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D、米を煮て食べていたという説の論拠について
弥生時代には米を煮て食べていたという説の論拠としては、おおむね以下の
点が上げられているようです。
a、出土する土器に吹きこぼれの痕跡が見受けられる事。
b、出土する土器の内部に炭化した米(焦げつき)が存在する事。
c、弥生土器の底部有孔土器には、組み合わせて使用すべき器種がない事。
d、底部有孔土器の出土数が甕型土器の出土数に比して極端に少ない事。
e、日本に確実に蒸し器と言えるものが登場したのは5世紀前半であり、須
恵器の出現とともに竃、釜をも伴っての事である。
主要な論拠は以上のようですが、これは『食の考古学』に載っている事項だ
けであり、論文は手に入らないので読んでおりませんので、その旨ご了承願い
ます。
土器の実験をしてみますと、吹きこぼれは土器の内部に直接に米を入れなく
ても、笊に精白米を入れた場合にも起こりました。土器での赤米の実験は出来
ませんでしたが、鍋での実験では赤米でも水量が多く、火力が強い場合には吹
きこぼれました。又、土器でサトイモを茹でた時にも吹きこぼれました。
実験の回数が少ないという点はありますが、少なくとも、吹きこぼれの痕跡
の存在だけでは、土器の内部に直に米を入れて煮たという証拠にはならないよ
うです。
そして、吹きこぼれの痕跡のある土器自体が一部の遺跡からのものに止まっ
ているようでもあり、吹きこぼれの痕跡のある土器が全く出土しない遺跡が存
在するとの話との整合性も問われるでしょう。
土器の内部の焦げつきの存在にしても、笊に入れた米が吹きこぼれた時に土
器の内部に落ちて焦げが出来た事をみると、この点をもって確実に土器の内部
に直に米を入れて煮たという証拠にもならないようです。
甕型土器の場合、底が焦げる確率は低いように思います。何故なら、横から
の加熱方式なので、底よりもまず横の壁面が焦げるはずだからです。
実験的に焦げを作ってみましたが、土器が割れてしまった事を見ても、底を
焦すような使用法をしていたとは思えません。ただ、実験でも水が無くなって
も割れなかった時もあるので、最後に火力を弱くしておけば、多少底が焦げる
状態で終了する場合はあり得るでしょう。
ただ、土器の内部で煮たとするなら、底が焦げる状態まで加熱した時には、
米が形を保ったままで炭化するかは、大いに疑問です。水漏れするようになっ
て通常の使用が不可能になった土器で焼米を作った可能性も考慮する必要があ
るように思います。
底部有孔土器の組み合わせの問題は、多くの土器を実見しなければ判らない
事ですので、何とも判断しようがありません。
ただ、こしきの実験をしてみますと必ずしも孔は必要ないように思います。
孔の開けていない土器でも実験してみましたが、蒸す事が出来ました。低温焼
成の土器の場合には、水は器壁に滲み込みます。そのために、熱が加われば内
部では熱蒸気が発生するからです。
特に、湯に直接に浸かるように、孔のない土器を入れれば、蒸し効果は強く
なります。ただ、この方法ですと御飯の硬さの調節をするのには不便です。
後で水を打って硬さを調節しようとする時に水が多すぎると底に貯まってしま
うからです。しかし、試行錯誤の期間を考えれば、孔のない土器との組み合わ
せについても検討が必要なように思います。
底部有孔土器の出土数の少ない事も、それをもって煮た事の証拠にはなりま
せん。実験で試みたように、笊だけでも茹でた後に蒸す事が出来ます。木製の
こしきの存在は不確実なようですが、私は存在したように思います。
なにしろ、御飯は木や竹の材質の方がくっつきにくいのです。おひつが木製
なのも、それが理由でしょう。調理の際に炎が伸びる加熱方法をしたと考える
と、木製の<こしき>では燃えてしまいますので、ありえない事になりますが、
炭火混じりの熱灰で加熱する方法であれば使用可能です。
先に述べたように、孔のない土器を用いても蒸す事が出来るのですから、蒸
し器=底部有孔土器と考える事も出来ません。
米を煮て食べていたという説は、考古学者からの説で、調理学や文献史学の
方面では蒸して食べていたと考えているようです。
私のささやかな実験の結果では、どちらでもなく(どちらでもあるとも言え
ますが)、煮た(茹でた)後に蒸して食べていたという事になります。
煮て食べていたという説では、縄文時代の調理法と同じだった事になります。
