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二人の投手がファイターズから去った。
武田久、榎下陽大投手
まさか2投手がファンフェス登場するとは…
最後の挨拶出来たのは良かったと思う。
しかし、長年応援しているファンクラブ会員なのに
そこへ参加するチャンスさえ、与えられなかった。
誠に残念、悔しい気持ちが残っています。
それでも間接的ですがちょっと触れてみます。
◎武田久投手
場内にジュークボックスの曲が流れ、
9回のマウンドに小さな投手が登場!
そう、武田久投手です。
よく、走者をだすこともありましたが
最後は抑えていたことが思いだされます。
小さいながら伸びあがる球は凄かった。
一番記憶に残っているのは無死満塁の場面で出て来て
後続3人を打ち取った姿です。かなり前ですけどね〜
そんな投手もついにファイターズを去る時が来ました。
チームメートに胴上げされて球場を後にした小さな鉄腕は、
その後球団事務所で記者会見を行った。
――15年間在籍したチームを去る率直な心境は。
「ファイターズの15年間は、最後の方の何年かあまり投げられなかったですけど、自分なりには出し切れたのかなと思います。プロでは悔いはないです」
――プロでの15年間はどんな年月だったか。
「はじめは自信がなくて、いい場面でも投げられなかったですけど、コツコツやっていくうちに最終的には9回を任されるようになりました。プロに入った時は抑えやるとは思ってなかったので、僕ぐらいの能力にしては、9回をできたということは奇跡に近いと思います」
――恵まれた体格ではない中でこれだけの成績を残せた要因は。
「1年1年、本当に必死にやってきましたので、その積み重ねというか、あとは負けたくないという、ポジション取ったら奪われたくないというその気持ですね」
――日本一も経験したが、一番思い出に残っていることは。
「ポジション的にいい思い出というのはあまり残らないんです。やっぱり打たれた試合ですね。それを糧に頑張ってきましたので。自分がぶち壊した試合、いっぱいありますけど、そういうのが思い出ですね」
――9回を投げる上で支えにしていたものは。
「自分にしかできないことがあると思います。150キロの球も投げられなかったですし。しっかり自分のスタイルを貫き通して、打たれながらも抑えていく。そういうのがブレなかったから何とかできたのかなと思います」
――2004年北海道移転という出来事は武田投手にどんな影響があったか。
「入団した時は東京で1年やりましたが、正直チームもあまり強くなくて、お客さんもあんまり入っていませんでした。北海道に来て、選手だけでなく、当時のヒルマン監督だったり、球団職員だったり、球団スタッフだったり、いろんな地道な努力があって今の人気球団ファイターズがあると思います。その当時は常勝チームになるには時間がかかると思いましたけど、みんなの努力で今のファイターズがあるんだなと思います」 社会人へコーチ兼投手として戻ることになりましたが
野球人、野球小僧として燃え尽きるまで頑張ってほしい。
そしていずれはファイターズへ戻ってきてほしい。
◎榎下陽大
OBで岡島投手もそうだった。
この独特の投げ方でよくストライクが投げれるものだと思った。
一番、思い出されるのは昨年のソフトバンク戦
後ろに投手がほとんどいない中、延長へ入って
10回にマウンドに登場、上手く抑えてくれた。
それでもいづれは捕まると思っていた。
ところが走者をだしても11、12回もを抑えこんだ。
この引き分けはこの年の優勝の起点だった。
その後のファイターズは勢いにのって優勝を飾った。
プロ生活の中にしっかりと名場面、記憶を残せた。
そういうことで実質、昨年ブレーク、もう少し出来ると思ったが…
今度は球団職員なのでまた会えることもあるかもしれない。
ファンフェスに参加出来なかったのでここまでですみません。
それでもファイターズをオフも盛り上げていきたいと思います。
みなさんも一緒にファイターズを応援していきましょう。
では武田久投手、榎下陽大投手の今後の活躍を祈り、
みなさんの強い応援をこのブログにもよろしくお願いします。
ここに
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道スポ、ファイターズサイトなど
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◎札幌初!きたすぽ
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2017年11月27日
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