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毎日の行動の一つ一つが、みな修行の場 目的に近づくための一歩一歩なのです。 また「道場」には「悟りの場」という意味もありますので わたしたちはいつも「悟りの場」にいるのだよ という意味にもなります。 どんな時でも前向きに、自分の目的に向かって進んでいきたいと思います。 が、違った道に進んでしまいそうな時が多々あります。 そんな時にこの句を思い出して軌道修正しなくてはね…。 |
宗恵の『一日一禅』
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毎日1つ禅語をご紹介いたします。
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『妙法連華経』の一節です。 仏の世界には、花に満たされ果実が豊かに実る宝の木があって 衆生はその近くで遊び楽しんでいる、という意味だそうです。 この句が禅語として用いられる場合は 本来、わたしたちは仏性を内に持っているので 身体からはたくさんの功徳が生じる、という意味になるそうですが…。 功徳を生じるようになるには、それだけ内面を豊かにしなければならない訳で…。 どの花を咲かせどの実を実らせるかは、ひとり一人違います。 自分の花、自分の実を見つけることも、生きていく上で大切なことですね。
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「境」とは外界の存在、 すなわち視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚・思考という 6種類の感覚器官によって認識される対象のこと。 具体的には姿かたち・音・香り・味などを指します。 これらは人間の心に欲望を起こさせます。 「塵(じん)」とも言います。 「寂」は寂静とも言って、安らかなこと・穏やかなことです。 この「心空なれば境寂」は 心が捉われない状態にあれば 煩悩を起こす原因となる姿かたち・音・香り・味など 外界のあらゆるものは穏やかになりますよ、とう意味になります。 「寂」こそが悟りの境地であると、多くの経典に書かれているそうです。 毎日のように報道される子供の虐待… 何故、親は心穏やかに我が子と接することが出来ないのかしら?と思います。 いろいろな物・事・人に捉われれて、我が子のことより「自分」が大切なのかな…。
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「北斗」とは北斗七星のことです。 北斗七星は天の中心とされている天の北極近くに位置することや 空にほぼ一年中その姿を現していることから、古来人々の尊崇の対象となってきました。 天に昇ってその北斗七星の中に身を隠すという 分別や常識を超えた自由自在な働きを表す言葉です。 中国唐末五代の禅僧、雲門文偃(うんもんぶんえん)は仏の本体について問われた時の答えとして この句を用いたそうです。 よく亡くなった人は「お星様になって、いつも空から見守ってくれるんだよ」 と言われますが、自分を守ってくれる仏は実は身近にいて 振り返ると北斗七星に隠れるのかも…。
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「家風」とは禅僧の悟りの境地や修行法 教化法から醸し出される風格、特徴のことを言います。 禅宗が様々な宗派に分かれたのは、この「家風」の相違によるものです。 人は皆同じ考えを持っている訳ではありません。 禅者それぞれに色々な家風があります。 しかし、菩提達磨の教えを受け継ぐ、という点からすれば 同じ家風に属する仲間だということを、この句は示しています。 茶道の流派も様々ありますが、利休さんの教えを伝えていく ということにおいては同じ「家風」の仲間だという訳です。 来年は流派を超えた「何か」をちょっとやってみたいな… と漠然とですが、考えています。
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