全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1

イメージ 1

      愛国少女の叫び  

 御来訪感謝申し上げます。
 とりあえず、一旦“左翼がサヨクにさよく時”をテキストにした「戦後の総括シリーズ」は今日で締めたいと思います。
 次回からは、不肖敬天愛人の日頃心の中で忸怩たる思いを抱いている素朴な論理で、「戦後の総括」をして行きたいと思っております。


----------------------------------------------------------------
 外交に軍事力が不要と考えるサヨクは、自身で外交問題を解決せよ
[執筆日:H15/3/22][病理:軍事力弱体化闘争]

 日本外交の度重なる醜態の主因が軍事力の欠如にあることは間違いない。その一方「軍事力に頼った外交は間違っている。」などという発言をしたがる者がサヨクを中心に存在する。

1 「軍事力なしでも外交が可能」というサヨクは、自身が外交問題を解決せよ
 「軍事力なしでも外交が可能」という前提に立つなら、なんら軍事力を持たない一個人にも外交は可能という結論になる。そう考える人間はぜひその個人の力量で戦後の外交問題を自ら解決し、自らの主張を論証してもらいたいものだ。
 例えば「軍事力なしでも外交が可能」論者が個人の資格でモスクワを訪問し北方領土を取り返すことに成功したのなら、筆者は素直に「軍事力なしでも外交は可能」と認める。逆にロシア当局が門前払いとして領土変換はおろか交渉すらできなかったのなら、あらためて「軍事力なしなら交渉は不可能」と証明される。

 間違いなくロシア当局は個人資格で出向いた人間を門前払いとするだろう。その一方、日本国を代表する政治家や官僚については門前払いとせず会談に応じる。これは別にロシアに限ったことではない。どこの国でもそうだ。
 両者のどこが違うのか。前者に軍事力がなく後者には軍事力があるという点だ。政府とはそもそも軍事力によって政府として成り立っている存在だ。そういう組織の代表者だから相手国は丁重にもてなす。

 筆者は 「軍事力なしでも外交が可能」論者氏にぜひお願いがある。
 平壌の北朝鮮当局に個人の立場(軍事力を持たない立場)で出向いて拉致被害者家族を取り戻してもらいたい。「外交に軍事力はいらない」のだから簡単なはずだろう。これを成し遂げれば拉致被害者家族は帰り、おまけに「軍事力なしでも外交が可能」論者もその主張を実証することができる。皆万々歳だ。
 もちろん行く行かないは自由だ。ただ「軍事力なしでも外交が可能」論者による拉致の放置が続けば続くほど、「軍事力なしでも外交が可能」論者が「交渉可能なのに放置し続けているクズ」だという実績が積み重なるに過ぎない。

2 政府もまた国民が支払った代金(軍事費)に応じた仕事しかできない
 外務官僚の無能の要因が軍事力の欠如にあると言う指摘に対して、ある種のサヨク及びその影響下にある人間は、「軍事力なしに外交ができてこそ、有能な外交官と言えるのだ。」などと胸を反らせて説教する場合がある。これはほとんど「金は相場のはるか下しか出さないが、きちんと仕事はしろ。」と威張る顧客のようなものだ。

 民間企業だろうが外交関係者を含む政府だろうかどこの誰だろうがどんな仕事人も、顧客(納税者)が支払った代金(軍事費)に応じた仕事しかできない。我々日本国民はGDP比率で普通の先進国の四分の一程度しか代金(軍事費)を支払っていない。それなら仕事内容も四分の一程度になるのは当然だ。あえて大雑把に言えばだが。
 筆者が「国民は普通先進国程度の軍事費を払うべき」と主張するのはこの点にある。軍事費と国益の関係は、大雑把に言えば以下の等式が成り立つ。

 「現在程度の軍事費」=「先進国の四分の一の軍事費」=「国民の生命財産領土独立を守る能力は先進国の四分の一」
 「現在の倍額の軍事費」=「先進国の半分の軍事費」=「国民の生命財産領土独立を守る能力は先進国の半分」
 「現在の四倍の軍事費」=「先進国並の軍事費」=「国民の生命財産領土独立を守る能力は先進国並」   「軍事費ゼロ」=「国民の生命財産領土独立を守る能力はない」

