だから、この問題を私が申し上げますことは、学会ではすでに承認済みなんであります。
 しかしながら、学会で承認したところで日本の国は良くなりません。皆さんが幸福になるんじゃございません。一人ひとりがそれを分かっていわゆる魂に主体性を置くという生活に変わらなければ、どうにもなりません。日本の道というものに変わってゆかなければ、どうにもなりません。そういう意味において、今日の宗教というものは、もう御用が済んだんだと、こう申します。だから天に直結する、天に繋がらなくてはならないと申す訳であります。
   
  ― 原因と結果の世界 ―
 最後に一言申したいことは、今日以後の新しい世紀を建設するためには、神の観念を是正しなければならん、ということであります。人間の概念を変えなきゃならん時代であります。
 そうしてもう一つは、価値観、価値というものの転換をはからなければなりません。アメリカのドルショックにおいて、経済界は大騒ぎをしておりますが、それは結果の世界において乱舞している姿であります。そうなってきた原因の世界がございますね。原因の世界を矯正することをせずして結果の世界のおいて乱舞したってどうにもなりませんです。
 一時的兆候はありましょうけれども、これでは駄目であります。
 交通問題が同様であります。公害問題しかりであります。人類が自然に反逆したという結果が今日現われたんでありますね。資本や技術だけにおいては、この問題は簡単に解決出来るとは思いません。
         ( 略 )
 かような問題一つとりましても、単なる資本や技術の問題だけでは解決しません。人間が自然に反逆してきたんであります。今日の日本の産業発展、高度経済成長というものは、環境という自然を破壊して作ったもんであります。
 私は先月、S銀行の常務の方と面談いたしました。常務さんは、「四年前に先生はアメリカの経済は世界で一番先に崩壊するんだと仰いましたね。先生、四年前の予言が的中しましたね。」とこう申されました。その当時にアメリカは、そんなこと誰も考えませんでしたから、ショッキングな問題として受け取ったんでありましょう。
 私はその時言ったんでありますね。「大自然というものを開発し利用することは人類に許されておるけれど、しかしその自然を利用し開発して、出来たものを何に使うかということが問題だ。」と言ったんであります。「アメリカは豊富な物量を傾けて、そうしてベトナム戦争につぎ込んでいるではないか、人類の福祉に貢献し、真の平和のためにそれが使われるならば、それは天が許すであろうけれども、そういう天に逆らう使い方をするアメリカであるが故に、まず経済的には数年後には崩壊するであろう。」と言ったんであります。だから予言ではありません。当たり前のことであります。
 そういう原因の世界を矯正しないでおいて、原因の世界を放ったらかしておいて、結果の世界だけをうんぬんしてもどうにもなりませんです。成ってくる姿が天の理であります。いいことも悪いことも、成ってくるものが天の理であります。
 天の理は成ってくる結果と原因がどういうことか、つまり人間と自然、人間と天との関係において、結果が生まれてくるのであります。だから人間と天との関係を考え直さなけりゃならない。我々は百八十度転換して、まず天に感謝する、というところから出発しなければ駄目であります。
 
    ― 敬天愛人 ―
 先日、私は鹿児島へまいりました。あそこは西郷南州の言葉がありますね。“敬天愛人”という言葉がございます。まさにその通りであります。天を敬してこそ人間が救われるんであります。
 人間尊重と申しますけれども、今日まであまりにも人間尊重しすぎて天を忘れている。神を忘れているんであります。それでは駄目ですね。真に人間が尊重されるならば、まず天に報謝するという面がなくてはいけません。それで初めて人間が真に救われるのであります。西郷南州の敬天ということは実に素晴らしいことであります。
 先程、伊勢神宮の映画をご覧になりましたでしょうが、あヽいう姿が残っているということは、日本の誇りでございます。皆、天に返す。神に感謝していく姿でございます。
 一切、人類は天に捧げるという気持ちであります。日本民族は本来そういう民族であります。だからこれからは、我々が真に幸福であるためには、まず天に捧げる、天恩報謝ということが第一でありまして、それをすることによって、真に人類が救われることなんであります。

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 この講演が行われたのは今から39年前のことです。不肖敬天愛人はまだ15歳の中学3年生でした。無論、この当時の世界情勢と今とはかなり違っていますが、根本的には何も変わっていない気がします。
 未だに原因を問わずに結果だけに一喜一憂しているのも今日の実情です。
 だからこそ、国内外に発生する事象に対して本質論を以って対処したり、思考したり出来ないのだと思うのです。
 本質を語る時、原因を以って結果を語らなくては、どうして正当な答えを導けるのでしょうか? 原因を放ったらかしにして来たツケが今の日本社会の現状ではないのでしょうか?
 じゃあ、原因とは何か?と問えば、自然に対する畏怖心であり先祖に感謝し敬うという「縦の筋目」を見失った事、ではないかと思うのです。
 本来ならば、この「縦の筋目」という伝統的に受け継いで来た日本人だからこそ、天をも畏れぬ欲望の果てに生じた人類の様々な問題の解決策を秘めていることを、全く自覚していないこと自体が、現在の人類の悲劇ではないかと思ってしまうのです。
 今まではモノという形あるものを通して、様々な日本の精神文化で世界に影響を与えてきましたが、霊性の時代であるといわれる21世紀のこれからは、日本の精神世界そのもの「根=魂」によって、宗派を問わない、世界の精神世界に圧倒的な影響を与えることが日本人の役目ではないでしょうか。

 しかし、それにはまず、現状の自然の力も畏れぬ唯物論者たちで構成される現政権を目覚めた国民が打倒することが先決です。

 日本人自身が天への報謝の心を取り戻せば、即“国の建替え”が成ります!!
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