小豆島テストパイロット物語

小豆島のこと、エンジェルロードや瀬戸内の海の幸、拙著のこと色々と掲載します。

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愛しのタコさんは、どこに行ったのでしょう・・・

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 現在午前5時50分、穏やかな小豆島の日の出とともに知り合いのお年寄りが、真魚鰹を釣りに出て行きました。
 もう八十歳を超している知り合いは、釣れても釣れなくても、海さえ穏やかやったら船に乗って沖に行く、と笑っていました。
 今日もタコ釣りは坊主、愛しのタコさんはどこに行ったのでしょうか
 全国のブロ友の皆さん、残暑お見舞い申し上げます。
 突然、投稿が途絶えまして深くお詫びいたします。テストパイロットは元気です。元気過ぎて多忙な第二の人生を歩んでおります。
 このヤフーのブログが終わることを知り、だんだんと無気力になり、その代わりフェイスブックに投稿しております。勝手ながら「南堀英二」で検索していただきフェイスブックを覗いて頂けますれば幸甚です。

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夜明け前の小豆島エンジェルロード


母親の初盆

母親の初盆

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 戦争中母親は女子挺身隊として、岡山の軍需工場で鉢巻きを巻いて飛行機の部品を作っていました。

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 母親の国民学校高等科三学年の成績一覧、学科はすべて10満点、体操が8、工手9、業9、家事9で平均9.8。さらに学校委員活動をしたと記されていました。

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  テストパイロット家では、平成16年頃まで家で餅をついていました。差配は母親、孫とついた餅を丸めて喜んでいました。
                         
                              初盆

 母親の初盆です。本家の仏壇廻りを清掃していたら、戸袋に粗末な布の袋がありました。開けて見ると、古びた学校手帳というのが入っていました。昭和十六年四月、岡山縣和氣郡片上國民學校に入学したときのものです。
 私は、母親が亡くなってはじめて、母親が岡山県の小学校に通っていたことを知りました。私の母方の祖父母は土庄町の小瀬地区の出身で、戦前に職を求めて岡山県の片上に移住し、品川耐火煉瓦で働いていたという事くらいは知っていました。ただ、母親は戸形小学校の閉校記念アルバムに載っていたので、私は戸形小学校を卒業して淵崎にある東洋紡績に勤めていたと漫然に思いこんでいました。
 母親の国民学校高等科三学年の成績一覧を見て驚きました。学科はすべて10満点、体操が8、工手9、業9、家事9で平均9.8。さらに学校委員活動をしたと記されていました。この成績なら高等女学校に進学できたはずである。しかし、それは職を求めて一家で片上に移住した祖父母にとって、かなえてやれることではなかった。時代も悪かった。昭和5年生まれの母親が岡山縣の片上國民學校に入学したのが昭和14年3月、卒業が21年3月である。太平洋戦争に突入、そして終戦という激動の時代でした。母親から、戦争中に女子挺身隊として鉢巻きを巻いて飛行機を作っていたという事を聞いた覚えがあります。
 私はこの学校手帳を見るまで、母親がこれほど勉強ができる人だと思ったことはありませんでした。ただ、一度だけ、そうかなぁーと思ったことはありました。もう40年も前の昭和55年の12月、大学時代の恩師内田義彦先生(専修大学経済学部名誉教授)が小豆島の拙宅に遊びに来たときのことです。
 その頃、土庄町の四海公民館の主事をしていた私は、ちょうど催されていた子ども会の餅つきに内田先生を連れて行きました。内田先生は喜ばれ、公民館で子どもたちと嬉しそうに話をしていました。昼ご飯時、今なら島活に連れて行き、瀬戸内海の魚介類に舌鼓をうってもらうのですが、若い私はお金がありませんでした。両親に頼んで、朝穫ってきたメバルの煮付けや蒸したワタリガニを食べてもらうことにしました。母親は、なにやら内田先生とにこやかに話をしながらガニの甲羅を外して身を取りだして食べてもらっていました。食事が終わると内田先生は、「君のお母さんは頭のいい人ですねぇー」と言ったのを今も覚えています。母親が人から頭のいい人ですねぇーと褒められたのは、内田先生だけであろうと思います。
 後に、内田先生の友人で劇作家の木下順二さんが、「この間内田君が小豆島へ行って子ども会の餅つきに参加したそうな、教え子の家で食べたカニが美味しかったと喜んでいた。内田君らしいなぁー」と言っていたということを人づてに聞きました。
 母親は、子ども二人が大学を出て社会人になるまで、家の前の小豆島国際ホテルで掃除のパートとして勤めていましたが、一段落つくと母親は公民館活動の書道教室と俳句教室に通い始めました。作句にいき詰まったとき、「私は他の人のように上の学校に行っていないから、言葉を知らないんよ」と悲しそうに私に言ったことがあります。
 平成16年の夏、そんな母親のために私は、パソコンと丸善の製本工房を使い、選句の監修と序文は俳句の先生でありホトトギス同人の山本照雪先生、題字は私が墨書した母親の句集を作りました。母親の俳句だけではなく、俳句に見合った写真を掲載、また小豆島の古い写真を掲載して、再読に耐えるように願いました。20部作製して母親に渡すと、兄弟や俳句仲間に配ったとのこと。この句集を手渡したとき、「こんな立派なものを作ってくれて・・・」と喜んでくれました。
 薬石の効なく母親は昨年の11月に亡くなりましたので今年は母親の初盆、あいにく小豆島は台風のまっただ中、エンジェルロードから父親と母親の御霊が乗るショウロサンを流してあげることはできそうもありませんが、また来年の盆には、二人仲良く自分たちが建てた家に還って来てください。

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雨に煙る小豆島エンジェルロ−ドの朝
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 おはようございます。穏やかな小豆島エンジェルロ−ドの夜明けです。☔️がシトシト降ってきました。
 日中は、外つ国の観光客でごった返すエンジェルロードですが、篠突く雨の早朝では誰もいません。かすかな潮騒の音が聞こえるだけです。

       海が割れるのよ 道ができるのよ
  島と島とが つながるの
  こちら弁天から あちら中余島まで
  海の神様 住吉神社

 思わず珍島物語の替え歌を口ずさんでしまいました。韓国の人に怒られるかもしれませんねー、でも作詞作曲は中島大三郎さんやから・・・

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まだまだ小さいけどオリーブの実です(笑み)

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このオリーブの木は、原産国がアメリカのミッションだそうです(笑み)

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