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「伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記」 天下の人はみな、一人のこらず神の「みたま」をいただいてこの世に生を受けたのであるという神道としての生命観、霊魂観の基本的な表現である。 自分の心、すなわち「たましい」は神からいただいたものであり、これを傷つけることは神を傷つけることになる。 というような意味です。 神道は基本的に性善説と言える。 性善説的と言ったほうがいいかな。 性善説は孔子の弟子、孟子が唱えた説であり、その名の通り、人間は生まれながらにして善であると言う思想である。 孟子の説くところによると、人間には本性として「四端」が存在する。 「四端」とは「四つのはじまり」という意味で、それは「惻隠」(他者を見て「かわいそうだなぁ」って思う心)・「羞悪」(不正・悪を憎む心)・「辞譲」(譲ってへりくだる心)・「是非」(正しいことと間違っていることを判断できる能力)と定義される。 この四端を努力して伸ばすことによって、それぞれが仁・義・礼・智という人間の四つの徳に到達すると言うのである。 徳に到達する云々は別にしても、人間はもともと善であるという考え方は神道の基本的な観念と似ている(とオレは思う)。 人間はもともと清浄なものだが、死・病・血等によって、穢れてしまう。 穢れとは清浄でない状態である。 これを禊(みそぎ)なり、祓(はらえ)によって、浄化するというものである。 民俗学的には穢れは「気枯れ」すなわち、ケがカレた状態とし、それを祭などのハレの儀式で「気を良める」→清めることによって、清浄に戻ると考えられている。 なので、(ちょっと強引だなぁ。)神道も性善説的であると言える。 んで、最初の言葉に戻りますが、神からいただいた清浄な心を、神の心のあらわれとして、これを大切に護ること(清浄を保つこと)が、自分の心を大切にすることとなり、敬神の第一歩となるのではないか。 もちろん、傷めてならないのは自分一人の心だけではない。 人間の誰もが神々の「みたま」を賜わっているのだから、お互いに思いやり、尊敬しあうことも当然のことです。 「伊勢二所皇大神宮御鎮座伝記」は鎌倉時代に伊勢の神宮の外宮を中心に説かれた伊勢神道の基本典籍であった神道五部書の一つです。(うーん。専門用語多すぎ!何となくわかってくれればいいです。はい。) 同書には、この言葉に続いて、 「神は垂るるに祈祷を以て先となし、冥は加ふるに正直を以て本となす」 という有名な言葉が述べられている。 『神がご神威を発揮し、また御加護を垂れたまうのは、まず第一に真剣な「いのり」であり「正直」な生活態度である』という意味だそうです。 神を敬まう基本的な態度を示している。 神の心に通じる自分の心を清浄に保ち、真摯な祈りを捧げ、「浄明正直(浄く明るく正しく直く)」の精神で生活していきたいものです。
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「正直」な生活態度を確立せねばならない(≧▼≦)反省しきりの年末だ。。。
2006/12/14(木) 午前 7:30
偉そうなこと言ってますが、オレも同じくこれを書きながら反省してました。
2006/12/14(木) 午後 0:10