ウトゥディールものがたり

本を読む時間、なくなってしまうのは悲しい

おはなし

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これはだめだ。もうだめだ。完全に手癖だけで書いている。全くなににもなってない。

風邪のよる

風邪をひいて医者にゆき点滴をしてもらいました。
私の近所の医者は風邪というと必ず「カロナール(消炎作用)」「ビオフェルミン(整腸作用)」を出します。それ以外に処方されたことはありません。たぶんそれ以外に薬を知らないんだと思います。それ以外に踊りを知らない。あ、これ弘美さんね。

風邪をひいてつまらないので、つまらないことをつれづれと書きます。思うらくは、

「俺ちっちゃい頃めっちゃかわいかったんだぜー」とか
「〇〇くんてばちっちゃいころは天使みたいにキュートだったよね(幼馴染談)」

って男子、実に多いということです。それで、そういう男子の小さい頃の写真とか見せてもらうと実際すごくかわいらしかったりして、

あーきみどうしてこんなになっちゃったんだろうね…(哀)

と思わされるものですよね。女子ではあまりそういうことありませんよね。小さい頃は肉まんじゅうみたいだった子が、15年経ったらええマジ!?これがあの子!?めっさかわうぃくない!?ってなることの方が多いですよね。大体女子というものは年齢を重ねるごとに美しさを増してゆくようです。私のマムは、年齢を重ねるごとに理想と現実の乖離が激しさを増し、いまや自分を26歳と偽っています。美しさの対極ですね。

ある恩師に言及いたしますと、
「オレねえ、大学時代はすげえかっこよかったんだぜ」
と。おいおい大学時代ってそれほど前でもなかろうよ、そんなに変わるもんでもないでしゃろう、って思っていたんですけど、写真を見ればこれがまた10kg以上痩せててびっくりするほどいやらしい感じの青年、女の子をはべらして、ああこりゃあもてますわ、センセイもてたでしょ、と尋ねれば、

「今ほどではない」

とのこと。どゆこと!?
「いやいや、当時はけっこうがっついてたからねー。年とって余裕が出てきてから
の方がむしろ受け入れられやすいっての?こっちの方が安心感あるのかもしれんしねー」

とのご発言。わからなくもないです。昨今はなににつけても「かわいい」と形容する風潮でありまして、数年前まではきもいと眉をひそめられていたのが最近ではうってかわって「かわうぃーうぃー」と大人気なのだと、恩師は満足げに煙草をふかしました。恩師はムード重視派で、家のソファが真紅です。恩師がどんな変貌を遂げていくか、今後益々楽しみです。

そういえば、先日菊地成孔ペペトルメント・アスカラールのライヴにて、
「記憶喪失学」のジャケットにサインをしてもらう機会に恵まれたのですが
(しかも紙ジャケの袋部分のなかに、香水ひとふき!エッチ!)、
そのときふとあげられた成さんの目がかの恩師の目つきそっくりで、おお!貴男等お仲間だ!と感心いたしました。さすがです。年に3000回行為に及んでただけのことあります。成さんも子供のころ吐き気がするくらいの美少年だったって自分で言ってるからな…。相変わらず話がでかいな…。

ちなみに、「俺こう見えて昔は○○だったんだぜ」のヴァリエーションとしては、

「俺、昔神童って呼ばれてたんだぜ」
「俺、勉強も運動もできてクラスの人気者だったんだぜ」

などもあります。それが偽りでも誇張でもなく「実際にそうであったであろう」というところに悲哀を感じます。

以上、独断と偏見に基づいた「過去の逸話」談義でございました。

おつきあいいただき、誠にありがとうございます。

川上弘美さんの新作を読んで悲しくなる。

弘美さん、むりやりお話書かなくていいよ、
おうちでゆっくりして蜜柑でも食べていればいいよ、
きっとほかのひとがなんとかしてくれると思うよ、
だから養生してくださいよ、と思う。

作家にはいろんなタイプの人がいて、それはもうかっちりと仕事人な人もいるし、
私小説めいたものしか書けない人もいるし、蛇やら小鳥やらわけのわからないものがたくさん出てくるにしろ、弘美さんは自分のまわりのことしか書けないひとだから、そのとき思っていること、そのとき感じていること、それしか書けないひとだから、もう本当に苦しそうだ、と思った。

弘美さん自身、お話のなかに書いていた。
知りたくないのに、生きているといろんなことを知ってしまう。
知ってしまうこともあるけれど、その分忘れてしまうこともある、と。
そして、「知りたくないのに知るんだねー」と主人公のひとりに心のなかで歌わせていた。

弘美さんは、いろんなことを知ってしまったから、純然たる恋愛小説の甘ったるいのは書けなくなっちゃったのだ。『センセイの鞄』やら『溺レる』のような。
家事洗濯をしたり、こまごまとした仕事をこなしたり、夫のおしめを替えたり、
肉親の葬儀を出したりしなくちゃいけないから、いつまでも溺れているわけにはいかなくなったのだ。
不倫するのも日常で、肉親が死ぬのも日常で、なんとなくぺったりと均一で、
平凡でつまらなくなってしまったのだ。

