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落合博満STORY

 最近、ヒマがあると「携帯版wikipedia」で人物検索しています。

 今日は通勤時間に「落合博満」で検索してみました。
落合 博満(おちあい ひろみつ、1953年12月9日 - )は、秋田県出身のプロ野球選手(内野手)・監督。2004年から中日ドラゴンズ監督。

来歴

プロ入り前
中学・高校時代は、年間100本もの映画を観賞するほどの映画少年だった。特に『マイ・フェア・レディ』は7回見に行き、劇中歌の歌詞(英語)を覚えたほどだった。
秋田県立秋田工業高等学校では野球部に在籍していたが、野球をしている時間よりも映画館にいる時間の方が長かった。「練習が嫌い」という理由で野球部を退部したが、投打共に落合ほどの実力を持った選手がいなかったため、試合が近づくと部員たちに説得され、復帰した[1]。 落合はほとんど練習をせずに、四番打者として試合に出場した。
高校卒業後、東洋大学に進学するが、先輩がタバコを手にしたら素早く火をつける、等といった体育会系の慣習に納得できず、わずか半年で野球部を退部し大学も中退。秋田に帰ってしまった。
その後、ボウリングのプロを志すがプロテスト受験の際にスピード違反で捕まって罰金を支払ったことで受験料が払えなくなり受験できず、これも挫折してしまう。しかし、才能を惜しんだ高校時代の恩師の勧めもあって東京芝浦電気の府中工場所属の季節工として入社。同工場の社会人野球チーム「東芝府中」に加わった。ここで頭角を現して1978年アマチュア野球全日本代表に選出(森繁和も選ばれている)、同年のドラフト会議でロッテオリオンズに3位指名されて入団。落合をスカウトした城之内邦雄によると、指名理由は「変化球に強く、投手が苦手とするタイプの打者」という一点のみだった(城之内は投手としての視点から、落合の資質を見抜いていた[2])。なお、巨人は落合をドラフト2位で指名する予定であったが、江川事件によりドラフト会議自体をボイコットしたため、指名は実現しなかった。


現役時代

ロッテ入団後

プロ入り当時のロッテの監督、山内一弘はレベルスイングの本尊といえる人物でもあり、アッパースイングだった落合のバッテイング・フォームの矯正に取り掛かった。「ホースで水を撒く感じで打て」などのアドバイスを貰ったものの、落合自身は後年「当時の自分には山内さんの高度な打撃理論が理解できなかった」と述べている通り、山内から教わった打法ではボールが前に飛ばない状況であったと言う。その為、ベテラン捕手・土肥健二の非常に柔らかいリスト(手首)を使って、ボールをはじき返すフォームに注目しそれを真似し、我流のフォーム改造を狙った(このことが落合がオレ流と呼ばれる所以である)。また打撃コーチの高畠康真は落合のこのリストワークが気に入り、1980年ロッテに移籍して来た張本勲のもとへ落合を連れていった。張本はレベル&アッパーの打撃理論を主張する打者だが、意外なことに「素晴らしい。このままのスイングで打てる」と言った。この高畠から落合は球種を読むテクニックを教わった。しかし決して落合と山内の関係が悪かったわけではなく、落合は山内から伝授された打撃練習法(カーブマシンを自分の真正面に置き、自分に向かって飛んでくる球を左に打ち返すというもので、左脇を締めて壁を作る練習など)を現役晩年まで実践していた[3]。 また、その後、出来上がった神主打法を改めて見てみたところ、山内監督から教わったものが自分のバッティングにも生きていることが分かり[4]、また山内も落合の三冠王祝賀パーティで祝辞を述べ「落合は入団したときからいい打者になれそうな雰囲気を持っていたから付きっきりで指導した」と話すなど、山内・落合双方は決して互いに悪い印象を持っていない。