 四分の一の代金(軍事費)で政府に外交をやらせている結果、政府の仕事内容は例えば以下のようなものになっている。

 国の独立:不完全。米軍の軍事植民地。
 国民の人権:じゅうりんされまくり。拉致されても二十年以上放置。
 内政の独立:外国政府の監視下にある部門あり。教育や兵士の弔いなど。
 領土の保守:侵略されたまま。北方領土も竹島も戻らず支那は領海侵犯やり放題。
 司法の独立:侵害されるケースあり。米兵犯罪者への司法権は制限。
 国民財産擁護:搾取され通し。思いやり予算やODA、朝銀支援などで子孫の資産奪われ放題。


 代金が四分の一なら仕事の質も四分の一になるのは当然だ。筆者はこの仕事ぶりは、はなはだ問題があると考えている。きちんと人並みの代金を支払い、まともな仕事をさせるべきだと考えている。

 筆者が「先進国並とまで言わなくとも軍事費の増額は必要だ。」などと日和見な言い草をするのではなく「軍事費を先進国並に四倍にせよ。」と明瞭に言いきる理由は、「先進国並とまで言わなくとも国民の生命財産領土独立を守る能力の向上は必要だ。」ではなく「国民の生命財産領土独立を守る能力を先進国並にせよ。」という前提に立つからだ。「先進国並の軍事費である必要はない。」という意見はすなわち「国民の生命財産領土独立を守る能力は先進国並である必要はない。」という言い草と同じなのだ。

 まあいずれにせよ、四分の一の代金で普通以上の仕事をしろとまで政府に要求ができる連中は、そこまで徹底して仕事にきびしいわけだから、さぞかし本人はローコストで高いレベルの仕事ができているのだろう。

 3 「軍事力が国益の配当量を決める」という点は何ら大戦前と変わらない
 米国は今後も戦争を繰り返す。それは誰にもどうしようもない。国連だの条約だのを持ち出して「ナントカに反する」などと指摘してみたところで、米国はどこ吹く風で今後も軍事行動を繰り返す。そしてその結果米国が外交的に追い詰められるということもないだろう。仮に米国が核攻撃を再び行ったとしても、諸外国は単に「反対」「遺憾の意」が表するという場合があるという程度の話であり、米国に対して宣戦布告はもちろん経済封鎖などの制裁すら行わないだろう。
 それはなぜか。米国が軍事大国だからだ。

 その一方、弱小国家は今後も「強力な兵器を持っている」という程度の理由で経済封鎖はもちろん時に軍事侵攻すら行われ続けるだろう。
 それはなぜか。軍事力がないからだ。

 「軍事力が国益の配当量を決める」という点は、何ら大戦前と変わらない。

 戦後の日本外交が最低再悪なのは事実だ。北方領土も竹島も帰らず拉致被害者家族は帰らず兵士の弔いや教科書にまで干渉され領土領海も国民の命も侵害され通しだ。しかしその根本問題は外交当局者のそものの無能以前のところ、軍事力の欠如にある。結局のところ日本の軍事力に応じた配当しかもたらされてこなかったわけだ。

 チベット人ウイグル人の血のりがべっとりついた青竜刀を振りかざした殺人鬼との交渉を素手でやってまともな交渉になるはずがない。政府にまともな交渉をさせたければ、こちらも磨きあげた日本刀を持たせるしかない。

 ようするに戦後外交をめちゃくちゃにしている諸悪の根源は「日本の軍事力の欠如を保守しよう深刻化させようとする存在」にあるのだ。その存在のことをサヨクと言う。

--------------------------------------------------------------
 何を言いたいのかというと、究極は『力なくして正義はない』、つまり、軍事力(国民が自分たちの力で国を守ろうとする意思)なくしては、真の意味での「独立した主権国家」を守る事も、国家として正当な外交もできないということなのです。それが国際社会の常識なのです。

