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     当時描かれた横須賀明細図  

 御来訪感謝申し上げます。
 昨日の記事の続きで、司馬遼太郎『明治という国家』からの引用です。

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 結局、ロッシュと相談の上、日本の生糸をフランスのみに売る、それを1ヵ年60万ドルとして4×24、4ヵ年で皆済する、という計算をたてました。ところが、英国はじめ各国が、じゃ日本は生糸をわれわれに売らないのか、それじゃわれわれはなんのために日本と通商条約を結んだのだ、という騒ぎになって流れてしまい、あとは小栗が四苦八苦しました。一時は、フランスから600万ドルの借款をしようということになりましたが、借款はフランスのほうでもうまくいかない、日本も、外国から大きな借金をするのはまずいということがあったりして、これも流れた。このあと、小栗は脂汗を流して支払ってゆき、あと50万ドルというところで、幕府が瓦解した。ドックは、フランスの会社の抵当に入った。
 新政府はそれをひきつぎ、維新早々、大隈重信がかけまわって、横浜の英国系のオリエンタル・バンク(英国東洋銀行)という銀行から、英国公使の口利きで、55万ドル借りてやっと抵当をとりはずすさわぎになった。英国系のオリエンタル・バンクのこのときの利子が15%という大変な高利でした。きついものですな。このサラ金なみの高利は、日本に抵当がなかったこと(敬天註:司馬は触れていませんが、横浜税関の関税収入を担保に入れた、とも言われています)、新政府が―つまり明治国家が―いつまでつづくかという点で信用がなかったことをあらわしています。
 金の話が出たついでに申しますと、明治国家は、貧の極から出発しました。旧幕府が背負った外債ももちろんひきつぎました。あらたに明治国家は借金もしました。それらを、貧乏を質に置いても、げんに明治・大正・昭和の国民は、世界中の貧乏神をこの日本列島によびあつめて共にくらしているほどに貧乏しましたが、外国から借りた金はすべて返しました。
 「国家の信用」
 というのが、大事だったのです。
 私は1987年の春にロンドンに行って、そこで、ラテン・アメリカのある国が、先進国から借りた金、これは返せません、ということをわざわざ記者会見をして言明した、ということをきき、明治国家を思って、涙がこぼれる思いでした。律儀なものでした。
 これは、自画自賛しているわけではありません。
 第二次世界大戦後、たくさんの新興国家ができ、借金政策で国をやっている処が多く、しかも堂々と返さないといったような国もいくつかあります。
 それらとは、時代がちがうのだ、ということを言いたかったのです。
 19世紀の半ばすぎという時代において、古ぼけた文明の中から出て近代国家を造ろうとしたのは日本だけだったのです。そのことの嶮しさ(敬天註:けわしさ)をのべたかったのです。いったん返すべきものを返さなければ植民地にされてしまうのです。でなくとも、国家の信用というものがなくなります。国家というのも商売ですから、信用をなくしてしまえば、取引ができなくなるのです。信用がいかに大事かということは、江戸期の人達も、その充実した国内の商品経済社会での経験で、百も知っていたのです。
         (途中略)
 小栗は、もはや幕府が滅びてゆくのを、全身で悟っています。貧の極で幕府が亡んでも、あばらやが倒壊したのではない、おなじ売家でも、あのドックのおかげで、“土蔵つき”という豪華な一項がつけ加えられる、幕府にとってせめてもの名誉じゃないか、ということなんです。
 小栗は、つぎの時代の日本にこの土蔵が―横須賀ドックが―大きく役立つことを知っていたし、願ってもいたのです。
 小栗は、
 「明治の父」
 であるという言い方は、ここにおいて鮮やかに納得できると思います。このドックは、明治国家の海軍工廠になり、造船技術を生みだす唯一の母胎になりました。
         (途中略)
 明治国家というのは、江戸270年の無形の精神遺産に上に成立し、財産上の遺産といえば、大貧乏と借金と、それに横須賀ドックだったということを話したかったのです。
 さらには、明治国家が、1セントの外貨の手持ちなしに成立した国家であることも、わかって頂きたかったのです。
 (“明治という国家”−第2章「徳川国家からの遺産」より抜粋引用) 

