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9時前、仕事帰り、家庭から急遽、札幌ドームへ向かう人が目立つ。
札幌ドームでは約16000人のファンが集まっていました。
そしてロッテがリードで西武の最後の攻撃に!
おかわり君のホームランにあれ?と多少の不安を感じつつも
ファイターズの優勝を祈り、選手がファンが…
栗山監督は11度あげられ、鶴岡、稲葉、金子と胴上げが続く。
金子選手の胴上げ、きれいに伸びています。
北海道チームが優勝しました。
われわれは幸せです。
そして優勝会見へと進みました。
また、うるうる監督が…
◎栗山監督
−今の心境を。
「感謝の気持ちだけ。開幕の時に選手に、家族の幸せのために戦ってください、とお願いした。ファンの皆さまも家族の一員と思っている」
−優勝の要因は。
「144試合全て勝つんだという選手たちの心。甲子園決勝のような思いでここに来ることができたと思う。コーチ、スタッフの素晴らしさ、選手も最高。僕は何もしなかった」
−泣かなかった。
「絶対に泣かないって言ったじゃん。でも、不思議だよね。勝った瞬間に、プレーオフ(クライマックスシリーズ)のことが気になる。この1年は休む日がない。唯一、日本シリーズで勝った時だけなんだろうね」
−西武戦はどのような心境で見ていたのか。
「ちょっとだけ、まさか連敗しないよなと思いながら見ていた」
−胴上げの気分は。
「現実になると、自分だけ夢の中にいる気がする。(胴上げは)怖かった。結構高く飛んでいたでしょ」◎栗山監督(共同会見後のコメント)
(報道陣に囲まれて) ありがとう!(涙はなかったが?)泣かないって言ったよね!
(胴上げの最中は?) 怖かったです。結構高く飛びましたね。(優勝が決まった瞬間は?)すごいよね。決まった瞬間にクライマックスが気になりはじめました。日本シリーズに勝ったときなんですね、唯一喜べるのは。
(西武戦を見ていたときの気持ちは?) 明日(3日・福岡ソフトバンク戦)を一つ取るという状態でした。ちょっとだけまさか2連敗しないよな……と。あんまり(試合を)見ると、自分は試合しているような気持ちになるから。
(試合がないながら、ファンが1万5608人が集まったが?) もっと感動的に『北海道が一番になりました!』って言いたかったな〜 ◎稲葉選手のコメント
(今年はどんな1年だった?)
監督が僕、金子(誠)、二岡(智宏)のベテラン3人を頼って、というか頼んだぞと声を掛けてもらって、本当に共にやってきたんだなぁという思いが強いです。苦労が実って、僕自身もホッとしています。この監督を1年目から胴上げしたいと思っていたので本当に良かった。
(自信も胴上げされたが?) 僕、引退するみたいですね(笑)。鶴岡(慎也)が音頭を取ってくれて、胴上げしてくれて、うれしいですよね。ベテランである自分が邪魔になりたくないなぁと思いながら(いたら)、胴上げしてくれるんですからうれしかったです。
(今シーズンは記録づくめのシーズンだったが?) 記録がチームの邪魔になりたくなかった。調子が悪くても良くても2000本打つまでは使い続けるだろうし、早く達成したいという気持ちはありました。そんな中でチームにしっかり貢献できた中での2000本は、僕にとって良かったです。チームのためを思っては今年も一緒。理想は2000本達成の時に優勝でした。
(今年は)ダルビッシュ(有)が抜けて下馬評が低く、何とか這い上がってやったという気持ちです。(ケガのためシーズン途中で離脱した)田中賢介の分まで、若手がみんなで穴を補って。ファイターズというチームもこの1年で成長しました。 (次はクライマックスシリーズだが?) 優勝チームとして恥じないように、クライマックスをしっかり勝ちたい。監督をあと2回胴上げしたいと、今日の胴上げでみんなも思ったと思います」 では今日の道スポのトップ面で
感動の瞬間がそこにあった。10月2日午後8時59分、西武が敗れ日本ハムの優勝が決まると、2分後に1万5608人のファンの目の前で栗山監督の胴上げが始まった。故・三原氏を思慕し、同氏が監督時代に付けたこともある背番号80が、11度宙に舞った。
「北海道が1番になりました!」。指揮官は高らかにリーグ制覇の喜びを叫んだ。「怖かった。結構高く飛びましたし…」と初の胴上げに、驚きの表情を隠せなかったが、涙を“こらえて”の晴れ舞台となった。