入団当初、その凝り固まったフォームをキャンプに来ていた評論家も皆酷評し、特に前監督・金田正一は面と向かって落合の打撃を酷評した。この時の思いを、後年落合は「オレは社会人もやってプロ入りしたから何とも無かったが、もし高校出の若い選手が、あんな偉い人からプロに入っていきなり言われたら潰れるだろ」など、度々口に出した。落合の名球会拒否は金田が名球会の中心人物だからであると言われている。読売ジャイアンツに入団した際も、ジャイアンツのかつての名選手を訊かれ、「王さん、長嶋さん、金田」と金田のみを呼び捨てにしたため物議を醸した。また、落合はロッテ時代「オレは1999本ヒットを打てばいつでも引退する」(名球会入会資格である2000本安打の1本手前)と発言した事もあり、この事から落合が名球会を、そして金田を遠回しで非難している事が窺える。

1980年、二軍調整中の江川卓のボールを、センターバックスクリーンに打ち込んだ。このシーンは現在も放送されるが、打たれた江川はセンターフライと思いマウンドを降りかけていたところ、打球は、途中から伸びスタンドに突き刺さる。柔らかく、そして強いリストを効かせ、鞭で叩くような落合の打法の特徴がよく現れている。5試合連続本塁打のイースタン・リーグ記録を作り、後期に一軍へ戻ると57試合だけで15本塁打を放ち、レギュラーを掴み、翌年1981年には早くも首位打者のタイトルを獲得した。

1982年には史上最年少で三冠王に輝く。しかし、数字的には突出したものではなく(打率:.325、本塁打:32本、打点:99)、野球評論家の豊田泰光が落合に対して苦言を放つなど、三冠王のレベルではないと批判された。これに反発した落合は1985年に圧倒的な成績で2度目の三冠を獲得した(打率:.367、本塁打:52本、打点:146)。

1986年も2年連続で3度目の三冠王を獲得(打率:.360、本塁打:50本、打点:116)。2年連続の三冠王は日本プロ野球界において王貞治(1973年 - 1974年)、ランディ・バース(1985年 - 1986年)、落合の3名のみで、通算3度獲得というのは落合のみの記録である。この年はブーマー・ウェルズや秋山幸二らとシーズン中盤まで熾烈なタイトルを争い繰り広げたが、シーズン終盤早々に消化試合になってしまう当時のロッテのチーム状況を味方に付けてタイトルを獲得。その一方、ロッテ時代は優勝に恵まれなかった(前後期制時代の半期優勝は経験)。また最後の三冠王となったこの年、落合の高騰し続ける年俸と球場の観客動員数の少なさがネックとなり、同年シーズンオフに牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂各選手との1対4のトレードで中日ドラゴンズに移籍し、年俸で日本人初の1億円プレーヤーとなる。

1987年8月20日に長男の福嗣が生まれている。


中日移籍後

1988年、32本塁打を放ち優勝に貢献するも、規定打席到達以来初めて打率3割を割ってしまう。1989年、シーズン終盤に破竹の勢いで打点を稼ぎ、逆転で打点王を獲得。1990年、池山隆寛との争いを制し、34本で本塁打王を獲得。1991年、シーズン終盤まで三冠を狙える位置にいたが、三冠を獲得しようと本塁打狙いにいった結果、古田敦也との首位打者争いに敗れ、本塁打王のみに終わる。


巨人移籍後

1993年オフ、フリーエージェント (FA) 宣言し、読売ジャイアンツに移籍。長嶋茂雄監督の2度の胴上げ(1994年、1996年のリーグ優勝)に4番打者として貢献。そして1995年には2000本安打を達成するが名球会入りを拒否。


日ハム

1996年オフ、清原和博の移籍入団に伴いプレーの場を求めて自由契約を申し出る。ヤクルトの野村克也監督の誘いを断り、上田利治監督率いる日本ハムファイターズに移籍し、1998年に引退した。


引退後

引退後は解説者・監督として活躍。2001年までテレビ朝日解説者を務める(キャッチコピーはオレ流解説)。その後はフリーとなっていたが、テレビ朝日時代から通っていた九州朝日放送には度々登場していた(キャッチコピーはミスター三冠王(トリプルクラウン))。

