仙谷の顔は公序良俗に反するので割愛しました
御来訪感謝申し上げます。
この記事は、今現在“戦後の総括”シリーズ記事でテキストとして使わせてもらっている「左翼がサヨクにさよく時」サイトに余談話として載っていたものを、息抜き記事として紹介させていただきます。
自分たちは賢いと勘違いしている左翼秀才たちが陥る病理現象を、なかなか言い得て妙、的確に核心を突いて看破しています。
尚、アカい人たちの話なので赤い文字を使わせていただきます。
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余談:社会主義者は勉強して馬鹿になった人間[病理:共産趣味]
勉強すると賢くなる。
人々は、そう思うだろう。むろん正しい場合が多い。しかし、馬鹿になる場合も有る。
晦渋な数式や用語の暗記を著しく繰り返すと、人間は正常な感覚が麻痺してしまう。馬鹿みたいに何度も暗記し、集中して偏った思想を丸覚えしすぎれば、モノが考えられなくなる。
過度な学習の繰り返しや丸暗記は、論理構築力を退嬰化させる。
宗教には、意図的に馬鹿になる修行もある。たとえば、写経、経文の暗記や繰り返しである。これは馬鹿になるが、意図的に馬鹿になっているのであり間違いではない。賢くなることは、煩悩の増大に通じる。それを阻止するために、時に馬鹿になってみるのも良かろう。賢ければいいというものではない。正しいことこそが重要なのだ。
中卒で若いときから働く人間に、理路整然とした的確な真理を話す人間が時折いる。論理的で、創意工夫にたけた人間。若い時に学習能力を訓練する機会を得ることが無く、思考能力に長けた人間だ。松下幸之助氏や、田中角栄氏のような。
逆に大学でミョーな詭弁と思想を吹き込まれ、それの再現を極めて的確にこなすが、ほとんどまともな論理を構築できない人間もいる。学習能力に長じ、思考能力に劣る人間だ。ほとんどのサヨク学生などがこれだろう。
前者はいわゆる学校での勉強をしなかったから賢者となった。後者は学校の勉強をたらふくやって、馬鹿になった。
勉強をしすぎると馬鹿になる。子供のころの勉強は、程々がいい。勉強しすぎないと入れない学校には、入らないことだ。無茶な勉強をしなくとも合格できる学校を受験すればよい。
余談:とにかく勉強しなけりゃ解らないのは馬鹿
サヨクはここで記している「社会主義は、公的に所有された生産手段を管理する存在もまた搾取を行うからだめ。おわり。」という、単純な言い回しを何一つ検証せず(すなわち思考停止し)、筆者をフベンキョーとかのししるだろう。実は、このフベンキョーという指摘は正しい。筆者は社会主義はもとより、サヨクについてすら専門的に学んでいない。本ページ自体が、嫌がおうにも入ってくるサヨク情報と、いくぶんかの著書から論じたものにすぎない。
かといって、勉強しないとサヨクや社会主義について論じることはできないといえるか。そうではない。サヨクや社会主義について論じることは可能だし、間違っていると断定もできる。
それはなぜか。
例えば、筆者は、オウムの教えについて詳しくは知らない。にもかかわらず、オウムは間違っていると断定する。これは筆者に限ったことではない。多くの民衆もオウムの教義など知らないが、筆者同様にオウムは間違っていると断定する。
なぜ、筆者を含む多くの民衆には断定が可能か。それは多くの民衆には、普通の人間がもつべきあたりまえの常識があるからだ。
オウムに入信しなくてはオウムの価値は分からないなどと考えるのは、馬鹿だ。入信しなくとも、いかがわしい宗教であることは分かるのだ。物事全てにおいて専門的にベンキョーしないと解らないなどと考えるのは、底無しの愚者だ。専門的にベンキョーなどしなくとも、常識のある人間なら、くだらないものはくだらないと一瞬で判断ができるのだ。
鼻糞丸め学とか、なべのフタ重ね日本一とか、キャベツの薄切り名人とか、オウム真理教とか、社会主義とか、こういったシロモノを常識のある人間なら一瞬でくだらないと判断できる。いちいち鼻糞丸め学を何年も勉強などしなくとも。
この判断を可能とするのが、常識なのだ。サヨクに欠如しているのは、まさにこの常識なのだ。
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だから、中共や北朝鮮がやっていることの異常さや残虐性の是非も判断できないで、媚を売ったりできるのですね。
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