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中国明代曹洞宗の僧・雲外雲岫(うんがいうんしゅう)は説法が上手なことで知られ 遠く朝鮮や日本からも多くの聴聞者が訪れたそうです。 その雲岫の言行を書き記した『雲外雲岫語録』に 三十余年故人無し 只だ雲外に留まりて閑身を伴う という自賛の句があります。 30年余り友達もなく、世間を超えたこの場所であらゆる拘束を離れて 無碍自在の境地の中にただ一人身を置いている という意味だそうです。 優れた悟りを得て俗世を超越した、悠々自適の心境…… 昨日の「一鉢千家飯」と考えあわせてみると あらゆる人・物に感謝をしながら、しっかりと自分自身を見つめ 誰にも迷惑をかけず、人の為になることを実践し 空気のような存在になる…ことぐらいしか凡人にはできないなぁ… と思いました。だって30年も友達もなく暮らすなんて、到底無理ですもん。
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宗恵の『一日一禅』
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毎日1つ禅語をご紹介いたします。
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一椀の鉢の中は、数え切れない人々から施された飯で満たされている、という 托鉢による乞食行(こつじきぎょう)の様子を表しています。 初期の仏教教団においては出家修行者による生産活動が禁じられていたので 毎日の食事はすべて信者からの施しに頼っていました。 現代でも禅道場ではしばしば町に出て施しを乞います。 「千家の飯」に多くの信心に感謝し、力づけられ修行に励むことができるのですね。 わたしたちも、決してひとりで生きているのではなく 目に見えない多くの力に支えられ、励まされていることを忘れてはいけませんね。
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昨日のお稽古場に掛っていた句です。 亭主と客の心が一つになってそのお茶席が進んでいく…。 もてなし、そのもてなしに応える心。 大寄せの茶会しか最近はお客様をお招きしたことはありませんが その心は変わりません。 来年は、ささやかながらも小寄席の茶会を催したいと思います。 主客一如」で検索したら 『主客一如 禅と茶 無からの発想』 という本がヒットしました。今度読んでみます。
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文字に頼らない、経典の教え以外の伝え方 という意味です。 「拈華微笑」のところでお話しましたが 禅の教えの神髄なんです。 「体得する」という言葉があります。 茶道のお点前はあれやこれや書いて覚えても 結局最後は自分自身が実際にお点前するまでどうなるかわかりません。 まさかメモを見ながらお点前するわけにはいきませんよね。 やはり「教外別伝不立文字」なんだ…一人で納得…。
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中国宋代の禅の書『碧眼録』に載っているお話です。 ホウ居士が今の湖南省にある芍薬山の薬山惟儼(やくさんいげん)を訪ねた帰りに ひらひらと落ちてくる雪を指差しながら、見送りの惟儼の弟子たちに言いました。 「好雪片々、別処に落ちず(見事な雪だ、一片として違う場所に落ちるものはない)。」 それを聞いた一人の修行者が言いました。 「それはどこに落ちるのですか?」 ホウ居士はその男に一発平手打ちを食らわせたのです。 あらゆる現象が一つの真理に中に帰入することを雪に託して述べたのに それに気づかない修行者の愚かさにホウ居士は憤慨したのだそうです。 たぶん、その修行者はその平手打ちで悟って、立派なお坊様になられたのではないかしら? わからないことは、やはり聞かないとダメですよね。 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥 ちょっと今日の禅語本来の意味のお話とは違いますが、そんなことを思いました。 自然の現象をパッと禅の神髄のお話になさるホウ居士。 自然の中から真理を学ぶことがいかに大切か… 自然を破壊しているから今の社会、おかしな事ばかり起こるのですね。
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