 国際社会は未だに『獣性の世界』なのです!!
 ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 1

     仙谷の顔は公序良俗に反するので割愛しました  

 御来訪感謝申し上げます。
 この記事は、今現在“戦後の総括”シリーズ記事でテキストとして使わせてもらっている「左翼がサヨクにさよく時」サイトに余談話として載っていたものを、息抜き記事として紹介させていただきます。
 自分たちは賢いと勘違いしている左翼秀才たちが陥る病理現象を、なかなか言い得て妙、的確に核心を突いて看破しています。
尚、アカい人たちの話なので赤い文字を使わせていただきます。


----------------------------------------------------------
 余談:社会主義者は勉強して馬鹿になった人間[病理:共産趣味]
 勉強すると賢くなる。
 人々は、そう思うだろう。むろん正しい場合が多い。しかし、馬鹿になる場合も有る。
 晦渋な数式や用語の暗記を著しく繰り返すと、人間は正常な感覚が麻痺してしまう。馬鹿みたいに何度も暗記し、集中して偏った思想を丸覚えしすぎれば、モノが考えられなくなる。
 過度な学習の繰り返しや丸暗記は、論理構築力を退嬰化させる。
 宗教には、意図的に馬鹿になる修行もある。たとえば、写経、経文の暗記や繰り返しである。これは馬鹿になるが、意図的に馬鹿になっているのであり間違いではない。賢くなることは、煩悩の増大に通じる。それを阻止するために、時に馬鹿になってみるのも良かろう。賢ければいいというものではない。正しいことこそが重要なのだ。

 中卒で若いときから働く人間に、理路整然とした的確な真理を話す人間が時折いる。論理的で、創意工夫にたけた人間。若い時に学習能力を訓練する機会を得ることが無く、思考能力に長けた人間だ。松下幸之助氏や、田中角栄氏のような。
 逆に大学でミョーな詭弁と思想を吹き込まれ、それの再現を極めて的確にこなすが、ほとんどまともな論理を構築できない人間もいる。学習能力に長じ、思考能力に劣る人間だ。ほとんどのサヨク学生などがこれだろう。
 前者はいわゆる学校での勉強をしなかったから賢者となった。後者は学校の勉強をたらふくやって、馬鹿になった。
 勉強をしすぎると馬鹿になる。子供のころの勉強は、程々がいい。勉強しすぎないと入れない学校には、入らないことだ。無茶な勉強をしなくとも合格できる学校を受験すればよい。


 余談:とにかく勉強しなけりゃ解らないのは馬鹿
 サヨクはここで記している「社会主義は、公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うからだめ。おわり。」という、単純な言い回しを何一つ検証せず(すなわち思考停止し)、筆者をフベンキョーとかのししるだろう。実は、このフベンキョーという指摘は正しい。筆者は社会主義はもとより、サヨクについてすら専門的に学んでいない。本ページ自体が、嫌がおうにも入ってくるサヨク情報と、いくぶんかの著書から論じたものにすぎない。
 かといって、勉強しないとサヨクや社会主義について論じることはできないといえるか。そうではない。サヨクや社会主義について論じることは可能だし、間違っていると断定もできる。
 それはなぜか。
 例えば、筆者は、オウムの教えについて詳しくは知らない。にもかかわらず、オウムは間違っていると断定する。これは筆者に限ったことではない。多くの民衆もオウムの教義など知らないが、筆者同様にオウムは間違っていると断定する。
 なぜ、筆者を含む多くの民衆には断定が可能か。それは多くの民衆には、普通の人間がもつべきあたりまえの常識があるからだ。
 オウムに入信しなくてはオウムの価値は分からないなどと考えるのは、馬鹿だ。入信しなくとも、いかがわしい宗教であることは分かるのだ。物事全てにおいて専門的にベンキョーしないと解らないなどと考えるのは、底無しの愚者だ。専門的にベンキョーなどしなくとも、常識のある人間なら、くだらないものはくだらないと一瞬で判断ができるのだ。
 鼻糞丸め学とか、なべのフタ重ね日本一とか、キャベツの薄切り名人とか、オウム真理教とか、社会主義とか、こういったシロモノを常識のある人間なら一瞬でくだらないと判断できる。いちいち鼻糞丸め学を何年も勉強などしなくとも。
 この判断を可能とするのが、常識なのだ。サヨクに欠如しているのは、まさにこの常識なのだ。

-------------------------------------------------------------------

 だから、中共や北朝鮮がやっていることの異常さや残虐性の是非も判断できないで、媚を売ったりできるのですね。

 アカに染まらなかった保守系の方たちは、歴史と伝統・文化に育まれた常識を弁えた立派な方たちなのです!!

