南ア・W杯開催都市

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平な岩盤の大地には、見たこともない草花が咲いていました。
ここ南アフリカには、大小さまざまなプロテアという花があるそうです。
最も大きいキング・プロテアは南アフリカの国花だそうです。

だんだんと、この先に喜望峰があるという雰囲気になってきました。
途中のゲートでミニバスは止まり、入園の受け付けをしました。
ここから先は、ネイチャー・リザーブ(自然保護区)になっているそうです。

ミニバスは海が眼下に見える道路で停まりました。
ガイドさんが遠くを眺めていて、「あそこにボック(カモシカの一種かもしれない)がいる」と説明してくれましたが、大地とボックが同じ色のためなのか、見つけることが出来ませんでした。
道路沿いに停められた自動車の屋根の上にはバブーン(猿=ヒヒ)が乗っていて、観光客の荷物や自動車の中の荷物を狙っていました。

ケープポイントは荒れた大地を通りすぎた、その先端にありました。

駐車場の近くには、2軒のそまつな土産物屋さんがありました。
ケープポイントはこの駐車場から、さらに100メートルほど高い所ところにあり、急な坂道をバスに乗って5分ほど登ると到着しました。
この有名な喜望峰が観光地化されずに残っていました。
私は、この世界的に有名な喜望峰が、開発もされずに残っていることに感激してしまいました。

遠くに見える海の色は、濃い緑のようでもあり、青のようにも見えました。
ガイドさんが、「インド洋と大西洋のプランクトンの違いだ」と説明してくれました。
「ケープタウンへ旅行に行って来る」とご主人の沢木さんへ言った時、沢木さんが、「ケープポイントに立って海を見ると、左側の海の色と右側の海の色が違う。そこには一本の線がはっきり見える」と笑いながら言っていたのを思い出してしまいました。
まあ、はっきりとは色の違いなど見えるはずはないのだろうが、明らかかに場所によって海の色が違って見えました。

ケープポインの頂上で、しばし海を眺めていると、「はるばるアフリカの南端、地球の南端まで来てしまったのだ」と感じてしまいました。

登る時はバスで登った道を、歩いて降りてきた。道の両脇には私が今までに見たこともない花が咲いていました。
その木々の間を、"ケープ・ホワイト・アイ"という、日本の"目白"とそっくりな小鳥が飛んでいた。

売店のすぐ横には赤いポストが置いてあったので絵葉書を2枚買いました。
「ここから葉書を出そう」と思ったのですが、切手は売り切れでありませんでした。
バックパックの中を丹念に調べると、ガイドブックの中に切手が9枚入っていました。
ポストの横で葉書を書いていると、お年寄りのご夫婦が、「切手を売って下さい」話し掛けてきたので2枚あげました。
切手代を払おうとしているので、「その葉書が無事に届けば嬉しいです」と言って断わりました。
自分の国に帰り、ケープポイントから送られた葉書を見て、「この切手は親切な日本人のもらったのだ」と思ってくれるかも知れません。

ミニバスは、ケープポイントの駐車場を出発しました。
ミニバスは5分ほど走ると、左折して海岸の方へ降りて行きました。

ガイドさんが、「ここが喜望峰だ」と言いました。
私は、今まで見てきた小高い丘の上にあるケープポイントが喜望峰だと思っていたのですが、喜望峰は別の場所にあったのです。
海岸に"喜望峰"と書かれた看板がありました。
向かって右側に英語で "CAPE OF GOOD HOPE" 、左側にアフリカーンス語で "KAAP DIE GOEIE HOOP" と書かれていました。

ガイドさんが、「背後にある小高い丘が喜望峰だ」と言い、「あまり時間はないが、急いで登って来られるだけの時間はある」と言ったので、その丘に登りまし。
速足で登ったため息がゼイゼイとしていて、「喜望峰の上に立った」という気分にはとてもなれなませんでした。

(完)

喜望峰の売店やバスについては、1995年当時を元に書かせて頂きました。
現在は売店なども近代化されて、バスは廃止されてレールの上を走るケーブルカー(?)になっています。
喜望峰の看板は、現在は英語だけです。

