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『虚堂録』巻九に見える「坐一走一」を出典とする句です。 「一」は「万法一に帰す」という場合の一、絶対なる真理をあらわし 「七」は日常的なさまざまな雑事を指し 「唯一絶対の真理に腰を落ち着けていながら、 その一方では俗世間の中での諸事に臨機応変、無碍自在に対応する」 という意味を表すそうです。 坐禅に励み、禅語録などで禅者の言行を学び、真理を追究し それが具体的に実生活に生かされなければ、 修行をする意味はない、ということでしょうか。 何事も自己満足に終わることなく、何かしら世のため人のためになるように務めること できそうで、できませんね…。
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2006年12月16日
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わたしの好きな言葉は です。 木曜日、最後の委員長会議に出席したおり (社)茶道裏千家淡交会総本部より青年部あてに 読売ぶっくれっと 『時代の証言者 15 茶のこころ』 千 玄室著 が数冊送られてきたので、一冊お借りしてきました。 裏千家・千玄室大宗匠は現お家元のお父様。choriさんのお祖父様です。 わたしも何回か大宗匠とほんの少しですが、お話させていただく機会がありました。 なんとも言えない大きなオーラを発せられて、目を見てお話くださるお言葉は優しく、 利休さんから15代続く風格と人間的な温かさが伝わってきました。 この本の冒頭に「一期一会」という文があります。 茶室の中のお点前は、非常に静のものですが、本当は生き死にかかるぐらいのすごい緊張感があるのです。 例えば「一期一会」で有名な井伊直弼の一会集を読んでも、私は普通の茶人が感ずるようには一期一会を感じません。一期一会は、カーッとした本当の火花が出るような触れ合いなのですね。「今このお茶に呼ばれたら死んでもいい」「このお茶をあなたに差し上げたら私も死んでもいい」というぐらいの気迫です。 あなたのために、何もない部屋に、この掛け物を掛け、この花を生ける。そして、今ここでお茶を一服点てて差し上げる。客が帰ったらみな片付けてしまい、何もない、また無なんです。無から出発していることを教える場が茶室であり、その空間は無限です。そこに無限の哲学というものが潜んでいる。 これを読んで、今までわたしは生き死にかかるぐらいにお茶を点てたことがあるだろうか・・・
と茶道に対する甘さを痛切に認識しました。 今年もあと半月。来年からは楽しいお茶はもちろんですが、 その奥にある厳しいお茶を自分なりに追及していかなくては・・・と思います。 そのような時にも、ばらを育て、ばらの香りを聞き、優しい時間を過ごせたら最高ですね。 |
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