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最近はあまり健康法について更新しなくなった。健康法に飽きたのかと言われれば、そうでもあり、そうでもなしである。こうでないといけないという縛りが今では無くなったというのが正しい解釈である。健康法はやはり大事であると思っている。体を大切にする事は重要である。健康で長生きすればそれだけ世の中の役に立てる仕事ができるからである。
その中の一つで今もやっているのが特に職場であるが、食後に歩くことである。普通食後は少し休んだ方が良いと言われるが、私は食べてからしばらく歩く事にしているのだ。これは以前読んだ貝原益軒の「養生訓」という本で知ったのだ。その中には食後400歩歩けば良いと書いてあった。 400歩というのは、普通の健康法の常識から言って少ない量である。も少し歩いても良さそうなのだが、この少し足りないという所が「味噌」なのかも知れない。あまり多くやると気持ちばかり勇んで長続きしないのが凡人の辛い所である。かと言ってあまりにも少ないとやった気がしない。そこでこの400歩なのかも知れない。多すぎず短すぎずというところだろう。 とにかく食べた後に横になったり休んだりしないで400歩歩けと書いてある。確か400歩だったと思う。ではなぜ歩いたら良いのかと言えば「体中を気が回るから」だと書いてある。気が体の中を巡ればそれはとても健康に良いのだそうだ。現代科学を信奉する現代人としてはどうもこの辺りが迷信くさかったり胡散臭かったりするところだろう。 しかし何故か私は昔から科学的な根拠など無くてもスッと信じ込む所があって、この場合もまさにそうであった。そうか、食べた後に歩くと気が体の中を回るんだ、と思った。イメージ的に新鮮なエネルギーが含まれた空気が体の中を駆け巡っているような感じがした。これは良いと思ったのだ。 その中には何も科学的なものは一つも無かった。「気」というものについても科学では存在しないという事になる。だがそれで良いのだ、自分が心から信じれば。しかしその頃の私はそれを完全に信じる事は無かったのかも知れない。80%程度信じていたのかも知れない。 ある日、テレビでウォーキングの効用について説明があった。今流行りの医学者が解説していた。少し早目の速度で歩くとそれはいわゆる有酸素運動になって、健康に良いのだ。で、彼はこう言っていた。食後歩くと血糖値が急激に上がるのを防ぐ。だから体に良いのだと。これは私にも分かる。以前糖質制限にはまっていた頃、その辺りをしっかり勉強していたからだ。人は主に糖質を食べると急激に血糖値が上がり、糖尿病などの原因になるのである。 血糖値が上がると体はそれを下げる為にインシュリンを出す。しかし過剰な糖質は脂肪に変化し体の中に蓄えられそれが太る原因になる。だから健康の為には血糖値の急激な上昇を防げば良いのだが、有酸素運動はこの血糖値の上昇を防ぐ働きがあるのだ。だから食べた後に歩くと健康に良い事になる。 血糖値が上がるという事は血管の中で様々な変動が起こるという事である。それは血液自体にも影響を及ぼすから血糖値の上昇だけでは無く、血圧の異常にもつながる。糖質過剰の食生活は糖尿病も高血圧も作りだすのだ。逆に糖質を制限すれば糖尿病も高血圧も改善されるという事になる。 ま、その辺りは以前私が勉強した部分であるが、今の私はもうそんな科学的な理論はあまり気にしていない。しかし糖質もそれなりにいただき、食べる事を楽しみ、感謝して食べていれば人はそんなに簡単には病気にはならないし、病気があったとしても改善の道はある。その中で食後に歩けば気が回り、血糖値も上がらず、これは東洋医学西洋医学とも兼ねる事になる。 体は神聖なる神の子としての私という「霊」がこの世で活動する為の道具である。それならば道具は大切に扱い、普段の手入れもある程度こなした方が良いのは間違いない事である。 |
少食生活 瞑想 健康法
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数日前にこのブログで書いたのだが睡眠についてである。
