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(一度船旅がしたいです^^;) ※人気ブログランキング(政治部門)に参加しています。 まず下記クリックのご協力をお願い申し上げます。 御来訪感謝申し上げます。 昨日の日曜日に時々このブログに登場いただくオジサンが我が家へお見えになりました。 何でも来週の月遅れのお盆には冒頭画像のにっぽん丸のクルーズに参加するそうで済州島と四国周遊の船旅に出るので、ひと足早い里帰りの帰りに寄ってくれました。 オジサンは昭和12年生れの戦中派であり物心ついた頃は戦後が始まり、まだ終戦後10年経つか経たない昭和30年代初めに大学入学と同時に上京し、戦後の日本の復興期を直に目の当りにして来た人であります。 そこで、オジサンが大学に入学した年に生まれた昭和31年生れの不肖敬天愛人が、日本の戦後の歩みについてのオジサンの思いや識見を語ってもらいましたので、下記のように文章に起してみました。 今回は質疑応答の形ではなくオジサン語録をそのまま記録致しました 俺が大学に入るために上京した頃は、まだ東京も今のような華やかな大都会というイメージよりも、戦争で焦土化した街がようやく人の生活や商売も戦争前のようにできるようになったという感じだった。 食料の配給の代わりでもあった『外食券』や、売春防止法施行前でいわゆる『赤線・青線』などの売春地帯も健在の時代だったからね。 当時大学生といえば“出世払いOK”の「末は博士か大臣か」と言われるほど重宝がられた時代だから、いろいろと恩恵を蒙ったもんだよ。 そういう話は置いといて、それでも昭和30年代は折からの朝鮮戦争特需やアメリカのテコ入れもあって、本当にめまぐるしいほどの変化ぶりだったよ。 実際、昭和39年には東京オリンピック、世界初の高速鉄道である新幹線も開通したのだから、神国ニッポンはさすが!と当時思ったよ。 しかし、日本が豊かになればなるほど、それに引き換えシナや朝鮮半島の貧窮はヒドイものだった。 戦後、朝鮮半島だけでなくベトナム・ドイツなど、東西冷戦によって同胞でありながら政治体制の異なる2つの国に分割されるようになった。 本当は日本も危なかったが昭和天皇が御身を挺して国体の解体を防ぐことができた。 このことだけでも天皇のお徳によって日本人は救われているという証を自覚できるよな。 アメリカに安全保障を委ねた日本は東西冷戦時代においても、直接の当事者にならず“戦後復興中なので、我関せず”の立場を貫き通すことができた。 そんな背景もあって、持ち前の技術力を生かして製造業大国としての地歩を固めていくことになった。 当時世界最貧国である旧属国の韓国との間に昭和40年に日韓基本条約が成立し、日本が湯水のように韓国へ金を支払った。 一方、対戦中は山の中に隠れていた卑怯者でしかない中共が支配するシナは 人民が3食の食事にも事欠く有り様だった。 そこで、同じアジアであり隣国の日本だけがめまぐるしく発展するのを見てめまいを覚えると同時に、自分たちを(旧日本軍の)被害者に仕立てることによって俄か成金の日本から金を搾り取ろうとしたんだよ。 しかし、元々日本が侵略したという嘘っぱちは「知性と教養」のある人間は承知しているので、GHQのやり方に便乗して自虐史観を最大限に利用して、豊かになった日本から金を奪い取ろうということになったのさ。 そこに左翼が果たした役割は悪い意味でも大きいと思うよ。 戦後すぐに沸き起こった東西冷戦では日本は西側の立場であり、中露を近隣に置く一応反共の防波堤でもある国内で左翼を正々堂々と標榜することはできず、左翼単独としては支持層を集めにくいから、逆に彼ら(特亜)を利用して便乗しようとしたんだよ。 さらに、朝鮮が考えたのは日本から金を搾り取るためには一番良いのは宗教法人(オカルト)を使うのが最善策と考えた。 国対国、政治団体対政治団体では会計の明朗さや税法の問題があるから、手っ取り早いのは建前上非営利団体であり無課税の宗教法人であれば金を自由に行き来できるというので、訳の分からないオカルト(統一教会等)が出て来たのさ。 いわば資金流通のための『トンネル組織』さ。 日本の利権政治屋にキックバックするにしても、宗教法人を通せば一般人やマスコミの眼を逃れることが出来る。 この記事次回に続きます。 次は核心に迫ります。 乞うご期待! ※人気ブログランキングに参加しています。 下記クリックのご協力をお願い申し上げます。 |

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