|
今年、期待したい戦力をとりあげたいと思います。 小林繁氏がいれば、間違いなく復活できたサイドスロー投手、 全力投球が持ち味なので小林氏の野球感を教えてほしかった。 しかし、セでホールド王になったほどの投手。 菊池、金森ら昨年にブレークした投手と切磋琢磨のうえ、 今年はぜひ、ファイターズのために復活してほしい。 ◎加藤武治投手 所属:日本ハムファイターズ 守備:投手 出身:山形県天童市 経歴:山形南高−東京学芸大学−三菱ふそう川崎 −横浜ベイスターズ−日本ハムファイターズ タイトル:最優秀中継ぎ投手(2006年) 【動画】 ◎投球スタイル サイドスローからキレのある球を投げ、主に中継ぎとして活躍する右腕。膝を折り曲げて構える独特のセットポジションから、体を大きく沈ませながら腕を大きく振り上げて投球する。かつてはストレートが最速152km/hを記録したことがあり、ストレートで押していく投球が特徴であったが、近年は140km/h前後に落ち着き、ボールのキレで勝負をするようになった。 球種はストレートの他に独特の浮き上がるようなスライダー、近年は時折シンカーも投げる。2005年からはスライダーを投げる割合が増えた。 ◎入団会見コメント 「北海道の熱烈なファンの前で投げるのは今から楽しみです。ファイターズというチームは選手一人ひとりが野球を良く知っていて、勝ち方を知っているという印象があります。自分は若いころスピードボールで押すのがアピールポイントでしたが、この2年ほど怪我で苦しみながらも変化球の使い方など若いころに出来なかったことが出来るようになってきました。ルーキーのようにキャンプの最初からアピールできるようにしっかりと準備をしていきたいです。」 がんばれ、がんばれ!カトタケ〜 日本ブログ村ランキングに参加しています。
|
ファイターズ2009
[ リスト | 詳細 ]
|
日本ハムの小林繁1軍投手コーチ(享年57歳)の告別式が20日、福井市の「千福寺りんどうホール」で営まれました。 阪神時代の同僚、近鉄でともにコーチを務めた真弓明信監督や日本ハムの稲葉選手など球界関係者や知人ら500人が参列し、近鉄時代の教え子で元レンジャーズの大塚晶則投手が弔辞を読み上げました。 悲しみを抑え、主将の稲葉選手がナインの思いを代弁して「本当に突然で、信じられない。生きて野球をできる僕たちは幸せだと痛感した。小林さんのユニホームを見えるところに飾って、見守っていただく形にしたい。今年は小林さんのために日本一になれるように皆で頑張りたい」と、ベンチに「79」を飾り、ともにペナントレースを戦うことを提案したようです。 札幌市内で講演後、伝え聞いた梨田監督も「主将が言うことなんだから、いいんじゃないか」とすぐさま同調したようです。 その梨田監督が講演会ではビジネスマン主体の参加者に対し「日本一奪還に向けて」というテーマで約1時間、司会者との対話形式で熱弁を振るいました。昨季の回顧から、今春のキャンプの取り組み、注目選手などを語り「左投手は手薄だが、中継ぎはものすごく充実した感じはある」と戦力分析しました。 今日、21日には小林繁投手コーチの福井市内の自宅を弔問されるそうです。 また、大社オーナ哀悼の言葉を載せます。 素晴らしい言葉に感動しました。 尚、日本一奪還に向けて監督、選手が一生懸命発信しているこの日に 山田GMの不謹慎インタビューが読売サイドのネットに載ってしまいました。 空白の一日(江川事件)で問題をおこした読売サイドの不謹慎掲載にも怒りを覚えました。 なぜか?外人抜きの打線で優勝は?育成を掲げ白旗を上げた山田GMの言葉は たとえ優勝が無理と思ってもモチベーション上、言ってはいけない管理職タブーの言葉。 反省をお願いするとともに詫びを入れてほしい。それともGMやめる?? その記事を下記に掲載します。ひどいでしょう。 ―ろく膜を患ったこともあり、現役生活には10年で終止符を打った。当時、野球界に未練は?
