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30年以上前、都内の私立大学の経済学部の学生だった私は、不良学生の典型であまり授業に出ず、大学に行くのは同じ大学に通う当時付き合っていた女子学生と会う時か、どうしても受けなくてはならない授業がある時ぐらいでした。 したがって、遊び人の不良学生が経済を専攻したと言っても『不経済学』を専攻したと言った方が正しいかも知れません。 生来が勉強嫌いで、理論的な思考など持ち合わせていない自分が大学に進んだのは、まだ社会に出る事が怖かったのと、大学で思いっきり自由を満喫したいという事でした。 実際、進学した大学は都内では良家の子女が学ぶお坊ちゃん学校で、世田谷の高級住宅街にある、女子学生が約6割を占めるお花畑のような私大でした。 しかし、地方出身の田舎学生ですから仕送りだけでは遊ぶ金に事欠き、夜の街でアルバイトをしたりして、いろいろな大学の学生と知り合いになり、一緒に酒を呑んで語りあったりしました。 当時は学術分野では左翼志向が大勢をしめ、経済学も『マルクス経済学』を選択する大学が圧倒的で、私のようなブルジョア的『近代経済学』を学ぶ(?)学生はマイナーな存在と決め付けられ馬鹿にされたりしました。 そんな時代に大学生活を送った私はこの二つの経済理論の違いを自分なりに複雑な理論では全く理解できないので、単純な自己解釈で理解しようとしました。 あくまでも自分で理解できる範囲でしかありませんが、 マルクス経済学=経済活動の主体である人間を外部から考える。 近代経済学=経済活動の主体である人間を内部から考える。 と定義しました。 つまり、人間を経済活動の道具として一律的にその行動をパターン化して経済を規定してしまうか、それとも人間を経済活動の主体(様々欲求を考慮して)としてその行動の動向を分析して経済のあり方を定義づけするかの相反する学説なのであると勝手に理解しました。そうすると、煩悩に犯された弱い学生としては、人間が当たり前に持つ欲求を考慮しないマルクス経済は絶対に上手く行くはずがないし、物を生産するにしてもそこには(物を作る良心)が入り込む隙間は無いだろう。であれば、絶対に消費者を満足させる物を生産する事は不可能であり、社会主義計画経済は破綻し、人間の絶え間ない欲求を満たす努力(物を作る良心)を生産活動に反映できる近代資本主義が圧倒するであろうと勝手に解釈しました。 その後、東側経済が破綻し、国内においても慢性的な赤字に苦しむ国鉄を民営化して、お客様という市場原理を主眼にしたまともな経営を可能とする体制に移行し始めました。 その中で日本は世界でも稀な“一億総中流化”という社会主義が理想とする社会を実現しました。 これは、日本人の根底にある『公の心(滅私奉公)』を持った安定した社会が資本主義経済と社会主義経済の両方の美点を上手く取り込める、独自の国家経済体制を意図せず自然に獲得できた結果なのではないかと思うのです。 日本の経済システムは、他には無い独自の文明を基にした日本社会しか成し遂げられない唯一のシステムであると思うのです。 昨今、格差社会の進行が叫ばれていますが、国際標準に惑わされず、政府・官僚・大企業ももう一度日本型システムの美徳を見直すべきでは無いでしょうか? この日本型社会の美徳こそが何処の国にも負けない国家の底力になり得るのだと考えます。 ※ブログランキングに参加しました。 ご面倒でもご賛同いただける方は下記をクリックしていただければ幸いです。 |

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