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d,大きさの意味するもの
弥生時代の約500年間で甕型土器の大きさは大して変化していないようで
す。(高さは最大で30センチ程度)
この事をどう理解すべきなのでしょうか。現在の調理器具を考えてみると、
電気炊飯器にしても、5合炊きもあれば1升炊きもあります。鍋も大きさは色
々です。
弥生時代も初期と後期では米の収穫量も相違したでしょうし、富裕な階層と
貧しい階層との分化もあったでしょう。それにもかかわらず、大きさがほとん
ど変化しなかったという事は、利用する側の事情ではなく、利用方法に原因が
あったと考えられます。
実験で加熱方法を様々に変化させてみましたが、甕型形態は炎を直接当てて
加熱する事を主に考えられたものではなく、炭火のようなもので回りを囲んで
加熱する事を想定して製作されているようです。こうした方法ですと、高さを
大きくする事は困難になるので、大きさは限られます。
もちろん、弥生時代に炭焼きをしていたという事ではなく、木を燃やした後
の消し炭が多く混じった熱灰で囲むのです。
かつての日本でも囲炉裡は一般的存在でしたが、灰を掻き回すと熱が出てき
ます。灰の中には多くの炭が存在しているのが常です。太い木を燃やすと大き
な炭ができ、それを灰の中に入れておけば、後で掘り出して火力が欲しい時に
使用出来ます。この炭と灰との割合を変えたり、囲む割合を変える事で火力の
調節が出来ます。何よりも、煙が出ない事は調理にとって有利です。
実験した結果では、回りで木を燃やして炎で加熱した場合には、湯をグラグ
ラ煮立つ状態には出来ませんでした。湯温が5度ほど不足するのです。これに
対して、熱灰の中に土器を置いて回りを炭火で囲んで加熱した場合には20分
ほどで、グラグラと煮立ちました。
又、この方法ですと、ずっと火の番をしていなくても良いので便利です。
e,器壁の弱さと糊状物質
実験に使用した土器は電気窯で600度で焼成したものです。弥生時代の土
器は野焼きで何度程度の焼成なのかは不明ですが、800度を超える事はない
はずです。野焼きでは、800度程度が限界でしょうし、実際には700度以
下と思います。
こうした低温焼成の土器ですと、使用後の処理が問題です。食べ物を盛り付
ける皿のようなものなら、上に大きめの葉でも敷いて使用すれば良いわけです
が、調理用の土器はそうはいきません。
実験に使用した土器で、御飯粒が付いたままにしておいて乾燥させてしまっ
たら、器壁が薄くはがれてしまいました。土器を傷めないためにも、衛生上の
点からも、使用後すぐに水洗いするか、糊状のものが中に入らないようにする
外ないでしょう。
一昔前の食器洗い機は、御飯の糊状の汚れを良く落とす事が出来ませんでし
た。洗剤を使用して、しかも釉薬の掛けてある食器でさえそうなのです。
脆くて薄い土器に付いた糊状の汚れを落とす事は容易ではありません。きれ
いに落としておかないと、いやな匂いがしてきて、調理には使用出来なくなる
でしょう。
実験に使用した土器も洗いましたが、ていねいにタワシのようなもので洗う
にしても、腫れ物にさわるようにしなければなりませんでした。最後に焦げを
作りましたが、これはなかなか落とす事は出来ませんでした。
もっとも、底に焦げを作るほどの熱を加えると破損する確率が高いようです
から、洗う必要も無くなりますが。
現在の家庭用の鍋にしても、焦してしまうときれいにするのは大変です。
ところで、家庭で毎日使用しているのに、まったくといってよいほど洗浄せ
ずに使用しているものがあります。それは薬缶です。
きれいな水を入れて沸かすだけですし、毎回熱湯消毒をしているわけですか
ら、水で洗い流す程度の洗浄で済むわけです。
低温焼成の土器を長持ちさせるには、内部に糊状の物質を入れないようにし
て、茹でる機能を中心に使用する以外にないでしょう。
当ブログ関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/12290820.html
f、耐久性について
実験に使用した土器は10回ほどの使用で破損しましたが、これは意図的に
空焚きしたためです。通常の使用方法であれば、かなり長期に渡って使用でき
るように思われます。
器壁が薄い土器は頻繁に持ち運ぶ事や内部を強い力で洗浄する事を想定して
製作しているとは考えられません。
一見して耐久性に乏しい土器を製作した理由には、そうした外的力が加えら
れる事の少ない使用法が通常だったと推定されます。
また、空焚きをして破損した事からは、通常は水分が残存する状態で使用を
終了していたと思われます。
当ブログ関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/7497170.html
g、形態と厚みの変遷の意味するもの
単独の器物では判然としない製作者の意図も、長い年月に渡る形態等の変遷
を見れば、製作意図の方向性が見えてきます。縄文時代の調理用土器と弥生時
代の調理用土器とでは明らかな相違があります。
それは、土器の小型化と軽量化です。この変化をもたらした原因は何でしょ
うか。おそらく、主要な食料と調理方法が変化したからでしょう。
縄文時代における主たる調理方法が土器の内部で食料を茹でたり、煮たりし
ていたとするなら、その方法よりも主たる食料にとって好都合な調理方法、つ
まりは、より美味く調理出来るように変化したと考えられます。
米自体は、すでに縄文時代に伝来していたわけですから、縄文土器でも調理
されたわけですが、この二つの時代の土器の形態変化の根幹をなす指向性は高
温の熱水の実現にあるように思われます。
現在でこそ水を沸騰させる事は簡単な事ですが、竃もない状況下では困難な
事です。特に、縄文時代の広口の大型の土器では熱が放散してしまいます。
現在でさえ湯を沸かす薬罐は密閉性のある構造を採用しているのですから、
古代でも当然そうした方向性で考えた事でしょう。現に、注ぎ口のある土器
も存在しています。
実際に土器での調理をやってみますと、火力の不足で失敗した事がありまし
た。特に、赤米のような玄米ですと、火力が不足していると調理出来ませんで
した。
中国の新石器時代では竃や鼎、釜が存在していましたが、そうした発展段階
以前の状況下でも人間は創意工夫するものです。その表れが土器の小型化と器
壁の薄さと口のすぼまりだと思います。
土器に水を入れて加熱する場合、内容積と表面積は比例しません。加熱方式
が何であれ、水と接している表面から加熱するわけですから、表面積に対して
体積が大きすぎると単位水量当たりの表面積の割合は低下し、加熱能力も低下
します。
したがって小型化すればするほど単位水量当たりの加熱面の割合が増加する
ので加熱能力が向上します。この事は中国の新石器時代にあった尖底瓶という
底の尖ったスリムな土器に似たものを作り、水を入れて熱灰に差し込んでみる
とよく判ります。わずか数分で沸騰するのです。この事が竃が登場するまで、
弥生時代の調理用の土器が小型だった最大の理由だと思われます。
当ブログ関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/7806237.html
http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/13633587.html
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