「未練は全くなかった。東京・両国の男性下着メーカーの営業マンとして問屋、小売店回りで出社は午前6時、帰宅は深夜。10年間は無我夢中で過労死するかと思うほど働いた」 ―スカウト転身のきっかけは? 「マッシーこと村上雅則さん(65)が、(当時)日本ハム(監督)の大沢啓二さん(77)に『山田君は選手の見極めがいい。スカウトにうってつけ』と推薦。大沢さん宅の新年会に呼ばれ、スカウト生活をスタートさせた」 ―当時、担当地区は? 「東北・北海道、関東を担当。年間300試合を見て回ったほか、各地の人脈、『報知高校野球』などの雑誌も活用。まず、10〜50人をリストアップ。6〜7人に絞り、最終的に1〜2人を採用した」 ―今季3年目の中田翔内野手(20)がくすぶっているが? 「技術的には1軍レベルにあるが、目的意識が乏しい。日々の練習に、今日の目的、1か月、1年後を見据えて取り組まなくてはならない。稲葉篤紀外野手、ダルビッシュ有投手と練習から真剣に取り組む選手がいるだけに、練習態度から監督はじめ、チームを納得させる姿を見せてほしい。今年は正念場。プロとしての自覚を持ってほしい」 ―絶対的エース・ダルビッシュの将来は? 「フリーエージェント(FAの権利)は、国内は2013年、メジャーは14年に獲得するが、本人はファイターズで通したいと言っているし、やってほしい。昨季、疲労骨折した右手人さし指も順調に回復に向かっているし、3月20日の開幕は任せたい」 ―チームは昨季2年ぶりにパ・リーグを制したものの、日本シリーズでは巨人に2勝4敗。日本一を逃した。 「毎年、優勝することは難しい。今年は育成のシーズンにしたい。勝負強さを持ったスレッジは横浜に移籍。大砲を外国人に頼ることは難しい。昨季、ブレークした糸井をはじめ、和製クリーンアップで戦いたい」 ―梨田昌孝監督(56)の采配は? 「09年の戦いは厳しかったと思う。糸井、小谷野、宮西、菊地を抜てきしたことで、将来を見据えているなと感じた。中田、5年目を迎える陽岱鋼(よう・だいかん)内野手が1軍で働けるようになれば、11年にはブレークする」 はっきり言ってファイターズの監督、コーチ、選手、ファンは 育成しながらでも当然、優勝を狙いにいきます。 亡き小林コーチのためにも!! ※おまけ 稲葉選手は告別式のあと札幌へ帰ってきてヒルマンズハウスのイベントへ。 サプライズゲストになんと横浜の稲田選手が出て来て盛り上がったようです。 ところで稲田選手はどこでトレーニングしているのだろう?? 日本ブログ村ランキングに参加しています。
|
|
小林繁氏の通夜が昨日、福井市内で営まれました。 通夜には巨人時代の同僚・関本四十四氏や新浦寿夫氏、 生前に総監督を務めた「オールスター福井」のナインらが参列。 式場には長嶋、王、江川卓氏、新庄氏を始め、 明石家さんま、ラモス瑠偉氏ら球界外からの 花で埋め尽くされました。 札幌市内のイベントで参列がかなわなかった梨田監督は画像を見るかぎり、寂しそうに見えます。 本当にお気持ちを察します。 また、小林氏の追悼試合も5月の交流戦の案も浮上していますが3月の阪神戦が勝負に影響しないので妥当かと思います。 どちらにしても今日の告別式が終了しないかぎり前に進めないのが現状のようです。 日本ブログ村ランキングに参加しています。
|
|
札幌ドームでのイメージ画像です。 3月3日の阪神とのオープン戦で 故・小林繁投手コーチの追悼試合が 検討されているようです。 真弓監督の阪神は絶好の追悼になります。 ぜひ、実現してもらいたいと思います。 日本ハムが、17日に心不全のため死去した小林繁投手コーチ(享年57)の追悼試合を、3月3日の阪神とのオープン戦(札幌ドーム)で行う可能性があることが18日、分かった。日本ハムファンと古巣・阪神のファンがともに、小林氏をしのぶ場となりそうだ。 ◇ ◇ 突然のふ報から一夜明け、日本ハムは小林氏の功績をたたえ、追悼試合などの検討を始めた。小林氏が日本ハム以外に日本球界で在籍したのは巨人、阪神、近鉄の3球団。その中でも、球団関係者が「もちろん一番ふさわしい」と迷いなく挙げた相手は、阪神だった。 小林氏は1979年、球界を揺るがせた「江川事件」にのみ込まれ、江川卓氏との交換トレードで阪神に移籍。しかしこの年、巨人戦は負け無しの8連勝で、22勝で最多勝を獲得。