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 途中略した箇所は、「話は横道にそれますが・・」とその時どきの逸話などの部分です。
 不肖敬天愛人も、読んでいて、涙までこぼれないにしても目頭が熱くなる思いでした。
 「明治・大正・昭和の国民は・・・・・・・、外国から借りた金はすべて返しました」という部分で、戦後の日本の凄さも思い出しました。国土が空襲や原爆などでそこらじゅう焼け野原と化した状態から立ち上がり、敗戦国として巨額の賠償金を支払いながらも、わずか20年足らずで東京五輪を開催するなど一躍国際舞台に躍り上がりました。
 日本が先の大戦に負けた時、旧ソ連の高官は「日本は必ず20年で復活する、それが日本人の底力だ」と言った通りでした。
 司馬遼太郎は本文の中で、日本がアジアのなかで、唯一いち早く近代化できたのは、江戸時代における、支配層である武士階級だけでなく、庶民までもが実学として読み書き・そろばんなどを、その70〜80%が習得していた教育レベルの高さが、他のアジア諸国に無い日本人の素養にあったと言い、その背景には「江戸日本の重要な特徴は、日本が圧倒的な商品経済(貨幣経済)の沸騰の中にあり、農村の商品生産者たる富農層、問屋制によってステロタイプに等質に高い商品をつくりだす町人層、それらを日本列島すみずみまで流通させる海運業者など」が存在する先進社会だったことにあると言及しています。
 つまり、後進であるアジアにおいても、すでに先進国の体をなしていたという事実です。
 これらの様々な根本的な条件が重なって、アジアで唯一列強の仲間入りが出来たのです。
 その誇るべき遺伝子(DNA)はまだ現代日本人にも受け継がれていると思います。
 先人の血の滲むような努力と律儀さに思いを馳せれば、我々はまだまだ恵まれすぎています。

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 御来訪感謝申し上げます。
 今日の敬老の日を以って3連休も終わりですが、連休の休日なので昔のことを記事にしたいと思います。不肖敬天愛人が20年ほど前に購入して読んだ本「明治という国家」(司馬遼太郎)から、幕末期の幕臣小栗忠順について書かれている部分を引用します。

