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人間的に清らかで淡白で物事に執着しないで あらゆる面でさっぱりしていることを表現する場合に用いられる言葉だそうです。 人との交際も、深く交わることなく淡々としたほうが 長く友情を保つことができると『荘子』に書かれています。 君子の交わりは淡(きよ)きこと水の若(ごと)く 小人の交わりは甘きこと醴(れい)の若し。 君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ。 (君子の交わりは水のように淡々としているが、小人の交わりは甘酒のようだ。 君子は淡々としているためにいつまでも親しみ続けるが、小人は甘いためにすぐ途絶えてしまう。) ここから裏千家の「淡交会」という名前がつけられたことは 皆さまよくご存知ですよね。 今までの人生を振り返って(振り返るような人生でもありませんが) ずーっと長く交際が続いている方とは本当に年に数回 お電話やメールでお話するくらいですが 会うと何時間でもお話できて、心休まるかたですね。 しかし考えてみたら、深く付き合うということを今までしたことがないかもしれません。 男女問わず…。お相手が男性なら恋愛になるのでしょうが…。 大恋愛というものをしたことがないし…。 皆さま、淡々とブログでお付き合い願いますね☆
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宗恵の『一日一禅』
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毎日1つ禅語をご紹介いたします。
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『寒山詩』の中の有名な詩 吾が心秋月に似たり 碧潭清くして皎潔たり 物の比倫に堪ゆるは無し 我をして如何が説かしめん (私の心は、秋の名月が緑深い淵のの底まで照らして輝くのに似ている。 これに比べることのできるものは他に無い。私はこれを説明する方法を知らない。) よりとられた句です。 澄み切ったきれいな心、何の曇りのない純粋さ、そのようにありたいと思います。 誰もが同じように持っているはずなのに、毎日毎日、嫌なことが国の内外で起こっています。 一碗の中に、緑=自然=平和が見える、と大宗匠は講話の中でおっしゃいました。 秋月の心でお薄をいただきましょう。 今日は十五夜さま。生憎の雨です。
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玉で作った笛が秋風によって吹き鳴らされて美しい調べを奏でているという 風そよぐ秋の茶席に最適の句であるが これは『臨済録』に収められる臨済義玄と平(びょう)和尚との問答の中に現れる。 平和尚に黄檗禅師の近況を尋ねられた義玄は 「素晴らしい説法を常に聞いておりますが、内容を全く忘れてしまいました」 と答えた。それに対する平和尚の言葉が 「金風玉管を吹く、那箇か是れ知音(ちいん)」 秋風に吹き鳴らされる玉の響きのような黄檗の説法を聞き分けられる人物は 今の世の中にいるだろうか、であった。 私だけにそれができる、という自負が言外に示されている。 『淡交テキスト 茶席の禅語 10月』より いくら素晴らしいお話を聞いても、それを聞く側のわたし自身が そのお話を受け入れるだけの理解力がなければ、意味がないということですね。 同じ人のお話を聞いても、その理解の仕方が全く違うのにびっくりすることがあります。 白洲正子さんの言葉に「説明すればなんでもわかるというものじゃない」 というのがありますが、つくづくそうだなぁ、と思いますが、みなさんはいかが? 今日はこれから淡交茶会の最終打ち合わせで会場に行きます。 来年の地区大会の予行演習?を兼ねてのお茶会なので、支部として力が入ってます。 あ〜、いつになったら全国大会の様子アップできるかなぁ…。
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月は名月の秋を知り 花は一様の春を知る から作られた句です。 一年365日、春がくれば花が咲き、夏になれば暑くなり 秋がくれば紅葉し、冬になれば雪が降る。 という太古から変わらない自然の有様ですが その根本には、わたしたちには計り知れない力があるように思います。 月は自らが最も美しく輝くことのできる秋を知っている という意味だそうです。 わたし自身が一番美しく?輝く時はどんな時か? やはり好きな事をしている時ですね。 美しい言葉使い・立居振舞・お点前…美しく輝くように精進いたします…。
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9月29・30日および10月1日に国立京都国際会館において 「第14回 社団法人茶道裏千家淡交会青年部全国大会」が開催されました。 30日の記念式典後の「お家元と語ろう」の中で リレー茶会のお軸・お茶杓の銘に込められた思いは? との質問にお家元は 「禅語の解釈は本などでいろいろ説明されています。 それをそのまま、あぁそうか、と思うだけでなく その句をいかに自分自身のものにするかが大切です。」 というような趣旨のことをおっしゃっていました。 本に書いてあるのはあくまでもその著者の説明であって それを自分自身の言葉で語れるようにならなければならないのですね。 今日は禅語の紹介でなく、今回お家元からお聞きしたお言葉を記事にいたしました。
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