茶の湯のプロムナード

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6月下旬に長岡の「ぎゃらりぃ栗本」で一目ぼれしたお茶碗。
夫も気に入ってくれたので「お買い上げ」いたしました。

我が家では、夫がOKしないと買えません…。
必然的に「土物」ばっかり…。

京焼のきれいなお茶碗も欲しいな…。ナイショで買っちゃおうかな…。
でもこれは見た瞬間 本当にいいなぁと思いました。

やっと箱ができあがり、先ほど栗本さんが届けてくださいました。

加古勝己さんは昭和40年京都の生まれ。
泉涌寺で磁器の染付けを手がけていた家に育ち、
10年前まで家業を手伝っていたそうです。
薪窯で作りたくて兵庫県西脇市ではじめ、今年篠山市に移りました。

このお茶碗で、さむ〜い冬に気のあった友達を招いて、気軽なお茶会でもしよっと。

口径 約12cm
高さ 約9.5cm

奈良時代の陰陽道

奈良時代 聖武天皇・光明皇后の時に、東大寺・諸国国分寺が造営され
大仏造営も発願されて、仏教の国家的利用は天平文化として花開きます。
仏教が国家によって民衆支配の道具になりました。

仏教の陰陽道への関与が禁じられた、と先回お話しました。
これは陰陽道の地位が低下したように思われますが、
実は国民を仏教により支配し、陰陽道によって天皇の地位をより高めようと
仏教から切り離したわけです。

奈良朝政府は中国文化の摂取に熱心で、遣唐使の派遣を行いました。
養老元年(717)に留学生として唐に渡った吉備真備(きびのまきび/693〜775)は
儒学のほかに天文・算術・陰陽・雑占などに広く活躍し、出世しました。
当時最新の唐代陰陽書籍を数多く日本に直輸入して
最先端の知識で政界をリードしたのでした。

この唐直輸入の陰陽五行の知識(書物)と技術(方技)を背景に
陰陽道の国家的利用はさらに進んだのでした。

このころから陰陽道の呪術化が拡がり、平城宮遺物を中心に
呪符木簡・呪符墨書・土器・人形(ひとがた)など多数出土しています。

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