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 ときに(幕末期)、幕府はフランスと仲がいい。
 じつはフランスは、フランス革命のあと、革命政権がすっきりと継続していたわけではないことはいうまでもありません。革命のあと、ナポレオンによって思わざる帝政になった。ナポレオンが失脚したあとも、ジグザグしています。王政復古もありました。そして共和制の時代もありました。じつをいうと、日本へペリーがやってくる前年の1852年、フランスでは、ナポレオン一世の甥のナポレオン3世が、人民投票によって皇帝になり、“第二帝政”をはじめたのです。ナポレオンは、国内の人気を維持するために、ショーのように派手な外交政策や植民地増やしに熱中しましたが、あらたに国をひらいた日本と手をにぎることで、国内の話題を華やかにしたかったようです。
 いっそ日本を奪って、フランスの植民地にしよう、などという気はなかったようです。
 英国もそのようでした。それは不可能だからだったのでしょう。徳川日本はよく統治されていた上に、徳川家および二百数十の大名が、旧式軍とはいえ、秩序整然と武を擁していたからで、いかに小国といえども、こんな日本を万里遠征の海軍が攻め取れるはずがありません。しかし、当時の日本人のほとんどが、外国が日本を攻め取ってしまうという共通の恐怖をもち、恐怖以上に強烈な反発感情をもっていました。
 そのことはともかく、小栗(忠順、上野介)は、フランスが、英国が競争相手として日本をめぐって外交上の華を咲かせたいという、いわば花だけで、さほどに実質的な野心をもたないという底意を、どうやらわかっていたように思えます。
 小栗は、かつて見たアメリカの政体は、日本にはとても無理だ、と思っていました。それにひきかえ、ナポレオン3世のフランスの政体は、十分参考になると思いました。フランス人も、「わが国の皇帝制を参考になさい」といったはずです。「そして郡県制をどうぞ」ともいったかと思えます。
 幕末、対外的な公文書では、徳川将軍家は「日本国皇帝」でした。
 ここで申しておかねばなりませんが、ここに国が千あれば千通りの政体(system of govern-ment)の歴史があります。そっくりという国は、地上にはありません。歴史は科学のように法則的に変化するというマルクスの歴史観のあやまりは、ここにあります。
 フランスと日本は、歴史からしてごっそりちがうのです。ですから、ブルボン王家と天皇家を同じにみたり、ナポレオン1世の帝政と日本の武家政権とおなじに見たりすることはできません。しかし目的あって何かを言おうとするとき、強いてイーコールをつけてゆけば、徳川将軍家を、フランスのナポレオン3世と同じだとみて、あらためて将軍家が内政的にも日本国皇帝になり、あるいは大名会議の議長になり、そのことによって大名制度を廃止し、郡県制にもってゆけばどうか。 
 この研究は、小栗を中心に私的に研究されました。
          (途中略)
 当時、世界に航海する船をもつことが、近代国家の最低の条件とされていました。物を輸出するのに、商船を必要とします。商船はその船籍の国の旗をかかげていて、その国から―つまり母国から―保護されていることあらわしています。さらには、遠くへゆく船は法的にはその国の主権の延長でもあります。その背後にある国家主権には、商船への保護能力の実体として、商船という手形の信用の裏判として海軍を備えることが必要だったのです。海軍は、19世紀の近代国家の必須の条件でありました。でありますから、勝海舟も、幕臣身分でありながら、神戸の地に、私立の海軍塾をひらき、諸藩の士や浪人を塾生としてあつめて教えていました。ここに入って塾長になったのが、土佐藩脱藩浪人坂本龍馬でした。
 ― 勝は、不穏な考えをもつ浪人をあつめて塾をひらいている。
 という疑いが幕府にあったり、いろいろなことで、やがてこの塾は寿命短く閉じることになります。龍馬は勝の志を継ぎ、長崎で浪人結社亀山社中、次いで薩長土それに越前の四藩の出資より成る一種の株式会社「海援隊」をおこし、遠洋海運業を志すとともに、私立海軍の実質を高めようとします。諸藩も、西洋式風帆船などを購入し、あるいは佐賀藩のように蒸気船をつくったり、薩摩藩のようにそれを数隻そなえたりして、海軍や海運を興そうとします。ただし、みな小規模のものです。
 小栗は、雄大なものを興そうとしました。
 そのためには、製鉄所や鉄工所や船台(ドック)つまり造船所を持たねばなりません。持つからには、世界的なレベルのものを持たねばならない。
 かれは、その地を相模国横須賀村という無名の村にえらび、慶應元年(1865)3月から6ヶ月かけて三つの入り江を埋め立てました。
 構想は大きいんですが、金なんかないんです。
 日本の外貨は、生糸とわずかに茶でかせいでいます。物産といえば絹と茶だけ。
 それに、開国でもって国際経済社会に入ってから、国内経済にいろいろな矛盾が生じて、物価高、あるいは人心不安といったように、病気でいえば高熱のさなかです。その不安を、長州人や脱藩浪士たちが煽っています。その煽る方の側に、勝もいる、と江戸幕府のほうでは見ていました。
 その上、長州征伐という大きな出費で、幕府の財政は火の車でした。そういう大変な時期に、金なしで小栗はこの大構想をすすめはじめた。
 むろん、財政にあかるい小栗のことですから、明快な成算は立っています。
 げんにこの時期、小栗は勘定奉行―大蔵大臣―と海軍奉行―海軍大臣―と兼ねておりましたのは、この一大プロジェクトのためだったのでしょう。
 それにしても、計画が大きすぎる、いまでいえば、スリランカのような国が、富士製鉄(現、新日鉄)という大工場をいきなり興すというか、貧も底をついたような徳川国家にとって、背負いきれない大荷物ですね。
 なにしろ予算は220万ドルというべらぼうなもので、4ヵ年計画ですから、これをたった4ヵ年で払わなければならない。
 ちょっと言い忘れましたが、この横須賀ドックとその付属設備―幕府はどういうわけか、製鉄所といっていました―は、フランスの有名なツーロン軍港(伝統的にフランス海軍の本拠地)の規模に近いものだったようです。時のフランス公使ロッシュと話しあった末に生まれた計画です。とにかく金がかかる。 (つづく)