2004年、中日監督に就任。これ以前にプロ野球のコーチの経験はなかった(ただし、森祇晶監督時代の横浜ベイスターズで臨時コーチの経験がある)が、見事1年目にしてリーグ優勝を達成。日本シリーズでは、先に王手をかけながらも、逆転で敗れ、3勝4敗で涙を呑んだ。

2006年、中日を2年ぶりのリーグ優勝に導く。しかし日本シリーズではまたしても1勝4敗で涙を呑んだ。

 
アジアチャンピオンに輝き、選手達に胴上げされる落合博満(2007年11月11日・東京ドーム)2007年、ペナントレースでは連覇を逃し2位。同年から導入されたクライマックスシリーズで阪神タイガース、読売ジャイアンツを破り、日本シリーズ出場。4勝1敗で北海道日本ハムファイターズを破り中日を53年ぶり2度目の日本シリーズ(落合曰く『プレーオフシリーズ』)制覇に導き、前年の雪辱を果たした。また、その後行われたアジアシリーズでも中日をアジアチャンピオンに導いた。これらの功績が認められ、自身にとって、また中日の監督・選手として初となる正力松太郎賞を受賞した。

また感情を露にする事も少なく派手なパフォーマンスも見られなかったが、2006年の中日ドラゴンズ優勝決定の際にはベンチ前で大きくガッツポーズをし、優勝監督インタビューでも大粒の涙を流し、「監督の私が一番泣いた」と発言するなど現役時代とは様変わりした姿を見せた。 

その他

背番号に対してのこだわりが強く、落合博満記念館は背番号「6」にちなんで六角形のデザインとなっている。巨人移籍時に「6」は篠塚が着用していたため「6」に「0」をつけた「60」を着用した(篠塚が引退した翌95年からは「6」に変更)。1994年は巨人の球団創設60周年であり、尚且つ落合が同年開幕時に4番に立った場合巨人の「第60代四番打者」になるために選んだとも言われている。中日監督就任後も背番号のこだわりを随所に見せており、谷繁元信が当時「7」を着用していたのを「捕手の番号らしくない」と森昌彦・大矢明彦・伊東勤・古田敦也など歴代の名捕手が着用していた「27」に変更させている。また中日において同球団を代表する投手が代々着用し伝統として語られていた“エースナンバーは「20」”という考え方にも否定的で、2004年川崎憲次郎引退後に入団した中田賢一に「20」を与えた際には「たまたま空いていたから与えた」と発言しファンの物議を醸した(その後、中田は先発陣の一角を占める存在になった事により「たまたまと言っていたが、初めから中田の事を期待しているからこそ20番を与えたのだろう」という好意的解釈もファンの中から出てきた)。
〜wikipedia〜 

 全部を載せることは出来なかったので、一部を抜粋しましたm(__)m

 現役時代から「名球会入会拒否」の姿勢を表明していたのは今のところ“落合博満ただ1人”だそうです(笑)

 まぁ名球会に関しては入会資格自体が実を言うと曖昧なので、一部からは「カネやん賞」と揶揄されていますがw

 しっかし、球界の“大ボス・金田正一”にタテつくとは、これもまた落合監督らしいです(苦笑)
<飲酒>SB宴会で未成年選手が病院へ 熊本県警が捜査方針
2009年1月15日(木) 20時1分 毎日新聞  

 プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの選手会が昨年11月27日、熊本県益城町のホテルで開いた納会の宴会で、昨年入団した未成年の選手(18)が飲酒して気分が悪くなり救急車で搬送されたことが分かった。球団の竹内孝規・最高執行責任者(COO)は15日、福岡市のヤフードームで会見し、「球団の監督指導が不行き届き。責任は大きい」と陳謝し、主催した選手会▽飲酒した未成年選手▽球団の角田雅司代表(56)の3者を13日付で厳重注意処分にしたと発表した。

