南アフリカ旅行記

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10時10分、飛行機はスリランカの遥か南を通り、マダガスカル方面に向かっていた。
このまま到着の夕方まで寝てしまうと、南アフリカに到着して夜寝られなくて時差ボケになってしまう。
でも眠い。
ともかく12時までは寝ることにした。
 
11時10分、喉が渇いて目が醒めた。
ペットボトルは空になってしまった。
水をもらいにいったが誰もいず、もらうことが出来なかった。
 
12時を過ぎたので、機内の本や新聞を読んで寝ないことにした。
「こんなことならば成田で文庫本を買ってくればよかった」と思った。
朝食を食べてから6時間がたっているので腹が減った。
「いったいいつ昼食を出してくれるのだろうか?」と思った。
香港を出発しての直ぐのアナウンスは飛行機の振動音でよく聞こえなかったが、昼食の件は放送していなかった。
 
15時頃になってやっと、黒人のスチュワードによって水が配られた。
朝の6時半ころに朝食を食べただけで腹はペコペコである。
しばらくしてスチュワードが向こう側の通路にナッツの入った小さな袋を配った。
しかし私が座っている列には配ってくれなかった。
腹が減っているので、どうしても食べたかった。
休んでいるスチュワードの所へ行って、「腹がへった。先ほど配っていなナッツが欲しい」と言うと2袋くれた。
 
15時20分、飛行機はマダガスカル上空にさしかかった。
まだ食事の準備をしてくれない。
16時5分、機内の照明がつき飲み物が配られた。
16時30分、やっと夕食にありつけた。
食事は17時頃のモザンビーク上空で配られた。
結局、約10時間食事がなかったことになる。
昼間の飛行だとわかっているので、簡単な昼食を香港で準備して欲しかった。
準備できないとしても、マニュアル通りでなく融通をきかせて、せめて夕食をもう少し早く出して欲しかった。
 
南アフリカ上空にさしかかった。
向こう側の列では入国と税関の申請用紙が配られた。
しかし、私の座っている列には配られなかった。
入国用紙をもらいにいったが誰もいない。
しかたがないのでエコノミーの席までいって用紙をもらってきた。
 
ヨハネスブルグまであと200kmである。
赤いアフリカ大地は緑にかわっていた。
「南アフリカまではるばる来た」という気がしない。
「また戻って来た」と言う気持ちである。
「みんな元気でいるだろうか?」。
この2年間で南アフリカがどのように変わったのか興味がある。
 
バッグから財布を取り出して、前回持ち返ったランド紙幣とコインを入れた。
前回持ち返った時は、1Rが23円ぐらいだったと思う。
先ほど読んだ南アフリカの新聞「スター」紙によると、1Rが12円と書いてあった。
だいぶ損をしたことになる。
でも前回20Rだったマクドナルドのセットが今でも20Rならば、日本円に換算すれば半値ということになる。
今まで買うことができなかったオーストリッチのバッグも、今回は買えるかもしれない。
でも次回は1Rが10円ならば、もっと安い値段で買うことができるかも知れないのだ。
 
18時10分にヨハネスブルグ空港に到着した。
草原のような空港に飛行機が着陸すると、草むらから一斉に小鳥の大群が飛び立った。
半年ほど前の南アフリカの新聞によると、南東部のダーバン空港では、飛行機の空気取り入れ口から小鳥が飛び込んでトラブルが発生しているらしい。
そのため飛行場内で犬を放し飼いにしていると書いてあった。
 
ともあれ無事に南アフリカに到着した。
預けた荷物が無事に出て来ることを願った。
入国申請で12月30日までと書いたら、2002年3月2日まで滞在許可の印が押されていた。
 
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2001年12月1日(土)、香港発23時50分発のSA287便は、約11時間遅れで翌日の11時が出発と表示された。
 
搭乗して、コンピュータの入ったビジネスバッグと成田空港で買ったお土産の袋を頭上のボックスに入れた。
しばらくしてオシボリが配られたので手を拭いた。
オシボリから滴り落ちる水滴がズボンを濡らした。
 
離陸が近づいたのだろう、スチュワーデス(今はこう呼ばないらしいが)が頭上のボックスのフタを、大きな音をたてて閉めた。
この音を聞いた時、「懐かしい音だ」と感じた。
そして「これほどまでに大きな音をたてて閉めなくてもよいだろう」と思った。
スプレー(殺虫剤?)が天井に向かってまかれた。
しばらくして目が痛くなった。
風邪を引いている喉にしみて咳が止まらなくなった。
 
11時40分に香港を離陸した。
時計を6時間戻して、南アフリカ時間の5時40分にセットした。
これから南アフリカ時間で過ごすことにより、少しでも時差ボケを解消するためである。
 
離陸して直ぐに、南アフリカの気温などがアナウンスされた。
「通常は夕食を先に出しますが、今回は昼間の飛行なので先に朝食を出します」とアナウンスがあった。
でもこのアナウンスは飛行機が離陸して、まだ上昇中のため飛行機の振動音でよく聞こえなかった。
 
