死について

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今日は娘の命日です

昨夜は1件搬送・受注できました。
喪主のご長男様とそのご兄弟は、地元に住んでおられず遠くから来ていただいたようです。
地元には仏様のご兄弟がいらっしゃいますが、皆それなりに高齢のため子供世代の人たちがメインで
ご葬儀をやることになります。仏様のお子様で必ずしも長男・長女でなくても地元にいるということで
次男或いは次女・末っ子が喪主を務められるというケースも多いのですが、子供さんが皆外(県外)に
出られていますので順当にご長男が喪主を務め、サポート役として地元のおじさんが世話役をしてくれる
ことになりました。
                                               
地元の住所は仏様の家ではなく、仏様の妹さんの家だと言う事で、位牌はご長男が持って行かれるそう
です。こんなケースも田舎ではよく見られるようになって来ました。
お墓はお寺にあれば、そこに納骨できますが、分家というか長男以外の人が地元から離れた土地で家庭を
持ち、その後家に残っていた長男が親よりも先に亡くなられたたりすると、そのあとがまたややこしくなったりします。
家や墓を誰が守るのか、といったことです。
家はいずれ住まないのであれば売り払ってもいいでしょうが、お墓となるとなかなか難しいでしょう。
それでも普通の墓地ならまだいいかも知れませんが、地元のお寺となれば付き合いを今後どうするのかを
ハッキリさせておかないといけないと思います。
お寺もタダの「墓守」ではないのですし、ご先祖様や親が入っていて放ったらかしにしては出来ません。
なかなか難しい時代になってきたと思います。
そうするとお寺離れが進んできて、いずれお坊さんは「葬式にお経を読むだけの人」になってしまうのでしょうか。
                                               
ところで、今日7日は私の娘の命日です。
22週くらいの早産で体重は500gほどで生まれてしまい、その後1ヶ月ちょっとで亡くなってしまいました。
現代の医学技術では22週だったらほとんど問題なく成長するのですが、ウチの子は悪い事が重なってしまい残念な結果になってしまいました。
4年経ちましたので、思い出さなければ普段の生活は普通になっていますし、なんと言ってもその後に男の子ですが無事授かる事ができましたので、娘の分まで愛情を注ぎたいと思っています。
                                               
せっかくですから何かの参考になればと思いますので、娘の経緯をちょっと詳しく書きます。
結構複雑でややこしい話なので、私の文力でうまく伝えられるか分かりませんが参考になれば読んで
下さい。
早産の直接原因は妊娠中毒症でした。足がかなり浮腫み一番ひどい時は象の足のようでした。
妻はそのときで3回目の妊娠でした(1回目流産、2回目娘を出産)。
その頃私は仕事の都合で県外に長期で出張していましたので、妻はその時小1になった娘の世話を
しながらシングルマザー状態だったわけです。
第一の悪い事が私の不在時に起こりました。
秋ころ、妻がクルマで人身事故を起こしたのです。
交通事故の大半はあくまでクルマが悪くなるのですが、妻のクルマは軽乗用車で、交差点の左折時に
自転車を巻き込んだ(軽く当たっただけですが)のです。
事故を起こしてしまったことで妻は一瞬気が動転し、そのままクルマを止めずに100メートルくらいも
進めてしまったので、被害者が大騒ぎし、警察の心象も悪くなってしまいました。
人身事故になりますし、免停と罰金、そして被害者への賠償(保険ですが)と妻にストレスがかかりました。
でも冷静に考えれば軽乗用車の左折巻き込みってあまり考えられませんが。
つまり「当たり屋」にやられてしまったのです。
ケガも全くなく自転車をクルマに当てて転び、その時に手をついただけで、よく日に私は被害者に会いましたが、普通に歩いてきたにも係らず、医者で「脳や神経にダメージがあり一生治らない」という
診断書を書いてもらったのです。
保険に入っていて全部保険から出たのでいいですが、本当は全くケガしていないのに300万くらい
保険から出たようです。
そういう奴ほど被害者ぶってうるさく責めてきます。その時に妻がクルマを止めなかったのをいいことに
「ひき逃げだ」とずっと妻に言ってきて保険屋からのほかに私達からお金を要求していました。
そんな中でさらに妻にとっては過酷だったのが引越しでした。
私の仕事で出張していましたが、県外の店舗で責任者をやる事になったので、家族を呼び寄せる事にしたのです。それがクリスマスの日でした。
                                               
