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そろそろ神主らしいことを書こうかな。
オレがどうして神主になろうと思ったかから、今に至るまでをダイジャストでお送りします。
1番の要因は間違いなく環境である。
伝統ある社家の56代目として、オレが『オギャー』と産声を上げた瞬間から、神主への第一歩が始まった。
家には大きな祭壇(神棚のデカイ版みたいな感じ)があり、祖父がその前で太鼓を叩く音や、祝詞を奏上する声を聞きながら育った。
そんな祖父がかっこいいと思ったし、オレもそうなりたいと思った。
小学生高学年くらい(だったと思う)には太鼓や舞の練習を毎週していた。
今思うと自然とレールに乗せられてた感じがする。
でも、ぜんぜん嫌じゃなかった。
オレは他の家とはちょっと違う特別な家に生まれ、それを継ぐべき由緒正しき人物なんだって、勝手に優越感を感じたりしたものだった。
別に何かが人より優れているわけじゃないけど、神主なんてなかなかなれるものでもない。
2番目として、出会いが挙げられる。
まぁ、これも環境と言えば環境なのだが、神主になりたい!って思わせる神主に出会うことができた。
1人目は我が偉大なる祖父。
今年で95歳になる明治生まれのおじいちゃん。
雨の日も風の日も雪の日も、ひたむきに、ただひたすらに神明奉仕をする祖父の姿を見て育ったオレは神主ってスゴイなって、単純に思った。
心の底から尊敬している。
真っ直ぐに神様に向き合うその姿は『なかとりもち』と呼ぶにふさわしい。
そして、普段は神様に向かうその真摯な姿とは違って、非常に快活で明るかった。
そんな祖父をオレは大スキだった。
2人目は伯父さん。
父の姉の夫。子どもがいなかったためか、子どものようにかわいがってもらった。
伯父さんの家はこの地域では一番有名な神社の社家で、この神社のお祭りは新潟県内でも有数のものである。
この伯父さんに小旅行みたいな感じで、いろいろな神社に連れて行ってもらい、いろいろな話をしてもらい、いろいろな本を貸してもらった。
明治神宮研修寮を紹介してくれたのもこの人。
オレの人生の選択において、この2人によるところが大きい。
3番目の要因として、父の子育て方針がある。
父はオレに対し、一度も「家業を継げ」と言ったことがない。
「自分のことは自分で決めろ。そして、自分で決めたからには自分で責任を取れ。」と言われて育てられた。
オレの進路についても一切口を出したことがない。
一見、冷たい親のように思われるが、実はホンキで継がなくてもいいと思っていて、ホントにやりたいことをやればいいと考えている。
このような親に育てられて、オレは自分の意志で神主の道を選ぶことができた。
他人から見れば、決められたレールを歩んでるだけのように思われるかもしれないが、そうではない。
オレはオレの意志で神主になろうと思った。
そんなこんなで高校卒業後、國學院大學文学部神道学科に入学し、そのうち2年間は明治神宮研修寮で寮生活+ご奉仕させていただいた。これについてはまた後で書こうかな。
そして無事卒業し、地元に帰り役場職員となるのと同時に、我が家の神社の権禰宜として奉職した。
ちょっと途中からは、はしょった感があるが、だいたいそんな感じで現在に至ってます。
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