しばらくして朝食が出された。
いつものように食べ終わるやいなや、すぐに片付けられ、デザートが出され、最後にコーヒーが出された。
眠気覚ましにコーヒーをもい一杯飲みたかったが、おかわりに廻って来なかった。
 
昨日からの疲れと風邪のためか、すぐにウトウトしてしまった。
目が醒めると窓のブラインドは閉められ、機内は真っ暗であった。
時計を見ると8時を過ぎていた。
ブラインドを開けると、まぶしい光が差し込んできた。
下を見ると真っ赤な大地が見えた。
機内のモニターで場所を確認するとカンボジア上空だった。
プーケットの上空を通り、マレー半島を横切って、インド洋に出るようである。
もう少しシンガポール側を通ると思っていたので、少し以外であった。
 
スチュワーデスが通った。
ジャージに着替えていた。
「まぶしいから、(ブラインド)閉めて」と強い口調で注意されてしまった。
風邪のためか身体が熱っぽい。
喉がカラカラであった。
水をもらいに行くと黒人のスチュワードが一人で休んでいた。
「水を下さい」と言ったら、トレイの上に置いてあった水の入っているコップを指差した。
コップ一杯の生温い水を飲み乾した。
「風邪を引いているので、水をボトルで欲しい」と言うと、小さいペットボトルを一つ出してくれた。
 
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本来ならば、南アフリカへは明日の早朝に到着する。
知人がヨハネスブルグ空港に迎えに来てくれることになっていた。
ともかく飛行機が遅れることを連絡しなければならない。
係の男性に、「電話代も無料にして欲しい」と言うと、返事をしなかった。
「ヨハネスブルグの空港に、知人が迎えが来ることになっているので連絡しなくてはならない」と強く言うと、「国
際電話で3分無料」と書いてくれた。
 
ホテルにチェックインして、部屋から南アフリカへ電話をしようとしたが、ダイヤルで繋がらなかった。
国際電話の交換を呼び出して、南アフリカの知人に繋いでもらった。
南アフリカはまだ夕方であった。
「飛行機が遅れていて南アフリカ到着予定が明日の21時の予定です。空港にSA278便の到着時間を確認して迎えに来て頂けますか」とお願いした。
明朝、出発時間が確定したら連絡することも可能なのだが、南アフリカとの時差が6時間あるため、南アフリカは深夜なのである。
 
レストランでバイキングの夕食を食べて部屋に戻ると、すでに翌日の12月2日になっていた。
1時頃寝付いて6時に目が醒めた。
ドアーの下からメッセージが入っていた。
「SA便の出発は11時の予定です。8時半にSAのカウンターが開きます」と書いてあった。
 
風邪と寝不足のためか食欲がなかった。
簡単に朝食を済ませて、Dカウンターへ行った。
チケットを見せるとコンピュータにインプットして、「荷物は預けてありませんね」と言われた。
「成田でスーツケースを預けてあるはずです」と言うと、コンピュータをチェックして、「1個預けてありますね」と言った。
また悪い予感がした。
ヨハネスブルグ空港で荷物が無事に出てくるだろうか?
 
ビジネスラウンジで暇をつぶした。
隣の席に座っていた日本人の方が、「荷物をここに置いて席を離れても大丈夫でしょうか?」と聞いた。
「危ないですが大丈夫ですよ」と訳のわからない返事をしてしまった。
日本人の方は席を離れて何処かへいった。
後ろの席に座っていた日本人の方が、「そう返事するしかないですね」と話し掛けてきた。
私はバッグのベルトを机の脚に巻いて施錠を掛けて、喫煙室に向かった。
勿論バッグは開かないように鍵を掛けた。
 
11時出発予定のSA287便は、30分遅れの11時半に離陸した。
時計を6時間戻して、南ア時間の5時半にセットした。
ヨハネスブルグ到着予定は18時である。
この時間ならば、ホテルにチェックインして一休みしてから寝られる。
到着時間としては申し分ないと思った。
 
通常の深夜のフライトの場合は、飛行機に乗ると直ぐに夕食が出て、マダガスカルを過ぎてモザンビークに入る前に朝食が出る。
「今回は昼間の飛行なので先に朝食を出します」とアナウンスがあった。
でもこのアナウンスは飛行機が離陸して、まだ上昇中のため飛行機の振動音でよく聞こえなかった。
「もう少し飛行が安定してから放送してもよいのでは」と思った。
 
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2001年12月1日(土)。
成田空港発18時20分発のCX(キャセイパシフィック航空)505便で香港へ向けて出発した。
ヨハネスブルグへは香港発23時50分のCXとの共同便のSA(南アフリカ航空)287便で行く予定であった。
 
前回の南アフリカからの帰国も、ヨハネスブルグから香港までのSA便でCXとの共同便であった。
この時は無事に香港に到着したのだが、成田行きのCX便が欠航になった。
次のCX便で成田に到着したが、夜の22時到着であったため成田のホテルに宿泊した。

