|
明治までの700年間、南九州を統治した島津家のお屋敷、 仙巌園(せんがんえん)に訪れてみました 幕末、200年にも及ぶ徳川幕府の鎖国政策が続く中、いち早く広く世界に目をひらき、 世界の情勢を察知した薩摩は近代日本発祥の地です 磯御殿 大砲や造船、紡績などに力を注ぎ外交に優れていた島津藩 島津藩では財源を担うほど、たくさんの錫が採掘されていたようです. その名残がこの「錫門(すずもん)」です 鹿児島名物「桜島大根」はさすが大きいです。 ギネスブックに認定された世界一大きい大根だそうです。 水道橋のたもとに茶店がつくられ城下風景は 大河ドラマ「篤姫」のロケ地です。 幕末のファーストレディー・篤姫が島津家に誕生してから 将軍正室になるまでのシンデレラストリーがここにありました 戒名より 2008年3月28日 |
鹿児島県
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
鹿児島県・知覧の古い町並みは 今も武家屋敷が残り薩摩の小京都と呼ばれています。 特に麓地区の武家屋敷群は、「人をもって城となす」という気風を推し進めた 島津藩政時代に築かれた外城のひとつでもあります。 知覧の武家屋敷は7庭園に分かれており国の「名勝」に指定されています。 まずは佐多直忠氏邸庭園では 屏風岩とも呼び、防衛を兼ねた造りで江戸時代中期の武家屋敷の風格を備えています。 こちら森重堅氏邸は、領主に重臣として仕えた家柄で、 住居や土蔵は寛保初年(1,741)に建てられたものであり 庭園は曲線に富んだ池に、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわしているようです 知覧独特の二ツ家民家は茅葺屋根もさることながら 昔の生活の知恵が残っています 庭園を拝見するにあたり京都風の「わび・さび」を意識したものだけでなく 沖縄の琉球文化を取り入れた風に感じずにはいられません 江戸時代初期より幕末まで、終始財政難に苦しんでいた薩摩藩において、 なぜ地方の下級武士が贅沢品ともいえる庭園を造ることが許されたのか 不思議と謎は残ります。 戒名より 2008年3月21日 |
|
ここ知覧特攻平和会館には太平洋戦争で散っていった特攻隊員の 遺影・遺品・遺書それと記録資料などが展示されています 入り口には飛行機の形をした松の木がお出迎えです そのへんのミュージアムとは違い心意気を感じます 平成13年(2001)に主演/高倉 健の映画「ホタル」 特攻機の飛び去った方向に薩摩富士と呼ばれる922mの開聞岳に (生き残った元特攻隊員と・・・ 「自分が死んだらホタルになって帰ってくる」 と・・・) この映画に感動を受けた人もあるのでは 平和会館の前庭にある平和の鐘は、 訪れる人によって突かれ、南洋の空に散った隊員の冥福と 恒久平和を願って鳴り止まないとか 敷地内には特攻隊員の銅像や戦闘機が見られます ここより多くの若き特攻隊員たちが「お国のために」と飛び立って行ったとあります この国の平和と繁栄が再び戻って来ることを信じて、 空へと旅立って行った若き隊員達のことを思うと 胸が痛み、あらためて戦争の悲惨さを知り 恒久に平和を願わずにはいられません。 戒名より 2008年3月20日 |
コメント(0)
|
本日は九州・鹿児島県は知覧よりお届けします 知覧といえば観光名所でもある「知覧特攻平和会館」へやってきました。 この特攻平和会館は大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)、 沖縄決戦において特攻という人類史上類のない作戦で、 多くの特攻隊員の遺品や関係資料が展示されています 特攻(=特別攻撃)とは、爆弾を搭載した軍用機が、 敵艦船等の目標に乗組員ごと体当たりする戦法で 太平洋戦争末期の日本で、陸海軍あげての大規模な作戦として実施されましたが、 乗員が生還する可能性は皆無に等しく、「突入」すなわち「死」を意味すると言われています。 太平洋戦争末期の沖縄戦で若い命(平均年齢17歳)の足跡には胸が痛みます 特攻隊員たちの犠牲によって生かされ日本は繁栄の道を進み、 平和に暮らせる日本があることに感謝し、 再び日本に特攻隊などあってはならないという念でいっぱいになりました。 戒名より 2008年3月19日 |
全1ページ
[1]