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 幕末の幕府重臣の小栗上野介が、仮に幕府が滅んでも「土蔵付き売り家」として名誉を残せるとして、次の政権へ引き継げる財産である「横須賀海軍工廠」を作る経緯についてのくだりです。太線部分を見てもお解りのように長年積み重ねられて来た土台がなければ国を守る事も、短期間に近代国家に生まれ変われることも出来なかったことが良く解ります。次回は、金もないのにどうやって凌いだか、また、金にまつわる日本の「(国際社会における)国家の信用」を得る、幕末から明治まで連綿と繋がっている日本人の矜持について記述している項をもって、まとめの記事とさせていただきます。

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 御来訪感謝申し上げます。

 昨日の組閣人事の顔ぶれを見て、絶望感に浸った方が多いと存じます。
 今朝の新聞であらためて17閣僚の写真やプロフィールを覗きましたが、旧民社党系2名、旧社会党系5名なども含まれています。
 全体的にはどれもパッとしない顔ぶればかりで、オーラや華のある人物は一人としていません。当たり障りの無い表現でいえば「地味」、踏み込んでいえば「分不相応」としか思えない顔ばかりです。当たり前ではありますが、官僚出身者は総務大臣の片山以外いません。ほとんどが国家観に欠けた学生運動崩れのエセ左翼の集まりであります。
 さて、どういう物差しを基準に選んだかは、民主党とは全く縁の無い不肖敬天愛人には知る由もありませんが、想像するに、今回菅直人が党代表選に勝利するに多大な貢献をした勢力の意向にかなう人材を中心に、仙谷と刷り合わせをしながら人事を決めて行ったのでしょう。
 多くのブロガーが指摘していますが、在任中何かと問題を引き起こした元鳥取県知事の片山善博と円より子とならんで朝鮮半島第一の岡崎トミ子が閣僚入りしたことで、その背後関係をほじくり出すヒントが隠されているようです。
 前々回の記事「謹んでお詫び申し上げます」で書いたように、小沢が負けた原因は民主党の強力な支持勢力(党員・サポーター)である半島勢力(民団・朝鮮総連)が小沢のあまりに屈中傾向に不安を抱いた結果、「菅談話」に見られるような朝鮮半島に限定した謝罪を明言した菅に支持が回ったためと思います。
 
 日本が中共に併呑されるのを最も恐れているのは、実は在日韓国人・朝鮮人だろう、という印象を常に持っていましたから、その印象からすると辻褄が合って来ます。
 また、北朝鮮の金王朝にシンパシーを感じている片山と、現役の国会議員でありながら韓国の反日デモに恥も外聞も無く参加する異常な神経を持っている岡崎が入閣する事態になったことでも整合性が取れます。
 岡崎トミ子は韓国や民団にとってはこの上ない援軍であり、現職の代議士が在韓日本大使館への反日デモに参加した功績は何よりも評価すべきであり、その功績を以ってしても閣僚に抜擢しなければならない人物であったのです。
 しかし、まさか「国家公安委員長」に選ばれるとは、さすがの敬天も開いた口が塞がりませんでした。少子化対策にしても反日運動に身を捧げ結婚もせず子供も生まなかった女が就く席でもありませんし、あくまでも「国家公安委員長」に就かせるのが目的だったことは間違いないでしょう。
 そうすると考えられるのは、これから我々日本を愛する保守勢力への弾圧を拡大することでしょう。売国を目的としている民主党にとっては国内の保守・愛国勢力は目の上のたんこぶです。このたんこぶを除去するのには岡崎トミ子が適任だと判断したのです。
 警察権力のお目付け役である国家公安委員会のトップに据えて、日本人差別を今後徹底して行おうという魂胆でしょう。
 おそらく、これからは在日韓国・朝鮮人に何かひと言でも意に沿わない言動を発すれば、「民族差別」を旗印にした、現実は「日本人差別」の姿勢で国内の保守勢力を潰しにかかることが間違いないでしょう。
 いよいよ、日本の伝統と文化・歴史をこよなく愛する“純日本人”の受難の歴史が始まろうとしています。

 どんな迫害や弾圧にあっても日本人としての矜持と誇りは命をかけて守っていきたいと思います。



新内閣は朝鮮半島の傀儡政権です!!
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ニッポンの価値観とは

