|
目にも見よ耳にもふれよ香を嗅ぎて ことを問ひつヽよく合点せよ 前の歌と反対のようですが、自ら進んで何にでも興味を持ち 自分のものとしていくことによって、茶道の真の境地に近づいていく…。 「香を嗅ぎて」はお香を聞くことによって気持ちを静めなさい、ということでしょう。 自分が納得するように常に心がける・・・これならわたし、いつもやっていることだわ☆
|
利休道歌
[ リスト | 詳細 ]
利休の教えを簡単に覚えやすく歌に詠んだものです。
|
茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめてきくこともなし 昨日からずっとこの意味を考えています。難しいです。 「教外別伝 以心伝心 不立文字」という禅語があります。 奥義は教えようもなし、また習いようもない。自分で求め、自分で得なければならない。 というようなこと、と思います。 この歌はまさにそのことを教えているのではないでしょうか。 謡曲「法下僧」の一節に 吾らが宗體と申すは 教外別傳にして 言うも言われず 説くも説かれず 言句に出せば教に落ち 文字を立つれば宗體に背く たゞ一葉のひるがへる 風の行方をご覧ぜよ とあります。 茶の湯の道も、受動的でなく自らが進んでその道を切り開いていくのが本旨である。 なんて井口海仙宗匠はおっしゃったけど、まだまだそこまで行くには遠い道のりでございます…。
|
|
稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一 お稽古をするには、一から二、三、四と順を追って十まで進み、 その次には再び初めの一に戻って、また改めて二、三、四と進みます。 初めて一を習う時と、十から戻って再び一を習う時とは 習う人の心は、全く違う状態になっています。 初めて習うお点前はその手順を覚えるだけで精一杯ですが 再びそのお点前をすると、その手順の理屈がわかったりします。 阿部宗正先生は「初心に帰ってやらせていただきます」という言葉は不充分とおっしゃいます。 「十まで行った人がもとのその一に戻った時は、一段高い一でなければならない」 十まで習ったからもうこれでよい、と思った人の進歩はそれで止まってしまいます。
|
|
掛物や花を拝見する時は 三尺ほどは座をあけてみよ この歌もそのままですね。 床の掛物やお花を拝見する時は床から三尺(約90cm)離れて座って拝見します。 ですから床の幅が三尺ですから、床の前に座れば良いわけですよね。 待合など床のないところでは、半畳あけて座って拝見します。
|
|
掛物や花を拝見する時は 三尺ほどは座をあけてみよ この歌もそのままですね。 床の掛物やお花を拝見する時は床から三尺(約90cm)離れて座って拝見します。 ですから床の幅が三尺ですから、床の前に座れば良いわけですよね。 待合など床のないところでは、半畳あけて座って拝見します。
|







