小林繁氏が亡くなってから24時間ほどになります。
自分の中で過去好きなプロ野球選手で三本の指に入る人でした。
まだ、亡くなったことが信じられません。
追悼をこめて偉大な人だったことを示す各コメント、
話題となった空白の一日を掲載します。
「昨日、本社のイベントで会ったばかり。キャンプに連れていく選手や方針などを情熱的に話していたし、元気そのものだった。本当に信じられない。投手交代でベンチを立つ瞬間、僕の背中をポンと押してくれる人だった。人を導く力があり、小林さんに任せてみたいと、一目置いていた。会ってから丸1日たっていないわけだから、本当に信じられない。まだ亡くなった感じがしない。1軍で一緒に戦えるのは近鉄以来で、本人も燃えていた。若い芽をどんどん育ててほしいと思っていたことしも助けてもらおうと思っていたのに。後任の人選は重要だけど、今は考えたくない。残念だし、悔しい。日本一を望んでいたと思うので、他の人と力を合わせて報いたい」
「(2年半前)お会いした時はすごく元気だったので、びっくりした。(空白の一日事件)申し訳ない気持ちは、僕の中で終わっていない。原因はこちらにある。小林さんが亡くなったからといって、申し訳ないという気持ちは一生なくならない。(2007年に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演)事件以来初めて言葉を交わし、謝罪した。お互い大変だったなと声をかけてもらって、すごくホッとしたこと。2人きりで1時間ぐらい話せて、お互いの気持ちを言い合えて、救われた。今年から日本ハムの1軍コーチになると報道されていたし、取材でお会いできると思っていたのに…」
「1976、77年のリーグ優勝に大きく貢献してくれたことを鮮明に覚えています。細身の体からは想像もつかないくらいスタミナがあり、本当に頼りがいがある投手でした。正直にいうと、阪神へトレードになったことは残念な思いでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています。若すぎる、早すぎる最期です」
「びっくりした。(阪神で)初めてのキャンプのとき、(小林氏と)同じ部屋だったのは俺なんだよね。現役でも(阪神で)一緒にやって、近鉄でもコーチで一緒にやらせてもらった。野球に対して熱いし、いい理論を持っていた。気も使うし、頭の回転の速い人。決して恵まれた体ではなかったが、気で投げる投手だったよ。巨人に強かった? うん。ムキになってね。後ろから見ていて、絶対に勝つという気持ちは感じるものがあった」
「小林さんとはタイガース入団が同時期だったこともあり、大変お世話になりました。野球に関してもそうですが、プライベートでもよくしてもらったことを今でも思い出しますし、大変感謝しています」
「小林さんが阪神に入団された79年は、前年に田淵(幸一)さんが西武へトレードになり、僕が中心になってやらなければ、と思っていた年でした。いい意味ですごく刺激になりました。小林さんに負けられないという気持ちが、その年の48本塁打につながったと思っています」
「細い体からは想像もできないほどの熱血漢で、若い選手を熱心に指導されていたことを思い出します。(近鉄では)わたしもコーチになって間もないころだったので、いい勉強をさせてもらいました」
「江川事件はいまだに語られる球界にとってマイナスの出来事。でも彼のある種のプロに徹した潔さ、すがすがしさで負の事件を終わりに導いた。拒否することもできる立場だったけど、彼の決断が多くの人に感動を与え、球界は救われた」
「短い期間でしたが、阪神で一時代を築いた好投手でした。これから後進の指導や、多くの子どもたちに野球の素晴らしさを伝えてほしかっただけに、まだ57歳という若さで逝ったことは残念でなりません」
「空白の一日」事件
1977年のドラフト会議で、クラウン(西武)に指名されていた江川は巨人入りを熱望しておりクラウンへの入団をを拒否し、一年後の1978年11月22日のドラフト会議を待っていた。野球規則で、指名された江川と指名したクラウンの交渉権は翌年のドラフトの前々日となっていたが、この規則のぬけ穴を巨人とが狙ってきたのだ。
「クラウンとの契約はドラフト会議前々日の20日に切れた。だから21日の江川選手はフリーな立場なので、この日我々巨人軍は江川選手と契約を交わした。」と21日に巨人が発表した。これが世に言われる「空白の一日である」。この事件に球界は大きな衝撃に包まれた。
もちろんコミッショナーはこれを認めず、巨人がボイコットした翌日のドラフト会議でも江川は4球団から指名され、競合の据え阪神タイガースが交渉権を勝ち取った。
しかし、これにも巨人は反論。「全球団が参加しなかったドラフト会議は無効であり、阪神の交渉権も意味をなさない。「空白の一日」は法的に見ても問題は何一つない。」と主張。球界は騒然となった。
時のセリーグ会長は巨人から提出された江川の登録申請を拒否。コミッショナーも「空白の一日は各球団が新人選択に方針樹立の余裕を与えるためのものである。」と裁定し巨人側の主張を退けた。
ところが突如、コミッショナーが巨人側の主張を容認する発言を始めた。「裁定はしたが、これでは実質的な解決にはならない。だから交渉権のある阪神と巨人との間でトレードを行う。開幕では遅すぎるのでキャンプ・インの2月1日までにこれを実行する。これはあくまで特例の措置である」。これは裁定を下してから1週間と経っていなかった。
この発言に対し、阪神の球団社長である小津正次郎氏はあくまでスジを通して江川と契約を交わそうとしたが、結局コミッショナーの強い要望に従うことになった。1979年1月30日、江川は阪神と契約、阪神の選手として選手登録された。ちなみに背番号は3。そして31日、キャンプ地宮崎へ移動のため、東京国際空港にいた巨人の選手の中、小林繁(現北海道日本ハム投手コーチ)だけが、球団関係者に呼びとめられトレードを通告される。翌2月1日、晴れて阪神・江川と巨人・小林とのトレードが成立した。
阪神も、いとも簡単に納得したように見えるがそうではなかった。実際には読売新聞が運輸省を動かし、阪神電鉄本社に圧力をかけたのだ。電鉄会社にとって鬼より怖い運輸省に圧力をかけられたのでは、江川のトレードに首を振るわけにはいかなかったのだ。
ちなみに小林は翌年22勝9敗の大活躍。巨人戦では8戦全勝。以後58年に引退するまで77勝56敗。対する江川は初年度の登板こそ無かったものの、9年間で135勝72敗、8年連続で2桁勝利を挙げていた。
小林の通算成績は374試合に登板、139勝95敗17セーブ、防御率は3.18。最多勝利に1度、最優秀投手に2度輝いている。澤村賞、ベストナインも2度選ばれている。
2010年1月16日東京ビックサイトで
心からご冥福をお祈りします。
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小林選手が阪神に電撃トレードされ巨人ファンから阪神ファンに変わった一人です。小林選手人気者でしたから阪神ファンに当時変わった人たち多いと思います。
残念です。早すぎる最期です。
2010/1/18(月) 午後 10:09