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写真一番上から 1、伊勢湾沿岸地域出土の弥生土器
2、畿内地域出土の弥生土器
3、北部九州地域出土の弥生土器
4、東北地方南部地域出土の弥生土器
(注)写真は『弥生文化の研究4弥生土器2』雄山閣出版より引用させていた
だきました。なお、写真の土器の縮尺は不均一ですので、実際の大きさ
での比較は出来ません。煮沸器の大きさは、おおむね20〜30センチ
が多くなっています。
日本各地から出土した弥生土器の時期別の代表的形態を掲載した上記の写真を見ま
すと、統一王朝が存在したわけでもないのに、ある一定の方向性が見受けられる事に
気が付きます。
それは口元の変化と底の作りの変化です。この写真だけでは器壁の厚みの変化は全
く判りませんが、弥生時代後期の煮沸器の一部には、ごく薄い器壁の土器が存在する
ようですが、ここでは、形態の変化のみに着目してみる事にします。
写真中段の煮沸器は左から右へと新しい時代のものの順で並んでいます。地域によ
って多少のズレはありますが、口元が時代と共に小さくすぼまっています。底も後期
になると、中国・四国地方では丸みを帯びていて、伊勢湾地方や南関東のものは台が
付いています。
当時の土器製作者が何故こうした変更を加えたのかを考えてみますと、より火力を
強くしたかったのだと思います。地方によって工夫の仕方が違うのが面白い点です。
特に台を付けた発想がいいですね。
煮沸器の使い方として、底部を少し土に埋めて使うと考える向きがありますが、そ
んな事はないでしょう。何故なら、熱を受ける面積が少なくなるからです。底が多少
尖っていても、熱灰を少し掘って回りに炭火や灰をかき寄せれば、煮沸器は充分に安
定します。発掘された土器の底部に煤が付着していない事が多いのは、土に埋めたか
らではなく、多少の水漏れのために底が濡れた状態になる事が主因だと思います。
底に台を付けると、中は空洞ですから空気が熱っせられて煮沸器の底が加熱される
ようになります。土器を野焼きすると、熱源に接している側よりも内側の面の方が良
く焼けています。それと同様に台を付けると下部から加熱されるようになるはずです。
ただ、下部には空気が入りずらいので、その効果は限定的だとは思います。
これらの写真からは、口元を絞って密閉性を向上させたり、底に台を付けたりと弥
生時代の土器製作者の工夫の跡が窺えます。
では、こうした工夫は、いかなる動機で行われたのでしょうか。私は、こうした工
夫を各地で独自に行なっていた最大の動機は、玄米の調理の必要性にあったのではな
いか、と思っています。幾つかの実験をしてみますと、精白米の調理には、さほどの
強火は必要ありませんが、玄米の調理には強火がどうしても必要です。ドングリなど
は、粉にしてアク抜きしてから茹でたのでしょうから、精白米の調理程度の火力で足
りたでしょう。しかし、玄米の調理は、どのような調理法を選択するにせよ、『はじ
めチョロチョロ、後パッパッ』ではなくて、始めから終いまで強火が必要なのです。
稲の籾殻を取り除く(脱穀)事よりも、玄米の皮を取り除く精米技術の方が高度の
技術を要するために、弥生時代においては玄米調理に必要不可欠な強火の実現に向け
て、各地で様々な工夫がされていたように思います。つまりは、より美味いものを食
べたいという基本的な人間の欲求が動機となって土器の形態が変化し、力学的にも洗
練されていったのでしょう。
それにしても、発掘された土器の年代をよく細かく編年出来るものです。考古学者
の方々の多年の努力に敬意を表したいと思います。
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スゴーッイ!この写真だけで、これだけのことがおわかりになるんですか? もしかして学者さんか教授さんでいらっしゃいますか?価値観等解らない私には難しすぎるので、これからも、自分のレベルで先生の作品を楽しく拝見させていただきたいと思います。
2005/11/8(火) 午後 1:21
サラリさん、写真だけではなくて、ブログの土器実験データを基にしています。サラリさんにお尋ねした洗茶の意味も、前の記事『湯取り法と炊き干し法』に関係しています。味覚の鋭敏度は人によって違いますので、アクの感覚について知りたかったのです。煎茶器にも、おいおい挑戦していきますので、また遊びに来て下さいね。
2005/11/8(火) 午後 10:30
勉強になります。。。
2009/12/21(月) 午後 8:34