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        只見川とJR只見線(9月15日撮影 by敬天)  

 御来訪感謝申し上げます。
 元々底意地の悪い不肖敬天愛人ですが、最近、歳とともにますます性格がひねくれてきました。 『一言居士』という言葉がありますが、あまり良い意味で使われる言葉じゃありません。「(誰も望んでいないのに)何か自分の意見を言わないと気が済まない人」ということから転じて「うるさ型」「はた迷惑な人」などを指す場合が多いようです。
 
 下品な下ネタ話のようで恐縮ですが、敬天愛人は若い頃から「下半身が立た(勃た)なくなると口が立つようになる」という持論を持っていました。20代から30代にかけて散々うるさ型の年寄り連中から説教を喰らった経験から得た持論であり、「自分は、歳をとってアソコの元気がなくなっても、決してあのようにはなるまい」と心に誓って今まで生きて来ました。しかし、お蔭さまでまだ下半身の方は健在なのですが、持ち前の性格の悪さと歳を重ねて図々しくなったせいなのか新聞やTVを見ていても、つい喰い付きたくなるようなことが多くなりました。
 先日も新聞に“菅新体制に望む事”と題したインタビュー記事で、財界から日本商工会議所の岡村会頭(東芝顧問)が「ベンチャー企業が活発に起業できる環境作りを・・・」と語っているのを読んで、思わず「お前が言うな!」と独り言でツッコミを入れてしまいました。敬天にしてみれば、一代で現在の会社を作り上げたような人物が言うのなら聞く耳ももちますが、今の財界はごく一部を除いて戦前からあるような押しも押されぬ老舗大企業ばかりです。トップといってもサラリーマンのいい意味での成れの果てなのです。岡村会頭の母体である東芝もその典型で、会頭自身も一流大学を卒業して東芝に入社して社内出世した人であります。つまり、起業のリスクなどとは全く別世界にいて安定した生活を保証された身分のまま這い上がったわけです。
 そんな人間が財界の威光を盾にして、対岸の火事よろしくエラそうに講釈たれる筋合いがあるはずがありません。こういうのを「お門違い」と昔からいうのです。
 敬天は、公的に広く物申す時は自分の通って来たことしか言ってはダメだ、と教えられてきました。自分が通ってもいない事を人様に対して発言することは「発言に責任を持つことが出来ない」つまり無責任な行為となるからです。
 東芝という日本を代表する企業で功成り名を遂げ、商工会議所の会頭にまでなった日本財界のリーダーの一人である人物がこんな体たらくですから、政界のリーダーたちも押して知るべしの次元の輩ばかりになるのも無理のないことなのかもしれません。
 日本の劣化が叫ばれて久しいですが、社会のリーダーたちもこの程度になってしまったのですから、救いようがありません。

 話を少し変えますが、産経ニュースにこんな記事が載っていました。

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  【外信コラム】上海余話 揺らぐニッポンの価値観
2010.9.16 02:32 産経ニュース:外信コラム
 「中国市場で日系メーカーの競争力は数年のうちに失われるのではないか」
 こう言って苦悩の色をみせたのは上海に工場を構える機械部品メーカー現地法人の社長だ。日本の本社工場から最先端の技術を持ち込み、対中進出している外資系企業に売り込んできたが、「どの顧客も最先端の技術より、何世代も前の低い性能の部品を安く求めるようになった」からだ。
 日米欧への輸出基地として価値を生んだ「世界の工場」から、13億人の消費者をターゲットとする「世界の市場」に変貌(へんぼう)しつつある中国。一部の高価な製品を除けば、日本が誇った高い技術は顧客から逆に「過剰品質」とみなされ、敬遠されるようになってきた。
 この部品メーカーの社長の不満は本社の技術部門に対する“硬直性”に向けられていた。顧客が求めた10年前の製品を中国で作ろうとしたところ、本社工場から「技術的に不可能」と拒否された。最先端を長年求め続けてきたあまり、性能的に後戻りする製品の生産技術が社内から失われていたというのだ。
 良いモノさえ作れば売れる、と信じて前だけを見て走ってきた日本企業。このメーカーに限らず、ニッポンを世界に押し上げた価値観が、世界の主戦場となった中国市場では、皮肉にも足を引っ張る要因になり始めている。(河崎真澄)

