創造院物見居士の物欲過去帳 だったのですが・・・。

今までに、使ってきた道具や、食べたもの、受けたサービスなど、勝手にレビューしてきてましたが、最近はボヤキ帳になってます。

いやす

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

とうとう、僕の咳が母に伝染ってしまったようです。あさから、僕と同じような乾いた咳をしています。いま、近くの医者に行きました。誰とはいいませんが、そのお医者さんを僕は信用していません。やたらめったらと薬を出すことと、慎重すぎて診断が的確でないときがあるからです。おかげで、僕は病院をはしごすることになり、一向に症状はよくならず、月曜日にはかなり激しい発作を起こし、大きい病院でやっと風邪ではないことがわかって今に至ります。

昔の家の近くには、何軒か町医者があり、それこそ、名物のような先生がいっぱいいました。外科の先生で、軍医出身だったおじいさんの先生。僕のおじが若いころ単車でこけて怪我をしてその病院に担ぎ込まれたとき、「痛い!」とわめいていたらドヤされたといいます。そんなことをしたら、ワイドショーあたりで大騒ぎになるでしょう。しかし、戦場という修羅場をくぐってこられた其の先生は処置だけは的確で、いま叔父には傷跡ひとつありません。

そして、もう一人、僕が大好きだった先生がおられました。其の先生は、去年ご高齢のため廃業されましたが、それこそ僕が子供のころからずっとお世話になっていた先生でした。曾祖母や祖母を看取ってくれたのも其の先生でした。多くを語らず、注射も薬も、必要最低限しか出さない。奥様がお使いのときは受付も自分でやって、薬の段取りもする。決してシステマティックで便利ではないけれど、ゆっくりと時間が流れているところでした。それは、病気を治すのは医者や薬ではなく、自分の自然治癒力なんだということを暗に教えてくれていたのかもしれません。

元に戻って、今の近所の先生は決して悪い人ではなく、学校医に指定されているところから見て腕は的確なのだと思います。しかし、今はお医者さんがビビリすぎです。地域社会と密着しているはずの町医者ですら、常に医療事故や訴訟のリスクにおびえながら仕事をしています。知った顔ならば、そんな心配する必要もないのに。顔見知りのかかり付けのお医者さんが見つけにくい、あるいはいないという状況を、新興住宅地ならともかく、僕が住んでいるような古くからの地域で作り出していまうという、今の社会の仕組みはどこかおかしいと思います。

ようやく体も落ち着いてきましたが、時々思い出したように発作が出ます。薬の副作用でしょうか動悸と息切れもします。とにかく、すっきりと体が治ってほしいものです。

イメージ 1

ついに、こんな物の世話になるときが来てしまいました。喘息の患者さんが使う、発作を抑える薬の吸入器です。仕事の方はとりあえず、午後1時から5時までの短縮営業にして、養生に努めております。今日も午前中いっぱいはずっと眠っていて、夕方からも薬を飲んで眠りました。ともかく週末から咳を出しまくって体力の消耗が激しく、昨日から床にふせっています。変な時間に寝付いてしまったので、目が覚めると妙に腹が減りました。幾分すっきりもしたので、とりあえず、おにぎりを食べて人心地付いたら、また発作・・・。油断大敵です。

今もらっている薬はものすごく眠くなります。おかげで、いっぱい夢を見ました。ひとつは、消防団活動で近所の夜回りをしている夢です。前の家に近づくと、明かりがともっており中から笑い声が聞こえてきます。誰もいないはずなのに、恐る恐る、玄関のたたきを覗き見ると、たくさんの靴が脱いで並べてあります。中が見てみたくなった僕は、防火活動のふりをして「ごめん下さい」といって中に入ると、昔、自分がすんでいたインテリアそのままで、知らない人たちが食卓を囲んでいました。

僕が声をかけると、「ご苦労様です」とその家の主婦と思しき人が受け答えをし、僕はすかさず、「ええ、もうすぐ取り壊しでしょう?」とたずねると、「いや、そんなこと知りませんよ、家賃が安いんですむことにしたんです。」と言ったのです。「ああそうですか、火の用心お願いします」と言いつつその場を後にしました。夢の中で、同行していた副団長が、「あのあと、取り壊しなくなって、また人が住むことになったらしいで」とけろっと言ってのけるのです。僕にはさっぱり意味がわかりませんでした。そこで、目が覚めたのです。

その夢はとても奇妙で、においがするんです。僕らが住んでいた時、旅行とかで帰ってきた時に感じた昔の家の匂いが強烈によみがえってくるのです。先日の書き込みで、こんなことを書いてくださった方がいます。

「大人になった娘も、幼い頃の娘も我が子には違いないんだけどお父さんの中では別物で、きっと幼い頃の写真を見てはその時の子どもの声や仕草、周りの匂いや音までも頭の中で蘇っていると思います。」