 熊本県警は、未成年者の飲酒を知った場合に制止する義務を規定する「未成年者飲酒禁止法」に抵触するおそれがあるとして捜査する方針。ホテルからも事情を聴いている。

 球団によると、宴会は選手と球団スタッフ計約120人が出席して約3時間行われた。未成年は問題の選手を含めて4人。秋山幸二監督やコーチ陣は参加しなかった。この選手は先輩にあいさつの酌と返杯を重ねるうちに飲酒。宴会終了直後に体調不良を訴えて救急車で近くの病院に運ばれ、少し休んでホテルに戻ったという。

 球団は今月10日に週刊誌の取材で事実を把握。調査確認して13日に処分を出したが、発表はこの日にずれ込んだ。竹内COOは「問題の報告が選手とスタッフレベルで止まっていた。発表が遅れたのは調査を続けていたから」と組織での隠ぺいは否定した。

 また「酒を(未成年に)勧めるのが間違いという意識が選手間に薄かった。だが強要ではなく特定の個人の問題でもない」と、今後個別の選手の処分はしないという。【倉岡一樹】」

【関連ニュース】
ホークス:18歳選手が納会で飲酒…11月、救急車で搬送 
ソフトバンク:「秋山ホークス1期生」7人が入団会見 
プロ野球:ホークス納会で18歳選手が飲酒 救急車で搬送 
ソフトバンク:秋山流革命的スタッフ会議 
王貞治最高顧問:最愛の兄・鉄城さんに悲しみの別れ  
 
[ 1月15日 20時1分 更新 ] 
〜毎日jp〜

 これはマズイでしょう…。(「18歳の選手」ということで、ほぼ特定されてしまっていますが…)

 「大ごとにはならない」とでも思ったのでしょうかね??

 私は「飲ませた側」が一番悪いと思います。

 もちろん「飲んだ方」も悪いですが、納会で先輩に勧められたら(強要されたら?)飲まざるを得ないでしょう…。

 考えが浅はかと言うか、一般常識が無さ過ぎます。

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斉藤 「甘い」 「現状変えないと」裏方含めた チームに苦言
2008年12月23日(火) 10時42分 西日本スポーツ  


拡大写真  
 福岡ソフトバンクのエース斉藤和巳投手(31)が22日、福岡市のヤフードーム内で行われた契約更改交渉でホークス大改革の必要性を訴えた。5年連続V逸の現状に強い危機感を抱く選手会長は、スタッフも含めてチームに浸透していた「心の甘さ」を指摘。自らも今季1軍登板なしに終わった責任から、3年契約が終了した来季は5000万円ダウンとなる年俸2億円の1年契約で一発サインし、背水の14年目にかける決意をあらためて示した。 (金額は推定)

■“同じ方向”見る

 手放した「常勝」の冠を、もう一度取り戻したい。スーツに身を包んだ斉藤の顔には、揺るぎない決意がにじんでいた。「現状を変えないといけない。裏方さんも含めてすべての現場の人に甘えがあったと思う」。言葉を選びながらも、ホークスが直面する現実を一刀両断で切り捨てた。

 球団への要望を問われると、声のトーンがそれまでとは一変した。「いろんな要望に対し、球団は動いてくれている。むしろ、まわりの状況を変えても、僕たちの方が結果を出していない」。今季は12年ぶりの最下位。2003年の日本一を最後に、リーグ優勝からは遠ざかったままだ。強かった時代は完全に終わった。

 低迷を招いた要因の一つとして挙げたのが選手、スタッフを含めた意識の甘さだ。「人生も考え方もそれぞれ違う」と前置きした上で、こう続けた。「同じユニホームを着ている以上、もっと同じ方向を向かないといけない。これまでは、勝つことで消されることもあった」。例えば選手同士がミスを見逃したり、傷をなめ合うこともあった。敗戦の責任転嫁や体制批判も珍しくはない。