一枚目の写真はケープポイントから出した絵葉書です。

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ケープタウンのウインチェスターマンションというホテルに泊まっています。
このホテルの前には道路があり、その向こうには芝生の公園があり、その向こうは海岸です。
毎朝、白人の方たちがジョギングをしたり、歩いています。
このホテルの背後には、有名なテーブルマウンテンという山が見えます。

早朝の散歩から帰って来ると、フロントのお姉さんに、「今日はケーブルウエイが動いているので、テーブルマウンテンに登れますよ」と言われました。
そう、ケープタウンに到着してから天候が悪かったため、ケーブルウエイが運休していたのです。
フロントのお姉さんの話では、「昔のケーブルウエイは箱型だったので、しばしば運休したそうですが、丸型に変更になってからは運休が少なくなった」と言っていました。

タクシーを呼んでもらい、テーブルマウンテンの麓のケーブルウエイの駅に行きました。
テーブルマウンテンの麓の駅からテーブルマウンテンの頂上の駅が米粒ぐらいの大きさに見えました。
少し大げさな表現かもしれませんが、頂上付近は垂直に昇っているように見えました。

数日振りにケーブルウエイが動いたためか、長蛇の列でした。
ツアーで来たお客は、別の入口から優先してケーブルウエイに乗れるらしかったので、「ツアーで来ればよかった」と思いました
私の前に並んでいた5人の黒人の女性のグループが、優先して乗っていくお客を見て、仲間同士でブツブツ言っていました。

彼女たちは、時々、後ろを振り返って私の顔をみて何か囁いていました。
彼女たちとは、テーブルマウンテンの頂上を歩いている時にも会いました。
一緒に記念写真を撮らせてもらい、「後で送ります」と言って書いてもらった住所には、南アフリカ北部のボツワナとの国境に近い町の、病院の住所が書かれていました。
ケープタウンでは東洋人は珍しくありませんが、彼女たちはにしてみれば、日本人が珍しかったのかもしれません。
彼女たちは、休暇(オンリーブ)を利用して、ミニバスで何日かかけて来たのだそうです。
「小さなミニバスに、この太った身体を車の中に押し込めて乗るのは、大変な旅だろうとな」と思ってしまいました。

1時間くらい待たされて、やっとケーブルウエイに乗ることができました。
ケーブルウエイからはケープタウンの街が一望できました。
頂上近くになると、目の前に岩の絶壁が迫ってきて、このまま行けば壁に激突するのではないかという錯覚になってしまいました。

頂上の駅を降りると強い風が吹いていました。
風が強くなるとケーブルウエイは停止になるらしく、「その時は、集まるようサイレンを鳴らす」と言っていました。
半袖のポロシャツを着ていましたたが寒いのでセーターを取り出して着ました。
肌はヒンヤリとしているのに、強い紫外線を肌に感じました。

頂上の駅の近くのレストランの前では、ここに棲むというロックシーダーとい可愛い動物に女の子が餌をあげていました。
テーブルマウンテンの頂上には遊歩道があり、道路標識もありました。
右手の方へ、誰もいない道をどんどん歩いて行くと、道路脇の岩盤の隙間には見たこともない草花が沢山咲いていていました。
「もしここで転んで歩けなくなり、夜になってしまったらどうなるのだろう」と思ってしまいました。

テーブルマウンテンの端の方まで歩いて行きました。
遥か彼方にケープ半島が見えました。
しかし、さらに先にあるケープポイントは見ることが出来ませんでした。
もと来た道を途中まで戻って、ケープタウンの市内側の見えるルートの遊歩道を歩きました。

遊歩道を歩いてケーブルウエイの駅の近くまで戻って来ました。
眼下にケープタウンの町が一望できました。
昨日ツアーで行った港の町や、遠くにテーブル湾を見ることが出来ました。
昨日まで観光したケープタウンの位置関係がやっとのみこめました。
ケープタウンは、思っていたよりも小さな街です。
標高1088メートルのテーブルマウンテンの上から見れば、大きな街でも小さく見えてしまうのかも知れません。

「早く喜望峰へ行ってこの旅を終わりにしたい」と思っているのですが、なかなか喜望峰へ行く決断が出来ません。

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ウインチェスターマンションというホテルに泊まっています。
フロントで、「市内観光をするにはどうしたらよいですか?」と聞きましたら「半日の市内ツアーがありますよ」というので紹介してもらいました。

