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季節はもう春・・と言えば少し早いかも知れないが、多分もう気温が下がり
肌寒いとか、寒さを感じることは無くなるだろうと思う。春はもう目の前、暖かい
日々はもうすぐなのだ。と言っても、昨日今日と暖かくなるのは間違いない。
去年は春を感じるころ、私は新しい何かを始めようと意気込んでいたものだ。
それはずっと長い間温めていた自分の夢。そして一生の夢かも知れないある事業
を考えていたからだ。それが「陽だまりの木」だった。
中高年が集まり、皆で交流して行こうというもの。それが陽だまりの木。
それは独り身の中高年が結婚を意識するものであり、既婚者ではあるが
友達づくりを目指したものでもあった。私としては、既婚独身区別なく、
中高年が屈託なく集まる、そんな場所の提供が出来れば良いと思っていたのだ。
しかし問い合わせに私に連絡をしてきた者の多くは前者の方、つまり、結婚を
意識した者が多かった。当時私の中では独身も又良いではないかということ。
寂しさはあるのかも知れないが、独身も又良し、というものだった。
それは1人は自由であり、何でも気軽にできるではないか、また、恋もできるし
そんなに自分を窮屈にしなくても良いではないか、ということだった。
しかしそんな独断的な私であっても、多くの中高年の独身者たちの気持ちを
聞かされ、又私自身の心の成長も手伝って、そういう思いは段々変化して行った。
つまり、彼らが結婚したいという気持ちも理解できるようになったのだ。
それほど人間にとっての孤独というものは、辛いものであり、悲しいものなのかも
知れない。
彼らとの集まり、イベントは二回ほど行った。その間私にとって初めての症状
目が回るという「目まい」を経験した。その上、仕事の量が増え、肉体的精神的に
私にとって負担が多くなった。その上での新しい組織の運営。当時の私にとって
それは本当に過酷なものとなって私に折り重なって来たのだ。
それで私は先ずは自分の健康管理が大事だと決意、陽だまりの木は一時お休み
させてもらった。これでこのお陰で少し私も休養できた。仕事の方は相変わらず
忙しかったが、それでもプライベートな時間もある程度確保できたから私としては
本当に人生を楽しめていた。自分の幸福はある程度保てていた。
しかしその間、陽だまりの木として集まってくれていた数人の人たちから電話を
何度かいただいていた。いずれもそれは又集まりたい、もう終わったのかという
内容のものが多かった。彼らはやはり私の事を必要としているようだった。
それは確かに私にとって嬉しいことであったが、だからと言って、すぐに私は又
再スタートをするというものにはならなかったのだ。
季節的なものもあったのかも知れない。季節は暑い夏を過ぎ秋を迎え
直ぐに寒さを感じる冬が来た。寒くなれば仕事以上のものに情熱を傾ける気分に
ならなかったのだ。仕事の合間に好きなドライブ、外食が楽しかった。
仕事も面白くなった。もはや私の中に、陽だまりの木を入れる余裕はなくなっていた
のかも知れない。
しかし季節は又春である。気分はアップして、気持ちは良い。
街角で会員と出会う事もある。そんな時、又私は頑張ろうという気持ちに一瞬的にも
なるのである。さあ、春だ。又皆と会いたいという私になれれば良い。
春はそんな季節である。
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陽だまりの木
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去年の春に立ち上げた「陽たまりの木」だったが、二度ほどイベントなど催したほかは開店休日状態だった。つまり活動はしていなかった。なぜかと自分に問えば「面倒くさい」というのが一番正直な話だろうと思う。色々な個性が集まるのは良いのだが、どれもこれも面倒くさい奴らばっかりだと自分で決めつけていた。
しかしよく考えてみれば、世間は誰もが皆面倒くさいものだ。面倒くさくない奴なんて、ホンの数しかいない。きっと私はそう思う。だから何となく会の活動に二の足を踏んでいたのだろうと思う。よく言う事を聞いて、まとまりのある奴ばかりだったら問題ないのだが、しかも彼らが子供ならまだ分かるのだが、どれもこれも皆良い歳の連中なのだ。それがますます面倒くささに拍車をかける。
今思えば私の問題もあった。私自身の中で私はまだ問題を解決しておらず、中々自分で自分に納得をしていなかったと思う。そういう状態では、人様のお世話などする資格も無かったであろう。しかし、年もあけ、少し落ち着き、正気を取り戻してみれば、なるほど私の始めたこの会は、私のホントの姿にピッタリ合っているのかも知れないなと、思えるのである。