今回も何故か悪い予感がしていた。
CX505便は予定通り、香港に22時半頃無事に到着した。
搭乗までにまだ時間があるので、いつもの喫煙室に入って煙草を2本吸った。
風邪を引いていて1週間前には4日間寝込んだ。
タバコは吸いたいとは思わなかったが、これから南アフリカまで吸えないと思うと、いつしか喫煙室に向かって歩いていたのだ。
 
喫煙室を出てエスカレーターで登ると、フライトスケジュールの電子ボードがあった。
SA287便の搭乗ゲートが表示されていない。
右側のコメント欄には14時間遅れと表示されていた。
 「悪い予感が的中した」と思った。
 
もし飛行機が14時間も遅れるのなら、香港に入国しなければならない。
風邪を引いていて身体がフラフラする。
一人で何もする気が起きないので、ともかくビジネスラウンジに行くことにした。
ラウンジの入口でインビテーションを渡すと、「今日はSA便は出ない」と言われた。
そして、「ラウンジ内のカウンターへ行け」と言われた。
 
ラウンジの入口にあるカウンターでSA287便のチケットを渡すと、「アナウンスするから何処かで休んでいて下さい」と言われた。
5分ほどすると呼ばれた。
カウンターに行くと係の男性が待っていて、「ホテルを準備したので案内する」と言った。
そして、「SA287便の予定は明日の14時で、ヨハネスブルグ着は21時」と説明した。
そして「明日の11時にSA便のDカウンターに行くように」と言って、チケットの入っているいるケースに「11時Dカウンター」と書いた。
 
入国用紙を急いで書いて入国した。
手荷物検査を通り外に出ると、さきほどの係の男性が待っていた。
左手の方向を差して、「あそこに見えるのがリーガル・ホテル・エアポートで、この道を行けば10分でいける」と説明した。
ホテルの宿泊券を見ると、宿泊費、夕食と朝食が無料と書かれていた。
 
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ワインランドへ行く途中で、ドライブインのような所へ寄りました。
そこには、小さな動物園みたいなものがあり、チーターもいました。
「50ランド(約1250円)でチーターに触れられます」という看板があったので、チャレンジしてみることにしました。
 
観光客が大勢いて、チーターは興奮気味でした。
大きな檻の中入れてもらうまでに30分ほど待たされました。
2人の飼育係がチーターを横に寝そべらせてなだめている間にチーターの背中に触れました。
「ゴロゴロ」という音がしているような感触で、大きな猫に触れているみたいでした。
 
待っている間、何度も「チーターの檻に入るのは止そう」と思いました。
というのも、「数年前にヨハネスブルグのライオンパークで、このようにライオンに触れようとした観光客が襲われ
た」ということを聞いていたからです。
 
パールという街にあるワイナリーにも寄りました。
パールとは真珠のことで、山頂にある大きな石が雨上がりの太陽の光を受けて、真珠のように輝いたことから名付けられたそうです。
ワインの試飲をして、芸術的な彫刻がされた大きな樽を見学したり、開拓当時の家具などが博物館のように残されている家を見学しました。
 
食事はフランシュフックという街の小さなレストランに寄りました。
レストランから山の中腹を見ると、「Franschhoek」 という文字が書かれていました。
小さなお土産屋、ペンション、レストランが点在していて、静かな落ちついた街でした。
今度もし来る機会があったなら、どこかの小さなペンションに宿泊して、街中をブラブラするようなノンビリとした
旅をしてみたいと思いました。
 
フランシュフックの街外れにある記念碑にも寄りました。
記念碑はユグノー派の移住250年を記念して1983年に建てられたそうです。
フランスを追われた新教徒ユグノー派は、南アフリカに移住して来たそうです。
しかし、ケープ総督はケープ市内に彼らが住むのを嫌って、ここフランシュフックに土地を与えたそうです。
フランス人たちによりケープのワイン作りが一層さかんになったそうです。
 
ステレンボッシュという街で1時間ほど休みましたので、一人で街の中を歩いてみました。
 大きな街路樹が植えられていました。
その大樹はオークだったと思いますが、ポプラもあったような気がします。
 
ここは有名なステレンボッシュ大学のある教育都市でもあります。
先ずは、マザー教会に行き、美しいステンドグラスや珍しい形のパイプオルガンなどを見ました。
この教会のすぐ前にある小さな博物館に寄りました。
ここは、有名なオランダ風の農家の中を忠実に復元させたビレッジ博物館でした。
 
帰り道で最後のワイナリーに寄りました。
金属製のワインの貯蔵タンクが目にとまりました。
「昔は木の樽を屋外で貯蔵することも出来ないので、ワインを保管するのも大変だったろうな!」と思いました。
 
「ここのワイナリーは有名ですが、小さいので生産量が少なく、ヨハネスブルクの酒屋さんでは買えませんよ」と言われたので、赤ワインを2本買ってしまいました。
そのうちの1本は、ホテルに戻って飲んでしまいましたが、残りの1本は日本に持ち帰ろうと思っています。
数年後、南アフリカの旅を思い出した時、飲もうと思っています。
 
明日の喜望峰行きのツアーを申し込みました。
いよいよ喜望峰へ向けて出発の予定です。
 
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