意地を見せたその後も83年に肩の故障を理由に引退するまで、5年連続で2けた勝利をマークした。タテジマのユニホームを着て挙げた77勝は、虎党の記憶に深く刻まれている。 さらに阪神・真弓監督との縁もある。2人はともに79年に阪神に移籍してきた。そして近鉄ではコーチとして苦楽をともにした。梨田監督と3人で「男前三人衆」として売り出され、01年にはリーグ優勝を達成。真弓監督自身「近鉄の優勝が一番(印象に)残っている」と話していた。 小林氏は今季から1軍投手コーチに就任したが、その姿を北海道のファンに見せることはかなわなかった。ある球団関係者は「(追悼試合を)やるのであれば、やはり札幌ドームになると思います」と話す。3月3日の阪神とのオープン戦は、札幌ドーム。阪神の球団幹部は「求められれば、ぜひこちらも協力したい」と話しており、実現する可能性は十分にある。 小林氏の通夜は19日、告別式は20日に、福井市内で行われる。20日の告別式には主将・稲葉をはじめ12選手が、福井に駆けつける予定だ。 阪神への移籍会見で「野球が好きだから、阪神にお世話になります」と話した小林氏。梨田監督、真弓監督、教え子に日本ハムファン、阪神ファン-。多くの人が小林氏の大好きな野球を通じ、小林氏をしのぶことになりそうだ。 [ デイリースポーツ 1月19日 ] 日本ブログ村ランキングに参加しています。
|
|
小林繁氏が亡くなってから24時間ほどになります。 自分の中で過去好きなプロ野球選手で三本の指に入る人でした。 まだ、亡くなったことが信じられません。 追悼をこめて偉大な人だったことを示す各コメント、 話題となった空白の一日を掲載します。
「空白の一日」事件
1977年のドラフト会議で、クラウン(西武)に指名されていた江川は巨人入りを熱望しておりクラウンへの入団をを拒否し、一年後の1978年11月22日のドラフト会議を待っていた。野球規則で、指名された江川と指名したクラウンの交渉権は翌年のドラフトの前々日となっていたが、この規則のぬけ穴を巨人とが狙ってきたのだ。 「クラウンとの契約はドラフト会議前々日の20日に切れた。だから21日の江川選手はフリーな立場なので、この日我々巨人軍は江川選手と契約を交わした。」と21日に巨人が発表した。これが世に言われる「空白の一日である」。この事件に球界は大きな衝撃に包まれた。 もちろんコミッショナーはこれを認めず、巨人がボイコットした翌日のドラフト会議でも江川は4球団から指名され、競合の据え阪神タイガースが交渉権を勝ち取った。 しかし、これにも巨人は反論。「全球団が参加しなかったドラフト会議は無効であり、阪神の交渉権も意味をなさない。「空白の一日」は法的に見ても問題は何一つない。」と主張。球界は騒然となった。 時のセリーグ会長は巨人から提出された江川の登録申請を拒否。コミッショナーも「空白の一日は各球団が新人選択に方針樹立の余裕を与えるためのものである。」と裁定し巨人側の主張を退けた。 ところが突如、コミッショナーが巨人側の主張を容認する発言を始めた。「裁定はしたが、これでは実質的な解決にはならない。だから交渉権のある阪神と巨人との間でトレードを行う。開幕では遅すぎるのでキャンプ・インの2月1日までにこれを実行する。これはあくまで特例の措置である」。これは裁定を下してから1週間と経っていなかった。 阪神も、いとも簡単に納得したように見えるがそうではなかった。実際には読売新聞が運輸省を動かし、阪神電鉄本社に圧力をかけたのだ。電鉄会社にとって鬼より怖い運輸省に圧力をかけられたのでは、江川のトレードに首を振るわけにはいかなかったのだ。 ちなみに小林は翌年22勝9敗の大活躍。巨人戦では8戦全勝。以後58年に引退するまで77勝56敗。対する江川は初年度の登板こそ無かったものの、9年間で135勝72敗、8年連続で2桁勝利を挙げていた。 小林の通算成績は374試合に登板、139勝95敗17セーブ、防御率は3.18。最多勝利に1度、最優秀投手に2度輝いている。澤村賞、ベストナインも2度選ばれている。 2010年1月16日東京ビックサイトで 心からご冥福をお祈りします。 日本ブログ村ランキングに参加しています。
昨日の故小林氏掲載のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/souto789/34401768.html |