引越しをすれば当然、病院も替わらなければなりません。
浮腫みはひどくなる一方でした。
妻は最初、総合病院の産婦人科を選び通院し始めましたが、むくみに関しては「妊娠中毒症のケがあるので様子を見ましょう」という医者のよくある怠慢で放っておかれていました。
放っておいてもいっこうにむくみは取れないですし、悪くなる一方でしたので妻は業を煮やし病院を
個人の産婦人科医院に変えました。2月2日でした。
個人の産婦人科医院に行ってもお医者さんだって「はい、わかりました」ですぐに対処してくれるわけも
ありません。やはり「しばらく様子を見ましょう」と言われました。
そして、その日の夜でした。妻が破水したのは。
ジョボジョボと羊水が落ちてきて床を濡らしました。
なにより私も何が起きたか判らず、狼狽してしまいました。
そしてパンパンだった妻のお腹がみるみるへこんでいきました。
                                               
昨日来た病院に駆け込み、すぐに診てもらいましたが産道が開いていて、頭が出掛かっているので
産むしかないと医者から言われました。
私の頭の中は「何で何で何で」だけがグルグル回っていたくらいしか記憶がありません。
眠い目をこすりながら時折りウトウトする娘を抱いて待合室で1持間ほど経った頃にお医者さんが来て
「・・とりあえず生まれました。おめでとうございます」と言われました。
お医者さんも生まれたから「おめでとう」を言わざるを得なかったのでしょうが、この状況は「生まれて
おめでとう」では決して無い事はお互いに理解していながらもいわれたことに対して私も礼を言うほか
ありませんでした。こんなときのTPOを持ち合わせている人もまずいないでしょう。
                                               
お医者さんに促され、分娩室の隣の部屋に通されましたが、赤ん坊の泣き声も聞こえないのでどこに
自分の子供がいるのか最初わかりませんでした。
そこに看護婦さんが「こちらです」と示した方に目をやると、透明なフタのケースがありました。
近づいて覗き込むと「何だ、これは」と言いたくなるほど小さな、小さな赤ん坊がいました。
「最初は少し産声もあげましたが・・」看護婦がなにか慰めるような話し方で声を掛けました。
呆然として「これが我が子なのか」と認めたくないような気持ちが、現実を現実でなく夢の中に自分を
置いておきたいような浮遊した感覚になっていた時、お医者さんが「これからこの子は小児医療センターに移します、今こちらに向かっていますので」と現実のことだけを伝えてきます。
「小児医療センター?」何で?何が?この子はどうなるのだ。
看護婦や医者の話のし方は冷静ではない私の脳でさえ子のこの近い将来を予感させるに充分でした。
                                               
と、ここまで書いてきましたが、気が重くなってきました。
今でも思い出すたびに可哀相で、泣かないために考えなかったりすぐに切り替えたりしていましたが、
子を亡くす親の立場の辛さは「身を切られる」という慣用句がありますが、まさに当てはまります。
このブログは5000字までらしいので、これくらいにして、書けたら今度続きを書きます。

この間、病院から搬送した仏様は最期こそ病院でしたが、それまでは10年ほど老人ホームにいられた
らしいです。
お年が90歳でしたから80歳からホームに入っていたことになります。
ご親族は直系の子供が4,5人いるのですが、それぞれの事情で同居できなかったのでしょう。
                                               
病室に入ってベッドに寝かされている仏様のシルエットを見ると明らかに普通と違う感じが。
何かデコボコしているのです。
これまでにも足が曲がったままで膝が立っている状態の仏様を見たことはありましたが、この仏様は
状態をひと言では言えない複雑な格好になっているのです。
通常、仏様は真っ直ぐに仰向けでお寝かせされ、両手を胸のあたりで組まされているのですが、まず、
膝は曲がって伸びない状態で腰が45度ほど右に向いています。
そうして生前、腰が曲がっていたせいか猫背の様なまま固まっているため、首から上、つまり頭が
枕から浮いた状態でいたのです。
時間から考えても硬直していないはずですが、体全体が硬直済みのようでした。
こういうの無理やり伸ばしたらボキボキいうんだろうなあ、とか思いながらベッドからストレッチャーに
移す私でございました。
                                               
90年の人生、大正5年生まれですよ。
100歳なら明治生まれですが、もの心ついたときがまだ昭和になる前なんですから想像つきません
よね。
日本の老人比率が年々高くなり「老人大国」だの言われる反面、その老人を世話するべき年代の人たち
にもそれぞれの事情があります。
それは介護する子供自体が70代の高齢世代になっていることや、収入に対する医療費の負担が
大きいことや、一緒に住める家の作りか否かとか、家で介護していたら奥さんが働きに出れなく
なり、一家の収入を維持できないとか、考えて出てくることは色で例えても明るい色とは言えません。
こんな日本に誰がした!と文句は言えても今の日本を誰も変えられません。
90年100年も生きてきた老人からゆっくり昔話を聞くことも出来なくなった国なのです。
                                               
