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陰陽五行の部屋

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茶道と関係の深い「陰陽五行」のお話です
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律令制における陰陽寮は中務省(なかつかさしょう/天皇の公務いっさいを管掌する)の
管轄下の役所です。

まず、長官である陰陽頭(おんようのかみ)が1名。
天文観測を中心に異変を察知して、政治的意味を占うのが仕事です。

他に、陰陽助、允・大属・小属(おんようのすけ・じょう・だいさかん・しょうさかん)
各1名がいて事務を分担しました。

次に、陰陽師!6名。造営などに関わって地相を見て、八卦による占いを
実践・担当する用員でした。

その他、天文博士・暦博士・陰陽博士・漏刻博士各1名が、
それぞれ天上観測と異変占い・造暦・地上や人事の占い・時刻管理を担当し
また学生を教授・指導しました。

奈良朝以前、陰陽師は皆 渡来僧でした。
しかし奈良時代に入ると、律令制が確立し、僧尼令により、
仏教者の陰陽道関与が禁じられました。
これより優秀な血族的陰陽官僚が出現してくるわけです。

陰陽道を国家的に受け入れたのは天武天皇です。
『日本書紀』には、天武天皇が大海人皇子(おおあまのみこ)であった時に
天文・遁甲を自ら行ったとし、壬申の乱に際しては黒雲の拡がるのを見て
陰陽五行説による式盤(ちょくばん/円形の天盤と方形の地盤からなり、天盤を回転させて
それぞれの盤に刻した文字の組み合わせによって占う)による占いを行い勝利を予言しました。

即位後の天武4年(675)には占星台を設置し、
陰陽寮(おんみょうりょう/天文・陰陽方術を扱う役所)と
外薬寮(げやくりょう/陰陽道医薬方術を扱う役所)を設けたと記しています。
ここに国家陰陽道が成立したと言って良いでしょう。

☆ちょっと一服☆

大海人皇子とくれば額田王(ぬかたのおおきみ)でしょう。

『万葉集 巻の一』

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る   額田王

紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも   大海人皇子

しばし万葉の世界のロマンにひたるのもいいものですね・・・。   つづく

今年の長岡の花火は 震災復興を願って一段と素晴らしいとか。
昨晩見てきた人の話を聞いて、いいなぁ。行きたいなぁ。
でも、今晩もお仕事で〜す。
そう、夜もお仕事なんですねぇ。さて何でしょう。
朝から晩まで働く宗恵です。

今日のお話は なんだか論文の題みたいですねぇ。
ということで、しばらくお付き合いくださませ〜。


陰陽五行説は中国古来の思想ですが、中国に「陰陽道」と称されるものはありません。
陰陽五行の思想が日本に伝わったことが確実にわかるのは
『日本書紀』巻22推古天皇10年(602)の記事です。

百済(くだら)の僧侶観勒が暦本・天文・地理・遁甲・方術の書を日本に献じ
朝廷の依頼によって日本官僚にその内容を講術し、思想と扱い方について教授しました。

その反映が聖徳太子による「冠位十二階」「憲法十七条」の制定と発布にみられます。
木(青)・火(赤)・土(黄)・金(白)・水(黒)を5段階大小の冠位にあてはめ
もうひとつ最上位の徳(紫)の大小を付け加えました。
十二階の「十二」は運命を司る北斗七星の周期から配当された十二将神の数に一致します。
冠位の五行配当で政治の調和を願い、十二階とすることで完全な秩序を目指しました。

また、「憲法十七条」の「十七」は陰の極数(一桁の最大値)八と陽の極数九の和です。
聖徳太子の生きた時代のただならぬ不穏な政治情勢を除災招福へとかえる意向がうかがえます。

「憲法十七条」が発布された推古12年は甲子(きのえね)の年であり、
甲子と辛酉(かのととり)の年には革命が起こるとする中国の陰陽五行説に基づいています。

陰陽道にはまってしまいました。まだまだ続きますので よろしく!

きょうは宵山。あすは山鉾巡行と土・日と重なりたくさんの人出でしょう。
親戚が鉾町に住んでいるので、何回か遊びに行ったことがありますが
観光と違って、実際に生活している方たちの祇園祭はうらやましいなぁ、と思います。


祇園祭は京都市東山区の八坂神社(もとは祇園社)で7月1日から29日まで行われます。
昔は旧6月7日の神輿迎と14日の御霊会(ごりょうえ)に山鉾がでました。
明治以前までは祇園会(ぎおんえ)といわれ、
さらに中世以前には祇園御霊会と呼ばれていたそうです。

この祇園御霊会は869年に疫病が大流行し、卜部日良麿(うらべひよしまろ)が
これを牛頭天王(ごずてんのう)のたたりとして
神泉苑の水辺で禊祓(みそぎはらい)を行い、悪疫の消除を祈ったのがはじまりとされます。

牛頭天王とは、インドの祇園精舎の守護神と中国の陰陽道とが習合した神で
日本ではさらにスサノオノ尊と習合した神格です。
疫病を除去する強力な神とされていました。

祇園祭を陰陽五行で説明いたしますと
酷暑は悪疫を流行させるものですから、
暑い未の土用の月の祭の7月17日に牛頭天王を祀り
「火気の中和」をするのだそうです。

またいつも巡行の先頭をいく長刀鉾は
大長刀で行列の妨げとなる邪霊をはらう意味があります。
長刀鉾の天井には、太陽が天球上を移動する道に沿って並んでいる
28の星座をあらわす二十八宿が描かれ、全宇宙がここに凝縮されていることを
示しています。

ただ、きれいだな、すごいな、とながめていた祇園祭ですが
その根本もまた陰陽五行だったのですね。

華 2

18世紀後期に誕生した生花は自然の出生を第一として
宇宙の万物の象徴である天・地・人の思想をもとに
流派によって「真・副・体」「真・流・受」「体・用・留」「体・相・用(ゆう)」
などに名付けられた三つの役枝によって不等辺三角形を構成し
それを水際で一株にまとめる形式を作り上げました。

特に松花堂古流は宇宙の要素である陰陽と、木火土金水の五元素から
万物が生じるとし、生花は宇宙の陰陽五行を表現したもの、と説きました。

時代の流れにつれ、諸流では自由に花をいけようとする動きが起こり
自由花が創設されました。
自由花は定形にとらわれず、異質の花材を使って自然美を造形する
新しい生花の総称ですが、よく見ると
不等辺三角形と陰陽の原則が守られ、
一点から出発する線の動きが自由花のバランスを保っていることがわかります。


今、「生け花教室」よりも「フラワーアレンジメント」の方が人気があるのかしら。
フラワーアレンジメントは、見て美しくお花を飾ることで
哲学的な思想には基づいていないのかな、と考えているのですが・・・。
フラワーアレンジメントの先生、ご覧になっていたらご教示ください。

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