わかんないな、年をとるとそんなにつまらなくなるのかな。そんなことないと思うけどな。
でも、まだそこまで年とってないからわかんないな。弘美さん、早く孫ができるといいですね。
おばあちゃんになったら、また違うことがわかって、書けることも増えますよね。
それか、また違う恋をするといいと思います。
いまあなたに必要なのは、新しい風と休養です、と、あなたのファンである私は思います。

塾のおはなし

今日は足あとが多いですねえ(この放置ブログにしては)。
調子に乗って、最近のことでも書いてしまいますか。

高校時代塾で化学を教えてくださった恩師が、晴れて研修医を終え精神科に進まれることになったそう。
残念ながら彼の通う大学に入学することはできなかったけれど、私も同じ道を目指して医学部に入り、
かれこれもう4年になります。中学のころから精神科を志していた自分としては、また少し先に
恩師を仰げることができてうれしい限り。もう会うことはないけれど、同じ分野で頑張って
いれば、いつかまたどこかで再会できるんじゃないかな、なんて淡い期待を抱いています。

恩師は、とても愉快であけすけで、気持ちのいいひとでした。誰に対しても衒いなく接することの
できるひとだから、生徒みんなに人気があったし友達も多いようでした。妙にひねくれたことを言う
こともあったけれど、そのひねくれかたも紋切り型の予想範囲内というかわいらしさで、恩師を見る
たび私はびっくりした小動物的なものを思い出したものでした。

気の多い私は、恩師と同じ大学の医学部に入学したら告白なんぞしてしまおうか、とぼんやり考えて
いたのですが、それもいつの間にやらうやむやになって、時々彼のブログを読んでは、相変わらずだなぁ
なんてにやにやするばかりなのです。曰く、彼女ができたようだ。曰く、酒を飲んで醜態をさらした
ようだ。身近にはおらずとも、その人が元気にどこかで生きてると思うだけでうれしく思えるひとは
何人かいるもので、私にとって彼は間違いなくそのひとりなのでしょう。

私が恩師の授業を初めて受けたのは高1の春だから、15歳。それから7年が経ち、初めて会ったときの
恩師の年をすでに超えているのだなあと思うと感慨もひとしおです。
今は恩師も講師の職を辞し、教壇には当時の私の友人たちが立って生徒らを指導しています。

あまり交友関係の広くもなかった自分ですが、その時その時の人とのかかわりが今でも息づく有様を
思うと懐かしくもあり、微笑ましくもあります。辛いこともたくさんあったけれど、あの場所にいて、
よかった。

新宿を通るたび、やっぱり思い出してしまうのです。

もうすぐ「サルガッソーの広い海」が新訳出版されるとのことで、前勉強に「ジェーン・エア(上・下)」を拝読いたしました。なるほど、ブロンテの溢れんばかりに豊かな想像力、その筆の確かさに感服いたしました。19世紀英国文学の特徴とされるロマンチシズムと、恐らく彼女の性質であろう表面では静謐ながら内で燃えさかるような熱情、敬虔なクリスチャンとしての信仰、そして当時次第に取り入れられてきたフランス文学的リアリズムが、まるで火花を散らすがごとくせめぎあい、読者を引き入れてやまない魅力をかもしだしています。このところ、ボルヘス、ガルシア・マルケス、ビオイ・カサーレス、コルタサル、といった南米の作家、古井由吉、武田泰淳、島尾敏雄など日本の戦前、戦後にかけての作家、フローベール、バルザックといったフランスの巨匠ばかり読みふけり、イギリス文学はかろうじてカズオ・イシグロに手を出す程度だったのですが、これを機会に少し読んでみるのもよいかもしれません。多くの作家を国別にひとくくりにするのは乱暴にすぎるようですが、それでも例えばカズオ・イシグロの抑えの利いていてぴたりぴたりと的確な文体はイギリス文学のある種の特徴を備えているように思われて、それでは具体的にどのような作家の、どのような作品の系譜にあたるのか、そのようなところを見ていくのも面白いかもしれません。それでも、なんといいますか、自分にはその理知的で貴族的な雰囲気はあまりあっていないようで、どうにも堅苦しさを覚えてしまいます。その印象が寡聞による偏見なのか、もしくは直感的真実なのかを確かめてみるのも、一興でありましょう。「ジェーン・エア」に関する限り、主人公ジェーンとロチェスターの一風変った駆け引き、ロチェスターの狂った妻の引き起こす惨事、ソーンフィールドを逃れたジェーンを救ったリヴァース家との交流等オツな部分はあるものの、ストーリー展開はあまりに劇的で感傷にすぎるようだし、狂人、ジプシー、霊的な言葉など幻奇的なものが突如としてお目見えするのも突拍子もなく幼稚に感じられてしまいます。ジェーンという人間の癇症、自尊心が高く他と相容れず、この時代には奇特な独立心を持ち合わせる性質に共感しかねるところもあるでしょう。なよなよと男に依存してその背に隠れているのが女のあり方だなどという気持ちは毛頭ありません。しかしながら、恵まれなかった幼少期のわだかまりを解きほぐせず、頑なに突っ立つ彼女の姿勢は、いびつであまり喜ばしいものとも思えない、というのが本当のところです。後の10年間の結婚生活を「完全に幸福であった」と一言に片付けてしまうのも性急すぎるようで、なんだか歯がゆく思われます。メロドラマとしては大変面白いのですが。。。
ともあれ、「サルガッソー」が出版されること、待ち遠しく思うことにいたしましょう。

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