 
 

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 1

     やっぱり、お花畑です  

 御来訪感謝申し上げます。
 前回に引き続いて“戦後の総括”シリーズの第2回目は「日本国憲法には国民主権が規定されていない!」という現実についての考察です。


----------------------------------------------------------------
 「戦前は天皇主権、戦後は国民主権」の大嘘 [執筆日:H16/8/28]
 「憲法上「戦後は国民主権」という規定するのは間違いだ。更に「戦前は天皇主権」も嘘である。
(1)「現憲法は国民主権」と規定できない理由
 教科書上でおなじみの記述、「現憲法は国民主権」が間違いである理由は以下の二つである。
 1:占領軍が投下した憲法である点。つまり現憲法の制定が、主権の根幹をなす国民の憲法制定権を根本否定する方式で制定されている点。
 2:国民の国防権を認めていない点。「国防権を持たない」こととは「主権を持たない」こと。

(2)「現憲法は国民主権」はアメリカンジョーク
 「現憲法は国民主権」 というセリフは現憲法を投下したアメリカ人のジョークである。社会の教科書でもおなじみのジョークだ。このジョークの面白さを理解できないようでは、憲法を制定したアメリカ人に、それこそ笑われる。
 主権には、立法権、つまり憲法制定権も含む。というか憲法制定権は立法権の中でも最も重要な主権の一つと言えよう。アメリカ人は憲法を軍事恫喝で押しつけることにより、国民の憲法制定権を完全に根底から否定した。
 現憲法を投下したアメリカ人は、我々日本国民からの以下のツッコミを期待していたに違いない。
 「国民の憲法制定権を丸ごと侵害しながら、どこが国民主権やねん。」
 これが常識的なツッコミである。しかしサヨクのジョークセンスはアメリカ人を更に上回る。
 「その通り。戦前は天皇主権、現憲法は国民主権です。」
 アメリカ人がハラホレハラホレと脱力する有様が目に浮かぶ。
(3)国防権の放棄=主権の放棄
 現憲法では国民が国防を行う権利はない。サヨクの崇拝する現憲法9条によると「日本国民は、(中略)国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定められ、明確に国民の国防権を否定している。更に憲法前文によると「日本国民」なる存在は、何でも北鮮や中共やアメリカなどを「平和を愛する諸国民」と位置付け、こういう連中の「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」らしい。日本国民である筆者はそんな狂った「決意」などした覚えは無いのだが。
 ちなみに北朝鮮を「信頼」して「安全と生存を保持しようと決意した」結果が拉致である。
 「国防権を持たない」こととは「主権を持たない」ことだ。最も根本的で重要な主権とは国防権である。立法権司法権行政権などあらゆる主権の礎となる主権が、国防権である。
 国防権が無ければ、国民は外国からの主権侵害を抑止することはできない。政治家が民主的な選挙で選ばれたところで、選ばれた政治家から成る政体に政治を行う力、つまり外国からの内政干渉を排除し独立した政治を行う力が無ければ、選挙(民主制)など無意味である。
 共産党などサヨクはさんざん現政体を「アメリカの言いなり」と批判している。「アメリカの言いなり」となる理由は何か。簡単だ。アメリカが現憲法により日本国民の国防権を剥奪し、アメリカ占領軍への抵抗をできなくし日本に軍隊を駐屯し支配しているからだ。サヨクが批判する通り、まさにこれは植民地なわけだが、国防権が無ければまさにこういう植民地状態となるということだ。というかアメリカが現憲法を投下した目的はこういう状態にすることにあったわけだが。
 アメリカが現憲法を投下した理由は、「日本国民の国防権を剥奪し、アメリカ占領軍への抵抗をできなくし日本に米軍を駐屯し支配するため」である。ようするに「現地住民に武器を持たせず宗主国への反抗を不可能にし軍隊を駐屯し支配する」という最も伝統的な植民地支配の方法論を憲法により実践したわけだ。
 そして支那が日本に現憲法を守らせようとし、またその犬であるサヨクが現憲法への崇拝を貫く理由は、「日本国民の国防権を剥奪し、支那軍への抵抗をできなくし、日本を支那の干渉下監視下におき、できうれば支那軍を駐屯し支配するため」である。
 「現憲法は国民主権」は完全な嘘だ。国防権を否定した外国政府主権憲法、ようするに植民地憲法なのだ。