それだから、そろそろ又再び会の活動に取り組んでみても良いのかも知れないと思うようになったのだ。もちろん自分の生活を優先し、この最近特に感じている幸福感、ささやかではあるが、この幸せな気持ちや感覚を最優先させながらの話である。それを優先しつつ、他人の幸せの為にも少し力を注いでみても良いかなと思いだした。つまり、その気になりつつあるのだ。今がチャンスなのかも知れない。
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昨日の夜。思いもかけない人から電話をいただいた。私がこの春に立ち上げた中高年の出会いの場、ふれあい・交流の場、「陽だまりの木」の一会員、エグチさんだった。およそ8分間。彼の熱弁をずっと私は一方的に聞いていた。
要は彼は会の存続を訴えた。皆もきっと楽しみにしている、というものだった。私がもうやる気が無いのではないか、続ける気がなくなったのではないかという心配だったのかも知れないが、彼は私にずっと熱い調子で会の維持を訴えてきた。
何も私は会を止めようという気持ちは無い。無いが、さりとて頑張って続けようという気持ちもそんなに無かった。つまり私は会そのものに固執はしていなかった。どちらでもいいかな、あるいは、やはり続けたい、この会は私にとっては最後のあがき、ライフワークになるかも、あるいは、私が真の自由な身分になるための手段。もっと下世話に言えば、私の最後の飯の種。多くの同級生、知り合いに較べて、年金が当てにならない私にとって、将来安定の要になるかもしれない・・などなど。
しかしそういう意味では私は今の仕事に全てを賭けても良い位に考えている部分もある。今の仕事は大好きなものでもなく、何となく成り行きで始め、何となく続けてきたものである。情熱など無く、そんなに面白味もない。だからと言って嫌で嫌でたまらなく、仕事に行くのが苦痛というものでもない。どちらかと言えば、最近は好きになりつつある。10年以上続けてきたが、やっと面白く感じる時もあるし、分かりやすくいえば、苦痛を感じる事は無い。
もっと現場の経験を積み重ねていけば、私はこの職業でもしかしたら地域ナンバーワン。そんな存在になる可能性もある。技術的、知識的な面では私よりも優秀なメンバーは山ほどいる。が、トータルで言えば、あるいは、素人や部外者から見た場合のこの仕事のスペシャリストになる可能性はあるし、既になっているかも知れない。そういう意味では私はこの仕事を死ぬまで続けていけるし、もしかしたら現場でポックリ死んでいくということもありうる。
とにかく娘達も無事に嫁ぎ、私の背中にかかる存在は妻だけとなった。自分の事と妻の事に関しての責任、生きるための責任。それらを全うする為に私は今の仕事を続ければ良いのである。今の仕事で家族の責任を全うし、同時に仕事にまつわる様々な人間関係、社会的意義、それらをトータルで考えれば私の今生の使命もある程度果たせるのかも知れない。私は多分この調子で生きていけば、死ぬ時に笑って微笑んで死んでいくことが出来るかも知れない。そんな事を考えれば、私は今の生活で充分。仏教で言われる足ることを知る・・という観点から考えれば、私は無理に「陽だまりの木」を続けなくても良いのである。
仕事している時もある程度楽しいし、それ以外の妻との生活も穏やかで楽しい。時々嫁いで行った娘達との交流もそれなりに平穏だ。他に何を求めよう。今の生活で充分だ。いつも心に微笑を、いつも心に太陽を。私の今の心境である。
それなのにこうして会員からの電話が時々入ってくる。彼らは一様に寂しいのかも知れない。孤独な生活で、私のような満ち足りた、満足した、足ることを知るという気分ではないのかも知れない。何も私は上から目線でそれでは彼らの為に会を存続してあげよう、などと尊大な態度は取りたくもない。やはりいくら幸せな生活をしているのだと言っても、私の心の中には奥深くから訴えてくる思いがあるのかも知れない。それはもしかしたら私の天命、宿命、使命なのかも知れない。今はそれは分からない。ただ、若かった頃に味わっていた、若草の気分、青春の気分、熱い心は持っておきたいものである。
結局私も寂しいのかも知れない。会員達と同様私も寂しいのかも知れない。そうであれば、私は彼らと対等であり、彼らと本当の意味で仲間となり、あるいは、家族同様の付き合いでこれからの長い人生生きて行くのも悪くは無い。そんな気持ちで陽だまりの木再開もあるのかも知れない。