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 敬天の大学の大先輩である自動車評論家の徳大寺有恒氏は「トヨタは世界で初めて故障しないクルマを作った。だからトヨタは世界中で受け入れられた」と仰っています。自分自身、30年以上前からトヨタのクルマはかなりの数を乗り継ぎましたが、消耗部品の寿命による不具合を除けば故障らしき故障とは出会いませんでした。一時、スバルの水平対抗エンジンが気に入ってレガシーに乗っていた時期がありましたが、時々予期せぬ故障に出くわして閉口した経験が何度かありました。
 日本国内のように民間整備工場が至る所にあり、(天下り利権の温床ではありますが)車検制度が整った社会であれば、多少の故障は歩留まりの範疇といえるのでしょう。
 しかし、トヨタが米国進出での苦い経験を足がかりにして世界市場に飛び出そうとした時の世界の状況は、欧州の自動車先進国を除いては、クルマのメンテナンスを期待できる環境にはほど遠い国(=クルマを作れない国は修理もできない)が圧倒的でした。それであれば、欧米に比べてブランドも無かった当時において、世界市場を攻略するには「故障しない」クルマ作りを目指す戦略しか選択肢はありません。先進国であった欧米でも成し遂げる事が出来なかった事を、「モノ作りに妥協は許されない」という極めて日本人的な職人気質で現実にしたわけです。
 日本列島は、北は北海道から南は沖縄まで、冬場の気温差が30〜40℃もあるような、まるで世界中の気候を一国で体現できる環境にあったことも幸いして、世界中のどこの地域にも適応できるクルマ作りが可能だったことも、トヨタだけでなく日本車メーカーの強みであったことが、日本車の信頼と同時に信頼からくるブランドを勝ち取る最大限の武器となりました。
 敬天が何を言いたいのかといえば、これこそが、まさに「ニッポンの価値観」ではないのかということなのです。
 経済とは、簡単にいえば「需要と供給」の原則であります。「需要」とは現状求められているものであり、求められているものに対応するのが「供給」である、というのがこの原則なのです。 勘違いし易いのは「需要」を「必要とされる数量」、「供給」をその「必要とされる数量を生産・供する」と考え違いの理解をしていることです。
 アメリカや英国、ドイツ、フランスなどの自動車先進国がブランドと自分たちの奢り昂ぶった尺度に胡坐をかいている間に、日本メーカーは「クルマ社会のインフラが整っていない」圧倒的多数の世界市場が求める「需要」を創出したわけです。
 その象徴としてトヨタは世界一のメーカーに登りつめたのです。
 この引用記事に全面的に賛同するものではありませんが、「良いもの」と「必要とされるもの(=需要)」は必ずしも一致しないという現実は、過去に敬天自身も痛いほど味わいました。
 日本再生のためにも、もう一度原点に戻って「ニッポンの価値観」を見つめ直す時期に来ていると感じるのです。これは何もモノづくりに限ったことではありません。
 政治、経済、文化、伝統、すべてにいえることだと思うのです。


「ニッポンの価値観」って何だったけ?と、もう一度原点を振り返りましょう!!
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 御来訪感謝申し上げます。
 皆様御承知の通り、亡国政権の新しい長には菅直人が選ばれました。
 昨夜の記事で「小沢が絶対に勝つ。ヤクザは負ける喧嘩はしないはずだ」と大見得を斬りましたが、不肖敬天愛人の予想は見事に粉砕されました。
 かぐやひめ姐さんからの御指摘を受けるまでもなく、肝心な時の敬天の予想は大ハズレになる傾向にあります。
 このへんが無学無才の敬天の限界でもあるのでしょう。正直いうと今夜は更新をすっ呆けて自棄酒でも呑んでいようかとも思いましたが、「恥ずかしくて記事更新ができないのだろう」という声なき声がどこからともなく聞こえてきて、せめて“お詫び”の記事くらいは御来訪の皆様に上梓しなくては、申し訳が立たないと恥を偲んで書かせていただいております。
 あらためて、謹んで自らの不明を深くお詫び申し上げます。
 こんな失態を繰り返すようでは、皆様にご迷惑をお掛けするばかりなので、今後は当ブログにおいて敬天如きの浅慮なる予想を控える事をお誓い申し上げます。