今日テレビで何気なく見ていたら「現代人の三人に一人が不眠症である。」と あった。情報番組であったが、ホンマカイナと、思わず疑ってしまった。 三人に一人であれば日本人全体で考えれば大変な数である。 それがナント三人に一人が不眠症とは驚いた。 もしかしたら以前の私もホントはその三人の一人の内であったかも知れない。 夜中に目が覚める癖が長年続いてそれが当たり前になっていた。 自分ではそれが自然な姿であると思っていた。 ある程度の年齢になれば誰もがそのようになるんだと 思っていたのだ。 しかしそれでも私は夜中に目は覚めても又直ぐに再び眠られたのだ。 だからそんなに気にはしていなかったのかも知れない。 当たり前のことなのだと思っていたのである。 だがどうもそうではないらしい、日本全体がどうもおかしくなっているのかも 知れない。 今の私は三日に一度の24時間勤務の仕事であるが、その時は大体夜中に 三時間程度の仮眠を貰っている。だから短いのは心配だから本格的なその 三時間の本睡眠に至る前までに、夜、ちょこちょこ短い仮眠を取っている。 隙間を狙って三十分から小一時間くらいの仮眠を取りながら どうやらやりくりしているのだが、不思議にその本睡眠の目覚めは 目覚ましの音に頼らなくても五分前くらいに自然と目覚める。 そんな能力が開花したようである。 三日の残りの二日はちゃんと自宅で眠れるから普通に寝れる。 特に今の私は夜中に一度も目覚める事も無く、朝が明けるまでぐっすり 眠っている。夜寝て朝起きると言う昔ながらの普通な眠りをいただいているのだ。 だが先に述べたように、中年になって私はいつの間にかその普通な眠りから 普通ではない眠りに変化していたのである。 それを普通ではないと感じていなかった。歳のせいだと自分に言い聞かせていたのかも 知れない。 ではなぜ私が普通になれたのか、三人に一人の不眠症から脱する事が 出来たのかと言えば、それはその番組で登場した睡眠の専門家の医学博士が 述べていたような医学的なものではない。全く昔ながらの普通の昔のおじいちゃんや お婆ちゃんが子供たちや孫たちに言い聞かせていた事と同様の事であった。 この栄養素が足りないからとか不規則な仕事とかそんな物質的な原因ではない。 あるいは、老人は体が弱り、運動も少なくなるから睡眠が自然と少なくなり だから不眠症的な眠りも仕方ないのだと言う開き直ったものでもない。 いくら歳を取っても人間はある程度の睡眠をするのが当たり前なのである。 それが出来ないと言うのは決して物質的なものが原因では無く 食べものが悪いとかそんなものではないと思う。 それは心、精神、意思等の目に見えない世界の問題であると思う。 心が安心できれば自ずと深い眠りも得られ、その安心感の中で 私たちは心地よい眠りの世界に入って行けるのである。 そしてそこでたっぷりとエネルギーを充てんされ、明日の活力を養える。 不安感とか恐怖心とか取り越し苦労などのマイナス思考が 睡眠を阻害するのである。 子供の頃は親に任せきって私たちは夜になればぐっすりと寝た。 しかし自我が芽生えてきて、自我力が大きくなると 私たちは自分以外誰も信じられなくなり 自然と深い睡眠からも遠ざかる。 素直な子供のような心境こそ、良質な睡眠の元である。 |
Message body老人になるとというか歳を取るとあまり寝られなくなるとよく言われる。睡眠時間が短くなるということらしいが、私もその事実を本当に信じていた。いたというのは、それならば今は違うのかと言われれば正解だとも思うしやはり間違っているとも思う。
実際私も長い間それをずっと信じていた。夜一旦眠りに就くと若い頃は朝までぐっすりと眠っていたものであるが、ある頃からそれがぷっつりと途絶えてしまって深夜とかまだ明けきらない夜明け頃に目が覚めてしまうようになってしまったのだ。しかしだからと言ってそのままもう眠られないという訳でもない。直ぐにまた寝られるのだが、しかし必ずと言って良いくらいに一度目が覚めてしまうのである。 しかしこれはもう当たり前な現象だと思っていた。人間はある程度の年齢になったら誰もが皆こうなるのだと思っていたのだ。いやいや私は逆にこうなった方が良いのだとも考えていたかも知れない。だらだら長く眠るよりは短い時間で切りやめてはつらつとした毎日を送った方が良いのだと思っていたのだ。 3時間睡眠の実践者で、「ナポレオン睡眠」の著者である酒井洋さんはその著書の中で「人間は誰でも皆一旦眠ってもその後だいたい3時間くらい眠れば自然と目覚めてしまうものだ」、「だからその時二度寝しないで思い切って起き上がれば睡眠は短くとも可能なのだ」「だから本当は3時間睡眠は誰でもできるのである」と書いている。私はこの一文を見て納得し私のやってる毎日の生活は変わったものではなく、やろうと思えば誰にでもでき、やらないのは単なる根性無しなのかも知れないと強く思い込んでいた。 一旦眠ったら誰もが短い時間で一度は目覚めるのである。あとまた眠るのは単なる怠けなのだと思っていた。つまり私は自分で自分の事を根性無しで怠け者で長続きすることができないダメな人間だとずっと思っていたのかも知れない。 前置きが長くなってしまった。私がここで今日何が言いたいのかと言えば、実は私の生活が変わって来ているのである。つまり前述した夜中や明け方に一度必ず目覚めるという習慣が消えたのである。夜一旦寝たら朝までぐっすりと眠りに就くということである。だいたい6時間くらい連続して眠られるようになった訳である。これは私にとっては全く画期的な出来事である。 