大晦日から2泊3日で帰省してきました。
母がホームから帰って来る期間の介護家事要員として、
期待された以上の働きをしたと思います。
電話で話したら忘れられていた私ですが、
秋に帰った時も顔を見れば思い出すようで、
今回2、3日一緒にいるうちに完全に思い出してもらえたようでした。
私は中子で、
幼少時から社会人になった後もかなり手のかからなかった子供だったと思います。
甘えたり頼ったりわがままを言ったりもなるべくしないようにしてきたつもりだけど、
それだけにそばにいるということが少なかった。
今回べったり母のそばにいて、
私はそれをリラックスして楽しめるような性分ではないけど、
でも二人きりで話もできて(すぐ忘れちゃうけど)いろいろ手伝えてまあよかったんじゃないかしらん。
ただめちゃくちゃ疲れました。
年賀状も疲れるので止めて久しいんですが、
帰省だけはなんとかこなしてます。

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副部長Aンドー(♂)の文章です。(「四国高演教だより」に掲載予定。)


12月25日の17時0分、私達の「くじらホテルはほぼ満室2017」の幕が上がった。

去年の四国大会で涙を流してから1年、長いようで短い道のりだった。
何とかセリフを繋いだ地区大会、いっぱいいっぱいで劇を成立させた県大会。四国大会の直前までも頑張れば  頑張るほどこの劇が沈んでいくようだった。
不器用な私達は今前を向いているのかさえわからない。そんな時「何のために上演するんだろう。」この問いにぶつかり、そして救われた気がした。
直前、ほんとに一週間になって私達はどんどん身軽になっていった。

そして本番。
とあるホテルのロビーでみんな何だってできた。
楽しんでいる私達と笑う観客でどこまでも行けた。
私達も誰も知らない、誰も見たことがない、新しく輝き始め、命を持った舞台だった。
「ひとつの劇で世界を変えられる。」その言葉は真実なんだと知った。
笑って、笑って、泣いて、笑って、落ち込んで、笑って、笑って、笑ったあの日々が全て詰まった幸せな上演。こんな幸せ、人生であとどれだけ経験できるんだろう。

世界一幸せな1時間を包み込むように幕が降りていく。
「最後の一息をふりしぼって、新しくはじめることだってできるのだ。」
幕が降りきった瞬間、ふと、台本のこの言葉の意味が分かった気がした。



大会の審査にはがっかりさせられることが多いことだよなあとここに書こうとしていたら、
部長Yからこの文章が送られてきました。
そう言えば本番前の袖で、
部員たちは口々に緊張していないのだと話していました。
Aンドーの声も聞こえました。
「オレはね、『失礼しまーす、郵便局でーす!』って、舞台に出て行くのが楽しみでしかたがない、楽しみでしかたがないよ!」
こんなふうに舞台に飛び出して行ける集団、そんな状態になれたということ、その手伝いができたことを、
私は誇りに思っていいんだし、
こんな幸せを私はいったいどれほど多く経験してこれたことだろう。
そんなことを思い出しました。
いやはや生徒には教えられてばかり、感謝することばかりですよ。

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演劇四国大会INひめぎんホール
4年に1度・今年の四国大会は愛媛
四国の強豪が集まります
東校はクリスマス17時から!!
                          
第42回四国地区高等学校演劇研究大会日程
12月25日(月)
10:501105 開会式
11:101210上演①愛媛県立東温高校  「平成二十一年度北海道然別高等学校演劇部十勝支部演劇発表大会 参加作品」
13:001400上演②徳島県立海部高校  「片道7km 40分」
14:201520上演③高知県立高知南高校 「遐福」
15:401640上演④香川県立丸亀高校  「フートボールの時間」
17001800上演⑤愛媛県立松山東高校  「くじらホテルはほぼ満室2017
12月26日(火)
9:301030上演⑥徳島市立高校    「夕暮れよりもまだ向こう」
10:501150上演⑦土佐女子高校    「月の道標―ユタとの約束―」
12:401340上演⑧香川県立高松桜井高校「日本の大人」
14:001500上演⑧愛媛県立新居浜南高校「また会えるかな?」             入場無料
 
*全国大会出場を懸けたコンクールとなっていますので中途入場は厳にお控えください。
*各校5分前にはご着席くださいますようよろしくお願いします。
*1校1時間です。どの高校を観ていただいてもかまいません。
*誰でも入場できます。保護者の方やお友達にも知らせてあげてください。

