先日の日曜日、寒さがぶり返した北京の寒空の中、道教のお寺の白雲観に行って来ました。
ワタクシの名前は荘子(ソウコ)ですが、ここは道教のお寺、つまり荘子(そうし)の考えや老子の思想などが軸になっている精神世界です。
なぜこの日に行ったかというと、先日我が家に遊びに来たお友達のざおりんさんに、
「旧正月の十九日は、中国中の神様が白雲観に一同に会するものらしい。しかもその神様達は拝観客の姿をしているからひょっとしたら知らない間にすれ違うかも、というサプライズ付き♪」
というワクワクするようなお話を聞いたからです。
あぁぁあん、神様に遭いたいよぉ♪遭いたい遭いたい♪
という訳で出かけたのです。
白雲観というと私にとっては留学時代の最初期を思い出す、とっても懐かしい場所。
1989年。留学生として北京に来た時、一言も中国語が解らなかったワタクシ。
そんなボンヤリ留学生をまったくのゼロから丁寧に教えて下さった家庭教師の老先生(オバアチャン先生)が、この白雲観近くにお住まいだったのです。
最初の頃はほとんど筆談状態。次回教えていただく日も、遭った日に決める、決めたら変更は無し!でした。だって、電話でキャンセルする語学能力なんてありませんでしたから!
雨の日も槍の日も、風邪気味の日も下痢気味の日も、デモの日も戒厳令下でも、自転車で必ず、必ず!先生のお宅へ向かったものでした。遅れても早く行き過ぎてもその理由が説明できないので、早めに行って、よく白雲観で時間をつぶしていたものです(爆)。
まったく中国語を解さない時には気づかなかったのですが、この日、なぜ神様が一同に会するかというと、どうやら神様の中の親分肌(?)である、★祖(★は丘ヘンにオオザト)様のお誕生日なのだそうです。みんなお祝いに来るのかしら。しかし中国よろず神で、何人いるのかしら。う〜ん、ナゾは深まるばかり。
それにしても、参拝客に紛れているであろう神様を探すのは、ちょっと密やかに楽しいものです。人とすれ違うたびに
「あ、この人は熱心にお参りしているから、(却って)神様じゃないかも」
とか
「あ、こんな子供が意外に神様だったりして〜」
とか思っている内に、ふと、気づきました。
「ひょっとして、人々もワタクシを見て神様だろうかと、うかがってたりして〜!」
そうなるとお調子者&プチお宅なワタクシがやることと言えばただ一つ。
神様のフリごっこ(しかも独りで成りきるだけ)
ちょっと物思いに耽ってみたり、お線香の煙を一身に浴びて気持ち良さそうにしてみたり(爆)。
でも、今年一年の開運を願う
「院内にあるサルの壁画3匹を探して撫でよう♪」
キャンペーン(イベント?)では、最後の1匹を見つけた時点で、キャーキャーはしゃいでしまったため、あの時点で神様ぶりっ子の化けの皮は剥がれてますね(てか、最初から、らしくないし)。
こんな俗っぽい(バカっぽい?)神様、きっとどこにも居やしませんね〜。
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