実は私は薄々感じていたのだかホントに人間は歳を取れば誰でも皆夜中に一度は目覚めるのだろうかとどこか疑っていたかも知れない。何故なら隣りで寝ている私の妻に聞いても彼女は朝まで眠れるといつも言ってたし、実際彼女はよく眠る。だがそれでも私は妻はホントは夜中に一度目が覚めてはいても直ぐにまた眠るので分からないのだ、目が覚めた事を忘れているのだと自分の信念を守ろうとしていた。だから自分では本当に半信半疑であったと思っている。 人間は歳を取っても朝までぐっすり眠れる、というのが今の私の信念である。夜中に一度目が覚めるというのはもしかしたら心のどこかに不安感や恐怖感があるのかも知れない。潜在意識の著作などで有名なアメリカのマーフィーも高血圧は食べ物の問題なんかではなく、心の問題であり不安や恐れから来ていると言っている。生長の家の谷口雅春さんも言っている。唯物主義者の医者だけが(全部ではないが)高血圧は塩分の摂りすぎだとか原因を物質にとらえているが、精神科学では将来への漠然とした不安とか取り越し苦労など心の中に問題や原因があるとしているのだ。 つまり夜中に目が覚めてしまうのはその心の中にある不安や恐怖から肉体が反応した結果だとも考えられる。つまり安心すれば自然と朝まで眠られ、良質な睡眠も得られるのではないだろうか。もしかしたらかのナポレオン睡眠の酒井先生も緊張感や不安感から思わず夜中に目が覚めてしまい、そのような弱い自分に打ち克とうと己を叱咤して短時間睡眠の道へも突き進んで行ったのかも知れない。 |
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賑わっていた。平日にも関わらずである。場所は国道沿い、目の前に見えるのは 維新公園である。春になれば桜で満開な景色が楽しめる。 食べることは生きることにつながる。食べる内容を変えてみれば、それは結果的に生きることにつながっているのだ。あれが悪いこれは良い。と人は健康法としての食生活に懸命になる傾向があるが、キリストは聖書の中で「何を食べ何を飲まんとわずらうなかれ」と言っている。つまり何を食べようか何を飲もうかと、あまり神経質に考えるなと言っているのである。何でも食べて良いのであり、感謝していただけば、それは全て栄養になり滋養となると言うのである。
今の時代、あらゆる体の不調、病気の症状において、現れた現象面のみにとらわれ、それを先ずは前提として科学的に判断し人間智だけで健康を創造して行こうとしている。その結果、食べ物にそれが集約され、何が良い何が悪いと判別して行く。糖尿病にはこれが悪い、だからこれさえ取り除けば、病気は治るのであると。しかし果たしてそうであろうか。
結果的に見れば確かに症状は改善される人もいるようだが、全然治らない人もいるようである。相性があるのかも知れないが、何とかの頭も信心というように、信じる度合いで病気が治るのも変わって行くのかも知れない。ただそうだとしたら、やはり健康の元は、心、つまり外側の現象面ではなく、内面の問題、心の問題になるのではないか。心さえ整えば、外の世界に表れる全てのものは心に合ったように変わっていくのではないか。
心が整い、心が健康な状態になれば体も健康になる。私たちは心を先ずは優先的にとらえ、心を良い状態に保って行けば、自然と美しい整った体になって行くだろう。自然になった体が欲すれば自然とその時に最適な食べ物を自然と食べるようになるだろう。そのようにして素直に自然に生きて行けば良いのである。
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相変わらず私のご飯へのカムバックは定着しつつある。
と言っても、以前とのご飯との付き合い方とは若干変わっている。
以前のご飯に対する付き合いと今のとでは随分違っている。今はある程度
距離を保ちつつ、礼節を保ちつつご飯と付き合っている。
しっかりと食べているが、溺れていないという感じだ。
肉との付き合いもちょっと変わったかも知れない。
今は肉の味を噛みしめている。大げさに言えば、感謝の念を持ちながら
食べているといった感じかも知れない。
大量にはもちろん食べないが、他の食材と合わせて全体をアップさせて
いる力を、肉に感じている。例えばポテトコロッケに入っている少量の
ひき肉、それでコロッケ全体の美味しさがアップする。
野菜然り、木の実然り、大豆製品然り、海産物然りである。あらゆる食材の
味そのものを楽しんでいる自分がいる。ただし偏らないようにしている。
自由に楽しく食事をし、そして食事を話題にできる自分が今は嬉しい。
人間は食べなくても生きて行けるという考えはいまだにあるが、
しかし美味しく食べ、人との交際を楽しむという意味で食事は大切なもの
だと思う。
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