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陽だまりの木イベントが今回は延期にさせてもらうようになった。
言い訳としては、イベント参加者における定員が満たせなかった、という事。
だが、実際はそうでもない。頑張って、私が積極的になって、電話などで勧誘すれば
ある程度の参加者は集めることが出来たかも知れないからだ。
だが、今回はどうしてもそのような気持にならなかったのだ。
無理にやってもそれはこの会の趣旨ではない。と言うか、私の趣旨ではない。
私の気持ちは会員にも伝わり、皆が無理な気持ちで参加してもそれは楽しくない。
本当にやりたい、集まりたいという思い、それが良いのだから。
そして現在の所属会員数では、まだバス旅などは決行できないのかも知れないし、
もう少し人数が増えれば、そして、皆の気持ちが一つになり、皆が馴染み、
慣れていけば自然と旅に出たくなるのかも知れない。
理想と現実にもうちょっと距離があるのだ。
今はやはり、皆が一つ会場に集まって飲んだり食べたりという内容が良さそうである。もちろん歌ったり。
しかしただ一つ変えたいと思えるのは、それは会場なのかも知れない。
今まではある会員さんの常連であったカラオケボックスだったが、それはそれで良かったのだが、もうちょっとグレードを上げるのも良い。
もう少し日常と離れ、華やかな気持になるのが良いのである。
会場に向けて足を運んでいくのに、華やかな、ちょっとリッチな気持ちが
皆の気持ちを高揚させるのだ。そこが良い。
ということで、次回はもちろん8月であるが、今から考えよう。考えるのが何となく楽しみ・・・と言うぐらいが良いのである。全ての作業が楽しみ・・というのが仕事を超えた遊びのような、しかしそれは将来は自分の仕事になるような、そんなものに成長するのかもしれない。まさに、私の狙いがそこにある。
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昨日は一日萩で過ごした。勤務明け、しかも二度も仮眠中に所用で訪れた人や病気で苦しむ人の緊急電話で起こされた私であったが、それでも挫けず(?)、短い睡眠ではあったが、午前10時に宇部を出発し帰宅したのは午後5時過ぎだった。
7月の陽だまりの木のイベントで下見に出かけたのだ。バスツアーを考え、それではと食事する場所や観光など、実際自分の目で確かめておこうと思い立ち、出発した。久しぶりの萩であったが、さすが城下町萩、しっとりした雰囲気は今でも新鮮だった。
「お父さんは不死身だから」とは妻の弁である。私が勤務明けで、それでいて、ほぼ休憩無しで運転し、ずっと活動を続けた様を見ての感想だったが、私としてもそれはゼンゼン我慢してのという行動でもなかった。実際下見の行動は楽しかった。
先日、ある女性から電話が入った。彼女は後になって何となく分かったのだが、いわゆる同業者、つまり中高年の婚活を仕事としている人間だったような気がするのだが、私に色々と質問攻めで、陽だまりの木に入会したいという人間にしてはあまりに質問に偏っていた。多分彼女は私が始めた会に対して過分な興味を持ったのだろうと思われる。
なぜ彼女がそんなにも興味を抱いたのかと言えば、同じような仕事を長年やっている私から言わせれば、それは多分毎月実施しているイベントのせいだろう。簡単に毎月実施のイベントと言うが、これが中々簡単ではないらしい。実際過去私が参加していたある団体では毎月実施と会則ではうたっているのだが、現実問題として、それは中々困難な様子だった。
しかし私から言わせてもらえば、それはお金目的、仕事としてあまりにも窮屈に固く考えているからではないだろうか。もっと柔軟に、そして自分があくまで楽しくやるのだと言うのをモットーとしてやれば良いのである。お客の嗜好に偏向し過ぎ、自分を犠牲にするから嫌になるのである。飽きるのである。
先ずは自分が楽しいと思えるようなイベントを優先すれば良い。そうすれば毎月どころか、月に何度もやりたくなるだろう。まあ、分かりやすく言えば「この指止まれ」の精神である。自分がやりたい事に参加したい人、この指止まれ・・ということだ。相手に過剰に合わせる必要は無いのである。
そんな感覚でやって行けば、参加者の人数がどうかとか、どんな男性女性比かとかは問題ではなくなる。とにかく私のやりたいことに賛同し共感し、そして自ら積極的に参加してくれる人とともに楽しく時間を過ごせば良いのである。それが私が感じる会の精神、永遠のテーマなのかも知れない。
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