どこを検索しても日程がわからないと何人かから聞きましたのでアップしました。
学校に貼ろうと思っているポスターでございます。

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女子高生の語彙力。

県大会前日だったか、
喉を嗄らしかけていたN(♂)に携帯用ハチミツ(折るとドレッシングみたく出てくるタイプ)を渡したのであるが、
なんとか舞台を終えて(おかげさまで辛くも四国大会に出場します)さて飲んだのかと聞いてみると、
「はい。ハチミツレモンにして飲みました。」と答えたのが意外で(あんまりマメなイメージがなかった)、
「ハチミツレモンってN、どうやって作ったの?」と聞くと、
「ハチミツお湯で溶かしました。」と答えた。
ので、
「それって、」
と私が何か言おうとするとその前に周囲の女子たちから総ツッコミが入った。
「それ『レモン要素』ないな。」
「レモンどこ行ったん。」
「ハチミツのお湯割りやん。」
「『ハチミツレモン・レモン抜き』やな。」
あっという間に大炎上でありました。
(しかしなんという適切な評言たちでしょう。)

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読書の秋〜。

読書の秋のこの頃はHRで集団読書するのだが、
その題目が,
去年が原民喜の「草の花」(原爆を扱っている)、
今年が田宮虎彦の「足摺岬」(自殺を扱っている)、
という陰鬱さである。

集団読書用の本は同題目で45冊くらいがセットになった特別なものだから、
題目選択の幅はもともと狭い。
そしてそれらはみな昭和52年発行、
なんと私の高校時代くらいのものが延々と使われているのであって、
多分これはこういう活動が導入されたのがその頃で、
いくら普遍的な素材を探したところで「その頃の」高校生が読むべき本が選ばれているのは仕方のないことなのかもしれない。
自然、シリアスな分野はこのように「戦後文学」と呼ばれるものになってしまったのであるだろう。

さて私が言いたいのはそういう読書体制について云々ということではもちろんなくて、
両主人公の不健康さ、死にそうな加減についてである。
どちらの主人公も「私」であってほぼ作者自身の投影であるが、
(「草の花」は「ほぼ」ですらない)
どちらも今にも死にそうに臥せっているのである。
(「草の花」は死んでしまう)
臥せったまま、
あたりの物音は聞こえているが死の淵に落ちていきそうなその感じ、
それはまさしくここ10年ほど、私が陥っていた状態であった。

今にして思えばそれは「飢え」が原因だったと思う。
私は現在「MEC食」と呼ばれる食事を実践中であるが、
それは糖質制限の一種でとにかくタンパク質を摂取することを主眼とする。
特に私のような小食の者は炭水化物を入れるような胃の余裕はないのであって、
そんなことをしていたら必要なタンパク質が摂れないから「飢えて」いく。
私はこれまでそんな状態にあったのだった。
飢えれば死が近づいてくる。
少しずつ痩せてくる。
身体を動かすことができない。
命のともしびが細っていくのが自覚される。
それがタンパク質の摂取によって生まれ変わるように元気になってきたのである。

昨日夕方視聴覚室を復元しようとして、
私は二つのパイプ椅子を抱え上げては次々長机にセッティングしていった。
もちろん生徒ほどには動けないに決まっているが、
しかし私にとってそんなことはこの5年半できなかったことであった。
死にそうになるたびに何か「千豆(byドラゴンボール)」的なものを欲していたのは、
必要なものを口から摂取するべきという感覚だけは働いていたからであろう。
その命の「千豆」を、
梅干しであろうかゼリーであろうか酵素であろうかと摂取しやすいものから求めていったのであるが、
毎度の食事でタンパク質を増やせばいいことをここにきてようやく知ることができたのである。

「足摺岬」の主人公がうなされて目覚め、
枕元に用意されていた冷めたみそ汁で冷や飯をかき込む。
ああダメダメそれじゃ。
肉食べなきゃ肉。
と言っても戦後だしみんな死にそうに貧しいし。
「草の花」に至っては炭水化物さえ食べることができない。
読書の秋は陰鬱である。