■松中と話し合い

 いつの時代でも選手やスタッフの仲のよしあしは確実に存在する。ただし、グラウンドでは勝利の目標に向かってまい進する。「それがプロの集団。プライベートな部分は別だけど、ホークスの看板を背負っているわけだし」。最下位をいつまでも嘆き悲しむのではなく、現状をもう一度見直し、強さを取り戻す契機にする。ホークスを思うがゆえに、先日は主砲の松中とも語り合った。

 右肩腱板(けんばん)の修復手術によるリハビリで今季を棒に振り、一度も1軍のマウンドに立てなかった。もちろん、自身のふがいなさはエースとして、誰よりも痛感している。それでも、球団は03年からの4年間で主戦として64勝を挙げた実績や、投手陣の精神的支柱としての役割を高く評価した。角田雅司球団代表は「チームへの貢献度や影響面も考慮した」と説明。5000万円のダウンにとどめた。

 「日本一が常に最高の目標なのは変わらない。個人的には投げたい。1球でも投げたい」。記録に残らなかった13年目のシーズン。多くを語ることなく、己の復活だけに集中するのも一つのやり方だ。交渉の席で、あえて自らの立場を追い込み、意識改革の必要性を訴えた。エースの直球提言。背水の意味をチームの全員に問い直した。
 (西口憲一)

=2008/12/23付 西日本スポーツ=  
 
[ 12月23日 10時42分 更新 ] 

 「現状を変えないといけない。裏方さんも含めてすべての現場の人に甘えがあったと思う」。

 言いたいことは分かりますが、それは1年間試合に出た人が言うことじゃありませんかね??

 斉藤の故障は「勤続疲労」が原因の1つではあると思いますが、今年1試合もプレーしていない人間がそんなこと言ったらいかんでしょ…。

2008年度表彰選手

 2008年度 表彰選手 (セントラル・リーグ) 




 記者投票による表彰 
 


      
 最優秀選手 A.ラミレス (読売) 
 初受賞 
 
 最優秀新人 山口 鉄也 (読売) 
 
 
 
 ベストナイン (投手) S.グライシンガー (読売) 
 初受賞 
 ベストナイン (捕手) 阿部 慎之助 (読売) 
 2年連続3度目 
 ベストナイン (一塁手) 内川 聖一 (横浜) 
 初受賞 
 ベストナイン (二塁手) 東出 輝裕 (広島東洋) 
 初受賞 
 ベストナイン (三塁手) 村田 修一 (横浜) 
 初受賞 
 ベストナイン (遊撃手) 鳥谷 敬 (阪神) 
 初受賞 
 ベストナイン (外野手) A.ラミレス (読売) 
 2年連続3度目 
   〃 青木 宣親 (東京ヤクルト) 
 4年連続4度目 
   〃 金本 知憲 (阪神) 
 2年ぶり7度目 
 
 最優秀投手 S.グライシンガー (読売) 
 ※ベストナインに選ばれた投手に与えられる 
 


 記録による表彰
 


      
 最優秀防御率投手 石川 雅規 (東京ヤクルト) 防御率 2.68 初 
 最多勝利投手 S.グライシンガー (読売) 勝利 17 2年連続2度目 
 最多奪三振投手 C.ルイス (広島東洋) 奪三振 183 初 
 最多セーブ投手 M.クルーン (読売) セーブ 41 初 
 最優秀中継ぎ投手 久保田 智之 (阪神) ホールドポイント 37 2年連続2度目 
 
 首位打者 内川 聖一 (横浜) 打率 .378 初 
 最多本塁打者 村田 修一 (横浜) 本塁打 46 2年連続2度目 
 最多打点者 A.ラミレス (読売) 打点 125 2年連続3度目 
 最多盗塁者 福地 寿樹 (東京ヤクルト) 盗塁 42 初 
 最高出塁率者 内川 聖一 (横浜) 出塁率 .416 初 
 最多安打者 内川 聖一 (横浜) 安打 189 初 
 