尊敬する心の師に感謝した。2011年秋、監督就任の“条件”の一つとして球団にお願いしたのは、日本ハムの初代球団社長で巨人、西鉄、そして指揮官が所属していたヤクルトでも監督を歴任した三原氏の写真を監督室に飾ってもらうことだった。
選手の調子、ツキを見逃さず、相手が予測もしないような選手起用と戦術で数々の名勝負を演出した知将。「魔術師」とも呼ばれた男の生きざまに、自分を重ね合わせるようだった。開幕から札幌ドームで行われた全試合、監督室から出る前には必ず写真に「行ってきます」と言葉をかけ、戦いに臨んだ。
シーズン中、好きな映画も見られず、大河ドラマを録画すれどたまる一方だが、読書だけは欠かさなかった。そこで指揮官は、一冊の本を探し求めた。それが1973年(昭和48年)初版で三原氏の著書でもある「勝つ―戦いにおけるツキとヨミの研究」(絶版)だった。同氏が晩年につづった書だが、思慕する三原氏の戦術とポリシーが凝縮された一冊だった。
三原氏が西鉄監督時代に打撃投手からエースとして抜てきした稲尾氏のエピソードや、適材適所の選手起用など、三原魔術といわれる由来が自身の経験値でつづられている。同氏は、稲尾氏との出会いをツキと捉えている。指揮官も、ルーキーイヤーに4勝を挙げながら、最近3年間は1勝もしていない吉川の潜在能力とツキに懸けた。
絶対エースのダルビッシュが抜けた穴は、そう簡単に埋まるものではない。しかし「今年ダメだったら俺がユニホームを脱がせる」と吉川に告げた。「俺の中での巡り合わせだった」(栗山監督)。同年齢の斎藤を開幕投手に起用したことが、結果的に刺激を与えた。気がつけば14勝。MVPの有力候補となる活躍ぶりだった。
そして、采配で見逃せなかったのが若手の起用だ。今季はシーズン途中にキャプテンの田中が骨折で戦線離脱した。糸井も脇腹を痛め一時は登録抹消、金子誠も足に爆弾を抱えているだけに、フル出場させられない事情があった。
そんな中、台頭したのが杉谷、西川、中島であり、ルーキーの近藤だった。就任前、全員が戦力として、競い合うことを求めた。シーズン前の下馬評はほとんどがBクラス。しかし、ベテラン、中堅だけでなく若手も栗山ファイターズの歯車となり、優勝への足跡を刻み込んだ。
指揮官は「人々に必要とされることが人間にとって一番幸せ」と言った。北海道のチームだからこそ、監督を引き受けた。終(つい)の棲家(すみか)である栗山町の存在が大きかった。町の人々の温かさ、豊かな自然が、優勝監督を誕生させたのかもしれない。
思慕する三原氏の野球を栗山流にアレンジし、優勝を決めた。そして北海道の自然の中で、すっかりと道民意識が根付いた。「北海道を日本一にする(自分の)思いを周りは『大丈夫か』と心配してくれたと思う。それが(挑戦することが)不可能ではないと思ってくれると、うれしい」
次はクライマックスシリーズを制し、日本一への挑戦権を手中に収めなければならない。「勝った瞬間にプレーオフのことが気になりだした…」。指揮官の好きな言葉「夢は正夢」を必ず完結させる。(松木純) ついについにファイターズがパを制覇、優勝を奪還しました。
ファイターズの開幕前予想で誰一人、優勝をあげた人がなし。
せめてAクラスはと思ってもそれもわずかで何見ているんだと思いました。
元F二軍監督・水上氏が一番、ファイターズの上位を予想していました。
この人はたいしたものだ! しっかりした物の見方していると感じました。
総対的な判断が出来ない解説陣が多いとつくづく思った年でもありました。
栗山監督はニュースステーションでもしっかりした理論をしていました。
現場経験不足は各自との対話から始まり、現行コーチ陣、ベテラン選手を信頼した。
選手には失敗しても自分のせいにし、また再びチャンスを与えました。
頑固さもあり、一戦一戦必勝を貫きながら先を見据えての戦い方もしました。
選手の活躍、監督の気配りと斬新采配、フロント陣の見る目、共に戦うファンと
われらのファイターズに神は優勝という褒美(ほうび)をくれました。
取り上げるときりがないので今回はここまでで。
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2012年10月03日
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