|
むかしの日本には、昼間でも しんとした静けさと、そして 家の中に なにかしらの 闇があったような気がする。 闇といっては大げさなのだが、何かしらの陰というか、暗い部分、 そういうところが 必ず存在していたように覚えている。 記憶のすみにあるのは、日が当たる部分の健全な光である、その部分を包む暗部であり、 全体としての 落ち着いた明るさである。 家の中でも闇を感じ、外に出ては、日の光で明るさ を感じた。 http://bright69.way-nifty.com/photos/landscape/p5030137a.JPG 不思議なことに、空間の広さは、明るさで決まるのではない。 日のかげりによる暗さのグラデーションで、その幅が演出され、それが奥行きとなって 視覚的に測られる。 残念なことに、明るいだけだと ペタンと平面的にしかならない。 http://www.a-yarn.com/photos/uncategorized/2007/10/17/akari.jpg このように、少しの隙間からでも、平等に光は入ってこようとする。 入るすべが限られる光は、このように拡散しながら 闇の中に入ってくる。 日常で得ることができる、光の美である。 こうした情景は、かつては どこにでもあった珠玉の風景である。 http://kenjiro.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2007/12/25/200.jpg 闇は、常に自然の中にもある。 夜の闇は特に 暗い。 夜に真っ暗闇の山に入ることになった。 そのときに、言われたのは、こういうことだった。 「暗いからと、騒ぐと見えなくなる。じっとしていなさい。 目がなれてくる。目がなれると、光のない暗闇のほうが 人間はよく見えるのだ」 10分ほどで、暗闇に目が慣れると、 暗さの色が落ちていき、暗さの中にある物体の明るさが浮き上がってきた。 谷崎潤一郎が 「陰影礼賛」と たたえるのも、うそではないのだなと思った瞬間である。 闇がある。 暗闇が、その空間の中に存在するものを 覆い尽くす。 光が存在する。 闇の中に、光がともされる。 闇から、物体が少しずつ姿をあらわす。 ゆっくりゆっくり。 闇の存在と、内在する物体の存在の 対比。 混ざり合いながら、目でしだいに認知できるようになり 物体が姿をあらわす。 2010/06/16
Re-Cool 出航 SASURAI |
全体表示
[ リスト ]



とても、詩的な記事ですね。
思わず引き込まれました。
傑作です。
2010/6/16(水) 午後 1:42 [ - ]
なんだかなぁ 様
はじめまして。
先日、お気に入りに登録させていただいたSPARTIです。
以前はこんな風景よくあったような気がします。
隙間かぜはあっても、風情のある風景でした。
2010/6/16(水) 午後 2:58 [ SPARTI ]