 特別表彰 
 


     
 最優秀監督賞 原 辰徳 (読売) 
 
 
 スピードアップ賞 広島東洋カープ 
 
 カムバック選手賞 平野 恵一 (阪神) 
 
 会長特別賞 内川 聖一 (横浜) 
 

     ※右打者のセ・リーグ年間最高打率を更新。 
 新人選手特別賞 坂本 勇人 (読売) 
 
 
 審判員奨励賞 吉本 文弘 (セ・リーグ審判員)
〜日本野球機構〜
 2008年度 表彰選手 (パシフィック・リーグ) 




 記者投票による表彰
 


      
 最優秀選手 岩隈 久志 (東北楽天) 
 初受賞 
 
 最優秀新人 小松 聖 (オリックス) 
 
 
 
 ベストナイン (投手) 岩隈 久志 (東北楽天) 
 4年ぶり2度目 
 ベストナイン (捕手) 細川 亨 (埼玉西武) 
 初受賞 
 ベストナイン (一塁手) A.カブレラ (オリックス) 
 2年連続3度目 (他にDHで1度) 
 ベストナイン (二塁手) 片岡 易之 (埼玉西武) 
 初受賞 
 ベストナイン (三塁手) 中村 剛也 (埼玉西武) 
 初受賞 
 ベストナイン (遊撃手) 中島 裕之 (埼玉西武) 
 初受賞 
 ベストナイン (外野手) 稲葉 篤紀 (北海道日本ハム) 
 3年連続3度目 (他にセで1度) 
   〃 栗山 巧 (埼玉西武) 
 初受賞 
   〃 リック (東北楽天) 
 初受賞 
 ベストDH T.ローズ (オリックス) 
 初受賞 (他に外野手で5度、セ外野で1度) 
 


 記録による表彰 
 


      
 最優秀防御率投手 岩隈 久志 (東北楽天) 防御率 1.87 初 
 最優秀投手 岩隈 久志 (東北楽天) 勝率 .840 4年ぶり2度目 
 最多勝利投手 岩隈 久志 (東北楽天) 勝利 21 4年ぶり2度目 
 最多セーブ投手 加藤 大輔 (オリックス) セーブ 33 初 
 最優秀中継ぎ投手 川崎 雄介 (千葉ロッテ) ホールドポイント 31 初 
 最多三振奪取投手 杉内 俊哉 (福岡ソフトバンク) 奪三振 213 初 
 
 首位打者 リック (東北楽天) 打率 .332 初 
 最多安打者 栗山 巧 (埼玉西武) 安打 167 初 
   〃 片岡 易之 (埼玉西武) 安打 167 初 
 最多本塁打 中村 剛也 (埼玉西武) 本塁打 46 初 
 最多打点 T.ローズ (オリックス) 打点 118 6年ぶり3度目 
 最高出塁率 中島 裕之 (埼玉西武) 出塁率 .410 初 
 最多盗塁 片岡 易之 (埼玉西武) 盗塁 50 2年連続2度目 
 


 特別表彰 
 


     
 優勝監督賞 渡辺 久信 (埼玉西武) 
 
 功労賞 清原 和博 (オリックス) 
 
 
 審判員奨励賞 丹波 幸一 (パ・リーグ審判員)
〜日本野球機構〜 

 横浜からは内川、村田がベストナイン選出!(拍手!!)

 ただ首位打者、本塁打王を擁しながらダントツ最下位というのは、やはり考えものですね…。

 今季のライオンズも昨季リーグ5位から一気に日本一登り詰めましたから、ベイにも出来る!!(と信じております笑)

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西武が日本一!渡辺監督1年目で頂点
2008年11月9日(日) 21時39分 サンケイスポーツ  


拡大写真  
 新生レオがV奪回。3勝3敗のタイで迎えた日本シリーズ第7戦(7回戦)巨人−西武は9日、東京ドームで行われ、西武が巨人を3−2の逆転勝ちでくだし4年ぶり13度目の日本一に輝いた。

【フォト集】西武ライオンズ4年ぶり日本一! 