 さて、ここからは代表選結果への感想と予想を外した言い訳をさせていただくことをお赦し下さい。

 まず最初に感じたことは、やっぱり民主党の支持者(サポーター)は見事にマスコミの扇動に左右されている連中で構成されているのだな、ということでした。
 これでマスコミは「してやったり!」とほくそ笑むと同時にますます自信を深めたと思います。小沢はマスコミの世論調査(世論誘導)とは真逆のネット上での自分への支持に活路を見出していたようですが、残念ながら民主党というコップの中の争いではマスコミが作り上げた世論に洗脳された党員・サポーターの数が圧倒的に多かったという現実に歯軋りしていることでしょう。
 でも元はといえば、過去からの民主党とマスコミの共同戦線によるいわゆる情報弱者(自分の頭では考えない)に対する洗脳工作の効果であったことは疑いの無い事実ですから、結果的には自業自得というべきでしょう。そして、昨年のシナへの大朝貢団を引き連れての隷属外交姿勢、不遜にも天皇陛下を政治利用するかのような態度、なども身内の支持者の不安を駆り立てたのではないでしょうか。
 我々保守派からは到底理解できない心理ですが、「(併合した)韓国には罪悪感を感じるが中国にはそれほど罪悪感を感じない」という人たちが多い民主支持者にしてみれば、小沢が中共の胡主席相手にとった屈辱的な態度にも反感を覚えていた人間も多かったと思います。
 マスコミは決まったように一様に「政治と金」を小沢の敗因としていますが、それが決め手なら、小沢が幹事長を辞して菅体制で臨んだ参院選で民主が敗北したことの説明がつきません。
 在日韓国・朝鮮人がかなりの数を占めているといわれる民主党の党員・サポーターの実態を考えると、朝鮮半島に屈従するのは歓迎するが、小沢のような隷中的な姿勢には不安と恐怖を感じていたのではないでしょうか。これも万年属国民族の屈折した心情でもあります。
 しかしながら、在日韓国・朝鮮人の思惑とは別に民主党は典型的な隷中・売国政党なのです。菅が引き続き政権を担うことになったからといって彼らが安泰である保証など万に一つもありません。いずれは中共の目論みによって「こんなはずじゃなかった、これでは北と同じではないか」と嘆く事態になることは眼に見えています。
 だから朝鮮民族は愚かだというのです。戦後、左翼は在日を散々利用して来ました。
 それは、表面上はともかく、決して在日や半島の人々のためではなく、あくまでも日本の伝統と文化を毀損し最終的にはシナのような共産革命を日本でも起そうという、目的のために在日を利用してきたに過ぎないのです。
 目先の「外国人参政権」や「在日特権」に惑わされて民主党を「親韓」と勝手に思い込み勘違いして支援して来たツケは近い将来、イヤというほど払わされるでしょう。
 菅だろうと小沢だろうと、民主党が見ている眼の先にあるのは朝鮮半島ではなく、中共なのです。中共と日本の合体が反日左翼政権の目標であるのです。
 
 在日だけではありません。沖縄も同じ立場なのです。以前記事にも取り上げましたが民主党の”沖縄ビジョン”の目指すものは、沖縄を旧琉球王国同様にシナの支配下に戻す事なのです。朝鮮半島の北半分はすでに柵封時代と同じ状況になっています。
 南半分の韓国も、このまま行く(民主党政権が続くと)と確実に北と同じく、元の木阿弥のシナ属国となるでしょう。
 100年前の歴史をもう一度真摯に史実を辿って振り返ってみれば、良く解るはずです。

 民主党とは何の関係も縁もない敬天は、今回の代表選はただの傍観者でしかありませんでしたが、民主党とマスコミと官僚の三位一体の連係プレーには、正直畏れ入りました。
 
 小沢・菅、どちらが選ばれても日本にとっては最悪の事態を招くことは容易に想像できます。
 こうなったら、衆愚政治しか生まない現在の民主政治なら、保守軍事独裁体制でもかまわないというグレた思いになっています。


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