まず、城塞のキャッスル・オブ・グッドホープという所へ行きました。
庭に衛兵が整然と並んでいました。
衛兵の交代式は週に一度行われるらしいですが、今日は今年最後の国旗を降ろすセレモニーを行っていました。
「その昔、南アフリカの白人は兵役義務が2年間あった」とガイドさんが説明してくれました。
「黒人には兵役義務はなかった。カラードも兵役義務はなかったが希望すれば軍隊に入れた」と説明してくれました。
たくさんの黒人の衛兵がいて、南アフリカは時代とともに変化しているのを感じました。

その入口には数本の国旗が掲げられていました。
オランダ、イギリス、南アフリカの古い国旗と新しい国旗などがあったかもしれません。
これらの国旗は、南アフリカの軍隊がどこの国の軍隊であったかの歴史を表しているそうです。

ツアーの最後は、テーブル湾の対岸へ行き、遠くからケープタウンの街とその背後にそそり立つテーブルマウンテンを見ました。
この海岸は別荘地みたいなたたずまいの所で、ヨーロッパを思い出させるような白い壁の家が建ち並んでいました。
ガイドさんが「これは星の砂だ」と言うので、手にすくってみると星型をした小さな貝殻のかけらでした。
記念にフィルムケースに入れて持ち帰ってきました。

この海岸からケープタウンの市内に戻る途中、黒人の方の住むタウンシップが数百メートルも続いていました。
「このケープタウンに、これだけの黒人の方たちが働ける仕事があるのだろう」かと思ってしまいました。
ガイドさんは「南アフリカのビッグ・プロブレム」とまるで他人事のように言っていました。

市内に戻ると、右手に大きな病院が見えました。
この病院で世界で最初の心臓移植が行われたのだそうです。
美しい風景、貧困の黒人の方たち、世界最先端の医療技術、南アフリカはまったくもって不思議の国です。

夜は、今日もウオーターフロントへ行って、"ザ・マッスルクラケット"というレストランに寄って海老を食べました。
生の海老を料理してもらたのですが、英語がよく理解できないので「イエス」と答えたら、運ばれてきたのはクリーム煮でした。
「やはり海老は刺身で食べたい」と思いました。
刺身が無理としても、"サッ"とゆでてもらい、レモン汁をかけて、醤油をつけて食べたい気持ちになってしまいました。

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インド洋沿いの町ポートエリザベスから、ツアーのミニバスで海岸沿いを西に走り、アフリカ南端の喜望峰を目指します。

しばらく沢木さんの滞在していた田舎町に滞在していましたが、沢木さんの友人の方にヨハネスブルク国際空港まで送ってもらいました。
ヨハネスブルク国際空港は、南アフリカの国内線も一緒になっています。

曇り空に向かって飛び上がった飛行機は、「あっ」というまに雲の中に突入し、雲の上に出ると青空が見えました。
南アフリカは台地の上にあるため、地上100メートルもいかない所に雲があるらしいです。
アフリカの広大な大地を見たかったのですが、残念ながら地上の平原は雲に覆われていて見えませんでした。
インド洋沿いの海岸に近づくと、海抜1500メートルから海抜0メートルの大地に沿って、一気に飛行機は急降下して行きました。

大きな農園が見えました。
飛行機の上から見渡せる範囲内に数軒の家しか見えず、その広さに驚かされました。
数分後には、きれいな碁盤の目のように区画された住宅街に、多くの家が建てられているのが見えました。
「ここがポートエリザベスか?」と思いましたが、そうではありませんでした。
家々には庭が殆どありません。「黒人の方たちの住宅街だ」とわかりました。

「この狭い中にこれだけの人たちを押し込めている」と思うと驚きでした。
「たぶんここに住んでいる黒人の方たちは、ヨハネスブルク近郊のソウェトのように、朝夕、ポートエリザベスの間をミニバスで移動しているのだろう」と思いました。
数分後、今度は白人の方たちの住む町に入りました。町というよりも農家なのかもしれません。野球場ほどの広さの中に1軒の家が見えました。

飛行機から見えたポートエリザベスの町は、大きなビルが建ち並んでいました。
飛行機は一度インド洋に出て、海上でUターンし、狭い飛行場に向かって着陸体勢に入りました。
海上から陸の飛行場に入ったと同時くらいに、車輪が大地に触れました。