 昨季26年ぶりBクラスとなる屈辱の5位に沈んだチームを、就任1年目の渡辺久信監督(43)が一気に頂点へと導いた。

 鳴りやまない拍手の中、歓喜の輪に渡辺監督がゆっくりと包まれていく。1度、2度、3度…。青年指揮官が9度、宙を待った。

 最終決戦の第7戦に巨人を倒す。球界を代表する2チームの激突には、運命じみた縁がある。今シリーズの星取りは西武○●●○●○○。巨人ファンだった渡辺監督の入団前年である1983年とくしくも同じ道をたどった。「西本さんのファンだったけど、江川さんも好きだったから思わず江川モデルのグラブを買っちゃったよ」という指揮官が再び歴史を切り開いた。

 渡辺監督の原点は、99年から3年間過ごした台湾にある。西武、ヤクルトから戦力外通告を受け、失意と反骨心を胸に「日本の監督にはなれないだろうから、北京五輪の中国代表コーチとなって日本代表を打ち負かしたい」と海を渡った。

 言葉の通じない異国で指導者としての基礎と忍耐を学んだ。その過酷な経験が、チーム崩壊の危機を救った。宮崎・南郷町でのクライマックスシリーズ直前合宿。大久保打撃コーチとボカチカによる乱闘寸前の口論が勃発(ぼっぱつ)した。罰金など両者への処分も検討されたとき、「言葉の行き違いによる争いはどこでもある。こんな程度のことで罰金なんかはいらない」。監督自らボカチカ、大久保打撃コーチとそれぞれ個人面談をして解決に導いた。ボカチカはこの日、反撃のシリーズ1号ソロで指揮官の気遣いに応えた。

 26年ぶりBクラスに沈んだ昨季から、一気に頂点に上りつめた。昨年10月11日、1軍監督就任発表で渡辺監督は、5位低迷からの再建とともに明るいチームカラー作りを掲げた。プロ野球監督史上最大の背番号「99」に「野球で100点(満点)は不可能なので、1つ下の99点を目指したい」と語った若き指揮官が、日本一を奪回。ナインに100点をあげたはずのこの夜、『常勝西武』復活が確かに見えた。
〜サンケイスポーツ〜

 ライオンズファンの皆さん、おめでとうございます!!


 今日は仕事も休みで最初から最後までしっかり見る事ができました。

 東京ドームで相性の悪い西口がライオンズの先発だったのでジャイアンツ有利かと思っていましたが、やっぱり野球は分かりませんね〜!

 結果論から言えば「立ち上がりの西口を攻め切れなかったこと」、「8回の後手に回った継投」がジャイアンツにとって命取りになった気がします。


 いくらベテランとはいえ日本シリーズ未勝利の西口でしたから、立ち上がりは力が入り過ぎていたと思います。

 1死満塁からバッテリーエラーで先制し、尚も1死2、3塁で押せ押せの展開でしたが、亀井がセカンドゴロ、イ・スンヨプが三振で追加点を取れませんでした。

 あそこで1本出ていれば一気に流れはジャイアンツだったのですが…。


 8回の継投も越智を引っ張り過ぎたと思います。

 7回は自ら背負ったピンチを連続三振で凌ぎましたが、そこで限界だったと思います。

 ライオンズは3回から石井一、涌井と惜しみなくエースを投入したのですから、ジャイアンツも同じようにすべきでしたね。

 確かにライオンズは主力に左打者が少ないですが、今年は山口の大車輪の投球で勝ち上がって来たのですから、山口と心中しても良かったのではないかと…。


 まぁ、いずれも結果論。

 今年は素晴らしい日本シリーズでした!


 また「WBCは原監督で良いのか?」みたいな意見も出そうですが、原監督のままで良いと思いますよ!!

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