少し前に書いた、ご近所のおばあさんの話。ギターを見ていると夭逝した息子のことを思い出すというその方の話にしても、そして、昨日書いた僕の彼女のお父さんにしても、何かのきっかけで昔のことを鮮明に思い出しているんです。僕にしても、前の家のことを昨日の夢のようにリアルに思いだすこともあるんです。人はそれを「年をとったからだ」と言います。しかし、消防団に入って地域に貢献しようと思うのも、ひょっとすると楽しかった子ども時代や、家族との思い出の場所に、今でもつながっていたい、ただ、そういう思いからやっているのかもしれません。それらを、ただ、「年をとった」という言葉で片づけてしまうにはあまりにもさみしい気がします。

友達や一緒に仕事をしている人たちとのつながりは横軸であり、そして、家族や地域の人々という共有する時間軸をもったつながりは縦軸で、自分という存在は、その軸の交わる交点に立っているのです。実はそれが、その人のキャラクターを形作るものなのです。今の世の中は、さまざまな情報機器のおかげで、横軸だけはやたらと作り出すことができますが、縦軸がなかなかできにくい環境になっているのではと思います。むしろ、ないがしろにしていると言ってもいい。しかし、一昨日、彼女の家で見たものは、今まで僕の見たことのなかった、強固な縦軸でした。其の縦軸は、楽しかったころの思い出とか、家族の愛情とか、そういうものでできているんだと思います。

イメージ 1

昨日はお付き合いさせてもらっている彼女のご両親に会いに行きました。とてもいいお天気で、いろいろとご案内していただき、おいしいお食事までご馳走になってしまいました。いままで、なかなか分かり合えない相手だと思っていただけに、いろいろとお話をさせていただくことができて本当によかったです。行く前はとても緊張しましたが、とりあえず、とてもよくしてもらったのでうれしかったです。これからも、ちょくちょく遊びにいこうと思います。

彼女の実家へ行き、彼女が10歳のころの写真を見ました。幼い弟さんと写っている其の写真は、すでに色あせていましたが、彼女のお父さんがいつも使っておられる本棚の中にそれがあったのです。それを見たときに、僕にはやっと娘を持つ父親の気持ちが理解できたように思います。男という生き物は多分その大半がロマンチストで、思い出をいつまでも大事にしていたいと思うほうなのかもしれません。家族を守るとか、夢をかなえたいとか、そういう大義名分のためにわき目も振らずに駆け抜けていくことが男の宿命だとしたら、そういう思い出は男にとって、おそらくは唯一の安らぎなんです。

自分だって、長らく暮らした家が立ち退きという不本意な形で奪われたとき、そこですごした子供時代ことや、家族との思い出を奪われたように思いました。いまでも、そう思っています。お金を積んで、法律的にきちんとした手続きを踏んでいるとはいえ、何も悪いことをしているわけではないのに家を奪われた、というしこりが残っているのは確かです。おそらく、父親にとって娘を嫁にくれてやるということは、そういうことと似ているんだなあと思えるようになったのです。もちろん、古い借家と嫁を一緒くたにすることはできませんが、本当に楽しかった一番愛おしい思い出を奪われることがいやで、あいつはだめだとか言って、ゴネたり、スネたりするんだなということがようやくわかったんです。

だからこそ、一番かわいらしいかったであろうころの写真が、そこにあるんです。その一枚の写真は100の言葉を並べるよりも、雄弁にお父さんの気持ちをあらわしているのです。そういったお父さんの思いを想像したことなど、ついぞ今まで一度もありませんでした。もうすぐ40に手が届くというのに、何もかもをわかったふりをして、他人には想像力を豊かに、人の気持ちを大事にしろといっておきながら、自分の我だけを通し続けていた自分は、本当の阿呆だったんだなあと思いました。僕なんぞ、そんなお父さんから比べれば、まだまだ鼻くそ以下の、実にちっぽけな存在だなあと思いました。

帰りの電車の中で、いつの間にか彼女は寝息を立てていましたが、僕は窓の外を流れるネオンや明かりを眺めていました。ガソリンスタンドや企業のネオンサインを見ているはずなのに、覚えいてるのは、ずっと彼女の子供のころの写真がちらついたということです。家に帰ってきて、彼女とお布団に入ったとき、おかしな話ですが、なぜか涙がぽろぽろとこぼれてくるんです。自分の小ささと、僕は何もわかっていなかったという恥ずかしさと、僕が彼女のことを思う以上に彼女のことをいとおしく思っているであろう、お父さんの気持ちを思うといたたまれなくなったんです。涙がこぼれるのに、ぼくは今まで感じたことのない心の温かさみたいなものを感じました。

今日はそういうことで安心してしまったのか、しばらく鳴りを潜めていた咳がまたしても出始め、ついに明け方には喘息のような症状が出てしまいました。首を絞められたようになり、息ができず、ようやく収まってもう一度眠ろうかと思ったらもう朝でした。たまらず、再び病院にいき、精密検査をしてもらいました。症状は喘息か百日咳か、どっちかっぽいとのことで、薬を投与して様子を見ようということになりました。子供のころ、近所の子が喘息でぜーぜー言って、のた打ち回りながら吸入器を使っていたのを思い出しますが、それから20年近くたって、自分がそういうことになるとは夢にも思いませんでした。来週、また検査です。どちらにしても症状が改善されないなら、念のため検査入院もあるかもとのことです。

