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弟子たちの力量が祖師の法を伝える水準に達したのを悟った 禅宗五祖弘忍(ぐにん)は、各々の境地を詩に託して表明させ 優れたものを自らの後継者に指名することにしました。 そして 菩提本樹無し 明鏡も亦台に非ず 本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん(悟りという樹も鏡のような心もありはしない。 もともと何もないのだから、どこに塵埃がたまっても 何を払拭しようというのか。) の詩を提出した廬行者(ろあんじゃ)、のちの慧能(えのう)を認めたのでした。 今年1年『一日一禅』として続けてまいりました書庫ですが 本日240記事をもちまして、終わりにいたします。 みなさま拙文をお読みくださり、ありがとうございました。 まだまだ自分自身、未熟者で禅語の意味を理解できたとはいえませんが 茶席には必ず掛ります禅語。 これからも精進して、学んでいきたいと思います。 「本来無一物」いくら学んでも修行を積んでも、結局は何もないのだ。 と言えるまでには到底なれるはずもありませんが そこまでに到るまでの様々な知識・経験を少しでも多く身につけたいと思います。 また来年は何を記事にしようか、暮れの大掃除やお正月の準備をしながら 考えますので、どうぞ来年もよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。 なお、このブログは今年は25日まで更新するつもりでおります。
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宗恵の『一日一禅』
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床に掛けられた前後を自分の中にすんなりしんとうさせることってとても難しいですよね。いろいろな本で解説されているものでも上滑りでなかなか自分のものにはなりません。言葉が自分のものになるには経験とそれに伴う実感が無くては。まだまだ修行が足りない私です。
2006/12/20(水) 午前 1:15
宗恵さん、毎回勉強させていただきありがとうございます。私の場合は<時時勤拂拭>の方ですので来年も頑張りたいと思います。
2006/12/20(水) 午前 3:10
240回完結、お疲れ様でした。また有難うございました。私の通っている先生のお茶室のお軸にも「本来無一物」はよく使われていますので、とても馴染みのある言葉ですが、確かにその境地までは道のりが遠いです。どうぞ今後ともよろしくお願いします。
2006/12/20(水) 午前 7:53
ちいちゃん、お茶席ではなんと言っても掛け物が一番ですからね…。禅語ですがお茶席では、そのお軸を掛けられたご亭主の気持ちを感じる事が大切なのでは、なんて思っています。
2006/12/21(木) 午後 9:42
あやめさま、こちらこそお付き合いいただきまして、ありがとうございました。これからもご一緒にお勉強していきましょうねぇ。
2006/12/21(木) 午後 9:43
onebridgeさまも、いつもコメントありがとうございました。今度は何にしましょうか?リクエストあります?
2006/12/21(木) 午後 9:45
240回とは、よく続けられましたね。言うのは簡単ですが、行うことはとても、真似できません。なかなか軸の勉強までいきません。でも、こちらにちょこちょこ戻って勉強させていただきますね。ありがとうございました。次も楽しみにしています。
2006/12/22(金) 午後 6:52
最後にふさわしい言葉かも。易経の最後の卦は未済、いまだ終わらずという意味です。なんか思い出しました。
2006/12/24(日) 午後 10:59 [ nandeyanen999999999 ]
チャチャさま、以前から禅語には興味ありましたが、なかなか1人で本を読むことは難しくて、このような形で読めたことブログに感謝です。
2006/12/26(火) 午前 11:05
nandeyanenさま、「完」と書いたもののそうですね、永遠に終わるものではありません。これからも折にふれて勉強していかなくては!
2006/12/26(火) 午前 11:08
菩提本無樹
明鏡亦非台
本來無一物
何處惹塵埃
2008/6/20(金) 午後 0:14 [ 貪飲千杯 ]
★conninyaさま
忘れていた心をまた思い出すことができました。
コメントありがとうございます。
2008/6/20(金) 午後 0:21