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シリア情勢がいよいよ厳しくなってきた。激しい内戦が続いている上に、国連などの調停努力も水泡に帰した。
アナン元国連事務局長がこれまで国連とアラブ連盟のシリア担当の特使を務めていたが、8月末で辞任することになった。また国連の「停戦監視団」は8月19日に期限を迎え、そのまま終了してしまう。
もともと停戦が成立していない以上、監視団のできることが限られていたが、それでも、最初は抑止効果があった。しかし、戦闘が激化してくると、武器を持たない監視団は自らを守ることもできず現場から撤退し、今度はその存在も終わることになった。
シリア情勢をめぐっては、国連安保理も欧米とロシアの対立で機能せず、アラブ連盟もほとんど有効な手が打てずに来た。
国際社会の支援や調停が期待できないシリアの人びとは、闘争をエスカレートさせる道を選んできた。最初にデモに繰り出した日から、血の弾圧は覚悟の上であったとはいえ、1年半ですでに民間人の犠牲者が2万人とも言われる。
国民のレジスタンスは、政府軍を脱走した兵士や離脱した将校が作る「自由シリア軍」が中心である。最初は、脱走の際に持ち出した小火器のみで、きわめて劣勢であった。今年に入ってからは、サウジアラビアやカタルなどの支援で武器も充実してきた。
7月には、政権の中枢部での自爆テロがおこなわれ、アサド大統領の側近の国防大臣が殺害された。国際社会も驚いたし、政権側にも衝撃であった。さらに、首都ダマスカスや北部の古都アレッポでも、一部の地域を自由シリア軍が制圧する事態が生じた。政府軍はこれを押し返したが、反体制派の軍事力はあきらかに向上してきている。
そのような中で、今度は、反体制派の軍が「処刑」をおこなったという疑いも生じている。無抵抗の政府側の民兵を殺害している画像が、8月に入ってからユーチューブに流れた。事実かどうかは今のところ判断できないが、無秩序の内戦の中では、十分におこりうることである。
シリアの流血は、これからも悲惨なニュースが続くであろう。
この現実に対して、最近は「宗教」からシリア情勢を読み解く解説もめだつ。単に「独裁」と「民主化」が対立しているのではなく、宗教対立がその背景にあるという。宗教がからんで、宗派紛争や宗教戦争が起きているとすれば、悲惨な流血も説明しやすい。
この問題を少し考えてみたい。たしかに、中東情勢には宗教が強く関わる。そのことは間違いないが、日本での宗教のイメージを投影して解釈すると、ズレが生じやすい。問題は、宗教がからんでいるか否かではなく、そこに関わる「宗教」とはどのようなものかという点にある。
まず、一般的な図式を述べておこう。
シリアは7世紀にイスラームの支配下に入り、9世紀頃にはイスラームが多数派になった。イスラーム帝国は、ユダヤ教徒やキリスト教徒に自治を認め、ビザンツ帝国時代に弾圧されていた異端的なキリスト教会も生き延びたから、現在でもシリアにはいくつもの東方キリスト教会が残っている。
その一方で、多数派のイスラームの中にも分派が生じ、シリアではシーア派系のアラウィー派やドルーズ派が暮らしてきた。
要するに、シリアはその歴史のゆえに、近隣のアラブ諸国と比べるとマイノリティの宗教・宗派がたくさんあり、宗教構成が複雑である。ざっくり言うと、国民の7割がイスラームの多数派のスンナ派で、残りがマイノリティの宗教・宗派となっている。
さて、このような歴史的な図式を背景に、現代ではどのような事態になっているか。
まず、アサド大統領はアラウィー派の出身で、政権中枢もアラウィー派が握っている。彼らに協力するスンナ派もいるが、政権に忠誠を誓う者だけが登用される。いわば、
また、キリスト教徒は少数派であるがゆえに、多くが現政権に協力し、利益を得てきたとされる。 これに対して、国民の大半はスンナ派であり、彼らは「アラウィー派支配」の独裁体制に耐えてきた。かつて、1980年代に反体制蜂起したムスリム同胞団は、スンナ派の組織であった。今回も、政権に反対している人びとは基本的にスンナ派である。そのため、同じスンナ派に属するサウジアラビアやカタルが、彼らに支援をしている。北の隣国トルコも、宗教的に言えばスンナ派で、自由シリア軍をひそかに応援しているとされる。
その一方で、アラウィー派はシーア派の分派であるから、同じくシーア派が支配するイランと同盟関係を結んできた。イラン・シリアの同盟関係は、1979年にイランでイスラーム革命政権が誕生して以来のものであるから、非常に強固である。今回、イランの革命防衛隊がシリアに来て、政府軍に協力しているとの説もある。
かくして、スンナ派とシーア派の対立、二次的にはイスラームとキリスト教の摩擦が絡み合って、宗教的な紛争が続いているという話になる。
実にわかりやすい。しかも、宗教が政治を支配しているという話であるから、いかにも中東らしくて、本当らしく聞こえる。しかし、これでよいのであれば、現代中東は中世と変わりがない。
現在のシリアを支配しているのは、世俗主義を標榜するアラブ民族主義の「バアス党」であり、アサド大統領はその頂点に君臨している。「バアス」は「復興」意味する。つまり、アラブ民族の復興をめざす政党で、宗教とは関わりがない。
「アサド大統領はアラウィー派である」というのは、実際には非常にアバウトな表現で、本当は「アラウィー派の家系に生まれたものの、本人の信条は世俗主義者」なのである。父親の前大統領も宗教には関心がなく、熱心な民族主義者であった。
民族主義ということでは、スンナ派にもバアス党の支持者は多い。東方キリスト教は、アラブ固有の教会ということもあって、その出身者は西洋よりもアラブ民族主義に共感しやすい。シリアについて「アラウィー派の支配なのに、スンナ派の大臣もいるのはなぜ?」という疑問は、バアス党が汎アラブ主義の牙城であることを忘れている。彼らは、民族主義の絆で結びついているのである。
にもかかわらず、宗教の出自がいつまでも語られる。このねじれが生じる理由は、中東において「宗教」が個人の信条ではなく、社会的な帰属を指すことにある。民族主義者になってもマルクス主義者になっても、その帰属としての「スンナ派の人」「アラウィー派の人」「ヤコブ派のクリスチャン」などのレッテルは消えないのである。
14世紀にわたるイスラーム支配の時代に、中東では宗教を基盤とする社会が続いた。イスラームだけでなく、保護されたマイノリティの宗教・宗派もこれに賛成してきた。なぜなら、結婚や離婚、遺産相続などは宗教毎に規定が異なっており、自治権は自分たちの宗教の規定を守る権利を意味したからである。
端的に言って、キリスト教徒は一夫一婦制で離婚はできず、イスラームでは離婚も多妻も可能というような違いがあった。中東では、今でも「宗教」は、個人の内面的な信条の問題ではなく、結婚や遺産相続をつかさどる社会的な法なのである。
そのような社会的な次元での宗教は、地縁・血縁と結びつき、地域共同体で影響を保ってきた。私は、それをアラビア語の「ミッラ(宗教共同体)」と結びつけて、「ミッラ縁」と呼んできた。地縁・血縁のように、生まれながらにミッラ縁は人に付着している。「あの人はスンナ派だ」とか「彼女はネストリウス派(のキリスト教徒)だ」とかいう表現は、ミッラ縁を指している。
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