それが古墳時代になると、いきなり<こしき>を使用した強飯を食べる事にな
るのもおかしな話です。また、煮て食べていたのならば、何故弥生時代の調理
用土器の形態は縄文時代の調理用土器の形態と相違しているのでしょうか。
用途を持った器具の形態変化は、製作者が意図を持って変更しなければ起こ
り得ません。
この点については、すでに前段で述べましたが、古墳時代に使用された蒸し
器の形態から、一般的に蒸し器の形態を判断する事は危険です。古墳時代の蒸
し器の形態は朝鮮からの外来技術だろうからです。
技術の発展過程を辿る場合には、後の時代から遡って考えるのではなく、前
の時代から順を追って辿る必要があります。
煮る調理から蒸す調理への移行過程は、ある日突然に生じたものではなく、
煮る過程の漸減と蒸す過程の漸増という、ゆるやかな過程を経ているのではな
いでしょうか。ただ私には、縄文時代でも煮る調理というよりも、茹でる調理
に近かったのではないかという気がします。
甕型土器は調理用器具として見た時には、欠点の多い器具です。しかし、長
所も有しています。前段での土器形態からの考察では、その双方の特徴を見て
きましたが、弥生時代の土器製作者が漫然と土器を製作していたのでない限り、
そこには用途に適合した器具を作るという意志があるはずです。
それはすなわち、器具の長所が生かされる使い方をしていたという事に外な
りません。実験から導き出した結論は一見、根拠に乏しいと思えるかも知れま
せんが、弥生時代にも存在したであろう笊や籠や布を使用しただけで、美味い
御飯を食べる方法があるのに、延々と500年間も不味い御飯を食べ続けるほ
ど、古代人に知恵がなかったとは思えません。
たしかに、甕型土器では古墳時代のような形態の蒸し方式は加熱量が足りな
いために無理だったでしょう。そのために、各地方で独自の工夫をしているよ
うに思います。
技術には、永いスパンで見た場合には不可逆性があります。より便利な器具
に発展していくのが通常です。この観点から甕型土器を見た時、これまで検討
してきた様に、内部に直に米を入れて煮る調理をするには、かえって不便な形
態へと展開しているのです。こうした事は通常ありえません。つまりは、甕型
土器自体がその使用法を密やかに語っているように私には思えます。
陶磁器の永い歴史を概観しますと、表面的には全く新たな器種と思えるもの
でも、前の時代の技術がほんのわずか変化しただけである事が見受けられます。
技術は直線的に発展する場合よりも、螺旋的に発展する場合の方が多いよう
です。土器の技術も他の分野の技術との相互依存関係の中でゆるやかに発展し
たのでしょう。
この、ささやかな論考で終始心掛けた事は、陶工の目線で器物を見るという
事です。ともすれば、無名の陶工の生み出した無心の美を賞賛する言葉と裏腹
に、無名の陶工の意図や意志には関心が払われません。弥生時代の煮沸器とい
う最も美とは縁遠い器物にしても、そうした傾向が見受けられるような気がし
ます。
しかし、無心と無意志とは違います。くどいようですが、土器にせよ、陶器
にせよ、磁器にせよ、製作者の意志によって生み出された器物である以上、そ
こには製作者の意図が存在しています。製作者は、その時代の技術水準に規定
され、その時代の生活様式に規定されて器物を製作しているが故に、製作者の
意図を探る事で、その時代の生活様式が見えてくる事もあるのです。
関連土器実験データ http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/15026018.html
http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/15032185.html
当ブログ関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/16236240.html
http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/12059008.html
http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/12648919.html
http://blogs.yahoo.co.jp/souyouroko/11856330.html
了
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