そんなことを、この物言わぬ仏様から語っていただいた気がしました。

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葬儀屋さんの仕事に就かなければ分からなかったこと、出会えなかった事や人がたくさんあります。
それはこれからももっとたくさんあるでしょう。
                                               
その中でひとつの詩に出会いました。
「千の風」という詩です。
作者不明で題名もついてなく、あるイングランドの青年が両親に残した詩とも、アメリカのあるお墓に
刻まれている詩でいつしか有名になったとも言われています。
私はこの詩とは葬儀専門誌の中で作家の青木新門氏のコラムで出会う事が出来ました。
また先日、テレビ特番で高速道路上で飲酒運転のトラックに追突され目の前で我が子二人焼け死んで
いくというつらい目に遭った夫婦がその当時の業務上過失の量刑の軽さを訴え何年にも亘り苦労して
活動してきた足跡などを紹介していました。
その番組のエンディングでこの「千の風」の詩が歌となって流れてきました。
「歌になっているのか」「そんなに有名だったんだ」と、それまで漠然と心に留まっていたこの
「千の風」が強く刻まれることにまりました。
                                               
ネットで「千の風」と検索すれば100万件以上ヒットしましたので、すでに有名だった事を
改めて感じましたが、この一編の詩は葬儀屋として携えていたいもののひとつでしょう。
                                               
千の風                                            

私のお墓の前で涙を流さないで下さい
私はそこにはいません
私は眠ってなんかいないのです
                                               
いまはもう千の風になって空を渡っています
                                               
冬、ダイヤモンドのような雪のきらめきの中にいます
                                               
夏、実りの作物に降り注ぐ光の中にいます
                                               
秋、やさしく降る雨になってすべてのものを包んでいます
                                               
そして貴方が静かな目覚めの朝を迎えた時
私は飛び立つ鳥と共に舞い上がる風の中にいます
                                               
貴方が眠りにつく時、私は幾千万の星の中でいつも見守っています
                                               だから どうかお墓の前で泣かないください
                                               
私はそこにはいません
私は死んではいないのです
風となり光となって貴方のそばにいるのですから

葬儀屋さんの仕事に就いて早4ヶ月が経とうとしています。
今はほぼ毎日、仏様を扱っています。社内でも私が一番多いでしょう。
病院や老人ホームからお連れする仏様はまず問題ないのですが、自宅で亡くなったり事故などで
死亡した場合、タマにですが処置がされていなくてご遺族様から「お宅らがやってくれるのだろう」と
言われたりします。
キャリアの長い先輩に聞くと確かに遺体の処置をやっていた事もあったらしいですが、今は
していません。やはり看護士さんか専門の業者(エンゼルケア)がやった方がいいわけです。
なにしろ、胃や腸の内容物を押し出してから綿を詰めたりするのですよ。
葬儀屋は遺体をいじるのが仕事ではないですからね。
なぜこんな話をしたかというと、昨日の朝自宅で亡くなったとの電話を私が受けていたら
死体検案書を書いた医者が処置をしていかなかったというので、葬儀屋がやるのだろうと思った
らしいのです。
「まだ処置をしていないから、早く来てやってくれ」と言われて困ってしまいました。
そういう場合は当然ですが湯灌(エンゼルケア)をお勧めするわけです。
                                               
それはさておき、この数ヶ月間の間にも何件か自殺で亡くなった方の葬儀を施工いたしました。
「自殺」という言い方には多少違和感があるのですが、とにかく自ら命を絶たれた方は結構多いと
いう話をしてみたいと思います。
                                               
というのは、この数ヶ月間で私が見た限りでは4件ほど自殺の片の施工がありました。
これはあくまで当社だけの数字で、当社のシェアが約半数だと仮定すればその倍の方が自殺によって
亡くなっているということになります。
倍にすると8人です。
約4ヶ月間ですので一ヶ月間で約2名ということになります。
ではこの一ヶ月あたり2名の自殺数というのは全体から見てどうなのでしょうか。
そこで私はネットで自殺者の数を調べて見ました。
                                               
