|
昨日に引き続き写真よりお届けします 唐津市街の北部に位置し、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に位置する「唐津城」 北側は唐津湾に面するため、海城だともいわれ、 現在では珍しく直接海にそびえる石垣がみられます。 園内では樹齢300年のホルトノキが見られ 佐賀の名木・古木として登録されているそうです。 この町を代表するかのようにお店では「唐津焼」が見られます 唐津市で焼かれる陶器であり、古くから一楽二萩三唐津として茶器として有名で 日本の伝統的工芸品に指定されているようです。 きれいな色した「風車」 風によってくるくる回るおもちゃに もうすぐ5月・・・こいのぼりを思いました。 2007年4月19日戒名より |
佐賀県
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
玄界灘に臨む要衝の地に7年がかりで築かれた城「唐津城」へ 場所は佐賀県唐津市 またの名は舞鶴城 慶長7年(1602)・寺沢広高、築城 平山城形式とされ 石垣、堀、井戸、模擬天守・城門・櫓の構成になっています まずは唐津きっての名所である海抜284mの満島山から一大パノラマを ごらんいただきます 南は唐津駅付近でしょうか 建物がにぎわっていますね 東は白砂青松の唐津湾沿いを虹の弧の様に連なる「虹の松原」が見えます 日本三大松原の一つで国の特別名勝に指定されていて 全長5km、幅1kmに渡り約100万本の松が防風、防潮のために植えられているそうです 北には、晴れていれば玄界灘の遠くかなたに壱岐の島影も望むことが出来るようですが *参考までに・・・観光案内ガイドより引用しました* 唐津城 天正18年(1590)天下統一を果した豊臣秀吉は、海外に目を向け朝鮮への侵略支配を企てた。 朝鮮への侵略戦争、文禄・慶長の役(1592〜1598)は、ここ唐津より程近い肥前名護屋 (現鎮西町、呼子町)を基地とされた。 その間全国から大名が集まり肥前名護屋は大阪とならんで日本の政治・外交の中心地となり、 わずか5ケ月で築城させた名護屋城は秀吉の権威の象徴とも言えよう。 秀吉が没し(1598)、文禄・慶長の役は終止符を打つこととなる。 その後、関が原の合戦(1600)によって支配体制を確立した徳川幕府により、 廃城後石垣までの取り壊しを命ぜられた難攻不落の城郭を持つ名護屋城の解体資材を用いて、 慶長13年(1608)築城されたのがここ「唐津城」である。 2007年4月18日戒名より |
全1ページ
[1]






