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一人じゃない

土日は父と一緒に神葬祭をご奉仕して参りました。

土曜日に通夜祭。
日曜日に火葬祭、本葬祭、墓前祭、帰家祭、五十日祭。

それぞれにそれぞれの祝詞を作成し、奏上します。
本葬祭の祝詞では、故人の事績を祝詞に詠み込みます。
例えば、
「いついつ生まれて、何人の子どもをもうけ、農業に従事し、世のため人のために奉仕し・・」みたいな感じで。

決まりきった文句ではなく、その人その人に合わせた祝詞を作文します。

それぞれの事績は、その人の人生の歩みであり、家の歴史でもあります。

直会の時に、
「故人は家の守り神として、今後もこの家と家族を見守り続けるでしょう。」
と、父が挨拶しました。
(オヤジたまにはイイこと言うねぇ。)


私達は親から産まれ、親はそのまた親から産まれ…。
そうやって血が受け継がれ、ここに存在する。
そして、今後も連綿と続いていくことでしょう。

自分は一人じゃない。
改めて、そう感じました。

TUGUMI

イメージ 1

TUGUMI

                        吉本 ばなな

大学生の頃、近くの古本屋さんで出会った歴史小説以外で初めて読んだ本です。

吉本ばななって、「キッチン」でデビューした有名な人だよなぁ。
まぁ、本も薄いし、読んでみるかぁ。

話の舞台は、海辺の小さな町。
海辺の旅館で育った「まりあ」と、いとこの「つぐみ」。

「つぐみ」は小さい頃から病弱で、医師に短命宣言をされ、
周りに甘やかされてきたため、とんでもないワガママ娘に育った。

ものすごい美少女なのに、口を開けば、「おい、ブス!」「ばかめ!」「ざまあみろ!」・・・。

そんな「つぐみ」だけど、「まりあ」とは、分かり合えるたった一人の友達。

「まりあ」は母の再婚により東京へ移り住んだが、久しぶりにこの海辺の小さな町に帰省した。

「まりあ」と「つぐみ」と、浜辺で出会った少年「恭一」。

二度と来ないひと夏の物語。

まず感じたのが、情景描写がすごくうまいなぁってこと。
夏の海辺を容易に想像させてくれる。

そして「つぐみ」のキャラクターのインパクトの強さ。
「つぐみ」は、めちゃくちゃカワイイやつだなぁと思った。
こんな魅力的な登場人物はめったにいないと思う。

口は悪いけれど、努力家で正義感が強く、透き通った心の持ち主。
小さくて弱い体だけれど、体の奥底で燃える、誰よりも強いエネルギーの持ち主。
病弱な「つぐみ」の圧倒的な「生」のエネルギーは、強くて儚くて鋭い。


胸がいっぱいになる本です。

いのちの大切さ

2月8日9日と1泊2日で、新潟県神社庁主催の教化研修会というのに参加してきました。

内容は…
1日目  秩父神社宮司・埼玉県神社庁長、薗田稔先生のご講演。
2日目  「平成の御師になるために」と題し、分科会に分かれ、神宮大麻頒布について意見発表。

特に、勉強になったのは「神宮と神道の生命観」と題された薗田先生のご講演でした。

要点をまとめると、

昨今の日本社会では、「いのち」というものが「モノ」化している。

例として、薗田先生のお子さんが5歳の頃、生きているカニがだんだん動かなくなったのを見て、
「電池換えなきゃね。」
と言ったそうです。

「モノ」化とは機械化というような意味で、物質として捉えている。
これは、現代社会の物質文化の繁栄と、精神文化の荒廃によるものである。
(↑簡単に言うとですよ。薗田先生は文化の国際化と文明のグローバル化から学術的にご説明されていました。)

それに対して神道の生命観(というか日本人古来の生命観)は、「いのち」は精神的な存在で、スピリチュアルなものとして捉えている。
「モノ」としてではなく、「こと」として捉えている。

「生きモノ」として捉えるということは非常に客観的である。
客観的だからこそ、「モノ」として親子でも簡単に殺しあってしまう。

逆に「生きること」として捉えてみると、主観的になる。
また「生きること」は「死ぬこと」であり、「殺すこと」とも言える。
「殺すこと」によって人間は生きている。
多くの「いのち」の上に我々人間は立っている。

このように捉えていくと、「いのち」というものが、自分一人のものではないということに気付かされる。
また、他人の「いのち」や生きている(動植物等々)全ての「いのち」もまた、大切にしなければならないことに気付く。

ある保育園児が「ホントに神社に神様はいるの?」と聞き、「いるなら見せて!」と言った。
宮司「それに答える前に、逆にみんなに質問!心を持ってる人??」
園児「はぁ〜い!!!!」
宮司「んじゃ、その心を見せて。」
園児「ムリぃ〜!!!!」
宮司「大切なものは見えるモノばかりとは限りません。逆に見えないからこそ尊いと言えます。神様も同じです。」

物質文化が繁栄しすぎ、見えるモノしか信じられないという物質至上主義とも言える現代社会で、逆に見えないものを尊ぶ神道が「いのち」の尊さを訴えていかなければならない。

オセロゲーム


いわゆるオセロゲーム。

こういう単純なゲームが一番長く愛されるゲームのような気がする。

オセロが好きな方は、ご自分のブログに貼り付けてやると良いですよ!

+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚


そうそう。くれぐれもやり過ぎないようにね!

転載元転載元: 目を覚まして日本人!

初卯祭

昨日は初卯(はつう)祭をご奉仕させていただきました。

初卯祭は3月初卯の日が八幡様の誕生日であることを記念したお祭りなのですが、
現在は日をずらして3月初めての日曜日に奉祭させていただいてます。

初卯祭の後に、氏子会の総会に出席させていただきました。
終了後には当然直会。


現在、田舎の神社では例祭日の変更が結構あります。
日曜日や祝日にずらして祭りに多くの方が参加できるように、という理由らしいです。

まぁ、わからなくもありませんが…

やはり物事には由来があり、由緒があってこそ、その日が祭りなのであって、
人間様の都合で動かしていいものではないと思います。

と、言いながらも我がお宮では、変更を余儀なくされました。

また、秋の例祭日は9月15日(敬老の日)だったのですが、
ハッピーマンデーとかいう、ぜんぜんハッピーじゃないもののせいで、
これまた15日に近い日曜日に変更になってしまいました。

私達神職の力不足と私達ではどうにもできない次元の問題とで、
由緒ある例祭日が変更になってしまうという悲しい現実です。

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