でも窓の外は秋晴れで、
久しぶりにたくさん洗濯してシーツが朝日に輝いている。

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チャンク。

『史記』は「鴻門の会」を教えている。
「剣の舞」が終わっていよいよ樊噲(はんかい)の登場だ。
私は樊噲が好きである。
たくましい男が好き、というよりは、たくましい男に生まれたかった、というのが本当のところであろうか。
それはさておきそんなわけで、
「頭髪上指(じょうし)し、目眥(もくし)尽(ことごと)く裂(さ)く!」
自然、授業も上機嫌である。
「髪は逆立ち、まなじりは裂けんばかりである!さあこれは誰の、どのような様子を表しているのでしょうか!?」
と生徒に質問する。
「樊噲の、激怒している様子、です。」
正解である。
いい調子である。
「そうですねー!!ものすごく怒っているわけですよ。それにしてもみなさんは、髪の毛が逆立つほど怒ったことはありますかー?」
こう呼びかけるのは文章を自分のこととして捉えさせるためなので、
別に質問ではありません。だから、
「私はあります。」
とつけたして話題を終えて板書の続きを始めたのだが、
私の背中で教室がなんだかザワザワし始めた。
「えー?どうしたんですかー?」
と上機嫌のまま板書を続けていたのだが、
どよめきはますます大きくなっていく。
しかしこちらも年の離れた生徒たちのその時々の興味の対象をすべて知りたいだなんて別に思わないお年頃なもんだからいちいち反応はしません。
振り返って、
「ではどうして激怒したのでしょうかー!?」
と、全く気にせず授業します。
しかしそこでザワザワが最高潮に大きくなった。
なんじゃこりゃ。
よく聞くとザワザワの中から、
「チャンク。」
「チャンクや。」
「チャンク。」
「チャンクやっとったからや。」
「授業中チャンクやっとったからや。」
というような声がだんだん大きくなってきた。
え、チャンクってなんだ。
ああ、英単語帳の名前である。
そう言えば、このクラスはいつだったかあの、2年に1度だか激怒する私が半年ほど前に火だるまのように怒ったクラスではありませんか。
「なんですか、○〇君、樊噲が激怒したのは授業中にチャンクをやっていたからだと言うんですか?」
「いえ!僕そんなこと言ってません!」
一番前の生徒に軽く聞いてみたのだが思いのほか強く否定された。
さて次に指名する順番は、それがまたちょうどあの日怒られた当人である。
「では△△君。」
生徒たちが小さくおーっと声を上げる。
「樊噲が激怒した理由はなんですか?」
△△君立ち上がる。
みんな注目。
「・・・沛公が殺されそうになっていたからです。」
「そうですねー!!」
というわけで授業はそのまま無事終わったのであった。

それにしても「髪の毛が逆立つほど怒る」でまさか自分が想起されるとは。
樊噲になりたいとは思ってたけどそれは「たくましい男」になりたかったわけであって、
「激怒するたくましくない女」ってホントどうなんだろうってちょっと思います。

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映画のDVDの感想を越智くんと話すと、
いい悪いの評価がものすごく一致しているので驚く。
特に感動したり特にひどいと思ったときは性格上口を極めて褒め上げたりののしったりしたくなるのだが、
その際の形容に形容したい内容のかなり端に位置する言葉を試しに使ってみたり、
するとそれは時折まるで真逆の内容の形容に用いられたりもする言葉なので誤解される危険もあるのだが、
「それそれそうなんですよね!」的に拾ってくれるばかりかそれを彼なりの言葉で言い直してくれたりまでする。
なんと趣味のよい人物であろうか!
先日ほとほと感じ入って、
「私たちは本当に映画の趣味が似ているよね、そう思わない!?」と言うと一瞬黙って言いにくそうに、
「でも僕『死霊のはらわた』も好きです。」
「し・・・!!」
私はホラーは本当にダメである。というか憎んでいる。というかなんで存在しておるのかわからん。
「それから『ポリスアカデミー』も好きです。」
「ポ・・・!!」

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壊れかけのラジオ。

お掃除音楽は生徒のリクエストで流れる。
掃除しながら聴いている。
古い曲も時々混じっていて、
親の影響なんかなーとか思う。
「この曲知ってる?」と聞くと、
「知りませーん!」とか答える。

もちろんいつもはほぼ逆で、
「この曲なに?」
「〇〇ですよぉ!!」
「ねー!!」
みたいなことが多い。

けっこう大音量で、
先日は私がロッカーの上に置いてある体操服を見つけて音量に負けないように、
「これ誰の!?」
と聞くと、
「〇〇です!!」
と聞いたことのない名前を答えるので、
「・・・それ何組の子かな?」
「・・・歌手です。」
みたいなこともあった。

一昨日は徳永英明の「壊れかけのラジオ」が流れていて、
これは生徒は知っているんだろうかなと思いながら掃除場所に向かう廊下、
野球部の男の子たち4、5人の集団の一人がすれ違いざま、
「思春期に〜」と口ずさんで、
するとクリクリ頭の彼ら全員が、
「少年から〜大人に〜向かう〜!!」と歌い始め、
私と目が合うとおかしそうに笑って、
みんな大声で歌いながら去って行った。

この曲は知っているのらしい。

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