-----------------------------------------------------------------
 これは案外語られることない憲法論議であると思います。
 不肖敬天愛人が、“戦後の総括”をする上で参考テキストとして、このサイトを使わせてもらおうと考えたきっかけも、「国防権の放棄=主権の放棄」という議論なのです。
 「国防権の放棄」を「戦争の放棄」という美辞に恣意的に言い換えて、国民の眼を誤魔化そうとしたのが『憲法9条』の真髄であります。
 つまり、この厳然たる事実「日本国民は主権を放棄させられている」ことを明確に認識し、この事実を前提に政治を見ないと、国民の声が政治に全く反映しない現実を理解できないのです。
 国民の声を無視して、政府が尖閣事件のビデオを非公開とする決定をするのも、ここに遠因があるわけです。国民主権国家では考えられない現実ですが、国民に主権が与えられていないわけですから、政府はどこ吹く風なのです。
 選挙の時だけ、国民主権があるかのように思わされているだけでもあります。
 ちなみに、かの北朝鮮でも中身はともかく人民に選挙権が認められています。だから、国名を朝鮮民主主義人民共和国と名乗っているのです。しかし、共産党員を除いた一般人民に選挙権を認めていない、シナは“People's Republic of China”=支那人民共和国と名乗っている(念のため、国際的には決して「中国」とは名乗っていません)のはご承知の通りです。

 国民が現憲法、特に9条を守ろうとする限り、実質的に主権を放棄していることになるのです。
 これでは、自衛隊員や海保隊員も含めて自国民を守る事も拉致被害者を奪還できるはずもありません。
 


 日本国民は、戦争を放棄しているのではなく、主権を放棄しているのです!!
 ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099

 

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 1

     

 御来訪感謝申し上げます。
 愛国者にとって我が国の悲惨な現状を見るにつけ、日本人として戦後を中心に総括しなくてはいけない、という思いが最近とみに強くなってきました。
 まず、そのためには、戦後から一貫して現在まで続いている、日本社会を「左翼」に牛耳られている現実を鑑みても、現民主党政権をはじめ、今や反日売国奴と化した彼らの本性を検証し、その欺瞞性を喝破していかなければならないと考えました。
 また、その思いを当ブログへ御来訪の皆様とできれば共有したい、しかし、無知蒙昧な不肖敬天愛人の稚拙な論理と文章力では、如何せん、(国思う方なら)どなたでも納得・理解できる記事としてうまくまとめる力量がありません。
 ところが「案ずるより生むが易し」のごとく、極めて実証的かつ明快な論法で「反日サヨク」を一刀両断にしているサイト「左翼がサヨクにさよく時」を見つけましたので、このサイトの力をお借りして、これから「総括」シリーズとして記事を更新して行きたいと存じます。