約1時間半のフライトでした。
ヨハネスブルクからポートエリザベスまでは、道路距離では1065kmだそうです。

ホテルで昼食を食べてから、市内観光へ行きました。
小高い丘の上にはフレデリック砦があり、大砲が置かれていました。
この砦は、ナポレオン戦争の時作られた東ケープで一番古い石造りの砦だそうです。
英国はここに駐屯軍を置き、フランス軍を待ち構えたそうですが来なかったそうです。

海岸沿いのフリーマーケットを見て歩きました。
夜はホテルのすぐ近くにあるブラックベアード・タベルンというレストランが、日本から持ってきた観光の本の載っていたので、そこを捜してシーフードを食べました。
大きなエビ1匹と中くらいのエビ10匹ぐらいが皿に乗っていて、ライスが乗っていて150R(3750円)でした。

ポートエリザベスは、南アフリカで5番目に大きい都市で、冬には鯨の泳ぐ姿も見ることの出来る美しい海があり、温暖な気候に恵まれた街だそうです。
重工業の街でもあり、BMWなどを作っている自動車工場があり、港から輸出されているそうです。
地名の由来は、初代英国ケープ植民地総督代理が、前の赴任先のインドで死亡した妻エリザベスを偲んでつけられたそうです。

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リチャーズ・ベイからインド洋沿いに南のダーバンへ向かいました。

沢木さんに「ダーバンにはインド人の方たちが多く、カレーが美味しいので食べて行け」と言われたので、カレー店に寄りました。
地図を頼りにカレー店を探して寄りましたが、あまり辛くありませんでした。
インドのカレーは北部の方が辛いそうで、南アフリカへの移住者は南部の人が多いのでカレーは甘めだそうです。
いや、インド南部のカレーの方が辛くて、南アフリカへの移住者は北部の方が多いだった、かも知れません。
南アフリカで食べた中華料理も甘めだったので、カレーも甘めの方が南アフリカでは好まれるのかもしれません。

店員のおじさんは、灰色のシャツとズボンを着て、草履を履いていました。
数年前、カルカッタに行って列車に乗った時、売り子のおじさんが同じようなかっこうをしていたのを思い出してしまいました。

ダーバンは南アフリカ最大の港町だというので、港に停泊している大きな貨物船を見ながらさらに南へ向かいました。
南アフリカは、ケープタウンからインド洋沿いを北上するガーデルートが有名ですが、ダーバンからインド洋沿いを南下するサンシャインルートも、最近有名になりつつあるそうです。

マーゲイトという町まで来ると、シーフードの店がありましたので寄ってみました。
この店はポルトガル人の方が経営しているそうです。
「牡蠣がある」と言うので注文しました。
少し小ぶりで、新鮮でないみたいですが、久し振りの生物なので思い切って食べてしまいました。

店のマスターに「この辺に観光する所がありますか?」と聞きましたら、「この辺はリゾートのフラット(アパート形式のペンション)が多く、あまり観光するところはない」と言いました。
「もし泊まるなら、ワイルドコースト・サンがよい」と言いました。
ワイルドコースト・サンには、ゴルフ場があり、カジノもあるそうです。
今晩は、ワイルドコースト・サンに泊まることにしました。
目的は、もちろんカジノです。

ここからさらにインド洋沿いを南下すれば、イースト・ロンドン、ポート・エリザベスを通り、ガーデンルートを走りケープタウンへ行けます。
沢木さんの説明では、「マーゲイトからイースト・ロンドンまでは、クワズールという旧黒人居住区を通過するので、日本人ひとりでは危険すぎる」と言うので、レソト王国の東側の山麓を通り、沢木さんの住む田舎町へ一度戻ることにしました。
レソト王国も治安があまりよくないので、寄れないのが残念です。

翌日、ワイルドコースト・サンをチェックアウトして、ドラッケンスバーグの山麓を見て、リトル・スイスという場所に寄りました。
レディー・スミスからニュー・キャッスルという町を通り、沢木さんの滞在しているヨハネスブルクの東の田舎町へ向かいました。

(船が停泊しているダーバンの写真は南アフリカの観光雑誌からお借りしました)

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