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イングランドで開催されていた全英オープン、最終日、アーニー・エルスは6打差を逆転して優勝しました。
 
おめでとう、アーニー!
 
アーニー・エルスは、"I started believing this year."とコメントしていました。
 
日本のテレビ放送ではタイガー・ウッズ(米)とアダム・スコット(豪)に注目していて、解説者は、「展開によってはエルスにもチャンスがある」と言っていました。
 
また、アーニー・エルスは、アダム・スコットに対してこのようにコメントしていました。
"I feel for Adam, he's a good friend of mine."

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タイガー・ウッズがプロデビューした1996年8月、私は南アフリカに滞在していました。

南アフリカで話題になったのは、タイガー・ウッズの「この国(米国)には肌の色のためプレーできないコースがある。プロになった私に対して準備ができていますか?」という発言でした。
南アフリカでは、かつて黒人はプレーできませんでした。
黒人がプレーできるようになったのは、アパルトヘイトが廃止された1990年代になってからだろうと思います。
1990年代の中頃、マプマランガ州の田舎町のあるゴルフ場へ行った時、「ここは、初めて黒人をプレーさせたゴルフ場だ」と聞かされました。

南アフリカでは毎年、11月下旬頃にノース・ウエスト州のリゾート地のサンシティーにあるゲーリー・プレーヤー・カントリークラブで、世界のトッププロ12名を招待してミリオン・ダラー・トーナメントが開催されていました。
(今はネド・バンク・チャレンジと名称を変えているかもしれません)
北半球は冬でオフシーズンということもあり、有名選手が出場していました。
1995年だったと思いますが、ケープタウンからヨハネスブルクまで搭乗した、マイアミからの飛行機には、綺麗なガールフレンドを伴ったミケルソンやランガー他を見かけました。

タイガー・ウッズがデビューした翌年の1997年、ミリオン・ダラーはタイガー・ウッズを招待したみたいです。
ゴルフファンは、タイガー・ウッズに会えることを楽しみにしていましたが、日程の調整が出来なかったみたいで実現しませんでした。
翌1998年、タイガー・ウッズは、日本での試合に出場し、そのまま南アフリカへ向かい、ミリオン・ダラーに出場し、その後、ケープタウン方面で開催された世界大会(?)に出場しました。
タイガー・ウッズは南アフリカに到着すると、まずネルソン・マンデラ大統領を訪問したみたいです。
当時の南アフリカの雑誌を調べていますが、まだその記事が見つけられません。

その後、タイガー・ウッズが南アフリカを何度訪問したか知りません。
2003年だったと思いますが、私が南アフリカを訪問していた時、タイガー・ウッズは、プレジデンツカップへ出場するため南アフリカへ来ていました。
この時、タイガー・ウッズはガールフレンド(離婚した奥さん)を同伴していて、婚約を発表し、試合後にしばらく滞在していました。
「婚約指輪はリングにゴルフボールが乗っている」というようなジョークが言われました。
"ゴルフボール"ではなく"ゴルフボールと同じくらいのダイヤモンド"だったかもしれません。
今回の離婚の慰謝料で、"ゴルフボールと同じくらいのダイヤモンド"は買えるのでしょうか?

(写真はサンシティーとゲーリー・プレーヤー・カントリークラブです)

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スコットランドのゴルフの聖地、セントアンドリュースで開催されていた全英オープン(The Open)で、南アフリカの世界では無名ともいえるルイ・ウェストヘーゼン(Louis Oosthuizen)が優勝しました。

日本のテレビ放送を見ていましたが、3日目までは日本の注目の石川遼ばかりが放映されていて、ウェストヘーゼンをほとんど見ることができませんでした。
今回の(も)ジ・オープンは、天候の変化が激しく、スタート順によって大きな運と不運がありました。
強風のため、グリーン上でボールが動いてしまうため、試合の中断がありました。
ウェストヘーゼンは、予選ラウンドはスタート時間が早く、天候に左右されない時間にスコアーを伸ばし、そのまま逃げ切ったという感じかもしれません。

南アフリカはゴルフが盛んで、小学生と思える子供たちもプレーをしていました。
その少年たちに、「好きなプレーヤーは?」と聞くと、「アーニー(・エルス)」と答えていました。
その後、グーセンが活躍し、ウェストヘーゼンの時代に入ったかもしれません。
かつては、かの有名なゲーリー・プレーヤーです。

写真は、インド洋沿いのワイルドコーストでプレーした時のゴルフカードです。
ここでプレーした時、強風と雨にみまわれ、180メートルほどのショートホール(パー3)の谷を、ドライバーでも越えることができませんでした。

優勝した"Louis Oosthuizen"の読み方が話題になりました。
日本の新聞では当初、"ルイ・オイストハイセン"と記載されていましたが、"ルイ・ウェストヘーゼン"に変更されました。
これは、「本人の希望により、南アフリカでの発音に近いものに手直したため」だそうです。

でも、何故、"Oosthuizen"を"ウェストヘーゼン"と読むのだろうか?
アフリカーンス語で"Oos"は、英語では"East"です。
ならば、"イーストへーゼン"と読むような気がしますが……

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ゲーリー・プレーヤー

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マスターズの季節になると南アフリカ滞在時を思い出します。
マスターズは米国のオーガスタで開催されているのですが、南アフリカ滞在時にテレビ放送を見ていたことと、エルス、グーセン、ゲーリー・プレーヤーなどが出場するからかもしれません。

エルスで思いだすことといえば、ヨーロッパツアーの試合が南アフリカで開催され、観戦に行った時に帽子に書いてもらったサインです。
残念ながらその帽子は、一年後ぐらいにゴルフ場で無くなってしまいました。
週末に田舎町のゴルフ場へ行った時、プレーをしている小学校高学年ぐらいの2人の少年に会ったことがあります。
少年たちは、「アーニーのようなゴルファーになりたい」と言っていました。

ゲーリー・プレーヤーは、アパルトヘイト時代に活躍したゴルファーです。
黒人たちへも親切で、黒人たちからも慕われていたそうです。
ノース・ウエスト州のサンシティーにあるゲーリー・プレーヤー・カントリークラブは有名ですが、南アフリカ各地のゴルフ場に、ゲーリー・プレーヤーが来場した時のサインやゴルフ場設計のコメントなどが残されています。
71歳になったそうですが、今年が50回目の出場だそうです。
(過去の優勝者は毎年出場することが出来ます)

4月3日(火)の練習ラウンドは南アフリカチームで回ったそうです。

(写真は南アフリカの新聞からお借りしました)

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サンシティー

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ゲーリープレーヤー・カントリークラブのゴルフカードです。

私が、初めてサンシティーへ行ったのは、15年ほど前です。
当時はまだロストシティーは建設中でした。
「もう二度とサンシティーへは来ないだろう」と思いましたが、それから数年して、何度か行く機会がありました。

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