------------------------------------------------------------------
   究極の人間悪を知りたければサヨクを知れ(サヨク考察の意義)
 [病理:良心の消滅]
 サヨクは「他者に厳しく自分に寛大」を地で行く連中である。
 サヨクは旧日本兵や戦前に暮らした日本人に対して、恐るべき程の厳しさで論評する。自分が絶対善の神にでもなったかのように高飛車に高慢に威張り全否定し説教し反省謝罪を要求する。悪しき側面のみをデフォルメし、時代背景も結果もやむにやまれぬ事情も一切考慮しない。中でも日本軍兵士がもたらし、六百年以上もの欧米列強による植民地支配を終焉させるという人類史上最高の戦果ですらいささかも評価しない。おまけに自分自身に祖国の独立と豊かな社会という膨大な功績をもたらしていることをも、全く思慮しない。
 その一方サヨクは、サヨク自身に対しては海より寛大に全てを許す。サヨクは戦後あらゆる罪をおかしてきたが、そういった膨大な罪過の数々について完全に目を閉ざし思考停止する。他者からその点を指摘されても、念仏を聞いた馬の耳のように何一つ考慮せずひたすら罵倒で応じる。膨大な日本軍冤罪捏造情報を無批判に盲信し垂れ流してきたこと、それにより多くの元日本兵や遺族を苦しめてきたこと、文化大革命支那を賛美したこと、ポルポトやスターリンや北朝鮮を賛美したこと、それにより社会主義体制の膨大な犠牲者隠蔽に協力してきたこと。これらを反省したサヨクの例を筆者はただの一つも知らない。
 この自己中心的な身勝手さ、他者には鬼のように厳しく自分に仏のように寛大な有様。胸が悪くなる。
 つまりはサヨクという存在を考察することは、人間の究極悪を考察することに他ならないのだ。
 サヨクは人間が最も下劣で冷酷で愚劣な方向に完成した姿である。そういった存在を考察すれば人間そのものを知る手がかりとなる。サヨク考察はそういった意義があるのだ。
1 サヨクとなるための素質
 サヨクには、以下の条件を兼ね備えたごく一部の人間のみがなることができる。
・圧倒的な思い上がり
・圧倒的な冷酷さ
・圧倒的な愚鈍さ
・圧倒的な卑劣さ
・圧倒的な誠意の欠如
 例えば、
 支那政府による「日本軍のハンザイ」などのでっちあげへの加担より、支那政府が行った数千万人以上に上る大量殺戮の隠蔽に協力する冷酷さ。
 支那政府など社会主義体制を「改革解放」などと礼賛し、その影で弾圧迫害される人々の苦しみの隠蔽に加担する冷酷さ。
 つまり、社会主義国で弾圧され虐殺される数知れない人々を踏み付けにできる圧倒的な冷酷さ。
 ひたすら「日本軍のハンザイ」に関する「証言」などを盲信しつづけたあげく、それが捏造だと発覚した後、自らが信じプロパカンダした内容が捏造だったことに対して何一つ反省も謝罪もせず完全に思考停止できる愚鈍さ、卑劣さ。
 支那政府の影響下にある人物による「証言」なるものを盲信したあげくに捏造が発覚した大量の前例に思考停止し、別の支那政府の影響下にある人物による「証言」なるものを再び引っ張り出しまたもや盲信を繰り返す圧倒的な愚鈍さ。
 特に旧日本軍のかたがたに冤罪を押し付けたことに対して、何一つ謝罪も反省もしない誠意の欠如、冷酷さ、思い上がり。
 そもそも我々の国が独立国として存在できるのは、こうした元日本兵の方々が命を捨てて戦ってくれたおかげであるという事実に何一つ感謝できない思い上がり。
 感謝するどころか、冤罪捏造に加担するという、圧倒的な思い上がり、卑劣さ、愚鈍さ。
 人権侵害者の人権を擁護したあげく、人権侵害者に社会を闊歩させ大量の人権侵害を生み出した大量の実例に思考停止する誠意の欠如、愚鈍さ。
 こういった圧倒的な思い上がり、冷酷さ、愚鈍さ、卑劣さ、誠意の欠如があって人は始めてサヨクとなることができる。最悪の条件により選ばれたたぐいまれな素養をもつごく一部の人間のみがサヨクとなることができるのだ。
2 悪事をしながら良心の呵責を感じないですむ方法を編み出したサヨク
 人間は悪事が大好きだ。自分が行った悪事により、人が困ったり嘆いたりうろたえたりする有り様はなんとも愉快である。しかし、困ったことに同時に良心の呵責をも感じてしまう。
 多くの人には利害以外にそういった良心や誠意があるため、みずからの卑劣さや愚劣さを抑制する。
 そんななか、悪事を十分にエンジョイしながら、なおかつ良心の呵責を感じないですむ方法を完成した存在がある。サヨクだ。