平成16年の数字ですが、全国で約32000人もの方が自殺で亡くなっています。
これを当社のエリア人口である14万人あたりの自殺者数に直してみますと約35人となりました。
35人と言うことは12ヶ月で割ると一ヶ月あたり3人となりますので、本当だったらもう少し
施工件数が多くても良いのかも知れません(変な言い方ですが)。
もっともこの「数ヶ月間で4件」というのはあくまでも私が認識している数字ですので、一般的に
考えて身内で自殺者が出たとなれば、世間体を考えて表沙汰にせず私たちでさえ判らないことも
あるのでしょう。
                                               
一ヶ月あたり3人というのは14万人あたりという、少し変則的な数字で見てしまったものですので
ちょっと変えましょう。
10万人あたりに直してみましょう。
すると一年で約25.5人となりました。これを一ヶ月に直すと約2人強ということになります。
10万人というのはちょっとした地方都市です。
そういった中で毎月二人ずつ、年間で25、6人も自殺者がいるということは、普通に社会的な
生活を営んでいる世帯でも少なくとも数年に一度は身内、或いは知り合い、またはその知り合いに
自殺者が出たなんていうことに遭遇する可能性が充分にあると言うことです。
                                               
自殺で亡くなられた方の葬儀は気を使います。
普段から死者に対して慣れっこになっている私たちは自殺と気付くことが出来なかった場合に
ともすると、ご遺族の方達に対して非礼な事をしてしまう可能性もあります。
死亡診断書(検案書)を見れば気付くと思いますが、とにかく自殺というのは遺されたご遺族様に
計り知れない精神的かつ複雑なストレスがあると考えられます。
そういった場合のケアを「グリーフワーク」と言いますが、現状で葬儀屋さんにはグリーフワークを
うまく行うことは困難だと思います。
グリーフワークについてはまたいずれお話しします。
                                               
とにかく自殺というのは私達に意外と身近である反面、周りの人へのダメージが大きくまた長く
尾を引きます。
なかなかひと言で言えないですが、つらいのは分かりますが自ら命を絶つのは止めましょうと
言うことで今日は話をまとめましょう。

