根本博元陸軍中将
御来訪感謝申し上げます。
今日は、本当にビックリ仰天したことがあったので、その報告記事を上梓させていただきます。
まずは下記の、約半年前の“イザ”の記事をご覧下さい。
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台湾存立の戦いに貢献した根本博元陸軍中将、台湾国防部公式に功績を認める
配信元: 産経新聞
2010/04/23 01:48更新
(記事本文)
日中戦争後、蒋介石率いる中国国民党と中国共産党との間で中国の覇権を争って繰り広げた「国共内戦」の事実上の最終戦「金門戦争」に参戦し、国民党軍を勝利に導きながら、長年にわたって存在や関与が認められていなかった根本博・元陸軍中将(1891−1966年)について、台湾当局がその功績を公式に認めたことが分かった。終戦直後、邦人保護のために蒋介石が手をさしのべてくれた恩義に報いるべく、密航までして身を投じた日本人将軍の秘話が戦役後60年を経て明らかになった。(安藤慶太)
(記事本文の続き) 関係者によると、根本元中将は福島県出身。駐蒙軍司令官だった根本元中将は、終戦を過ぎても満州や中国での侵攻を止めず、日本軍や在留邦人を苦しめるソ連軍に武装解除を拒否。日本軍守備隊に戦闘を命じて、ソ連軍の攻撃を食い止めながら、居留邦人4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた。
その際、邦人救済を手助けしてくれた蒋介石と国民党軍に恩義を感じ、国共内戦で敗走を続ける国民党軍に報いようと密航を決意。昭和24年、第7代台湾総督、明石元二郎の長男、元長氏(故人)や台湾の共産化に危機感を抱いた「東亜修好会」メンバーの手引きによって秘密裏に台湾入りを敢行した。
密航によって約2週間投獄された根本元中将は、大陸を逃れた国民党軍幹部との劇的な再会を経て、「林保源」を名乗り、中国共産党の人民解放軍との最終決戦となった金門戦争(古寧頭戦役)に参戦。作戦立案が奏功し、二昼夜にわたる戦闘の末、人民解放軍は全滅した。これが、共産化を防ぐことにつながった。
蒋介石と根本元中将とはその後も交流が続いた。最近米国で公開された「蒋介石日記」にも根本元中将に関する記述があり、蒋介石が心から信頼していた様子が読み取れる。しかし、台湾でも根本元中将の存在はもちろん、功績が認められることはなかった。金門戦争勝利への日本人の関与が明らかになることは大陸から渡ってきた蒋介石ら「外省人」が、「本省人」を支配するうえで邪魔だったためとみられる。
しかし、戦役後60年目の昨年10月、「古寧頭(こねいとう)戦役六十周年記念式典」へ根本元中将の関係者らの出席が認められ、台湾の国防部が公式に謝意を表明、初めて功績がたたえられた。
一連の事実をノンフィクション「この命、義に捧ぐ」(集英社刊)にまとめ、近く出版を予定しているジャーナリスト、門田隆将(りゅうしょう)氏は「台湾・国軍の日本人軍事顧問団『白団』は1990年代になってやっと存在が認められた。根本氏の渡台は白団よりも前。今の台湾の存立の戦いに“義”のために生きた日本人の奇跡的な活躍があり、それが歳月を経て正当に評価を受けたのは感慨深い」と話す。(イザ記事より)
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根本中将については、今年の8月15日にフジテレビ系でドキュメンタリータッチの特別番組が放映されたこともあり、御存知の方の多いかと思います。
不肖敬天愛人は、恥ずかしながら、以前にどなたかのブログで根本中将を取り上げた記事を斜め読みした程度で、偉大な武人として名前だけを記憶に刻んだレベルでした。
すでに終戦後4年も経った時代にもかかわらず、義のために命懸けで台湾で中共人民解放軍と戦った旧日本軍人が居た事に非常に驚いたことが印象に残りました。
さて、本題です。今日の午後、子供の頃にすぐ近所に住んでいて、まさに鼻を垂らしていた頃からの付き合いである幼馴染と会うことができました。
しばらくの間、彼の夫人も交えて、ジャンルを問わずよもやま話に花を咲かせていたのですが、何かのきっかけで台湾の話題になり、彼が「そういえば・・・」と言いながら、引用記事にもあります、「この命、義に捧ぐ」(門田隆将著 集英社刊)の新聞広告記事の切抜きを敬天に見せてくれました。
「この本の写真に出てる根本中将って、おふくろの叔父さんにあたる人なんだ。本も読んだよ」 彼のおふくろさんは、当地の近在の出身です。
「ということは、根本中将は地元の人なのか?」
「うん、そうだよ。オレの母方の祖母ちゃんの弟なんだ」
「ナニッ、本当か???」
のやり取りがあったのですが、確かに根本中将は旧福島県岩瀬郡仁井田村、現在の福島県須賀川市仁井田の出身であります。幼馴染の大叔父にあたるのは間違いないようです。
なぜ、敬天が驚いたかというと、幼馴染には悪いのですが、彼がこんな偉大な武人と血がつながっているとは到底想像もつかないようなタイプの男だからです。
また、同時にこれほどの偉人が地元の出身であることにも深い感銘を受けました。
敬天の地元のすぐ隣町出身では、現代の偉人田母神俊雄元統合空幕長がいらっしゃいますが、武人の生まれる土地柄なのでしょうか。
共に郷土の誇りであります。
『白団』の存在も含めて、根本中将の存在が一般にあまり知られることがなかったのは、引用記事にある通りと思います。
また、人気ブログである「東アジア黙示録」http://dogma.at.webry.info/201008/article_5.htmlでは、「この命、義に捧ぐ」の内容を引用しながら、詳しく取り上げていらっしゃいますので、紹介させていただきます。
台湾つながりでいえば、当地には明治時代に医学校が開設されていた時期があったのですが、台湾総督府民政長官を務めていた事もある後藤新平が一時期学んだ学校でもあります。
取りとめもない郷土の自慢話になってしまいましたが、郷土の先人に恥じぬよう精進してまいることをお誓いして、報告記事とさせていただきます。
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