 その方法とは「善意の仮面を被り、その善意を盲信すること」だ。
 例えば、「ジューグンイアンフキョーセーレンコー」を喚きたてる運動。
3 「ジューグンイアンフキョーセーレンコー」捏造吊し上げ運動に見るサヨクの自称「善意」への盲信
 以前、日本政府はイアンフ基金を設けた。これは戦前の方々を唾棄するような陰惨極まりない政策ではあるが、ある意味大笑いでもある。つまり、「サヨク連中よ、おまえら金払えと騒ぐのなら自分で払え。」という意味だろう。
 これに対して、国民からはもちろん、サヨクからも金はほどんど集まらなかった。これは日本国民に義侠心が無いからというわけではない。阪神淡路大震災にはあれだけ国民のお金が集まったのだから。
 そしてサヨクはお金を出さない理由として、「セーフのセキニンをゴマカソーとするもの。」だからハンタイと言い訳をした。
 この基金はサヨクに以下の二者択一を強いた。
1:「ジューグンイアンフ」に金を与え、まず彼女らの助けとなること。
2:「セーフのセキニン」なるものを吊し上げること。
 サヨクは1:より2:を優先した。
 これにより、この基金はサヨク自身に自白させることに成功した。サヨクが行っているのが「ジューグンイアンフ」なる存在の力になるための運動ではなく、「セーフのセキニン」なるものを吊し上げる事を目的とした運動であることを。
 「セーフのセキニンをゴマカソーとするもの。」だからハンタイ。
    ↓
 「セーフのセキニンをアキラカにするためにウンドーをやっている。(ジューグンイアンフなる存在の力になることなど、主目的ではない。)」
 を自白させたわけだ。
 もし、「ジューグンイアンフ」なる存在の力になることが優先的な目的であるなら、まず彼らが金を払うはずである。「セーフのセキニンをゴマカソーとするもの。」であるとか、ないとかより、何よりジューグンイアンフなる存在の力になることが目的なら。
 サヨクは1:より2:を選択した時点で自白してしまったわけである。自分の運動の意図を。
 はっきり言えば、サヨクは韓国人戦場慰安婦を自分の政治運動の手駒に利用している実態が明らかになったわけだ。外国人老婆をおだて、テレビカメラの前でさらし者にし政治運動の手駒にしたわけだ。
 「ジューグンイアンフキョーセーレンコー」を喚きたてる運動により、一体誰が利益を受けたのか。
 金を受け取った韓国人戦場慰安婦だった婦人か?違う。彼女らは結局韓国政府や韓国マスコミのからのひどい吊るし上げにあった。
 金を受け取らなかった韓国人戦場慰安婦だった婦人か?違う。彼女らは外国人の売春婦だった過去を、隣近所に知られるハメになっただけだ。
 韓国人戦場慰安婦を自分の政治運動の手駒に利用したサヨクのみが得をした。存分にウンドーをエンジョイし、著作の売り上げを得ることで。
 さて、卑劣で下劣な本性をあばかれたサヨクはどうしたか。答えは簡単、考えないだけだ。
@「ジューグンイアンフ」なる存在の力になるための運動ではなく、韓国人戦場慰安婦を反日政治運動の手駒とした運動であることを、サヨク自ら完全に証明したこと。
@自分が行った運動により、韓国人戦場慰安婦に大量の悲惨をもたらしたこと。
 サヨクはこれらに完全に思考停止する。そして、ひたすらあたかも「ジューグンイアンフ」なる存在の力になるための運動であると、いつまでも思い込みつづける。
 この相対する条件をいつまでも盲信する有り様。愚鈍の境地である。
 自称「善意」が虚構であることを示すあらゆる具体例について何一つ考えない。そしていつまでも自称「善意」を盲信することにより、良心の呵責を感じないですむというやり口。これを得意とするのがサヨクだ。
 これがさんざん悪意をエンジョイしつつ、全く良心の呵責を感じないですむ秘訣なのだ。
4 サヨクは最悪の人間像を完成させた存在
 悪人は、おおむね大なり小なり良心の呵責にさいなやむ。良心の呵責があるがゆえ、悪人にも時に人間らしさが出る。
 しかし、考えることをやめた存在には、何一つ容赦というものがない。「サリン撒くべし」となれば、躊躇なくサリンを撒く。「爆弾を爆発させるべし」となれば、躊躇なく爆弾を爆発させる。「ホラを撒くべし」となれば、躊躇なくホラを撒く。
 俗に言われるように、馬鹿(考えない人間)は最強なのだ。
 サヨクの徹底した卑劣、愚鈍、冷酷、誠意の欠如、及びその有り様に思考停止して自分の自称「善意」を盲信する有り様は、ある種宗教的に解脱した姿を思わせる。
 