「孤独な死」とは

先日はこんな事がありました。

とある老人ホームから搬送依頼が入り先輩とお迎えに上がりました。

出てこられたのはホームの職員の方達のみ。

最初に「人手が足りないので」と伺っていましたが、ご親族が一人はいらっしゃるだろうと

思っていましたので、私たちは少し戸惑いながらも仏様をお車にお乗せしました。

そして車を出そうとしたときに、ふと思い出しました。

そうそう、死亡診断書。

私たちはご遺体を搬送する会社ですが、さすがに死亡診断書が無ければちょっと困ります。

万が一、警察に止められたりしたらややこしいのです。

ホームの職員の方に死亡診断書の事を聞くと、一人おられた親族の方が持って先に

出られたとの事。何でそんな初歩的なこと解らないの、と思いながらも先輩は

「申し訳ありませんが、死亡診断書が無ければ私たちは搬送できませんので、コピーを

いただけますか」と言ったのです。

なるほど、お医者様の方で死亡診断書の控えがあれば、そのコピーでもいいわけです。

ひとつ勉強になりました。

職員の方も安心した様子で診断書のコピーを取りに行ってくれまして、この件は一段落しました。

ですが、この仏様についてはこれが序章に過ぎなかったのです。

仏様を乗せた搬送車は住所を頼りに仏様のご自宅へ到着しました。

到着して私たちは目を疑いました。

まずひとつは家が小さいのです。

小さい家と言うだけでは多分何とも思わないでしょうが、それは私の人生で見てきた中でも

一番小さい家でした。

中は見なかったのですが、外から見てその大きさは8畳分の部屋がひとつの家になっているのです。

簡単に言えばプレハブ小屋みたいな大きさです。

風呂とトイレとキッチンは一体どこにあるのか不思議になりました。

そしてもうひとつ驚いたのは何の因果か、そこはその地域では一番大きいお寺に隣接していました。

その小屋、いや家からホームからこられたと思しき70代の男性が片足を引きずりながら出てこられ

「ああ、どうもお世話になります。仏様はここに安置したいのですが」と言いました。

先輩は返事をするともなくその家に入り中を見てから

「ちょっと中が狭いようですので、安置はムリかと存じます。どこか他に安置できる心当たりは

ございますか」と聞くと、男性は仏様との関係を話し始めました。

それによると、仏様は80代の女性でこの狭小住宅で一人暮らしだったそうです。

4,5人くらいのご兄弟がおられるらしいのですが、皆県外に出ているらしいとの事。

この男性は仏様の亡くなった妹さんの旦那様ということで、簡単に言えば「他人」です。

しかし仏様をお迎えにいける唯一の近くに住む親族と言うことで来られたようです。

そんな事を家の前で話し始めていたら、隣の住人が帰って来られ私たちを見て気付いたのか

「おばあちゃん、どうかされたんですか」と話し掛けてきました。

「亡くなられました」と先輩が答えると、少し絶句し、

「そうですか、長く一人暮らしでこの夏の暑さで体調を崩されて入院したと聞いていまして・・」

老人の一人暮らしというだけでも最近多くなっているワケですが、正直葬儀屋さんの商売としては

あまり嬉しくないのは想像つくと思います。

内心先輩も困っているわけですが、さりとてタクシーや最近の病院じゃあるまいしウチの会社は

仏様のたらい回しは絶対にしません。

商売にならなくてもキチンとするのがモットーの葬儀屋さんなのです。

そうは言ってもタダで葬儀はいたしませんので、お金を支払う方との相談次第と言うことです。

しかし男性の話の通り、近い親族は県外のご兄弟だけらしいので、その方達が到着しないと

相談は出来ないという事で、とりあえずも何も、仏様のご安置が優先になりました。

先輩は最初、式場の安置室を考えていましたが、状況も踏まえお隣のお寺にご安置を

頼むことにしました。それは多分、ここが菩提寺であるだろうと言う推測からです。

お寺に行くと住職はお留守で住職の奥様が表で掃除をされていましたので、私たちは奥様に

お話をしましたところ、またまたスゴイ事実が出てきました。

確かにそのお寺は仏様の菩提寺だったのですが、皮肉なことに昨年、檀家を辞められていたそうです。

お寺からすれば檀家は大事な会員ですし、お寺と檀家は持ちつ持たれつの間柄なのです。

近年、この関係が崩れていると言うか、日本人がお寺の意味を忘れてきているのでこれは

非常に問題なのですが、この話は別のときにいたします。

丁度一年前に突然檀家を辞められたという理由は、県外に居る仏様のお兄さんがそちらでお墓を

購入したとかで、移されたのだそうです。

理由はどうあれ当然、お寺としては面白く無いわけです。

勝手に檀家を辞めたわけですから「葬儀はよそでどうぞ」と言う権利はあるのです。

しかし、ここがお寺もツライところ。

俗に「駆け込み寺」と呼ばれる所以です。困ったときの寺だのみ(?)。

先輩もベテランですからこのお寺様とも長いお付き合いなので、無理を承知のお願いをし、

とりあえず仏様のご安置をさせていただけることになりました。

結果的にはそのまま葬儀もこのお寺で執り行ったわけですが、私もどうなるのか心配した

一件でした。

後でこの一人暮らしのおばあちゃんの葬儀を終えて、お墓を県外で買ったと言うお兄さんがお骨を

持っていってお墓に収めたのだろうと思い、先輩に聞いたらなんと、おばあちゃんのお骨は

そのまま葬儀をしたお寺の永代供養塔に入れたということです。

これは簡単に言えば身元不明者と同じような扱いです。絶句・・・。兄弟でしょう?

「遠くの他人よりも、近くの他人」とはよく言ったものです。

「孤独死」という言葉が使われるようになって久しいですが、この定義は一般的に、

一人暮らしの方が誰にも見取られること無くひっそりと死ぬのを差します。

しかし考えてみれば死ぬのはいつでも誰でも一人ですから誰でも「孤独」に死んでいくのです。

周りを元気そうな人たちに取り囲まれて、自分だけが死んでゆくのは想像すると楽しいことでは

なさそうです。

パーティーか何かの楽しい場で、自分ひとりが具合が悪くなって帰らされたような寂しさに

似た感じでしょうか。とにかく死んでゆくのは一人だからこれも「孤独」だと思います。

ちょっとこじつけ的でしたが、親族がいない、お寺も無い(仏教で)というのはなんと

寂しいものかと実感いたしました。

私はもしも一人になったらせめて自分の葬儀は出していただけるように、貯金ないし積み立てを

しておこうと心に決めました。

人間死んだら他人に迷惑が掛かるものなのですね。

生きているときにちゃんとしていないと、死んでから恥をかくことになるのだなと思いました。

葬儀にどれだけお金が掛かるのかは追々(またか!)書いていきます。

皆さんも自分の葬儀代金をこれからでいいですから互助会で積み立てましょう(宣伝ではなく)。

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