よく考えると、彼女と知り合ってから、僕は一生分の病気をしてるようにも思います。2005年の網膜はく離に始まり、去年の腫瘍摘出、そして今年の100日咳か喘息。病院へ入るたびに何かと世話を焼いてくれました。けれど、自分が父親なら、そういうやつに嫁にはやりたくはないあなあ。と思いました。商売は始まったばかりですが、大事をとって休業も考えなければならないかもしれません。また、彼女や彼女のご家族に心配をかけることになります。

其の九拾壱  睡眠

イメージ 1

最近、睡眠不足です。
もうすぐ一ヶ月ですが、
新しい仕事環境に慣れるまでの緊張感は、
やはりありますし、
8月の酷暑には明らかに体力を奪われ、
立ち退き事案を考えていたりすると、
心休まる暇がないというのもありますが、
やはり、頸の後ろにメスを入れ、
腫瘍をとった後、
約二週間、仰向けに眠ることが出来ず
ずっと横向けに寝ていたことが、
睡眠不足の決定的な要因のようです。
たしか、
網膜剥離の手術後も同じような状況でしたが、
入院中で仕事をしていたわけではないので、
それほどしんどいわけではありませんでした。

しかし、いまは、本当にしんどいです。
今日は、次の土曜日の代休で休みだったので、
午前中、家賃の供託に法務局と
本屋のジュンク堂へ行っただけだったのですが、
うちに帰って昼ごはんを食べた後、
本を読んでいるうちに、眠ってしまいました。
気が付けばあたりはすっかり真っ暗になっており、
しかも、うっかり仰向けに眠っていましたが、
出血や痛みはなくてよかったです。
そして、夕食を終えてからも、
どうしても眠気が取れずまたしても居眠り。
気が付けば夜9時過ぎ。
それでも眠たいです。

僕は時々、とんでもなく長時間眠ることがあります。
これまでの最長記録は、
たしか、大学生のとき、クラブの合宿から帰ってきて、
20時間眠り続けたことがあります。
これが最高記録です。
最近では、網膜剥離の手術後と、
アメリカから一時帰国したとき、
それぞれ16時間という記録があります。
今回は、途中で起きたりしましたが、
昨晩から合計すると、悠に18時間も眠っていたことに成ります。

先日、かなりのばしていた髪の毛を切りました。
猛暑に負けた格好です。
すっきりとはしましたが、なんと、
首の後ろに大きな瘤が出来ていることに気がついたのです。

若い頃から、首の後ろに
しこりみたいなものがあるのは知っていたのですが、
別に、痛くも何ともないのでほったらかしにしてました。
髪の毛が伸びるとともに、
瘤は髪の毛の中に隠れていき、
大きくなっていることに気が付かなかったのです。
近くの外科に行き見てもらうと、「粉瘤」との診断。
大きくて、首の神経を圧迫するかもしれないので、
早々に取り払おうとのことになり、
手術と成りました。

局所麻酔で首の後ろにメスが入りました。
先生は鮮やかな手つきで瘤を取り除いていきます。
やく40分ぐらいでしょうか、
先生が「終わったで」とおっしゃると、
銀いろのお盆の上に、なんと
桃の種ほどの瘤が転がっていたのです。
長年、こんなものが首に入っていたのかと思うと、
感慨深げですが、
悪性の腫瘍であれば今頃死んでいたかも知れんなあ
とおもうと、背筋が凍る思いです。

傷口を縫合してあるので、
いま首が動かせません。

執刀してくださった先生は、
中学の頃に部活動でひどいけがをしたときに
処置をしてくださって以来、
20年近くお付き合いのある先生です。
昨年、電機カンナでけがをしたときも
見てもらいました。
こういう先生がそばにいるのはとても安心ですし、
掛かりつけ医がいるということ、
これほど、ありがたいことはありません。

しかし、先日、
実に内の祖母の代から50年近く、
我が家の掛かりつけ医であった内科の先生が、
ご高齢のため廃業されました。
曾祖母や祖母を見取り、
死亡診断書をあげてくださった先生です。

今日執刀してくださった先生はまだまだこれからも
やってくださりそうですが、
町医者の先生がいなくなると言うことは、
地域の安全にとって
脅威となるということはいうまでもありません。
夜中に熱を出した子供を見てもらったり、
仕事の都合で時間外に診てもらったりとか、
そういう融通がきくのも、町医者ならではのこと。
大きい病院では小回りも効きません。

これからの時代は、すべては自己責任で
何とかしなければならないことなのでしょうか。
何年か後に日本版のマイケルムーアが出てきて、
「シッコ」見たいな映画を
作る日が来るのでしょうか。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
southside605
southside605
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事