-------------------------------------------------------------------
 左翼とは最悪の人間像を完成させたものです!!
 ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099

開く トラックバック(2)

 前記事からの続き
------------------------------------------------------------------
4.責任転嫁
 「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。
 私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代中国が貧困・落後したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。
 また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、中国人の破廉恥な無責任意識のなせるわざである。改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。これはある意味で当然の結果である。こうした無秩序は中国本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。ところが中国はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。
 西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの中国人の不幸、落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。近代中国の没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、中国自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。こうした責任転嫁は、中国文明の優越性に対する固執の表れともいえる。自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、中国人についてこう指摘している。「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。最近、中国駐在の日本人商社関係者が中国人気質について調査をし、以下のような中国人像がまとめられたという。
 「絶対自分の非を認めない。それは中国人が責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。もともと、中国は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ」
          <二人で井戸をのぞくな>
5.人間不信
 中国人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。妻さえ信用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が流行り、当時は中国社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することさえ頻発した。劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。
 中国のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。孫子は「兵は脆道なり」と言った。つまり戦争は詐欺の道だというわけである。中国人気質の最大の特色も「詐」にある。中国人は「詐の民」だという人もいる。親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。
 戦後、日本人は中国人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカード……。自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造するし、どれをとっても日本人の想像を絶するものばかりだ。
 世界中で今大きな問題になっているのは、中国の偽ブランド品である。知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、どんどんコピーをつくってしまう。中国政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。現在の中国は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。今日も中国のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。
 嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、中国人は上から下までだましあっている。政府はマスコミを通じて民衆をだまし、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。中国人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。
6.土匪国家
 この数年来の日本における中国人犯罪の急増はいまや常識といえる。実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人犯罪者で、新手のピッキング強盗となるとほとんどが中国人の手によるものである。石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。
 日本ばかりではない。世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。 シベリアヘの中国人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。
 中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、代わりに二百万の中国人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。台湾では「中国人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。
 九四年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。台湾では有名な事件である。当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。
 中国が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。そうでなければ安全が確保できないのである。現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の中国を特色づけている。九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。
 なぜそれほど匪賊が多いのか。結論を言えばそれが伝統文化なのである。「天下は馬上で取る」「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。易姓革命は、盗賊を正当化する中国の歴史の原理といえる。チペットに対しても、台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。増え続ける密入国者によって中国人犯罪が世界に広がり、かつて白人に恐れられた黄禍が華禍となって、ますます嫌中感情が増幅されることだろう。
7.危険な「友好」
 親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。だが、中国人との「友好」だけは別である。新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。
 戦前、戦後を通して、日本と中国は「友好」と「非友好」に二分されていた。一時、中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。一九七二年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。
 しかし、中国を相手にする側にとって、中国が強調する「友好」ほど不安なものはない。なぜなのか。その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国の側にあり、中国の規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。
 「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。実は中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。 それは歴史を振り返ればわかる。たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。
 だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。中国との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。日本人は中国がたたみかけてくる友好の嵐に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、やがて「日中友好」の滑稽さに気づくことであろう。

---------------------------------------------------------------
 この引用記事をもう一度頭に叩き込みたいと思います。
 日中友好はありえない!!
 ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。
 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。
    https://blog.with2.net/in.php?687099

開く トラックバック(1)


.
敬天愛人
敬天愛人
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(40)
  • 淫乱さんご
  • あゆみ
  • 丸子実業高いじめ殺人判決は大誤審
  • pathvr_machaira
  • バザー
  • こう
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事